六話
ジャッカスにあるアジズの酒場へ、全ての役者が揃う。
衛星の代表責任者である山本。その山本を代表に据えた要塞都市の、部下を引き連れた要人達。エウロパで四大組織と呼ばれる集団の、長と幹部達。そして、その酒場の主と従業員。
シェール達がテーブル席を並べ替えていると、流したままになっていた星間通信の画面に、トラブルが発生した。
血みどろの母船内映像が、映し出されてしまったのだ。そして、現在は「しばらくお待ちください」と、青い画面に文字だけが表示されている。
酒場にいた者達は手を止め、画面を見ていた。
その画面を凝視しているのは、酒場にいた者達だけではない。大勢の民は続報を待ち、様々な憶測が飛び交っていた。余りにも気分の悪い映像が流れたため、胃の内容物をトイレに吐き出している者すらいる映像が流れたのだから、皆の反応は間違えていないだろう。
ただ、山本やアジズの様に、その映像が流れた理由を正確に推測できている者はまだ少ない。
****
画面が青く変わったのと同じタイミングで、アースの母船内で笑い始めた者がいる。大昔の地球で、神と呼ばれた異世界の住人だ。
壁を背に片膝をついたままの大介は二匹の敵を見据え、肩で大きく息をしている。
その大介をにやついた顔で見下す二匹のハイブリッドは、それぞれ片手で魔法の光を弄んでいた。
事情を知らない他人が見れば、部屋の隅に追いやられた鼠に、二匹の猫が詰め寄っているように映るだろう。ハイブリッド二匹は、狩りを楽しむ猫同様に、わざと大介にゆっくりと近付いている。
「どうした? もう終わりか? さあ、逃げ出してみろって」
ハイブリッドの言葉には、何をしても対処できるという自信が込められていた。
そのハイブリッドの言葉に、偽りはない。実際に、それだけの実力を敵は備えている。もし大介が逃げようとしても、回り込まれてしまうだろう。
だからこそ、二匹は大介で遊ぼうとしている。
「くくっ、そんなに怯えるなよ。まだ、これからだぞ?」
大介は恐怖して動けない訳ではない。
だが、不用意なことが出来ないのは事実だ。呼吸から荒さが抜けてきた大介の頬を、汗が流れ落ちる。武神はすでに強化魔法を使っているが、ハイブリッドの攻撃を無効化するのは難しい。
逆手に持ったナイフを構えた大介の手前一メートルほどで、二匹が立ち止まる。
「二対一では、かわいそうか?」
「慢心はよくないぞ、兄者。二人で、きちんとなぶり殺してやろう」
「僕は!」
お互いの顔を見ていた二匹が、叫んだ大介に目を移す。
「僕は一人だなんて、言ってない!」
大介が喋り終わるよりも、少しだけ早く空気を引き裂くほど激しい音が、二匹の背後で鳴り響いた。そして、二匹を背後から強烈な衝撃が襲う。
「がっ! 仲間か!」
「ぐああ!」
倒れ込まず、その場で踏ん張った二匹は、反射的に振りむいた。
(過信は隙をうむものだ)
大介の中にいる知神は、変わらず笑っている。
(今だ!)
武神の叫びと共に、大介は床の金属板が歪むほど強く蹴り出した。
「うっ……ああ……」
もう一匹を兄と呼んだパーマヘアーのハイブリッドは、青ざめていく。振り向いた先にあったのは、小さな放電を続ける二本のダガーナイフだった。ダガーナイフに溜め込まれた雷が糸からの指示を受けて逆流し、二匹の背中にぶつかったのだ。
雷神の雷に、本来魔力の糸は必要ない。その糸を使う必要があるのは、手から離れた雷を誘導する際にだけだ。最初から時間差の魔法を仕組まれていたのだと、そのハイブリッドにも理解できたらしい。
大介は確かに動けなかった。だが、それは相手をもう一度糸の上に乗せる為だったのだ。
知神は刹那の時間で、被害を最小限に抑え、最大限の成果を残す策を考え出していた。
トランス状態に持ち込もうと、体の光を強くするハイブリッドの視界には、首を刎ねられた兄の姿が映る。そして、目を見開いたそのハイブリッドの顔に、兄と呼んでいた者の首が高速でぶつかった。
床を蹴り、跳び上がった大介は、独楽のように回転しながらナイフを振るい、切り落とした首を蹴りつけていたのだ。
トランス状態になったハイブリッドだが、完全に視界をふさがれている。そして、いくら高性能なハイブリッドの体でも、現世の肉体的な限界は存在しており、高速で飛んでくる首を手で払いのけるほどの速度は出ない。
視界がふさがっている間に天井を両足で蹴った大介の動きは、そのハイブリッドには全く見えていなかった。
(充填完了だ!)
