十話
運命が神の定めた法則だとするならば、それから逃げる事は出来ないだろう。
何よりも、宇宙を含む世界は逃げ出した者に、望んだ物は与えてくれない。生きる事は戦いでしかなく、逃げた先でもまた別の戦いが待っている。
ただ逃げ続ける者には、誰も微笑みかけない。仕方がないと自分に言い聞かせて、誤魔化した人生しか待っていないのだ。
最低限、人は戦場を変えるとしても、「逃げる」ではなく戦場を己で「選択」する必要がある。時には負けると分かっていても、それを選択せざるを得ない場面も十分に想定出来るだろう。
勘違いしてはいけないのが、戦いに敗れたとしても、望んだ物が手に入らないわけではない。負けこそが望んだ道に繋がっている事は、往々にある事だ。
回り出した運命の歯車から逃げ出せないのならば、戦うしかないのだろう。
*****
組織の宇宙船内で、うなり声をあげている男がいた。その男は、運命と真っ向から戦ったのだ。
彼を支えたのは、一切の淀みのない愛だった。そして、今も平和をめざし、正義の為に戦っている。
幼少時、男は早生まれの上に、身体的な発育が遺伝的に遅く、泣きながら過ごしていた。そんな男を救ったのは、三ケ月ほど生まれが遅く、学年が一つ下の幼馴染達だ。幼馴染の少年は鉄棒やマット運動の指導をして、男に自信と勇気を与えた。そして幼馴染の少女は、泣いていた男にハンカチを差し出し、いつも励ましていたのだ。
幼かった男は、少年に憧れ、少女に恋をした。だが、少女はすでに少年に恋をした後だったのだ。男は三人でいる為に、笑いながら心を殺した。
それでも、その恋は愛へと変わり、心の中で消えずにくすぶり続ける。
男の転機は、少年の引っ越しだった。引っ越しても連絡を取ろうと約束した少年は、消息が分からなくなったのだ。その頃、男の体に遅い第二次性徴が始まっており、身体能力が向上し始めていた。少女を守らねばいけないと決心した男は、魔技でトップにまでのぼったのだ。
それ以降も、突然逃れられなくなった戦場で少女を守り続け、少女と一緒に組織へと流れた。その浜崎の霧林への愛は、まだ終わっていない。
「うう、ううううぅぅ」
部屋でベッドにうずくまった浜崎は、頭を抱えて冷や汗を流す。原因が浜崎にも分かっていた。
組織はハイブリッド強化手術を、霧林に施そうと計画していた。だが、浜崎は自分の体を差し出して、霧林を守った。戦場でおかしくなった春川を見ており、霧林には受けさせるべきではないと考えたからだ。
その浜崎の勘は、間違えていない。浜崎は人と変わらぬ外見だが、体中に人金の優れた肉体を埋め込まれた。そして、それをコントロールする為という理由で、魂に異世界の住人が召喚されたのだ。
組織の人間からは、異世界の住人からの影響は、受けないと説明されていた。だが、封印さえされていない異世界の住人が、影響を与えないはずがない。浜崎の心を取り込もうと、霧林を力ずくで手に入れろと囁き掛ける。
異世界の住人は巧妙であり、浜崎自身にはそれが自分の抑えられなくなり始めた欲求だろうとしか思えない。毎晩、浜崎は霧林への愛で心を支え、理性で押さえつけた。
「必ず早苗は振り向いてくれる! 我慢しろ! 我慢するんだ!」
浜崎は強靭な力を手に入れる引き換えに、慢性的な寝不足に悩まされる。だが、霧林にはその疲れた顔を絶対に見せない。
「よう、早苗。元気ないぞ?」
「ちょっとね」
「もしかして、また門倉か? 気にするなって」
それが浜崎なりの誠意で、誇りなのだ。
ただ、それがどれほど危ういかを、浜崎は理解していない。そして、どんな結果が待っているかも、考えられていないようだ。
****
裏口から部屋に戻った大介は、ベッドに体重を全て預け、回復を待つ。
グレムリンは、大介の体調の回復プログラムを開始しつつ、他のプログラムを複数展開していた。同時に敵が本格的に動き出したのだろうと、流れの予測を重ねていく。
