三話
深夜の住宅街。
そこは、人が活動するスペースが限定された世界では、地球に生きていた頃とは違っていた。住民全てが、塔の様な家に住んでいる。
その建造物は、他の建物同様に金属で作られていた。金属の地面から伸びる住宅は、高さの制限された嘘の空に突き刺さる。住宅としてだけではなく、ドームを支える柱としても機能しているのだ。強度を保つ為ではあるが、寄り添って立つ円柱は巨大なアリ塚に見えた。
一定距離を置いて建つそのアリ塚は、申し訳程度に植えられた街路樹と壁に挟まれた金属の道が隔てている。
付近に住む多くが、一般的な核家族であり、夜遅くに活動する者は少ない。防音効果がある住宅からの生活音は、ほとんど聞こえない。そして、一定間隔に並ぶ窓から漏れ出す光は微弱だ。残念な事に、その光は薄暗い道を照らせない。
一人の女性が、足早に家へと向かう。肩から下げた鞄と、コンビニの袋を持ったその女性は、仕事帰りなのだろう。スーツを着ている事からも、それは容易に想像できる。
足元の覚束ない暗い道で、その女性が歩みを早めるのは理由があった。近くに建てられた電光掲示板には、「ちかん注意」の文字が光っている。その周辺では、夜間に特定の性癖を持った変質者が出没するのだ。
その変質者の今日のターゲットは、仕事帰りの女性。女性の前に、コートを着た男が街路所の陰から飛び出した。
驚きから悲鳴もあげられない女性が、目を見開いて硬直する。
コートの男性は、覆面の中でいったいどんな表情をしているだろうか? それを想像しても、あまり気分のいいものではない。
「はうっ!」
住宅街に何かがぶつかった音に続いて、大きな声が響いた。訳の分からない女性は、倒れ込んだ男性を見つめている。
「ううっ、ああぁ」
男性自身も、何があったか理解できていないようだ。内臓をすり潰される様な鈍痛に、もだえ苦しんでいる。
うつ伏せに倒れ込み芋虫の様にもがく男性よりも早く、女性の思考が回復した。女性は声も出さずに、男性を大きく迂回して道を走る。
「ああぁぁぁ」
涙を流して苦しむ男性に、先程の光景がフラッシュバックした。自分の足元が微弱に光り、あろうことか金属で出来た道の一部が跳ね上がってきたのだ。その金属板は、男性の股間を強打した。
剥がれた様にも見えた道である金属板を、涙ぐんだ目で変質者は見つめる。しかし、地面には何の変化が確認できない。
簡単には回復しないダメージを受けた男性は、泣きながらふらふらとその場を逃げ去った。
(けけけっ! ざまぁ!)
事件現場から少し離れた建物の陰には、大介がしゃがんでいた。
(見てみろよ! あの、馬鹿! 必死で逃げてるぜ!)
(うん。面白いね)
変質者の男性に金属板を見舞ったのは、グレムリンの魔法だ。笑いがおさまったグレムリンは、眉間にしわを寄せる。
(今回は笑えたから、妥協する)
(うん)
(だが、これじゃあ、駄目だろうが!)
(でも、これで良いじゃない)
グレムリンは、大介に不満があるようだ。グレムリンの魔法有効範囲は、目で見渡せる範囲全て。金属と機械だらけのドーム内では、かなり使い勝手がいい。
さらに言えば、他の人間はある理由から、特定の場所でしか魔法を使えなのだ。特定の場所とは、競技場や病院等だ。それ以外の場所では、魔法のプログラムが起動しない。
人を殺す事も出来る魔法を、国が規制するのは当然だろう。その規制がかけられるのは、ドーム内だけだ。それでも、ほとんどの住人がその中で暮らしているのだから、問題はない。
ただし、違法な直接契約をした大介とグレムリンは、この規制を受け付けない。端末内のグレムリンは、プログラムを使わずに魔法を使用しているからだ。
(もっと、色々やろうぜ! やろうと思えば、悪戯のし放題じゃん!)
