八話
惑星連合、帝国、エウロパの人々が知らない、小さな衛星の陰に笑顔が満ち溢れていた。恒星からの光が届かない闇の中に潜んでいるのは、組織の巨大な宇宙船だ。
本格的な活動を開始しようとするその組織で、兵士達は様々な思いを胸に抱いている。
ある若い女性は平和の先にある、希望の中での快楽を思い描く。
ある高齢の男性は目の前に迫った戦いで、敵を殺せると笑顔を押さえられない。
ある人金の男性は組織が掲げた正義に殉ずる事が出来ると、喜びの涙を流す。
大勢の人間が、待っているはずの未来と希望に、心を震わせていた。誰一人として、希望が絶望の味を濃くする為の、スパイスだとは考えない。手に入れた希望と平和が、考えていた物と違った場合、人はより深い絶望に落ちていくと知らないわけでもないのに。
組織の宇宙船内にある長い通路に、こつこつと足音が響いていた。足音の主は、大柄の男性二人をお供にした春川だ。今日も彼女は、派手な化粧と服で通路を、進んでいた。
常に顎を少しだけ上に向け、腕を組み、周りを見下す目線をばらまいている。すれ違う兵士達は立ち止り、彼女に敬礼していた。
教室で泣いていた春川は、もうどこにもいない。
綺麗な栗色に染色し肩にかかった髪の先は、外側に跳ねるようにカールされている。深い青のアイシャドウや頬に塗られた桃色のチークも目立つが、血を連想させる真っ赤な口紅が怪しい色気を醸し出していた。
真っ白いふわふわの毛皮のコートの下には、黒くてらてら光る材質の服を着ている。ショッキングピンクのストライプが入った胸元は、首にかけた一本のひもだけで支えられており、肩を隠す布はない。同じようにへそや背中を隠す布もなく、下着が見えるほど短いスカートにはピンクの透けた材質で作られたフリルが付いている。網タイツの先にある黒いピンヒールは、かかとをかなり高く持ち上げていた。
彼女の作り変えられた体は、トップモデルよりも洗練された美しさがある。だが、その衣装とメイクで、妖艶さは感じるが、威厳や神聖さは全く感じなくなってしまっていた。人によっては、下賤な趣味の悪い女性に見えるだろう。それでも、彼女に注意できる者はおらず、自分でも気が付けない。
春川が入った丸い床の明るい部屋は、広く何もない場所だ。天井の金属板は蛍光灯の様に発光しており、丸い床の金属は絨毯の様に柔らかい。
部屋の中では剣を持つ、十人ほどの男性が春川を待っていた。その男達は、まだ兵士の服を着ていない。組織に入ったばかりの者達で、実力を見て振り分けされる予定なのだ。
労働者に落とされた後、革命軍に助け出された安岡と村川もいる。
「これ、お願いね」
取り巻きの男は春川の上着を受け取り、部屋の中央から扉の前に下がった。そして、扉のロックをかけると後ろで手を組み、休めの姿勢で動かなくなる。
「はいはい。説明は聞いてきたわねぇ? この由梨様が直々に、相手してあげるわ。最近少し運動不足なのよぉ」
武器を持っていない春川を見て、男達は顔を見合わせている。外見上、春川の実力があるとは思えないからだ。
「ほらほらぁ。由梨様に剣を当てられたら、どんな願いも叶うわよぉ? なぁんでもねぇ」
春川は、大きな胸を見せつけるようにかがみながら自分の足に指を這わせ、わざとらしく舌で唇を一周する様に舐めた。それを見た男達の何人かが、鼻息を荒くして唾液を飲み込んだ。
その十人は、最前線から逃げてきた者達ばかりで、異性に飢えている。
「ねぇぇ。はやくぅ」
その本能を直接刺激する春川の行動で、本能に抗えなくなった一人が走り出した。
一人が走り出した事で、他の者も剣を握りしめ足を踏み出していく。しかし、村川と安岡を含む四人は、そのまま動かい。他の者達と春川の動きを見つめた。