グレムリンは異界の住人の中でも、読みに長けている。だからと言って、一番すぐれている訳ではない。さらに言えば、敵に同等の知略を巡らせる者がいないとは、決まっていないのだ。
敵はエウロパへ事前準備に向かわせた者達が、帰還できないと知っている。何故ならば、それを監視していたからだ。当然、大介の存在にも気が付いている。そして、グレムリンの影まで見抜き、策を立てた。
敵が考えた策は、グレムリンの様に賭けをする類のものではない。二重三重の対策まで織り込まれている。グレムリンは常に賭けを楽しみ、人の心に考えを巡らせる。
だが、敵の頭脳は堅実に、力を計算するのだ。タイプ的にはグレムリンよりも、知神に近い。計算外のプラス要素は生まれないが、マイナス要素はかなり排除できる。
大介達がエウロパの昼と夜を一度ずつ店の修理をしながら過ごす間に、敵は作戦の下準備を全て終わらせた。惑星連合、帝国、革命軍、全ての組織で権力を持つ者達に接触し、賛同を得たのだ。
三つの組織それぞれに憎しみは残っているが、もっとも望んだのは平和だった。それを利用して、敵が表舞台に立つ為の土台を作ったのだ。
周到な敵は、作戦の第一段階発動の前に、マイナス要素を取り除こうと考えていた。そのマイナス要素とは、大介だ。大介の力とグレムリンの知を潰せば、敵の作戦が失敗する確率はほぼなくなる。
まだ闇の中にいる敵の頭脳は、その確率をはじき出し、にやりと笑った。そして、最後の事前準備である策を、エウロパに向ける。
「くそっ! くそっ! くそっ!」
敵から最初に接触された山本は、自分の部屋で物に当たっていた。木製の椅子が壁にぶつかって脚を折り、ガラスのテーブルが割れる。
敵の策は、山本に拒否権を与えない。捕虜となり数時間後に自殺したハイブリッドから、敵の大きさは伝わっていた。だが、帝国、惑星連合、革命軍から同時に、要求を受け入れなければ、今すぐ攻め込むと脅されるとは思っていなかったらしい。
敵の事を考え、山本は宇宙船などの兵器開発を、急がせていた。だが、敵の動きがあまりにも早すぎたせいで、まだ成果は実っていない。
今の状態で敵に攻め込まれれば、エウロパは一日もかからずに潰される。
「あのっ! くそったれがぁ!」
三人の権力者から通信を受け、山本は返事まで二時間の猶予をかせいだ。
そんな山本に、最後に通信をしてきたのが、組織だった。組織の男は明るい声で、「お願いします」とだけ山本に告げたのだ。その声には、恐れも緊張も一切なかった。
「舐めやがってぇ! くそっ!」
荒れている山本の中で、返事は決まっている。勿論、イエスだ。
エウロパに、一台だけだが宇宙船の侵入を許可しなければいけない。そして、敵は大介と会話をさせろと要求してきたのだ。エウロパを守りたい山本は、その要求を断れない。
悔しそうな表情をした山本は何度も机を殴り、目を血走らせて悔しさを吐き出す。そして、約束の二時間後に、一言だけ返事をした。
通信を入れたのは組織にだけだ。それで十分だと、山本には分かっている。
笑いながら「ありがとうございます」と言った、若く見える組織の男を、山本は睨みつけていた。しかし、それ以外に何もできない。
「くそおおぉぉ!」
組織の男は、勝ち誇った顔で山本に向かってうやうやしく頭を下げて、通信を終えた。それがどれほど山本を煽る事になるか、分かってやっているのだろう。男の目尻は、最大限まで下がっていた。
山本の部屋から漏れてくる叫び声に、部下達は怯えながらも聞き耳を立てている。それだけ珍しい事なのだ。
だが、山本は独り言でも分かるようには喋らない。その情報は、無用に部下を怯えさせると分かっている。
何とか気持ちを落ち着かせた山本は、二十分後に大介へ連絡を入れた。そして、煙草を吸いながら目を閉じて悩んでいる。山本には敵が確実にエウロパを狙ってくると、分かっている。
しかし、惑星連合どころか帝国まで丸め込んだ敵に、エウロパだけの戦力ではとても太刀打ちできない。
「力で力に対抗するのは、無謀か」