(驚かせるくらいならいいけど、迷惑をかけるのは嫌だよ)
大介が端末を見ると、グレムリンは駄々っ子のように手足をばたつかせている。
(もっと、むかつくおっさんを階段から落としたり、五月蝿いガキを自動ドアで挟んだりさぁ!)
後頭部を掻いた大介が、返事をする。
(それって、最悪死人がでるじゃないの? 嫌だって)
(いいじゃん! 悪戯に事故はつきものだ!)
グレムリンが不満を持ったのは、大介の悪意のなさに対してだ。
直接契約と使役契約を結んで一週間。夜間の悪戯は、その日で五回目だった。その全てを、大介は犯罪者に向けたのだ。
グレムリンの提案を、最終的に判断するのは大介だった。
グレムリンは、契約で大介を楽しいと思わせなければいけない。グレムリンだけが楽しいのでは、契約を違えてしまう。その為に、大介の意思で悪戯をさせる必要がある。
逆に言えば、大介が不快に思う悪戯は魔力の浪費以外の意味がないのだ.さらに、グレムリンが端末内にいる間は、大介が魔法を唱えなければ魔法は発動しない。
グレムリンとしては、ずるいとも言える力を大介に味わわせて、それに溺れてほしいようだ。しかし、それは上手くいっていない。
(僕も犯罪者相手なら、楽しいと思えるんだし)
(お前はやる気もないくせに、なんでそんなに道徳観念はしっかりしてるんだよ。バランス悪いぞ)
(これが僕なんだから、どうしようもないよ)
悪戯により少しだけ光が戻っていた大介の瞳に、生気がなくなった。
大介の目が死んだ事で、グレムリンは会話を止める。そして、腕を組み、考え始めた。
少しずつグレムリンに心を開いてきた大介だが、まだ情報が不足している。その情報を知らなければ、大介をコントロール出来ない。それは容易ではない。
簡単なパズルを多数解く事よりも、難解なパズルを一つ解く事に快楽を感じる者がいる。グレムリンは、それだ。
胸ポケットの中でグレムリンが不気味に笑っているのを、家に向かって歩く大介は知らない。
****
翌日の教室、片肘を机について掌で顎を支える大介は、今日も空を見る。
(おい)
作り物の空に、鳥は飛んでいない。
(おいって!)
(何?)
(今日も隣に座ってるぞ)
(知ってる)
席が固定されていない教室では、好きな場所に座る事が許されていた。一週間前のあの日から、春川は大介の近くに座り続けている。
ただ、喋りかけてくるわけではない。定期的に視線を感じているが、大介は顔を向けない。そして、大介からも喋りかけていない。
(仲良くしたいんじゃないのか? ええ? おい)
(僕には関係ない)
グレムリンの魔法で、春川の情報は一方的に知っていた。中学生時代に酷い虐めを受けて、登校拒否の過去がある。その為、春川はドームが違う高校へ進学した。
(友達になりたいんじゃないのか? なあって)
(他を当たって欲しい)
(しかし、虐められっ子は虐めっ子を呼び寄せる力でもあるのか?)
(僕に聞かないでよ)
春川は一年生の終わり頃から、嫌がらせを受けていた。同じクラスの男子生徒、安岡からだ。
(しかし、告白を断られて嫌がらせをするとわな。小っちゃい奴だ)
(それは、同意だね。でも、学校の監視カメラって凄いんだね)
(サーバーのアーカイブには、他にも色々面白そうな物があったぞ)
(それには、興味ないよ。僕が言いたいのは、下手な事は出来ないねって事だよ)
(俺達は、魔法で誤魔化せるって言ってるだろ。色々やっちゃおうぜ)
大介が溜息をつくと、春川からの視線を感じた。しかし、大介は首を動かさない。
授業終了を知らせるチャイム。生徒達が立ち上がり頭を下げると、教師はC組を出た。
大介は端末を机から外し、学校指定のジャージが入った袋を持って更衣室へ向かう。更衣室は教室とは違う建屋である、武道場に隣接している。
長方形の武道場は、大きな豆腐に窓が付いているような飾り気のない外見をしていた。更衣室へ入った大介は制服を脱ぎ、下着だけになる。袋から取り出したジャージにも、胸ポケットが付いていた。魔法を使う為に、端末を入れるポケットだ。
これから大介は、魔法格闘技の授業を受ける。
(ついに見れるのか!)