その四人は、あまりの出来事に分かりやすい驚きの表情になった。口をだらしなく開き、目を擦っている。村川も組んでいた腕が自然に下がり、眉間にしわを深く寄せていた。
走っていた男達が、遅いわけではない。だが、残像が残らないほど速く動く春川に、男達は反応すらできていなかった。 離れている場所から見ていた村川だから、何とか見えただけだろう。
春川の放つ何の変哲もない張り手は、男達の頬に面白い様に当たる。そして、頬を張られた男達は、吹き飛んでいくのだ。
男達は宙や床を錐もみ状に転げ、壁にぶつかって止まる。春川を中心に、六本の赤い筋が伸びていた。
その男達は、ぴくりとも動かない。一人は遠目でも分かるが、明らかに首が百八十度向きを変えていた。
「ふふっ、ふふふっ。きゃはははははっ!」
大声で笑う春川の目を見た四人が、恐怖に支配されていく。驚くほどの冷や汗をかき、膝が震えている者さえいる。
「あらぁ? 貴方達はこないのぉ? 由梨様の体が欲しくないんだぁ?」
ゆっくりと歩み寄ってくる春川に、がたいのいい白人男性が剣を捨てた。そして、両膝を床につき手を顔の前で組み、神にいのる神父の様に助けを求める。
「お願いだ。助けてくれ。死にたくない」
男を見下げる春川の目は、細くなっていく。
「貴方の命は、そんな物なの? 頭が高すぎるんじゃない?」
その男性にとっては、最大限の降伏を表すポーズなのだが、春川は理解していない。理解するつもりもないのだろう。
「があぁ!」
足の裏で蹴られた男の頬に、ヒールの先が刺さり、穴が開く。その男性は、床に弱弱しく倒れた。
男性の目にはすでに涙がにじんでおり、頬の穴からは血が流れだしている。
「どぉげぇざぁぁ! 足の裏を舐めたら、考えてあげる」
男の腹をつま先で何度も蹴る春川は、驚異的な反応速度で背後から斬りかかってきた村川の剣を避ける。
「ちっ!」
プライドの高い村川は、戦う事を選んだ。元代表選手候補だけあって、動きは先程の六人よりも鋭い。
それを見て嬉しそうに笑う春川は、合格と口にしようとした。だが、目の前に許せない物が映り、一気に顔色を変える。
村川の動きは、只の人間にしては鋭すぎたのだ。髪の先を斬られた春川は、歯を剥いて怒りを顔に出した。そして、振り向いた村川の胸に、真っ直ぐ手を伸ばす。
「あ、ああ? ああ……あ……」
信じられないものを見た村川は、剣を手放し自分の胸に腫れものでも触るようにゆっくりと手を伸ばす。
春川の手首から先が、自分の胸に突き刺さっているのだから、信じられないのは当たり前だろう。
「ごほっ!」
春川が心臓を握りつぶすと同時に、村川の気管と食道を血が逆流した。村川の吐き出した血は、春川の顔や体にも飛び散る。
「何してんだぁぁ! このゴミ虫ぃぃ! ごらぁぁ!」
腕を引き抜かれた村川は、その場に倒れ動かない。目蓋を閉じる力もなく、息絶えたのだから仕方のない事だ。
それでも、春川は村川の顔面を執拗に踏みつける。
「聞いてんのかぁぁ! おい! こらぁぁ!」
頭蓋骨が砕け、眼球が飛び出しても、春川の怒りはおさまらない。それが頭部だったと判別できなくなるほど、踏み潰していく。
「この体はなぁぁ! あの人のなんだよ! お前が、触っていいものじゃないんだよぉぉ! 分かったか!」
「うっ!」
春川の行動に、胃の内容物が逆流しそうになった安岡が、口を押えた。
取り巻きの男二人は、そんな春川の行動にぴくりとも反応しない。
安岡達が入ってきた扉は、スイッチを押しても、全く動いてくれなかった。
「あっ! ごめんねぇぇ。これはちょっとした事故だから、気にしないで。ね?」