山本の中で、力以外の選択肢もある。だが、策を巡らせるにも後手に回り過ぎた。さらに、敵の知略は自分以上だと感じている。
山本の顔をどんどん曇っていく、十分に吸っていない煙草の火を灰皿で消し、すぐに新しい煙草に火をつけた。煙と一緒に溜息も吐き出している。
全く対策が立てられていない訳ではないようだが、どれも成功する確率は低い。そして、策をいくつもめぐらせるほど時間がないのは、山本でも推測できている。頭の中で、確率が高い物を残して消していく。
「どれもこれも、成功するとは思えんな」
自分の考えた対策を、山本は鼻で笑う。どの策も分岐点が多すぎるのだ。その分岐点で、全て好転しなければ、策は破綻する。
それほど心もとない道しか、エウロパには残っていない。
「失敗一つで、俺の故郷は滅ぶのか。情けない話だ」
一番分岐点が少なく、確率の高い策にたどり着いた山本だが、その成功には奇跡が必要だと思えるようだ。
エウロパが生き残るには、三つの勢力とコンタクトを取り、攻め込まない様に確約を取るしかない。だが、それにはそれなりの時間が必要だ。そして、組織との戦いに勝つ必要があった。
「奴等だけでも、この星を滅ぼせるって顔してやがったな。くそっ」
もう一度目を閉じた山本は、捨てたはずの策を練り直す。
思考を続ける山本は、身動き一つしない。咥えたままになっているタバコの火が、フィルターまでのぼり、灰が机に落ちる。
山本は、その吸うところの残っていない煙草を灰皿に捨て、大きく息を吐いた。そして、口角を上げる。
「ふふっ。男なら、大穴狙いだな」
内線を取った山本は、そのまま部下に指示を出す。そして、受話器を置くと同時に呟いた。
「吉と出るか、大凶と出るか。全ては神のみぞ知るか」
新しい煙草に火をつけ、窓から要塞都市を見下ろした。そして、策が失敗すれば、恨まれようが都市ごと逃げると決めたのだ。
山本から、迷いは消えていた。
****
スーツを着用し、バックパックを背負った大介は、ヘルメットをかぶる。そのスーツとヘルメットは、特務部隊にいた時からデザインの変更はない。だが、全くの別物だ。エウロパでドームの軍用品と同レベルの物を手に入れるのは、かなり難しい。
要塞都市でならば、製造が不可能とまでは言えないが、大金かこねが必要になる。そのどちらも持っていなかった大介が身に着けているのは、ただの模造品だ。スーツに防弾性能もないし、ヘルメットに暗視機能はついていない。
山本に依頼をするべきだったと、グレムリンは後悔している。軍事力を背景に、敵が直接接触してくるかもとは想定済みだった。だが、グレムリンの予想よりも、敵は何倍も早かった。
敵が暗躍しているとは分かっていたが、既に全ての勢力に手をまわしていたのはグレムリンが予測した、最悪のシナリオへ向かっている証拠だ。通信の最後に山本が絞り出した「気をつけろ」との言葉も、皮肉にしか聞こえない。
大介にも敵との接触にどれほどの危険があるかは、分かっている。魔力カプセルを持てるだけ持ち、フル装備で指定された場所に向かう。
(僕の事は、分かってるんだよね。多分)
(ああ。ばれてるだろうな)
(イチさんはもし僕が逃げれば、どうなると思う?)
(この星から、二十四時間以内に人間が消えるだろうなぁ)
大介が分かっているだろうと思いつつも、グレムリンは言葉を続けた。
(新兵器を持った軍隊が、押し寄せてくる。お前でも、逃げ延びるのは難しいな)
(そうだよね)
ヘルメットの中にある大介の顔は、何の表情もない。
また、グレムリンとの会話に明るさは全くない。あるのはお通夜の様に、重い空気だけだ。これから死地とも思える場所の向かうのだから、仕方ない事だろう。
屋根伝いに街を抜け、敵が指定した場所へと向かう。その場所は街から少しだけ離れた荒野だ。大介に隠れる場所はない。
ゆっくりと罠がないかに気を付けながら、その場所へ徒歩で進んでいた大介は、一度立ち止まる。宇宙船らしき影が見えると同時に、鼻によく知っている臭いが届いたからだ。
(血の臭い?)
