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九話

 木星の周りを周回する天体は、もうすぐ長い夜を抜ける。

 戦場だった負け犬達のねぐらには、小雨が降り注いでいた。建物を次々に飲み込んでいた炎は、空から落ちてくる水滴の群に力を奪われる。

 煙と水蒸気が立ち込めた街に、薄い雲の隙間から朝日が差し込み、幻想的な光景を作った。煙と粉塵は雨粒と共に地に落ち、戦いの血を洗い流していく。

 太陽からの光を背負った大介の目から、赤い放電が消えた。しかし、息が出来な程の眼光はそのまま残っている。

 アジズ達はそれぞれが手を取り合い、瓦礫をかき分けて立ち上がる。そして、体から埃も掃わずに現実味のない情景を見つめた。天才画家が魂を注ぎ込んで作り出した名画に思えたそれに、心を揺り動かされているからだ。


 隠れていた建物が倒壊し、柱に足を挟まれていたリンは、動けずに死を覚悟して一人で泣いていた。だが、運よく大介が兵器を破壊した衝撃波で、建物の瓦礫全てが吹き飛び、這い出す事に成功する。

 そのリンは生き残れたことを神に感謝するかと思われたが、震えながら近くの倒れていない柱にしがみついた。想像以上の恐怖に見舞われ、何か強いものに寄りかかりたかったらしい。

 歯をカチカチと鳴らすリンは、声を絞り出した。

「ばっ……化け物」

 そのリンの視線は大介へ向けられている。

 瓦礫の下で動けなかったリンは、死の恐怖に震え、涙に歪んだ視界で、黒衣の男を見た。ベイビーと呼ばれるその男を、リンは知っている。

 だが、助けを求める事は出来なかった。目の前で大型肉食獣を凌駕する怪物達が戦っているのだから、声を殺すのは当たり前の判断だろう。人間としての本能全てが、得体の知れない無比なる力を持ったそれを拒絶した。

 胸の高まりも度が過ぎれば、純粋な恐怖しか残らない。もうリンには、大介を好意的な目で見る事は出来なくなっていた。死と同等の恐れを抱く対象だからだ。

 逆に言えば、それを真っ直ぐに見つめるクロエやナクサの方が異常なのだ。幾度も地獄に体を浸した者達のみが、大介を曇りなく見ることが出来る。

「戦場にだって、あんな化け物は……」

「人間……なのか? あれが?」

 アジズを隊長と呼んだ人金や、友希と共にガルーラから脱走した警備部の何人かは、恐怖で倒れ込んだその場から立ち上がる事すらできていない。


 立ったまま医療プログラムで回復を進め、呼吸を整えていた名画唯一の登場人物は、鉛の様に重くなった足を持ち上げる。ぐらつく体を気力で支え、歩く。

(魔力残量的に言えば、後五分ですっからかんだ)

(バックパックの中にある分も?)

(そっちは、かなり前に使い切ってカスも残ってないぞ)

(買ったばかりだけど、すぐに補充しないといけないね)

 心を揺らさない大介と慣れているグレムリンは、冷たさを感じるほど合理的な会話をする。

 お互いへの信頼で心がつながった二人に、上っ面の会話は必要ない。

(弾は取り出しとけよ。プログラムじゃ、どうしようもないからなぁ)

(そうだね。敗血症になったら、死んじゃうもんね)

 ふらふらと歩いていた大介は、転がっていた大型車のタイヤに座る。そして、ボロボロのスーツの上半身部分を脱ぎ始めた。ぼろ布に変わったスーツの隙間から見える、灰色だったシャツは血で赤黒く色が変わっていた。

 破るように服を脱ぎ捨てる大介に対して、最初に行動を起こしたのはアジズだ。アジズは瓦礫の中から酒瓶を拾い出し、ラベルを確認した。そのアルコール度数八十パーセントの酒を、大介に向かって投げ渡す。消毒液の代わりになると考えての事らしい。