薄い青色のジャージに着替えた大介が耳に回線をつなぐと、グレムリンの叫び声が聞こえた。それは余りにも大きな叫びで、大介の眉間にしわが入る。
(解説頼むぜ! 相棒!)
(はいはい)
グレムリンは、心待ちにしていたらしい。設備点検の為に、二週間ほど武道場が使用できなかった。
つまり、グレムリンが召喚されてから、初めて行われる魔法格闘技の授業だ。
国によって呼称は複数存在するが、大介の国では「魔技」と呼称されている。
大介はロッカーを閉める前に、一メートルほどの両刃剣を取り出した。
(剣を使うのが、レギュレーションか?)
(違うけど、これが一番適してるからね。みんなこれを使ってるよ)
(んっ? 槍や飛び道具は?)
武道場の隅に座った大介は、グレムリンに説明を始めた。
魔技の競技者は、全身に三重のフィールドが展開される。一番外側に耐魔法のフィールド。次に耐物理のフィールド。最後に、当たり判定のフィールドだ。
(その全身をつつむフィールドが、約一メートルなんだ。フィールド外まで伸びた槍なんかは、武器事態に魔法が直撃するから効率が悪くなる)
(飛び道具は?)
(怪我をする可能性が高い飛び道具は、二枚目のフィールドで無効化される)
(なるほどな)
武道場の白い床には、四角く書かれた線が十二個均等に並んでいた。十メートルの直線で描かれたその正方形で、魔技の試合が行われる。
(昔はフィールドも自前だったらしいけど、規定で統一されたんだ)
(じゃあ、今は自分でフィールドを出してないのか?)
(そうだよ。会場の床に仕掛けた魔法プログラムで、勝手にフィールドが展開されるんだ)
(公平にってやつか)
休み時間は終了していないが、二人の生徒がリングと呼ばれる正方形に入り端末を操作する。
(あれって)
(試合するみたいだね)
(いいのか? 勝手に)
(許されてるよ。成績には反映されないけどね。皆二週間も我慢してたから、早くやりたかったのかもね)
リングを囲う線から、高さ四メートルほどの光で出来た膜が出現する。そして、何もなかったリング中央の床に、数字が表示される。五から始まったカウントが一になると、試合をする二人は剣を構えて真剣な顔に変わった。
片手を相手にかざした男子生徒が、テニスボール大の火を相手に放つ。それを読んでいたもう一人の男子生徒が、剣を振るうと同時に魔法の風を起こし、火をかき消した。
火をかき消された生徒が距離を詰め、上段から剣を振りぬく。
(二ポイント先取で勝ちになるんだ。ほら、ああなる)
(ほおぉう)
上段から剣を振りぬこうとした生徒のフィールドが赤く染まり、ピーンという電子音が鳴る。振りぬく前に、相手に胴を薙ぎ払われたのだ。
お互いにお辞儀をした二人が元の位置に戻ると、再び床にカウントが表示された。
(一定値以上の攻撃が二つのフィールドを抜けると、ポイントになるんだ)
(魔法もか?)
(そう。破片がかするくらいだと、フィールドに防がれてポイントにならないんだ)
(しかし、刃挽きしても剣で殴ると事故にならないのか?)
(この剣は、特殊な金属で出来てるんだよ。衝撃を吸収するゴムに近くて、本気で殴っても痛痒いってくらいなんだ)
(じゃあ、魔法は? フィールド突き破ってるんだろ?)