血を滴らせた顔で安岡達を見た春川は、舌を少しだけ出して、自分の頭に軽く拳を落とす。女性がささいな失敗を誤魔化す動作に似ているが、実際にその動作をする者はほとんどいないし、春川の行動はそれでどうにかなる類のものでもない。
残った三人に、心底の恐怖を植え付ける結果となった。土下座をしながら震える三人は、自分の順番がくると春川の靴から、村川だった血と肉片をなめとっていく。三人にとってプライドと命は、同じ天秤ではないからだ。
「後片付け、よろしくねぇ。シャワー浴びてくるわ」
扉の隣に立っていた男性に、ウインクをすると、春川は自分の部屋へ向かう。
それを見た安岡達三人は、脱力して涙を流していた。それが生き残れた嬉しさからか、恐怖からなのかは、分かっていない。
シャワーを浴び終えた春川は、体も拭かずに浴室を出る。そして、机に向かって両手を伸ばした。
「ごめんねぇ、ごめんねぇ」
小さなスタンド型ディスプレイを抱きしめた春川は、何度も涙を流して謝る。
「この体は、大介の物なのにぃぃ。ごめんねぇ」
ディスプレイには、学生時代に盗撮した大介の画像が表示されている。
「うん。ありがとう。うん。私も。私も愛してるわ。大介」
夢と現実が判断できない春川は、そのまま画像だけの大介と会話を続けた。そして、一人で笑いだす。
「うふっ、うふふふ。きゃははははっ!」
その目には、真っ赤な狂気が渦巻いている。
この衣服をまとっていない女性を見て、魅力を感じる男性は少ないかもしれない。
****
ジャッカスの空を、いつの間にか黒い雲が覆っていた。火事の煙が原因かもしれないが、先程までの星空はその雲で隠されている。
戦闘用機体の爆発を見たセリナ達警備部が、アジズ達の元へ到着した。全員が急いで武器を持ち、車を降りる。
だが、暴れているのはナクサと、それを羽交い絞めにしたクロエだけで、アジズは葉巻に火をつけていた。
「お父さん?」
「ん? おう。終わったぞ」
ナクサ達の隣を素通りした大介は、浮かない顔をしている。そして、大きなため息をついた。
「はぁぁぁぁ」
知神とグレムリンが、喧嘩を止めないからだ。
(今ある分は、全て持っていく! 私が責任を持って、三人で均等に分ける!)
(だからぁぁ! 魔力高いっつってるだろうが! 割に合わなくなんだよ!)
(前のツケがあるだろうが! 貨幣など、我等には関係ないわ!)
(ああぁ? ごらっ!)
「はぁぁぁ」
大介の溜息を聞いて、仕方なく雷神と武神が仲裁を始めた。本来二人はそういった事が得意ではないが、目に余るものがあったようだ。
(弟子の前で恥ずかしいと思わんのか?)
(そうだぜぇ。おれっちの魔力は次でもいいから、カネもイチもいい加減にしとけぇ)
立ったまま俯く大介に、ナクサが話し掛けようとしているが、クロエに羽交い絞めにされ、そのクロエをジャックが羽交い絞めにしており、動くことが出来ない。
シェールは背中に担いでいたケースをおろし、ライフルをしまっている。
セリナは状況が理解できず、仲間達と顔を見合わせるだけだ。
「ご無事ですか?」
敵を押さえつけていたアジズに、人金が駆け寄った。その人金は先程酒場にいた、アジズを隊長と呼んだ人物だ。
「ああ。見ての通りだ」
何となくその人金に目を向けた大介の中では、異世界の住人がいまだに喧嘩を続けている。
……えっ?
大介の背中に、悪寒が走る。アジズが地面に押さえつけている、簡単な作りをした顔の男が、笑っているのだ。
うつ伏せになった背中に、アジズが体重をかけており、苦しそうではあるが、確かに顔が笑っている。
(やばい! なんかやばいです!)