ナイフに手をかけ目付きが鋭くなった大介に、グレムリンが返事をする。
(あれはたしか、森で山賊をしてる三人だったな。宇宙船が見えて、襲おうとしたんだろうな)
元山賊だった三人の体は、人間だったと判別できないほどはじけ飛んでいた。
大介達には、それをなした武器が予想できる。革命軍が持っていた魔法の弾丸に当たった軍の同僚達も、同じような姿になっていたからだ。
三人共首が残っていなければ、誰かすら分からなかっただろう。荒野に落ちている生首を避け、宇宙船がはっきり目視できる位置にまで大介は辿りついた。その宇宙船は革命軍の戦闘用機体に似ているが、それより何倍も大きい。
何時攻撃されてもいい様に、大介の目には既に放電が始まっている。
宇宙船の前には、三人の人間が立っていた。青い軍用のヘルメットとボディーアーマーを装備した二人は、大介に向かってマシンガン型の銃を構えている。
ただ、その二人の間に立っている黒いスーツの男は、後ろ手を組み笑っていた。トレードマークなのか、今回の男もワインレッドのネクタイをしている。
毛が生えていなかった前回のハイブリッド達とは違い、短くはあるが髪が生えており、眉毛なども人と変わらない。髪が短いせいで、その男はスポーツマンの様な爽やかさがある。
だが、大介達は気を抜かない。満面の笑みを浮かべたその男の目は、殺気に近い物を潜めているからだ。
大介の姿を見た男は喋らずに片手を上げた。それを見て、他二人が銃を下す。
大介は自分の射程よりも一歩だけ離れて、立ち止まる。
「いやいや。ご足労ありがとうございます。寺崎大介さん」
男が頭を下げても、大介は目を離さない。グレムリンも端末内で、複数のプログラムを起動手前でとめている。
「私は貴方様の案内人をさせて頂く、バン:ライマンと申します。以後お見知りおきを」
(案内だぁ?)
「僕にその宇宙船へ入れと?」
「はい」
笑顔を崩さないバンは、はっきりと返事をした。
「それに従うとでも?」
「私共の目的は、貴方様を我が組織へ勧誘する事です。危害は加えません」
「それを信じろと?」
「貴方様は、従っていただけるという自信があります」
男の口が裂けた様に大きくなり、どんどん口の端が吊り上げっていき、先程まで爽やかに見えて笑顔が歪む。同じ笑顔ではあるが、邪悪そのものにしか見えなくなった。
(なんだ? 何か策があるのか? 伏兵か?)
(でも、周りから気配はしないよ?)
(分からんが、気を抜くなよ)
(うん)
既に目が笑っていない男は、作戦を開始する。
「実は私は、貴方様と同じく、第四メインドームの最後に革命軍として立ち会ったんですよ」
大介の目が見開かれていく。そして、グレムリンは最悪の策を敵が仕込んできたのだと理解する。
「恒星に落下する前に、革命軍の後ろ盾でもあった今の組織に助けられましてね。九死に一生を得るってやつです」
大介はすでに動揺して、男の話に聞き入っていた。そして、その先に待っているかもしれない希望の言葉を、渇望する。
「岸田美紀さん。よく御存じですよね」
大介は、声を出さずにうなずいた。そして、唾液を飲み込む。
「大丈夫ですよ。彼女も生きています。そして、我が組織に貢献してくれていますよ」
その言葉を聞いて、大介の体は小刻みに震え始めていた。
「もう一度言いますが、危害は加えません。私共は貴方様の力を、必要としているのです。宇宙船。乗って頂けますか?」
大介はうなずいた。
グレムリンは、その大介に何も言葉をかけない。無駄だと分かっているからだ。端末内で座り、自分の角を強く握る。
男に導かれるまま、大介は宇宙船の中へ進む。
「さあ、この部屋です」
先に男が入った部屋へ、大介は張り裂けんばかりに高鳴る胸を押さえて入る。
そこは広く明るい、全面が金属で出来た部屋だった。白い床と壁の金属は柔らかく、少しだけ弾力がある。そして、天井の金属板は全て発光し、部屋の隅々まで光を届けていた。
部屋の中で、大介は必死に首と眼球を動かす。
大介が入ってきた扉と、反対側の壁に扉が一つ。そして、部屋の中央付近に金属製の机が一つ置かれただけで、それ以外には何もなかった。机の上に高さ一メートル、直径五十センチほどの金属で出来た円柱はあるが、人間がへ入れる大きさではない。