 それを終えたアジズは、踏み出そうとしている女達に警告を出した。

「あいつの目が見えているな? そこから先は不毛な道だぞ? その覚悟はあるんだな?」

 年寄りのお節介だとは思いつつ、アジズはその言葉を告げた。その中に自分の娘もいるのだから、言わずにはいられないのだろう。

「ぐっ!」

 最後に残った腰のダガーナイフに酒を吹き付け消毒した大介は、迷わずに左肩へと刺した。そして、顔をしかめながら弾丸を、ナイフの先で抜きだす。

 ごくりと音が聞こえそうなほど喉を動かした四人の女性は、それぞれの想いで足を踏み出した。

 クロエは混沌、ナクサは力、シェールは悲しみ、セリナは勇気。それぞれが惹かれた理由は違う。

 何よりも勝手に彼女達が解釈した事であり、大介の本質を見ているかは分からない。それでも自分達の胸を潰れるほど強く掴んだ大介に、自分達から近づいていく。

 二つの弱肉強食に支配された星で育った彼女達は、大介と違う部分ではあるが頭のボルトが緩むどころか外れてなくなっている。

「あの混沌の中に私の全てを溶け込ませて、彼と共にありたい」と、クロエが願う。

「殺されてもいい。ちっぽけな私の力ごと、全てを飲み込んでほしい」と、ナクサが見据える。

「悲しみの理由は知っている。私では力不足だ。でも、少しでいい。支えたい」と、シェールが祈った。

「慰みでもいい。彼が心の糧にしてくれるなら、私は全てを彼に捧げる」と、セリナが誓う。


 力を持った女性四人は、太陽を背にして取り囲むように大介の前に立つ。

(はい?)

(やっ、やべぇ)

 傷口に酒を吹き付けた大介が、顔を上げて固まる。

 クロエ達は、自分達がどんな顔をしているか気が付いていない。四人共母性に満ちた女神の様な顔は、生まれてから一度もした事がない。溢れ出す感情が作る顔は、純粋な可愛い笑顔とは程遠いものだ。怪しく歪み、何かを企んでいるとしか思えない顔をしていた。

 さらに逆光が深い影を作り、優しさではなく、恐ろしさに深みをくわえていく。

 冷や汗をかき始めた大介の顔に、表情が戻ってくる。当然、笑顔ではない。精神から切り離していたはずの恐怖で、顔が引きつっているのだ。

……僕が何をしたっていうんですか? 僕が悪いんですか? ねえ?

(こえええぇぇ! なんだこいつら! 殺気か? これは、殺気なのか?)

(みっ! 皆、睨んでる! ころっ! 殺される!)

(核、生物、化学、光学か。勝てる気がしない兵器が、四つ出揃ったなぁ。おっかねぇぇぇ!)

 大介が小刻みに震えはじめ、涙を溜めているのは、戦いのせいでも、痛みのせいでもない。

 彼女達四人は、自分達が女性の中でかなり身長が高く、纏っている雰囲気も常人のそれとは違う。四人同時に目の前で見下ろされた時の威圧感を、彼女達は考えるべきだった。そして、何を喋りかけるかも考えずに、近付くべきではなかったのだ。

(怖っ! 怖っ! 怖っ!)

(待て! 生き延びるんだ! 引き付けろ! 確立を高めるんだ!)

(まだなの? 膝が震えそう!)

(魔力がなくなる限界まで、回復するんだ! 死んでたまるか! ちくしょう!)

 無言で睨まれる大介は、諦めない。集中力を高め、グレムリンの回復プログラムを信じる。

(ファイブ……フォー……スリー……ツー……ワン! ゼロ! フォロォミー!)

「うわあああぁぁぁぁ!」

 脱兎のごとく走り出した大介の背中を、四人は呆然と見つめる。そして、すぐに不快を顔にだし、追いかけた。

(骨は折れたら、後で治してやる! 走れ! 死ぬギリギリまで走るんだぁぁ!)

 腰の端末にいるグレムリンは、四人をちらりと見る。そして、顔色を蒼く変色させた。

(やばいぞ! なんか怒ってるぞ!)

「はぁ! はぁ! はぁ! なんで!」

(知らん! ただ、捕まったら最低、手か足はもぎ取られるぞぉぉ! 逃げるんだぁぁぁ!)