大介の直感は、火傷しそうなほど赤い警告を発した。
敵の顔は、まだ何かあると告げている。それも、大介の力を見ても笑顔が揺るがないという事は、それだけよくない事が待っていると言っているようなものだ。
(うん?)
(どうしたぁ?)
大介の目を通して敵を見た知神とグレムリンは、それをすぐに理解した。
(なんだ? 何がある?)
(ブラザー! 端末だ! 端末に潜るぞ!)
(うん!)
《アプランク》
アジズを力任せに退かせた大介は、敵の胸ポケットに光る掌を当てた。そして、グレムリンが敵の作戦を読み出す。
(何てことだ)
(くっそおおぉぉぉ!)
意識を紐で繋げた五人は、グレムリンから送られてきた情報を、瞬時に理解した。
しかし、すぐには対策が思いつかない。大介がその敵の腕を折った時に発動された最終作戦は、神と呼ばれた四人の顔を引きつらせるものだった。
端末には広範囲破壊兵器を、敵が発動した履歴が残っていたのだ。
もっともいい対策は、逃げ出す事だが、その時間はほとんど残っていない。
「どうやら、気が付いたらしいな。だが、もう遅い。我等は、正義と平和の使者。神の名において、貴様らを裁いて見せる」
拳を握った大介は、そのまま男を殴りつけた。大介に殴られた敵は、鼻血を流して気を失う。
「くっそ!」
「どうしたんだ?」
大介に突き飛ばされ、驚いたままのアジズが問いかける。
「皆さん! 逃げてください!」
大介はアジズだけではなく、その場の全員に聞こえるように大声で叫んでいた。
「すぐに逃げて! 半径五十キロを破壊する兵器が、もうすぐ発動します!」
大介の叫びを聞き、その場にいた全員が目を見開く。そして、重要な部分を聞く。
「時間はあるのか? 後、どれくらいなんだ?」
大介はすぐには返事をしない。それが、どれほど絶望的な時間か分かっているからだ。
「後……八分です」
重力制御型の車でも、五十キロ圏内から脱出はほぼ不可能だ。丘から街を見ているトップ三人も、自分の組織のビルにいるワンも、要塞都市すら範囲に入っている。そして、それから逃れるには、宇宙にでも飛び出さなければいけない。
大介自身も、逃げる手段が見つからず、歯を食いしばった。
自分の組織へ情報を伝えようとしたクロエとナクサも、極薄端末を握った手から力を抜く。
唯一逃げられる可能性が残る山本にだけは、警備部の人間が連絡を入れた。
「くそっ! どこだ! どこのどいつが糸を引きやがった! クソがぁぁ!」
連絡を受けた山本は、机を拳で殴りつけた。
八分で要塞都市から全員を退避させる事は、不可能だ。連絡をいれたとしても、皆が混乱している間に終わるだろう。
確実に逃げ出せるのは、山本とその周りにいる限られた者だけだ。それも、山本が他の者への警告を破棄して、今すぐ走り出せばの話だ。
仮面を外した絶望が、状況を知る者達へ笑顔で囁き掛ける。チェックメイトと。
ぼんやりと空を見上げたセリナは、ベイビーの声が大介に似ていたと考えている。それ以外に、頭が回らなくなっているのだ。人間は時に理不尽な現実から、意識だけを逃避させる。
三人仲良く座り込んだナクサ達も、体から力が抜けていく。ナクサの目には涙が滲み始めていた。ブラックダイヤの村も被害から逃げられない。悔しさでついには地面を殴り始めた。
アジズとシェールは、しゃがんだまま俯く大介を見つめている。しかし、大介が動きを見せない事で、絶望に飲みこまれていく。大介でどうしようもなければ、二人にはどうしようもないと分かっているからだ。
ただ、大介が動かないのは、絶望に飲みこまれた訳ではない。今、やるべき事である、敵の情報を端末から吸い出していたのだ。
グレムリンと知神が協力して、端末のセキュリティを次々に解除していく。
――大丈夫。大丈夫よ――
絶望が大声で笑う戦場で、大介は目の光を消していない。幻になった愛する女性の声を聞き、拳を握りしめた。
その大介の体からは、先程までよりも強い放電が始まっていた。
(データは全部抜き出した。さあぁって! 命を投げ込む覚悟は出来たか?)