大介はここで思い込みをした。反対側の扉から、美紀が入ってくるのだろうと見つめる。
だが、グレムリンにはこれから何が待っているかが分かったらしく、立ち上がってバンを睨む。大介にその内容を叫ぼうかとも考えてが、どういえばいいかが思いつかず、開いた口を閉じてしまう。
どこかから、気味の悪い笑い声が響く。二人は隙だらけだ。それを、希望に溢れた絶望が見逃すはずがない。人間やグレムリンには聞こえないが、確かに大声で笑っている。
「では、感動のご対面です」
バンは、円柱の底付近にあったタッチパネルを操作した。そして、円柱のカバーが左右に開く。
「えっ?」
カバーが開くと、そこには透明なアクリルの曲面が出現した。
円柱の中は、何かの液体らしきもので満たされている。そして、その液体の中に人間の脳だけが浮かんでいた。
「先に説明は、聞いてください! そうしなければ岸田さんが死んでしまいますよ」
ナイフの柄を握った大介に、バンは大きな声を出した。そして、説明を開始する。
「第四メインドームで、彼女は瀕死の重傷を負いましてね。そこからはこちらのミスなのですが、人間を無駄にしてはいけないと思いましてね。彼女の体を、実験用の素体にさせて頂いたんです」
大介の目が血走り、ナイフを握る手に力がこもっていく。
「まだ! まだですよ! 重要な部分は、ここからです!」
今すぐにでも飛び掛かりそうな大介に、バンは丁寧ではあるが圧力のある言葉をぶつける。
「彼女は生きています! この液体は生体ジェル。そして、筒のこの部分が、生命維持装置です」
円柱の底を指さしたバンは分かったかと、言わんばかりに首を傾けた。
「簡単に言えば、脳髄入りゼリーでしょうかね。彼女が重要だと知らなかったもので、急いで死なない様に処置をしたんですよ」
大介の歯茎から、血が流れ出していた。今すぐにでも、バンの顔を殴りたいのだろう。
「貴方様が仲間に加わって頂けるなら、この脳髄に体をつけて、お返しします。体は別人のものですが、中身は本人なので、ご勘弁ください」
その言葉を聞いて、大介の体から一気に力が抜ける。そして、心から全ての膿がどす黒い血と共にすべて流れ出していた。
姿が変わっても、それが美紀ならば、大介は受け入れる。大介の心が手に取るように分かるグレムリンは、声を出さない。何を言っても無駄だと、分かっているからだ。
「ああ、そうだ。言い忘れてました。仲間になるのは、この脳髄が岸田さんの物だと分かってからで、結構です。間違いありませんから」
その言葉で、大介は完全に戦意を失った。
大介の直感が、バンの言葉は嘘ではないと告げてくる。そして、その直感は間違えていない。確かにその脳髄は、美紀の物なのだ。
変わり果てた姿ではあるが、確かに彼女は生きている。
……美紀さん。もう一度、美紀さんに会えるんだ。
「どうしますか?」
「仲間に……」
「はい?」
「仲間になります」
「はい。よく出来ました」
先程まで大介の目から放たれていた雷は、完全に消える。そして、眼光も鋭さを失った。
大介は泣き出しそうな顔で、ただ美紀を見つめる。たった一つの希望に手を伸ばした大介に、グレムリンは沈黙を続けた。
エウロパで大介は生き延びた。美紀の命を背負い、シェールを守って生きる事に全てを向けたのだ。
だが、それは自分の意思で生きていたかと問われれば、疑問が残る。お金を溜めていた目的も、シェールをガルーラに送り届ける為に宇宙船が必要だったからだ。
生きる意味を人に預けてはいけないと、大介は分かっていたはずだが、同じ過ちを犯した。大介も愚かな人間の一人であり、賢者や聖人ではない。
そんな大介は、グレムリンが間違いだと思う選択をした。だが、グレムリンにはそれを止められない。端末の中から、バンをにらみ続ける。
バンは完全に優位に立った事を自覚し、さらに口の端を吊り上げていた。すでにその顔は、人間と認められるか微妙なほど歪んでいる。
「ただ、貴方は強すぎる」
「えっ?」
「一人でハイブリッドや戦闘機と戦える兵士は、こちらにも限られるほどしかいないんだよ」
バンの言っている事が分からない大介は、バンの顔と美紀を交互に何度も見る。
「この部屋は、入隊テストに使われる部屋でね。君にも受けてもらうよ。いいかい?」