「うわああああ!」

 桟橋に追い詰められ船を盗んで逃げ出した大介を見つめ、アジズが酒をラッパ飲みする。そして、苦笑いを浮かべた。


****


 惑星連合の司令官専用オフィスで、一人の女性兵士が敬礼をする。敬礼をした相手は、その部屋の主である舟橋だ。

「引継ぎが不十分ですので、至らない点はあると思いますが、よろしくお願いします」

 舟橋はその女性の言葉で、目を細める。そして見つめていたディスプレイから、女性に目を移した。

「人材不足とはいえ、言い訳からとはな」

 舟橋の言葉で女性は、自分の失敗に気が付き動揺する。そして、言い訳をしようと口を開いた。

 だが、舟橋のきつい目線でそれはするべきではないと察し、口を閉じる。

「能力は追々見るとして、鍛えがいはありそうだ」

「はい。申し訳ありません」

 明らかに顔を暗くした女性は、謝罪の後に唇をかんだ。彼女は事務官としては優秀だと周りに評価され、自分でも自信を持っていた。

 しかし、それは舟橋の一言で打ち砕かれたようだ。

「今日は事前挨拶だけだな?」

「はい」

「では、もう十分だ。明日から、俺の秘書として存分に働いてくれ」

「はい。失礼します」

 俯いて舟橋の顔を見ずに、女性兵士は部屋を出た。

 舟橋はそれを見届けると、冷たい目線を画面へ戻す。そして、人差し指の爪で、机を規則的に叩き始めた。上手く考えがまとまらず、機嫌が悪いようだ。

 画面には軍離反者情報と、前日諜報部の人間が手に入れた組織の情報が表示されていた。離反者の先導をしている主要人物は、春川、浜崎、霧林、門倉の四人だ。

 スパイの仕事を終えた門倉は、前日の姿を消している。それに気が付いて、後をつけた諜報部の人間五人は死亡した。だが、殺される直前に上司である舟橋の情報を送ったのだ。そして、舟橋は春川達の手口を知った。

 門倉が軍の情報を流し、春川が目的の兵士に一般人を装って近付き、揺さぶりをかる。そして女性なら霧林が、男性なら浜崎が出向き、組織に引き入れていたのだ。

 舟橋は門倉の色仕掛けに、まんまとはまった。切れ者の舟橋をキーマンと見極めた門倉は、間違えていない。舟橋を誤魔化せれば、それ以外の武官達は簡単に煙にまけた。

「ちっ」

 まだ机をコツコツと鳴らす舟橋は、誰もいない部屋で舌打ちをする。

 巧妙だったとはいえ、門倉に疑うべきところはあった。舟橋の頭に、自分なら気がつけた点が、いくつも思い出される。

 だが、舟橋も人間だ。グレムリンの様に、感情と思考を完全には分離できない。自分に甘える門倉に、情がわいてしまっていたのだ。その感情が舟橋の目を曇らせた結果、軍の二割が離反者となった。今の舟橋が、機嫌よく座っていられる訳がない。

「門倉、春川、浜崎、霧林」

 舟橋は、四人のパーソナルデータをほぼ暗記した。そして、画面を切り替える。

 そこには「香坂俊介こうさかしゅんすけ」と、大介の情報が表示されていた。大介の項目の一つに、旧姓香坂と表示されている。

 何故大介が寺崎になったかを、舟橋はよく知っていた。学生時代に代表候補生だった舟橋が、ある失敗から裏の世界に引き込まれ、その時軍の教官だったのが香坂俊介だ。大介は舟橋にとって、恩師の息子にあたる。

 だが、裏の情報が開示されていなかった為、それを教える事はなかったのだ。それと同じ事情で、戦死した香坂俊介の妻には、重大な違法行為を犯して死刑になったと嘘の情報が、軍から伝えられた。

 大介の母は大介を守る為に旧姓に戻し、第三ドームへと移り住んだ。犯罪者の家族として暮らすには、閉鎖的なドームは向いていない。そうする事でしか、生きられなかったのだ。

 ただ、その頃の事を精神に異常をきたした大介が、全て封印してしまったと、舟橋は知らなかった。

「寺崎。お前は生きているのか? いや、確かに死んだよな? じゃあ、この流れは何だ?」

 舟橋は、返事をしない大介の写真に問いかける。春川の様におかしくなった訳ではない。声を出した事を気が付かないほど、脳をフル回転させているのだ。

 脳からの熱が、舟橋の額を熱くしていく。コーヒーを持ってくる秘書のいない舟橋は、机の上に置かれた缶コーヒーを飲む。そして、目を閉じて情報を位置から整理した。

 勿論、結論など出るはずがない。決定的な情報が欠落しているのだ。大介が生きていれば、大介のせいにも出来た。首謀者が全員大介とかかわりを持っているからだ。何よりも、大介にはグレムリンがついている。