「おおおぉぉ!」
雷を付加したナイフは、首があるハイブリッドの胸を貫き、そのまま床に縫い付けた。
(ん? 生焼けかぁ?)
(あの短時間では、仕方あるまい)
弟が雷光の中で断末魔をあげる方向に、首をなくし焼け焦げたハイブリッドの体が、片腕を伸ばそうとしている。
大介は消し炭になったハイブリッドからナイフを抜き、手を伸ばした体を脇腹から斜めに切り裂いた。ナイフと共に体内に入ってきた雷神の力で、その異界の住人も消滅する。
「ふぅ」
グレムリンが組んでいたプログラムを知神が起動させ、ナイフの切れ味を元に戻した。
(回復はどうか?)
(常に走らせている。これ以上急激な回復は、負担に体が耐えられない)
立ち止まった大介は、目を閉じて背中を壁に預けていた。被害は最小限に抑えたが、無視できるダメージではない。
(しかし、あれだなぁ。最後の一言は効いたなぁ)
雷神の言葉に、大介は素直に答えた。
「日頃から、イチさんと一緒にいますからね。はぁ、はぁ、はぁ」
(悪影響だな)
(役に立つなら、それでいい)
グレムリンに対しての不満を口にしそうだった知神を、武神がいさめる。
……まだ。まだ、戦える。
体の回復を確認した大介は、拳を握りながら自分の闘志にもう一度油を注ぐ。
大介から漏れ出した美紀の顔を見た三人の仲間は、何も言葉を発しない。代わりに大介と同じように、戦う意思を強くする。
……まだ戦えるんだ!
美紀の優しい笑顔は、大介の体から離れているグレムリンにさえ影響を与えていた。死してなお、彼女の愛はその力を失うどころか増していく。
……美紀さん。僕はまだ戦えます!
「よし! 行けます!」
体中からの悲鳴を無視した大介が、恐怖をかみ殺して叫んだ。
泣き叫びたくなるほど絶望的な戦場で、五人の目からそれを感じ取る事はない。
(敵指揮官は、もうすぐだ!)
知神から改めて届いた図面に従い、大介は加速する。
「なにこれ? もう! 壊れてるじゃない!」
操舵室で目を覚ました霧林は、グレムリンのせいで動作不良になっているコンピューターの操作を諦めた。そして、怪我人のフォローを部下に指示する。
「怪我人の治療を優先して! いいわね!」
「はい!」
「敵の船はどう?」
「駄目です。扉らしき部分が、溶接されています。他の出入り口も見つかりません」
「魔法も受け付けないので、壊すのは無理です」
「そう。じゃあ、貴方達は私についてきなさい! 味方の応援へ向かいます!」
「はっ!」
霧林は部下を連れ、操舵室を出る。そして、仲間の変わり果てた無残な姿に顔をしかめながら、それを道しるべに通路を進んだ。その先に、親友を殺した幼馴染がいるとも知らずに。
ハイブリッド、人間、人金に関係なく立ちふさがるアースの兵士にナイフを向ける大介は、走り続けていた。
(ここもはずれか。次だ)
(はい!)