「はい」
不安で押し潰さそうな大介は、小さな声で返事をした。
「君が強いのは分かっているからね。うちの最新型ハイブリッドのテストも、同時に行おうと思っているんだよ」
グレムリンに理解できる言葉も、今の大介には分からない。それでも、美紀を助けたい大介は、うなずいた。
「貴方からは、攻撃をしないでくれ。新型が壊れては、大損害だからね」
やっと意味が分かった大介は、顔から血の気が引いていく。
ハイブリッドは武神の強化を使っても、十分なダメージを大介に与えられる。強化もなしに食らえば、一発で死ぬ事もあるだろう。
「ああ、勘違いしないでほしいのは、貴方を殺したいわけじゃないので、新型には手加減させる。適当に受け流してくれ。後、万が一死んだとしても、岸田さんには体を渡すから」
その言葉から信憑性は感じられない。
だが、大介の脳は働かなかった。折角の希望を手放す勇気は、大介にはない。
「あっ! それから、貴方が一発反撃するごとに、ペナルティとして岸田さんに体をお譲りする日にちを伸ばすから、覚えておいて」
……美紀さん。美紀さんの為なら。
バンは美紀の乗った机を部屋の隅に移動し、大介が入ってきたのとは反対側の扉を開く。
そこから三人の兵士が、入室する。三人共先程の兵士と同様のボディーアーマーをつけているが、ヘルメットはかぶっていなかった。
顔が見えている三人は、大介と初めて会ったわけではない。全員が元代表候補生であり、一度は会話をしている。大介は浜崎の名前も覚えているし、他二人も春川の元取り巻きで、名前は知らないがなんとなく覚えていた。
「時間はそうだな。三十分くらいでいいだろう」
「はい」
「じゃあ、そのヘルメットは脱いで、こっちに渡してくれるかい?」
何も考えられない大介は、自分のヘルメットに手をかける。
(やめろ! とるな!)
そこで初めて、グレムリンは声を出した。
グレムリンは浜崎の事情を知っており、魂も見えている。どうなるかは、既に読めていた。
大介の頭がグレムリンの言葉を理解する前に、ヘルメットは脱ぎ終わっている。
(くそっ! 避けろよ! くそっ!)
「えっ?」
大介を見る三人に、変化が起こっていた。痙攣しながらうずくまり、うなり声をあげている。
グレムリンはヘルメットを受け取らずに笑いながら部屋を出るバンの魂に、異世界の住人が宿っていると気が付いていた。そして、三人が変化した理由もグレムリンの予想通りになった。人間の魂が異世界の住人に、飲み込まれているのだ。
この三人は、最新型のハイブリッド手術を受けたが、魂は飲み込まれていなかった。三人の心を支えたのは、愛だ。
言うまでもなく浜崎は霧林を愛していた。そして、他二人は春川を純粋に愛していた。代表候補生時代は下心が先行していたが、組織で再開した色気を振りまく春川に、本当に恋をして忠誠を誓い、愛を捧げるようになっていたのだ。
その愛が、異世界の住人達には邪魔でしかない。三人は霧林と春川が大介を愛していると、知っていた。
だが、大介が死んでいるならばいつか自分を見てくれると、心を支えていたのだ。敵の頭脳は大介が生きていると教えるだけで、その支えが壊れると分かっていた。
三人の新型ハイブリッドを完成させ、その三人で大介を殺す。これが敵の作戦なのだ。美紀を餌にすれば、大介が逃げ出さない事も計算ずくだ。
(はぁ、ここまでか)
グレムリンが端末内で座り込んだ。もう、大介の先には勝ちが残っていないと、読めてしまったらしい。
念の為にフィールドは展開させたが、気休めにもならないだろう。そして、知神達を呼び出そうにも、今の大介では精神が付いてこない。
グレムリンは、絶望を真っ直ぐ受け止めたのだ。
(異界には……無理だな……くそっ)
ハイブリッド達の攻撃は、雷神の力と同様に、グレムリンにも影響を及ぼす。つまり、グレムリンも殺されることが確定しているのだ。
うずくまっていた三人が、立ち上がり目を開いた。人と変わらない姿だが、瞳だけは人間と違い、銀色に輝いている。それがハイブリッドの完成された姿なのだ。
三人は、笑いながら腰の剣を抜く。その剣は、魔技で使う物と形がそっくりだ。
だが、確実に人の命に届く鋭利さを持っていた。
(うん?)