「あれは寺崎が死ねば強制的に、異界へ帰る。あり得ないな」

 天井を見ながら舟橋の脳裏に蘇るのは、大介ではなく門倉の事だ。優しく笑い、泣きそうな顔で甘え、冗談に怒り、潤んだ瞳で舟橋を見ていた。

 少しの悲しみの後、強い怒りが込み上げてきた舟橋は、机を力いっぱい叩く。そして、大きなため息を吐いた。

 司令官になったにも関わらず、無力な眼鏡をかけた男性には、何もできないのだ。ただ、うっすらと見えてきた流れを読み解こうと、暗中模索を続ける。


****


 舟橋が自分の部屋でもがいている頃、門倉は軍の追跡を誤魔化して組織の宇宙船へ帰還した。

「あぁぁあ。疲れた」

 自分の整えた髪をガシガシとかき回し、髪留めを乱暴に外す。その瞳に、舟橋への思いは微塵も感じられない。

 すれ違う位の低い兵士達が敬礼をしても見向きすらせず、据わった目で不機嫌オーラをまき散らす。

「あっ」

 そんな門倉の視界に、たまたま霧林がはいる。

「あの、お疲れ様です」

 バツの悪そうな顔をした霧林は、軽く会釈をして立ち去ろうとした。

 だが、霧林の行く手を門倉がふさいだ。そして、霧林を無理矢理誘う。

「任務達成祝いに、私の部屋へ来なさい」

「え? でも」

「何? 先輩の誘いを断るの?」

 顔で不快感を表しながらも、霧林は門倉の後に続いた。


 宇宙船内にある門倉の部屋は、簡易な作りで、ベッド、コンピューター内蔵の作業用デスク、金属製の机と椅子だけしかない。生活に必要な物は、クローゼットにおさめられている。

 他の兵士との違いは、そこそこの地位にいる為、部屋に個別のユニットバスが付いているくらいだ。女性の部屋としては、飾り気がまったくない。それも、任務により惑星連合側で生活していたのだから、仕方がないだろう。

 椅子に座った門倉は、カバンから缶に入った飲み物を、二つ取り出して机に置いた。霧林は椅子に座り、しぶしぶ頭を下げて、それに口をつける。

 二人には、惑星連合時代からの軋轢が生じていた。兵士としての二人は、タイプが似ている。だが、全く別の道をたどり、相容れない者同士となったのだ。

 実戦、指揮、作戦立案。その三つ全てを、二人は高いレベルでこなした。

 ただ、作戦の方針は食い違うことがよくあり、喧嘩もしていたが本当に仲が悪いわけではなく、その頃はよきライバルだったと言える。

 二人が立てる作戦を信じ、候補生達は戦い、善戦した。それでも、戦況は全く好転せず、戦場から帰還することが出来ない。

 ぬるい環境に育った代表候補生達の正気は、数カ月で破綻し始めた。理性が腐り、自暴自棄になった者達は、犯罪行為にも手を染める。捕虜や革命軍の非戦闘員を、平気でなぶり殺していく。

 そんな中で、その狂気は弱い女性達にも向けられた。代表候補生に女性は少なく、外見が理想的だった二人は、真っ先に標的にされたのだ。

 そこが大きな分岐点だった。

 霧林は、身体能力がもっとも優れていた浜崎に守られ、窮地を脱する。その上、浜崎の力が支配したチームで、霧林は参謀として地位を築いた。

 ただ、門倉には浜崎の様な存在がいない。彼氏だった男子生徒は、進んで犯罪に手を染めていたのだ。そして、門倉は生き残るために、選択した。自分の全てを使い、自分のチームを作り、悪夢の時間を生き抜いたのだ。