(行こうっ! イチさん!)
(悪戯のぉ……時間だぜ! ブラザー!)
二人のやり取りを聞き、溜息をついた神々は、その後すぐににやりと笑う。そして、つながったイメージを使い、超高速で作戦を立てる。
(場所は男娼館か! 時間がないぞ!)
「皆! 出来る限り、逃げて!」
大介は他の人々へ叫び、百メートルほど先に見える男娼館へと走り出す。それと同時に、男娼館の天井を突き破り、真っ青に光る物体が宙に飛び出した。
五つの金属でできた球体は、全て同じ大きさではない。本体となる一つだけが直径二メートルで、他四つは半分の大きさだ。
飛び出すと同時に本体を四角く取り囲んだ補助装置達が、すぐさま強力なフィールド展開準備にかかる。全ての分子を振動させて破壊する電磁波の準備は後、六分ほどかかるからだ。本体からゴウンゴウンと低くよく響く音が、聞こえてくる。
(今しかない!)
「このおおおぉぉ!」
大介は、雷を付加し単分子化したナイフを、本体へ全力で投擲した。
(くっ! フィールドの展開が予想よりも早い!)
ナイフの威力がかなり殺された事で、知神が歯ぎしりをする。そして、すぐさま次の作戦へと移行するイメージを他の四人へ送った。
知神が正確に先読みした通り、ナイフは本体には刺さったが雷は消えており、機能を停止するには至っていない。
データを読み出し、五人には敵の情報が分かっていた。一度発動されると、解除は出来ない兵器だ。本体を四角く囲ったフィールドも、並みの技では一切通じない。
フィールドを突き破る技を繰り出す為には、準備の時間が必要であり、大介に兵器との距離をとる時間は残っていなかった。敵の前に真っ直ぐ立ち、拳を握って脇をしめた大介が目を瞑り、イメージを高めていく。
(よし! そうだ! 集中するんだ!)
知神は環境の計算を続けながらも、大介に言霊をとばす。
(溜めこめぇぇ! 魔力は、気合と根性だ!)
雷神のイメージが、大介に魔力を高めさせていく。
四人から大介に流れ込んだ言霊は、魔法に必要とされている呪文や儀式に囚われるなと訴えかける。そして、精神を幽世のレベルへ昇華しろと、導いていく。
大介の体にまとわりつく赤い稲妻が、徐々に強くなっていく。空や地面に、枝のように走る雷が太く、強くなっていた。体がプラズマその物になっていくのではと思えるほど、真っ赤に発光して雷光を放つ。
(来るぞ! イチノカミ!)
(おうよ! チカラ!)
本体ではない四つの補助装置が、大介を感知して振動波を放ってきた。
目には見えないが、大介の隣にある煉瓦造の建物が倒壊を始める。それを、グレムリンは急造したフィールドで弱めた。
しかし、ヘルメットがきしみ、大介の骨という骨が悲鳴を上げ、鼻と耳から血が流れる。
(くそっ! 想像よりもきつい!)
フィールドを展開しながら、グレムリンはプログラムを秒単位でアップデートしていく。
「えっ? きゃあ!」
振動波は、距離があったセリナ達にも影響を与える。立っていられなくなり、激しい耳鳴りと頭痛や目眩の症状が出る。
「うっ! おえぇぇ!」
ついにジャックや警部の人間は、嘔吐してその場で動けなくなった。
大介はフィールドで守られているとはいえ、敵との距離が近くセリナ達以上の影響を受けている。
(おい! カネ!)
(ああ! 流石は我らが弟子だ!)
立っている事すら困難な状態でも、大介は精神を高め解放し続ける。放電は先程よりも強くなり、電流が逃げた地面や建物が黒く焦げていく。
(よし! このままいけば、間に合うぞ!)
勝利を確信した武神達に、グレムリンが喝を入れる。
(油断すんなぁ!)