司令官がいると思われる部屋を。しらみつぶしにあたっている大介だが、敵司令官へはまだたどり着けていない。
(この部屋の先だ。気をつけろ)
(あらぁ。待ち伏せにうってつけな部屋だな)
兵士の訓練をする模擬格闘室に入る扉の前で、大介は速度を緩めた。
雷神の指摘した通り、その部屋には扉が前後に一つずつしかなく、敵は待ち伏せがし易い。その上、その部屋を避けるにはかなりの遠回りが必要であり、知らず知らずに隔壁で誘導された可能性が高いのだ。
(逆に言えば、ここで敵が待ち伏せていれば、その先に司令官がいる可能性は高いな)
(まあ、敵がイチみたいにひねくれてなきゃ、そうだろうなぁ)
「僕には体力も時間も余裕がありません。行きます!」
大介は覚悟を決めて、扉を開く。
全面が白い金属で出来た広く明るい部屋の作りは、大介もよく知っている。浜崎と戦った場所とそっくりなのだ。床は大介の記憶にあるのと同じ弾力があり、天井は全て発光していた。
部屋に入った大介が、棒立ちになる。美紀の事を思いだして動揺したわけではない。
「はぁぁい! いらっしゃい!」
よく知っている人物が、部屋の中で待っていたのだ。
「うふふっ。この美しい由梨様に見惚れてる? でも、お・あ・ず・け・よぉぉ」
変わり果てた姿になっているが、それは春川だった。
春川は相変わらず、光を反射する黒い素材で出来た、肌を隠す部分が少ない服を着ている。化粧も、変わらずの濃さだ。
「あんた。やり過ぎよぁ。あの二人まで殺すなんて」
春川は、大介が入ったのとは逆にある扉の前に座っている。
ただ、座っているのは、床でも椅子でもない。うずくまっている男性の背中だ。両サイドにも腕置きとして、正座をして目が虚ろな男性二人がいる。
その男性達は、春川の服と同じ素材の下着一つと、鋲のついた首輪しか身に着けていなかった。
正座をしている男性の一人は、安岡だ。春川に忠誠を誓った三人に待っていたのは、奴隷としての生活だった。日々の恐怖で心を壊され、羞恥心も残っていないのかもしれない。
「この由梨様が、じきじきに八つ裂きにしてあげるんだから、光栄に思いなさぁい」
(なんだ? あれは?)
(ハイブリッドなのか? 人間の魂が残っている?)
(おいおい、あれぇ。本当に人間の魂かぁ?)
大介の中にいる三人は、春川を見て顔をしかめていた。
外見は美しくなった春川だが、異世界の住人は魂の目で相手を見ている。その目で見た春川の魂は、醜く変わり果てていた。
(人間の意識が、勝っているというのか? そんな馬鹿な)
(二人? 完全に食われているな)
自分を取り込もうとした異世界の住人を、春川の狂った心は支配してしまったのだ。
春川の魂は、顔の左側面と腹部に異世界の住人だったらしい人間ではない顔が浮き出ており、スライム状の皮膚と長い爪や牙を持っていた。輪郭以外に、魂が人間だった面影を残していない。
「愛する大介と私の邪魔をしようなんて、いけない子。死んでから後悔しなさい。ね?」
立ち上がった春川は、体を丸めて椅子になっていた男を蹴り飛ばす。
転がった男性は、蹴られた脇腹を抑えながらも、素早くその場で正座した。春川に対しての恐怖はあるようだが、不満は微塵も感じられない。
(今、なにか、知ってる名前が聞こえたぞ?)
大介は仕方なく、イメージを知神達に飛ばした。
(どうする?)
(説得できるか? 魔力から考えて、戦わないで済むなら、それに越した事はない)
「さあぁぁぁ。来なさい」
溜息をついた大介は、ヘルメットを開いた。それに、春川だけでなく、安岡も反応する。
大介は死んだと聞かされていたのだから、二人が驚いても不思議はない。
「大介? 大介なの?」
「ああ」
涙を流し始めた春川の化粧が崩れる。床に落ちる涙は、溶けた化粧のせいで黒く変わっていた。
ただ、流れていた春川の涙はすぐに止まる。
「あれ? でも、大介? 昨日も一緒に寝たわよね? なんで、そんな恰好でそこにいるの?」
大介の眉間にしわが入る。
「あっ! 分かった! サプライズだぁ! でも、センスないわねぇ、あんた。名前くらい聞いてあげる。なんていうの?」
(駄目だな)
(ああ。正常ではない。戦闘も覚悟するべきだな)
既に大介から三人へは、戦う事に迷いがないと言霊が飛んでいた。
美紀への想いと、憎しみで満たされた大介の心に、春川の入り込む余地はない。
「春川!」
「え? もう! なによ! 大介と喋ってるんだから、邪魔しないで!」
「そこをどけ! 知り合いとして、これが最後の忠告だ!」
大介の鋭い目を直接見てしまった安岡は、呼吸が止まる。それほどの圧力が、今の大介にはあるのだ。
「そんな……大介。酷い。私、こんなに頑張ったのに。酷いよ大介」
再び涙を流し始めた春川は、俯いた。それと同時に、春川の体が紫の光を放つ。
「お前……お前ぇぇぇ! 敵だなぁぁ! このくそがぁぁ!」
(すみません。説得失敗です)
(構わん。あれは無理だ)
ヘルメットを閉じた大介は、ナイフを構えた。
怒りで醜く歪んだ顔を上げた春川の体は、さらに強く発光していく。
「大介と私の幸せを奪いにきやがったなぁぁ! 殺す! ぶち殺す!」
目から放電を始めた大介は、春川の初動に集中する。
……遅い?