 結果として門倉は霧林を妬み、霧林は門倉を悪女としか見なくなった。


 危険な任務をこなした門倉は、組織の中で霧林よりも地位が高い。誘いを断れなかった霧林だが、何故部屋に呼ばれたかは分かっていなかった。

「霧林さん。貴女、浜崎くんとまだ付き合ってないんでしょ?」

 顔をしかめたままの霧林は、うなずいた。

「何? まだ、死んだ寺さ……香坂くんに操を立ててるの?」

「はい」

「軍のせいで香坂くんが、転校して、兵士として死んだのが許せなくて、こっちに来たんだったわよね?」

「はい」

 笑顔の門倉は、目がどんどん据わっていく。

「へぇぇ。浜崎くん、かわいそう」

 俯いた霧林は返事をしない。

 霧林も浜崎の事は、分かっている。だが、大介の事をどうしても忘れられないのだ。

「貴方がうらやましいわぁ。強い強い浜崎くん一人を手玉に取れば、お綺麗なままなんだもの」

「そんな! 手玉なんて!」

「何が違うの? 説明してよ」

 ついに門倉の顔から笑顔が消え、怒りが表に出る。

 門倉が霧林を呼んだ理由は、虐めたかったのだ。荒んだ自分の心を、それで少しでも癒したかったらしい。

「ほらぁ! 言ってみなさいよ! 私が納得できる言い訳を!」

「あの、それは……」

「ほら見なさい! 人を陰で見下してるくせに! やってる事は、貴方の方がよっぽど最低よ! 分かってんの?」

 霧林も、顔を赤くして歯を食いしばる。嫌いな相手に罵倒されれば、怒りが込み上げて当然だろう。

「私、貴方の事大嫌い。だって、人間として最低なんだもの。同じ空気を吸うのも不快だわ」

 立ち上がっていた門倉は座り直し、顔から怒りを消す。

 だが、驚くほど冷たい目線で、霧林を品定めする様に上から下へ眺めた。

「そんな事、言われる筋合いはありません! それに、部屋に呼んだのは貴女です!」

「何、逆ギレしてんのよ。気持ち悪い」

 持っていた飲み物を門倉にかけられた霧林は、怒りで体を震わせながら立ち上がる。そして、部屋を黙って出ようとする。

「ああ、そうそう。浜崎くんがたまり過ぎて、キレそうだから気をつけてねぇ。お嬢ちゃん」

「最悪」

 門倉の言葉に、扉の前で立ち止まっていた霧林は、一言つぶやいて振り向かずに部屋を出た。振り向けばそこに、門倉のにやついた顔が待っていると分かっているから、そうしたのだ。

 霧林が部屋を出て、扉が閉まると同時に門倉はベッドに倒れこんだ。そして、涙を流す。霧林を虐めても、気分は晴れなかったらしい。

 大介の名前を出した事で、昔の事を思い出してしまったのだ。学生時代の門倉は、代表の一人として輝き、周りから大事にされていた。大介の顔が浮かんだ門倉の涙は、さらに量が増える。

「あのころに、戻りたい」

 門倉は大介ではない男子生徒とつきあった事を、心底後悔していた。そして、その男子生徒の本質を見抜けなかった自分を、許せないでいる。

 さらに記憶の中だけの大介は、美化されていた。大介の中にいる美紀の様に正確な形ではない。

「これは悪夢よ。そうよ。悪い夢だわ。目を覚ませば、隣に寺崎くんが眠ってるの。きっとそうよ」

 門倉は習慣となった呪詛を唱え、深い眠りへと落ちていく。ただ、夢の中に大介は決して出てこない。

 大介への思いは、自分の自我を保つための誤魔化しでしかないからだ。本当の愛でもなければ、恋ですらない。過去の象徴なのだ。

 神の気まぐれで時間が遡ったとしても、門倉は大介を選ぶことはないだろう。大事なのは自分だけで、大介ではないからだ。


****


 片思いをしていた門倉の現状を、盗んだ船を運転する大介は知らない。

……僕の何がいけないんですか?

 ただ、朝日に向かって、自分が追いかけられた理由を問いかける。

 朝日は大介に何も返事をしない。そして、女性達の真意を見抜けなかったグレムリンも、本当の理由が分かっていない。

(魔法の衝撃で吹っ飛ばされたのを、怒ってるとかかぁ?)

(そんな、理不尽な。どうしようもなかったのに)

(そうだよなぁ。不自然だよなぁ? なんで怒ってたんだぁ?)

「僕が聞いてるんだよ! 教えてよ!」

 大介の大声に、グレムリンが端末内でびくりと反応する。

 だが、大介の求める答えは、グレムリンも持っていない。

(俺に、怒鳴るなよぉぉ。俺だって、わかんねぇっつってるだろ?)

「なんでだよぉぉぉ!」


 大介が珍しく本心を物言わぬ太陽に投げつけている頃、アジズ達は酒場に帰り着いていた。

 組織の部下達に指示を出し終えたクロエとナクサが、カウンター席に座っている。そして、警備部の人間と山本の許可を取ったセリナも、同じように座っていた。シェールは、カウンター内の椅子に座っている。