(当たり判定のフィールドが、全魔法を無効化するんだよ。当たり判定フィールドに届かせるのが目的で、体に当てなくてもいいからね)
試合をしていた片方の男子生徒が、再び赤く染まると光の幕が消える。
監視カメラを目の代わりにしたグレムリンは、他のリングでも始められた試合を真剣に見入る。それに対して座ったままの大介は、武道場の隅で壁にもたれ掛りながら金属でできた天井を眺めていた。
グレムリンにとって珍しく、面白いと思える魔技の試合。これは大介にとって日常であり、興味の対象ではない。
クラスメイトが行うスポーツを本気で観戦するのは、そのスポーツ自体もしくは、行っている人物に興味があるからだろう。そのどちらでもない大介の行動は、別段変わった態度ではない。他のクラスメイトが友人と会話をしている所を、一人でぼんやり過ごしているだけだ。
(魔法は呪文どころか、名前も唱えないんだな)
(この会話と同じで、回線を使って魔法を起動してるんだよ)
しばらくして緑色のジャージを着た教師が、武道場に入ってくる。
「今日は、三年生も武道場を使う。うちのクラスは手前の六つを使うからな」
整列して座る生徒にそう告げた教師は、さらに準備運動をするように指示をする。委員を務める男子生徒が、教師のいた場所に立つ。すると、生徒達も立ち上がり、体育委員の生徒を模範に全員で準備運動をする。
その最中にある事に気が付いた大介の目が、少しだけ光る。それに気が付いた者は、いないだろう。
「じゃあ、七番リングで立花と麻生。八番リングで……」
準備運動が終わると同時に、教師が生徒にリングを教える。端末を二回りほど大きくした武道場専用のタッチパネル式ディスプレイを使用して、振り分けと採点を自動で行う仕組みだ。
授業開始から、十五分ほどして大介の順番が回ってくる。
「へへっ」
大介の対戦相手である安岡は、試合開始前から気持ち悪く笑っていた。
(なんだ? あの馬鹿は?)
(僕に聞かないで)
「どっちが上か、教えてやるぜ」
挑発したいらしい安岡の言葉を、大介は聞き流す。
「調子に乗るなよ」
目も合わせない大介を、苛立った安岡が睨みつける。
(一応言っておくが、俺の魔法は実戦向きじゃないからな)
(分かってるよ。魔技で金属や機械なんて操作しても、勝てないよね)
(まあ、分かってるならいい)
床に表示されたカウントが始まると同時に、安岡は片手で持った剣を胸元に構える。
(最初は、多分魔法だね)
(そうなのか?)
(片手で剣を振るう奴は、ほとんどいないよ)
(お前も片手じゃないか)
(僕は片手で振るう方が、慣れてるんだ)
剣を持った手を、だらりと下げたままの大介。はた目から見て構えには見えないが、それが大介の構えなのだ。
「おらあぁ!」
試合開始と同時に、安岡の横に振るった剣を持たない手から、風の刃が三枚大介に向かう。
(さっきも思ってたんだが、風に色がついてないか?)
(リング内だと、可視化する為に着色されるんだよ)
大介は腰を曲げ正面の攻撃を避け、車止めを跨ぐように足元に来た風の刃を避ける。
(お前)
(何?)
ボールを投げるように振るわれた安岡の手から、今度は縦に走る風の刃が大介に接近する。
(お前は魔法を出さないのか? プログラムはあるんだろ?)
(これを? 出す必要はないんじゃないかな?)
幾度も届く魔法の刃を、大介はただ避ける。そして、三年生が授業をするリングをちらちらと確認していた。
安岡は業を煮やして剣を両手で握ると、上段に構える。
「おらあぁぁ!」
真っ直ぐに距離を詰めた安岡の剣が、大介の頭上に迫る。それを眺めた大介は、半身だけ体をずらした。
しかし、大介のフィールドは電子音を響かせると共に、赤く染まった。
(また、避け損ねた)
(お前。やっぱり)
「どうだぁ! こら!」
お辞儀もしない安岡は元の位置に戻り、呼吸を整える。対して、大介はポイントを取られたが呼吸は一切乱れていない。
(剣ぐらい突き出せよ)
(次はそうする)
カウント終了と同時に、安岡が大介に真っ直ぐ突進してくる。
安岡の剣を弾こうとした大介の手が止まった。目線は三年生のリングを向いている。
(おいって!)