大介に向かって走り出した春川は、トランス状態でも通常のハイブリッドと同等程度の速度だった。普通の人間には黙視できない素早さだが、大介ならば完全に捉えきれる。
すぐに左側面の足元にある春川の死角へ体を移動させた大介は、ナイフを相手の首に向けてふるった。
その瞬間、ぞくりと大介に悪寒が走る。
(なんだ?)
(ちょ! やべぇ!)
異変に気が付いた雷神が、言霊を飛ばした。
春川の首が大介以上の速度で、大介に向かって振り向いたのだ。口の端を気持ち悪いほど吊り上げた春川は、今度は左腕を加速させた。そして、掴んだナイフの刃を、粉々に握りつぶす。
(首だ! 避けろっ!)
武神の言葉で、大介が首を右方向へずらした。
その大介の首があった場所へ、上半身ごと加速させた春川の右拳が突き出される。春川の拳がかすったヘルメットの左部分が削れ、シールドが砕けた。
体勢を崩した大介だが、春川の太もも部分を蹴りつけ、背中で滑るように移動しながら距離を取る事には成功する。
「はぁ! はぁ!」
(なんて、破壊力だ!)
(なるほどな。トランス状態が、不均衡だ。移動速度は、あれが限界らしい)
(部分的な加速と、攻撃力がこちらよりも上か。接近戦は不利だな)
(でもよぉ。あれは俺の雷も避けるぜ? 多分、さっきの奴等みたいに、騙すのも無理そうだしよぉ)
(確かに、会話が出来る相手ではないからな)
三人が策を考える間、大介は部屋の中を全力で後退する。移動速度自体は大介が勝っているので、追いつかれる事はない。
だが、春川の射程内に入れば、ただでは済まない事は見ていればわかる。
「きゃはははははっ!」
笑いながら腕を振るう春川は、部屋の壁や床を容易に破壊し続けていた。
「お前ぇぇ! いい兵士になるぞぉぉ! ほら逃げろぉぉ! 殺してやるから、逃げるなぁぁ!」
奴隷達三人に、二人の姿はほとんど見えない。だが、支離滅裂な春川の言葉は届き、怯えからの震えが止められないようだ。
それでも、三人は正座を止めず、逃げ出す事もない。それだけ春川の命令は絶対なのだ。奴隷のうち二人は、俯いて恐怖の時間が終わってくれるように祈っていた。
しかし、安岡だけはほとんど見えていないが、震えながらも戦いに目を向ける。そして、唇を噛んでいた。自分が愛して虐めた女性と、死ぬほど憎んだ男性が、超常的なレベルで戦うのを座って眺める事しか出来ない自分が、悔しいようだ。
虚ろだった安岡の目に生気が戻り、妬みで目を血走らせる。
(奴はもしかして、精神の目が使えていないのか?)
大介の動きを、信じられない速度で首を振り回して追う春川を見て、武神が察知した。
(らしいな。取り込んだ二人の目も閉じたままだ)
(じゃ! 視界を封じようぜぇ! そろそろ体力的にやべぇ!)
雷神から送られてきたイメージで、大介が拳を握る。そして左右の拳に雷を集束させた。
「きゃははっ! 大介ぇぇぇ! 明日のデート! どこに行くぅぅ?」
「はっ!」
両手を伸ばして走り寄ってくる春川の射程に入る直前で、大介は左拳を床に向かって振るう。
一度床に落ちた雷神の稲妻は、床から天井に向かう何本もの雷を発生させた。それと同時に、大介もトランス状態の真っ赤な稲妻を重ねる。
二種類の稲妻は、春川から完全に視界を奪った。
(叩き込め!)