「今日は休業だな。店番を頼む」

 ぎすぎすした空気に耐えられなかったアジズが、店の修理を手配する為に店を出た。

「おかわり」

「私も」

 立ち上がったシェールは、棚から酒瓶をとり、クロエとナクサの前に出した。

「あ、シェールちゃん。ビールも」

 セリナの注文を聞いたシェールは、カウンターの下に据え付けられた小型の冷蔵庫から、瓶入りのビールを取り出し、セリナの前に置く。

 先程から、四人は喋らない。そして、少しだけ不機嫌そうな顔をしている。

 考えているのは、大介の事だ。

「何がいけなかったんだろ」

 セリナの呟きに、他三人は返事をしない。代わりに首を傾げる。大介の気持ちを、誰も汲み取れていないらしい。

「ちょっと、同性愛者」

「その呼び方やめて」

 グラスを持ったクロエが、ナクサに顔だけを向けた。ナクサは返事をしたが、顔を向けない。

 「貴女。女が好きなんじゃなかったの? なんで?」

「小さいころから、男は最低のクズで、敵だって教えられたわ。実際に、そうだと思えたし、疑わなかった」

 ナクサは自分の事を、ぽつりぽつりと喋り出す。

「いつも下衆な事しか考えてなくて、女を自分達より下に見る男達が嫌いだった。初恋も女だったし、今までの恋人も女だった」

 事情を知らなかったシェールとセリナが、驚いた顔でナクサを見る。

「だった。ねぇ」

「男のくせに、シェールちゃんに食事を分けてほしいって、土下座までしたのよ。あいつ」

 シェールがエウロパに来た頃を思い出し、俯く。その時本当に限界だった大介は、ブラックダイヤの門の前で銃弾をくらいながら、二十四時間以上土下座したのだ。

「女が言い寄って逃げる男なんて、初めて見たわ」

「この星でそんな男は、要塞都市にでも行かないといないわよね。」

 クロエの言葉に、セリナが補正をかける。

「要塞都市でも、エウロパ育ちに変わりはありません。そんな人は、いませんよ。一人も」

 クロエはセリナの言葉を、笑って聞き流す。そして、空いたグラスに琥珀色の酒をそそぐ。

「人一倍働いてるし、元々強いだろうとは思ってたの。あそこまでとは思わなかったけど」

「ふふっ、あれで全力かどうかは、まだ分からないわよ」

「強くて、清潔で、優しいなら、私だって好きになるわよ」

 ビールを飲んだセリナが思い出すのは、大介と二人で部屋にいた記憶だ。

 要塞都市に就職前のセリナは、実技には自信があったが、勉強は得意ではなかった。しかし、要塞都市の雇用試験には筆記もある。

 アジズの酒場で働いた後、眠らずに大介はセリナの勉強を教えている。ドームの小学生レベルだったセリナを、大介は何とか中学生レベルまで引き上げた。そして、雇用試験合格へ導いたのだ。

 どんなに疲れていても部屋へ教えに来てくれた大介に、セリナは淡い気持ちを抱いていた。それが、先程の戦いを見てはっきりとしたらしい。

「どうやれば、男と付き合えるんだっけ……」

 クロエの言葉で、四人が溜息をついた。恋をした事がなかったシェールは言うまでもないが、他三人には致命的な問題があるのだ。

 容姿に恵まれた三人は、自分からちゃんとした告白した事がない。自分に好意があると分かった男(女)に、「付き合う?」と問いかけた事しかないのだ。それも、大介に対しての気持ちの様に、強い恋心は初経験で、どうすればいいか持て余している。

「とりあえず、キスすれば……」

「駄目でしょ。大介の性格からして、まずは。まずは。まずは、何すればいいの?」

「付き合ってって言えばいいのかなぁ?」

「あ! それね。そうだわ」

「あの。それは、いつ言えばいいんですか?」

「えっ? ええぇぇぇぇ。こう、あの、いい雰囲気の時よ」

「それって、何時ですか? 場所とかは?」

「いっそ、二人きりになるって手があるわね」

「あ、それ良いわね」

 それからしばらく、残念なガールズトークが、アジズの酒場で展開された。四人はそれぞれが真面目に考えているが、内容は小学生にも劣る。

 店の扉はガトリングガンのせいで壊れており、店に入ろうとしたアジズにも話が聞こえた。眉間にしわを寄せて目を閉じたアジズは、店に入るのを止め酒の調達に向かう事にしたらしい。

 歩きながら溜息をついたアジズは、娘の育て方を反省し、エウロパの環境を嘆く。もしも、ドームで育っていれば、彼女達はこんな事で悩まなかっただろう。

 船を海岸に捨て、建物の陰に隠れながら移動する大介は、酒場の状況を知らない。


 ただ、四人に見つからずに魔力カプセルを手に入れようと、気配を消しながら陰から陰へと隠れながら進む。生き残るために。

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