絶望はいつ何時でも、這い寄ってくる。それが異世界の三人だとしても、隙と油断を見つければ、手を伸ばしてくるのだ。
大介とグレムリンはそれをよく分かっており、自分のやるべき事に集中する。
(ほれ見ろ! くそったれぇぇ!)
振動波が停止すると同時に、もう一つの補助装置の金属でできた蓋がスライドし、銃口が姿を見せた。
油断をしなかったグレムリンが、フィールドの種類を切り替える。しかし、魔力残量の関係で、出力が上げらない。
(もっとこっちに回せ! カネ!)
(くっ! 無理だ! これ以上は、人間の体ではもたない!)
敵は機械であり、魔法を使う事は出来ない。その為、銃口から撃ちだされるのは実弾だ。魔法の弾丸よりも威力が弱い。
しかし、人間を死に至らしめるには、お釣りがくるほどの威力を秘めている。
ゆっくりと時間が過ぎていく空間で、銃口から弾が飛び出した証である光が放たれた。その光は連続して、幾度も闇に浮かぶ補助装置を照らす。
雷神は魔力の変換に全てを向けており、知神は環境の計算と魔力調整以上の事に手が回らない。もっとも早く対策を出したのは、武神だった。イメージをグレムリンと共有する。
(出来るな!)
(へへっ! そっちこそ、ミスんなよぉぉ!)
補助装置から撃ちだされた弾丸が到着する寸前で、大介の体を守るフィールドの形が変化する。体全体から、人体の急所である正中線だけを守るように細長く変わったのだ。それもそのフィールドには、補助装置に向けて山型の角度が付いており、弾丸を全てそらしていく。
それた弾丸の軌道を武神が見切り、着弾箇所に体を支えていた強化の魔法を回す。魔力の放電には圧力があり、強化を解けば大介がそのまま吹っ飛んでしまう。体を支えられるギリギリの魔法を残し、局所的に体を鋼に変えていく。
気が遠くなるほどの読みと魔力操作を、武の神はやってのけた。
「いやあああぁぁぁ!」
銃弾に晒される大介を見て、シェールは叫ぶことしか出来ない。クロエも震えるほど強く、手を握る。見ている者達には、何故弾丸の雨に晒される大介が立っているかすら理解できないだろう。
その間も大介は目を閉じ続け、自分がやるべき事に全てを傾けたまま揺るがない。
大介の纏う稲妻が強くなるにつれ圧力も強まり、武神は弾丸を弾くのに回せる力が減っていく。スーツと一緒に皮膚を削り取られた場所が、血を噴き出していった。ヘルメットははじけ飛び、額や頬に出来た複数の傷から、大量の血が流れ出る。
(しまった!)
ついには、大介の左肩に、銃弾がめり込んだ。
微弱でも強化を済ませており、骨や筋に異常はない。それでも、皮膚や肉は引き裂かれた。
集中が解けてしまうと、武神とグレムリンが大介の状態を焦りながら確認した。
そして、笑う。
痛みどころか恐怖等の感情すら切り離した大介は、微動だにしない。
(くくくくっ!)
(へへへぇ!)
(ふっ!)
(うけけけけっ!)
大介の中にいる四人が笑うと同時に、大介の目が開かれた。その目からは、日の光を思わせるほどの赤い光が漏れ出している。
「おおおおおおぉぉぉ!」
大介は破壊兵器の浮かぶ、さらに上空にある雲へ向けて、拳を向ける。落雷とは逆に、地上にいる大介の拳から、雷光が天へと昇った。
ただ、人間の拳で放つことが出来る量は、限界がある。大介の拳は一発では終わらない。天に向かって拳を振りぬくたびに、真っ赤な雷が何本も昇竜のごとく空へと向かう。
(よし! 限界一杯だ!)
知神は、遠隔で魔法の雷を雲の中に集約した。
(機!)
武神は、強化魔法で右拳を天に掲げた大介の体を支える。
(気合だ! 気合ぃぃぃ!)