春川の背後に回った大介は、雷を乗せた右拳を真っ直ぐに突き出した。
「あはぁぁ、見つけたぁぁ」
(くそっ!)
(しまっ!)
雷を乗せた高速で動く大介の右拳に、春川は反応した。そして、膝の前で開いた右手をカウンターとして斜めに振り上げる。
春川の体が腕の振りと一緒に傾き、大介の拳は相手の左肩をかすめるだけにとどまった。
だが、春川の爪は大介に驚くほど深刻なダメージを残す。スーツを引き裂き、ヘルメットを弾け飛ばしただけではおさまらず、骨にまで達する深い四本の爪痕を大介の胸に刻んだのだ。
顎から右目の下までの肉も抉られた大介は、そのまま後ろに飛ばされ背中から壁にぶつかる。そして、後頭部を打ち付けてしまい、目の前が白一色に変わった。
「なっ! 何? これ?」
部下を三人連れて大介達のいる部屋へ入った霧林は、我が目を疑う。その部屋は模擬戦用に作られたもので、フィールドなしでも魔法に耐えきれる強度がある。人間や人金の腕力では傷一つつかない仕様だ。
「何があったんだ?」
銃を構えた霧林の部下達も、目を丸くして部屋を見回している。床や壁のいたる所が引き裂け、金属板が剥がれ、周囲がすり鉢状にへこんでいる穴がいくつもあいているからだ。
巨大なロボットか怪獣が暴れたのではないかと、四人は想像してしまう。
その四人の想像を、全て間違いとは言い切れない。大きさこそ四人と変わらないが、暴れたのは化け物で正解だ。
「あれって……」
春川と敵らしき者の姿を見た霧林は、部下が銃を撃たない様に手で合図を出す。そして、構えは解かずに、春川が敵を制圧したのだろうと推測した。
(しっかりしろ!)
(くっそ! 後頭部直撃かよぉ!)
仰向けに倒れた大介は、泡を吹き、目蓋を痙攣させていた。春川に切り裂かれた胸部と頬から流れる血が、床を赤く染めていく。
白い世界で意識を混濁させた大介の目に、意思の光はない。
「悪い子には、お仕置きね。耳か鼻でもちぎってあげようかしら? あ、目も良いわねぇ」
徐々に大介の呼吸が弱まっていく。肉体の限界は、とうの昔に超えているのだから、仕方のない事だろう。
(くっ!)
大介の中にいる三人が、悔しさで歯ぎしりをした。
絶望的ではあったが、本当に何一つ達成できないまま、終わってしまうのだ。悔しくないはずがない。
「あらっ?」
大介に馬乗りになり、右腕を振り上げた春川の動きが止まる。そして、大介の顔に自分の顔を近づけた。
「大介じゃない。もう、どこに行ってたのぉ? うふっ、かわいい」
大介の混濁した視界で、春川の顔が大きくなっていく。
――自分の道を信じて、真っ直ぐ進みなさい――
一人の女性を想う気持ちと、胸の痛みが大介の意識を繋ぎ留め、引き戻した。そして、大介の中にいる三人が微かに笑う。
「このおぉぉ!」
全身を真っ赤に発光させた大介の体から、数え切れないほどの稲妻が周囲へ走る。
口づけをしようと目を閉じた春川は、トランス状態に入った大介に反応できなかった。
自分以外誰一人として動かない世界で、大介は春川の左腕をとり、立ち上がる勢いを使って肩の関節に力が加わるように折り曲げる。
(待っていたぞ!)
(よっしゃぁ!)
ハイブリッドの体は強靭だ。だが、人間と構造が同じならば力ではどうにもならない弱点も、そのまま残ってしまう。
三人の予想を何時も通り超えた大介は、春川の左肩を完全に破壊した。
(うおっ! まじか!)
(大丈夫だ! 力を床に逃がせ!)