……美紀さん。美紀さん!
大介の本能が、死を拒絶した。
砕け散ったはずの心を、記憶の中にいた美紀が拾い集めたのだ。諦めれば美紀との未来が消えると、直感が訴える。
三人を見据えた大介の目から、放電が始まった。
それを見ていたグレムリンが、表情を驚きから笑みに変える。
(忘れてたぜ! ブラザー! 悪いな! お前は予想を超える奴だったよ!)
(イチさん! 生きたい! 美紀さんと!)
(おうよ! お待ちかねの、悪戯タイムだぁぁ!)
両側面から同時に振る下される剣を、大介はスウェーで回避する。そして、武神直伝の動きに体を乗せた。
その光景を、隣の部屋からモニター越しにバンが見つめる。椅子に足を組み、笑っていた。
「さて、どれだけ逃げられるかな? くくくっ」
グレムリンの予想は超えた大介だが、敵の策を超えたわけではない。
完成型ハイブリッドの三人はベース能力が高く、強化された上に、それを操縦しているのは異世界の住人だ。魂を取り込んですぐの為、まだ動きにキレがない以外の穴が見当たらない。
その状態でも大介と同等か、それ以上の速度を出している。
(くそっ! 事前に召喚しとくべきだった!)
高速の世界で、絶え間なく向かってくる剣から、大介は身を躱す。
ナイフは抜いていない。受け止める為に立ち止まれば、斬られてしまうからだ。
袈裟掛けに振るわれる剣をしゃがみながら回避しつつ蹴りだし、そのまま床を滑るように大介は移動する。避けた先にも刃が待っている。大介が移動する先を的確に読んで、待ち構えていたのだ。
左から薙ぎ払われる剣を、大介は体をのけ反らせて回避した。止まれば死んでしまう。ブリッジする様に地面についた両手を支えに、敵の体を蹴って後ろに跳び退いた。
跳びながら上半身を持ち上げたそこに、浜崎の剣先が真っ直ぐに向かってくる。足の先を何とか床に触れさせた大介は、後ろに飛んでいる力に捻転をくわえた。そして、向かってくる剣の先を、回転しながら避け、着地する。
「ぐっ!」
(くそっ! あいつだけレベルが一つ上だ!)
避ける最中に背中を見せた大介を、浜崎は切り裂いていた。背中のスーツと皮を切られただけだが、血が流れ出す。
浜崎は信じられない事に、突きを放っている最中に、それを横に振った。お互いの体が離れていく最中だったために、致命傷は避けられたが、大介でも反応できない攻撃を浜崎は繰り出したのだ。
時間経過と共に、大介の利が消えていく。浜崎以外の二人も、明らかにキレが増していた。
人間や人金には残像しか見えない、攻防が宇宙船内部で繰り広げられる。大介は、部屋の中で円を描いて後退し続けた。壁にぶつかっても、身動きが出来なくなるほど跳び上がっても、動きを止めても待っているのは死だ。
敵は大介を生かす気など、毛頭ない。そんな中で三十分の約束が守られるはずがない。大介が死ぬまで、その戦いは終わらないだろう。
グレムリンは、必死に策を考える。勝つことは、ほぼ不可能に近い。美紀を諦めなければ、逃げる事も出来ない。
グレムリンには一つだけ手段が残っていた。大介を見捨てて、異世界に帰還する事だ。だが、グレムリンはそれを選ばない。それを選ぶぐらいならば、死のうと考えていた。
切り傷が見る間に増えていく大介に、絶望が連れてきた死がせまる。