雷神は、雷を操る権限を全て大介に託す。
(行くぜ! 兄弟!)
最後にグレムリンが敵本体に刺さったナイフと、雷を魔力の道で繋いだ。
「いっ! けえええぇぇぇ!」
四人の言葉に背中を押された大介が、振り上げていた右腕の手首を左手で握る。そして、振り下ろした。
《四柱合成魔法! 天津雷!》
大介の頭上に掲げた右拳が降り下すと同時に、天から光の柱が落ちてくる。
半径五メートルもある燃え上がるほど赤い稲妻が、兵器の強力なフィールドを突き破り、敵本体へと直撃した。
大介を見守っていたアジズ達は、衝撃で目を閉じその場から吹き飛ばされる。雷の威力圏内にあった建物は、融解しつつ崩壊していく。
真っ赤な光に包まれた街から、音が全て消え去っていた。落雷の轟音で、全てがかき消されたのだ。
離れた場所から見ていた組織のトップ三人に、震えが走る。
「やってくれるねぇ」
「やはり、アジズの酒場に手を出すべきではないな」
「まったくよぉ。どんな偶然が重なって、あの怪物が出来たんだかなぁ」
逃げ出さずに通信端末の映像を凝視していた山本が、大きく溜息をついた。一時的に中断していた信号データが回復し、兵器が発動されなかったと理解できたからだ。そして、内線で部下にお茶を要求する。
「これは、想像を超えてきたな。寺崎……大介か……ふふっ」
全てを薙ぎ払う雷が落ちた場所には、街中にもかかわらずぽっかりと建物のない焦土が出来上がった。
その中で形を留めているのは兵器だったガラクタと、体から煙を昇らせ小さな放電を続ける大介だけだ。
(上出来だ)
(楽しかったぜぇ!)
(見事)
(ハグしてやるぞ! ブラザー!)
異世界の三人とグレムリンは、大介を労う。
「ありがとうございます」
力なく答えた大介の声には、感情が残っていない。嘘の仮面をかぶれるほど、余力がないからだ。
(また、持ち帰れる魔力がない……)
(おれっち、最高に楽しかったぜ?)
(だが、今回は肝を冷やしたな)
(兄弟が死んじまう! とっとと帰れ! いや! マジで!)
「すみません。ありがとうございました」
また喧嘩を始めそうだった知神を連れて、雷神と武神が大介の中から消えていく。
戦いが終わった街に、ぱらぱらと雨が降り始めた。蜃気楼のように揺らぐ街の炎が、ボロボロの大介を照らす。
振り返った大介の顔からは表情が消えており、かすかに赤い光を残した混沌の瞳だけが、一同を見つめる。いつもの愛想笑いを浮かべた優しさを感じる大介は、そこにはいない。
仕方ないとしか言えないだろう。それが美紀を失った、本当の大介なのだから。
余りにも強い力を見せられた者は、迎合や拒絶の強い感情を示す事がある。そうしなければ、自我が保てないらしい。
「うああああぁぁぁ!」
大介を見て真っ先に動いたのは、驚く事にユルゲンだった。建物の陰で震えていたユルゲンは、ベイビーの力を間近で見ていた。そしてそれが大介だと知り、拒絶することしか出来なかったのだ。
金属のパイプを持って、立っているのもやっとに見える大介を殴る為に、建物の陰から走り出した。ちっぽけな自分の心を守る為に。
放心していたアジズ達は、それを止める事は出来ない。
(最後の敵が一番弱いって、どうよ?)
腰のダガーナイフを抜いた大介は、腕の先が消えたように見えるほど速くそれを投げる。
「殺せば皆同じだよ」
奇しくも、ユルゲンはクラウスと同じ死に方をした。顔面から地面に落ち、血の池を作りながら二度と帰ってこない旅に出る。
絶望から立ち上がり無法の星を生き抜いた大介は、あの時とは違う。骨が折れていようが、筋肉が断裂していようが、前に進む。
記憶の中にだけいる彼女が、大丈夫と囁いてくれるから。