遅れてトランス状態に入った春川は、負傷した左腕でそのまま大介を投げ飛ばした。
空中で反転した大介は、両手足を床につけ力を逃がしながら後方へ滑る。
「はぁはぁはぁ……。ぐっ!」
滑っていた大介の集中力は乱れ、トランス状態が解除される。そして、胸と頬に焼けるような痛みを感じて、顔をしかめた。
霧林はそこで初めて、それが大介だと気が付いたようだ。その為、部下達を止めている手信号はそのままに、銃を下して固まってしまう。敵が大介だけでなければ、死んでしまうのではないかと思えるほど無防備になっている。
宇宙服にランクアップした手袋から熱が伝わるほど掌を摩擦した所で、滑っていた大介が停止した。そのすぐ後に、天井付近から何かが床に落ちてくる。
「きゃああああぁぁぁ! 私の! 私と大介の大事な腕がぁぁ!」
(これは、明確な弱点だな)
落ちてきたのは、肩からちぎれた春川の左腕だった。
無理矢理人間と人金を繋ぎ合わせたハイブリッドは、想定外の力に脆かったのだと知神が目を光らせる。そして、魔力残量が少ない事を考慮した策を練ろうとした。
「よくも! よくもぉぉぉ!」
(ちょっ! おい!)
憎しみが爆発していた大介は、雷神の制止も聞かずにトランス状態を再開し、春川に向かって走り出していく。
……殺す! あの人を苦しめた敵を殺す!
(こいつぁ、行くしかないかぁ!)
(機だ! 畳み掛けろ!)
(ええい! 合わせるぞ!)
バックパックの中に残った魔力を、知神が二人に配分する。そして、大介から送られてきた攻撃のイメージに合わせて、雷神と武神がそれぞれの魔法を使った。
大介は立ち止まっている春川との距離をなくし、左足に重心を乗せる。そして、春川が突き出そうとする右拳を迎撃する為に、左の裏拳を振るった。
同時に、曲げたひざのバネ、腰とつま先の回転、左腕の振り、全ての力を右拳に集約する。
《三柱合成魔法! 電翔!》
雷を乗せられるだけ乗せた右拳を、大介は春川の頭に目掛けて突き出した。
爆発する様に赤と紫の混じりあった光が、その場にいた全員の視界を遮る。そして、耳をつんざく轟音が部屋全体を震わせた。
霧林と安岡達は、本能的にしわが入るほど両目を強く閉じ床に伏せている。
二人のゆっくりと開いた目に映ったのは、お互いの拳が直撃した春川と大介だった。
大介の放った右拳は、春川の頭部にしっかりと当たっている。だが、春川の右拳も大介の左腕を押し潰し、その腕ごと腹部に食い込んでいた。
二人の体は驚くほど遅れてきた衝撃ではじけ飛び、お互いが反対側の壁に背中からぶつかる。
春川の拳を撃ち落とす為に振るった大介の左拳は、間に合わなかったのだ。トランス状態から放たれた春川の拳は、想像以上の威力と速度があり、強化した大介の左腕を押し潰し、内臓にまでダメージを与える結果となった。
その上、大介の攻撃は先に届いた春川の拳のせいで、威力をかなり殺されている。雷神の付加した雷のおかげで相打ちと言えるが、肉体的なダメージは大介の方がはるかに大きい。
「うっ! げぼっ! ごほっ!」
歪んだ壁から床に落ちた大介は立ち上がろうとするが、大量の吐血を我慢できず、その場に両膝をついた。だらりと垂れさがった左腕は感覚もなくなり、胸以外の場所からも血が流れている。
……まだ、まだぁぁ!
半死半生の大介だが、その目から憎しみと怒りは消えていない。口から吐き出していた血が止まると、フラフラではあるが立ち上がった。
知神が全開にした回復プログラムが、なんとか大介を支える。
「春川様? 春川様! 春川! おい!」
魂と体を雷で焼かれた春川は、重油のような血を流し、気を失っていた。頬を叩く安岡にも反応しない。
(へへぇ! 気合なら、こっちの勝ちだぜぇ!)
(ふぅ、何とかなったな)
喜んだのは雷神と武神だけだ。知神は魔力残量を確認し、顔をしかめている。
司令官を残し、バックパックの魔力を使い切ってしまったのだ。残っているのは、端末に直接取り付けたカプセルのみ。
大介達をからめ取ろうとする絶望に対抗する為に、知神が策を練る。だが、その深い絶望の闇に、まだ光は差し込まない。