(あっ)
大介が二ポイントを取られて、試合は終了した。
「どうだ! ええ! おい!」
自分の勝利を大声で誇示する安岡は、春川を血走った目で見つめる。安岡の目線に気が付いた春川は、顔をしかめて俯いた。苦虫をかみつぶした顔になる安岡は、大介に近付く。
「俺はお前より強いんだ。よく、覚えておけ」
(むかつくガキだ。うん? あれは)
安岡に目線も向けない大介は、リングで試合をする一人の女性を見つめる。勝った生徒同士で続けられる、同じクラスの試合に目もくれない。
武道場の隅に座った大介の目は、リングで華麗に戦う三年生を執拗に追い続けた。端末の中にいるグレムリンも、流石に大介の瞳に光が戻っている事に気が付いている。
****
この日、グレムリンは悪戯を提案しなかった。その代りに、部屋に帰宅した大介に質問をする。
(あの女はなんだ?)
「なんでもないよ」
大介が珍しく誤魔化した事で、グレムリンは口角を上げていた。
(あの門倉って女が好きなのか?)
ベッドに寝転んでいた大介は、グレムリンの口から女性の名が出た事でピクリと反応する。
大介が目で追っていたのは、門倉夏樹。細身の体には不釣り合いな大きな胸を持ち、二重の大きな瞳と厚みのある唇が印象的で、胸元まで伸びた髪を常に縛っている。笑った時に見える八重歯とえくぼに、心を奪われた生徒も多い。
(あの女。この国の代表選手なんだな)
学校のデータを見たのだろうと推測できた大介は、返事をしない。
(なかなかの美人だもんな。惚れるよな)
「違う」
上半身を起こした大介は、机に置いた端末を睨む。怒りではあるが、珍しく大介の表情に感情が現れていた。
(何が違うんだ?)
「あの人の一番いい所は、外見じゃない。中身だ」
(それだけじゃ。俺は分からないぜ?)
大介は語る。門倉との思い出を。
中学一年生で父親を亡くした大介は、母親と暮らしていた。
運動も勉強も器用にこなしていたはずの大介だが、同じ時期にそれ以外の心労も抱えていた。いくら努力しても、魔技での成績が向上しなかったからだ。なんでも器用にこなせる代わりに、どれもが一番になる才能を持っていなかった。その大介の特性が、魔技で顕著に出始めたのがその頃だ。
どんなに頑張っても自分は天才には追いつけず、同い年のクラスメイトに差をつけられていく。成績の優先順位が一番高い魔技。打ちひしがれる大介を唯一励まし続けたのが、母親だった。その母親が事故でこの世を去ったのが、高校一年生の時だ。
両親の残してくれたのは、思い出とわずかな貯金。頼れる身内が一人もいなくなる重圧で、心が壊れてしまった大介。
親しい友人もおらず、死んでしまおうかとも考えた彼を踏みとどまらせたのが、門倉だった。すでに代表入り目前と噂され、常に取り巻きに囲まれた彼女と大介が出会った。
学校を休み公園のベンチで空を見上げていた大介に、帰宅途中の門倉が声をかけたのだ。
「君、うちの一年だよね? どうかしたの?」っと。
母親が死んだと呟いた大介の隣に、門倉は無言で座り、一緒に空を眺める。作り物の空が夕暮れを表示する頃に、門倉は自分も二年前に母親を亡くしたと呟いた。そして空の画像が、夕暮れから夜に変わる。
自然と涙のこぼれ出した大介に、門倉は「ほら、星になったお母さんが見てるよ。恥ずかしくないように、精一杯生きないと! ねっ!」という言葉をおくり、ハンカチを差し出していた。
この門倉の行動こそが、大介が生かした。ただし、死ななかっただけで、壊れた心は元通りにはならない。そして、今の大介が出来上がったのだ。ただ生きているだけの屍が。
(なるほどな)
端末へ向かい、必死で門倉は素晴らしい人だと言い続けた大介の顔が赤くなる。目を閉じて顔をしかめた大介は、ベッドに倒れ込む。そして、机に背をむけて呟いた。
「寝る」
ふてくされた様に眠る大介は、グレムリンの笑顔に気が付けない。
心の鍵を手に入れた。そう確信したグレムリンは、声を出さずに端末の中で笑う。そして、次の悪戯を思案する。