六話
遥か昔、地球に一人の天才がいた。名をガリレオ・ガリレイ。
天文学の父とも呼ばれた彼は、天体観測に望遠鏡を使おうと思いついた。そして、木星の衛星をその目に捉えた。
そのガリレオ衛星と名付けられた衛星達の一つに、エウロパがある。
衛星表面が厚い氷で覆われていたエウロパは、人間の手によって多くの生命が息づく、海の星へと変わっていた。法がなく、力が支配する衛星、エウロパ。
だが、現在人間が住む星の中で、一番平和に近い。それは、戦争の影響を受けていないからだ。
しかし、そこに人間が住む以上、悪魔の微笑みからは逃れることが出来ない。
調律された混乱の中で期せずして出来た平和を楽しむエウロパに、異様な雰囲気の集団が侵入した。全員が、黒で統一された、細身のスーツ、ワイシャツ、革の手袋、革の靴を身に着けている。そして、トレードマークなのか、胸には目立つワインレッドのネクタイをしめていた。日焼けを一切していない真っ白い肌を持ち、体毛は全く生えていない。
顔だけはそれぞれに個性があり、先頭を歩く男は、細い目と鼻と口を持っていた。その男の似顔絵は、一分とかからずに書き上げることが出来るのではないかと思えるほど、簡単な作りをしている。
だからこそ、異様な雰囲気を感じざるを得ない。表情は故意的に変えてはいないだろうが、にやけた様に見える。まつ毛すらないその集団は、アジズの酒場がある街で、行動を起こす。
「くそっ! くそっ! くそっ! らあぁぁ!」
「いっ!」
男娼館で物に当り散らすクラウスが投げた酒瓶が、ユルゲンの額に直撃した。酒瓶がぶつけられたユルゲンは、膨れ上がる額を押さえてうずくまる。
「クソがっ! 調子に乗りやがって! 何がベイビーだ! どいつも! こいつも!」
「ぎゃ! あがぁぁ」
クラウスに顔面を蹴られたユルゲンは、鼻と口から鮮血を流し、泣きながら床に転がる。その血が滴る手の中に、折れた前歯が零れ落ちた。
だが、ユルゲンの怒りと悲しみは、クラウスには向かない。脳内で大介への憎しみがさらに増幅されていく。
クラウスの荒れ様に、取り巻きの男娼も顔をしかめている。そのクラウスが暴れている原因は、大介だった。クラウスはベイビーと大介を殺して名を上げようと、知っている殺し屋達に声をかけたが、誰一人として首を縦に振らない。
その上、そちらに労力を向けたせいで、本業がおろそかになり、キメラの幹部に銃を突きつけられながら注意を受けた。元々クラウスがトップになってから、男娼館の売り上げは下降しており、次はないと告げられている。
その原因も、実はクラウスなのだが、クラウス自身は責任を大介に転嫁していた。
クラウスは、整形で美貌を手に入れている。それ自体は男娼なら、変わった事ではない。だが、もともとはユルゲン以上に、顔が女性受けの悪い物だった。それでも、男娼としてしか仕事を見つけられず、酷い虐めを受け、性格が歪んだ。
その時身に付けた生きていくための処世術と作り物の顔で、クラウスは職場のトップになった。男以上に敏感な女性達には、クラウスからにじみ出る内面の醜さが、幾度かの会話で簡単に見抜けてしまったのだ。そして、次第に客足が遠のく。
クラウスのふやけた頭の中では、ベイビーを自分が殺し、名をあげれば男娼館の人気も戻り、殺しの依頼で小遣い稼ぎも出来ると考えていた。しかし、その目論みは何一つとして話が進まない。そして、怒りの矛先を大介に、向けているのだ。
「ああ、くそっ! やる気が失せた! クソ女共の相手なんて、今更ちんたらできるかよ! くそっ!」
「あの、クラウスさん。客です」
「ああ? どこの馬鹿女だ? 今日は風邪で休んでるって、誤魔化して来い!」
「いえ、違うんです」
男娼館の二階にある事務所に、黒ずくめの男達が入ってきた。そして、クラウスに取引を持ちかける。
「クラウス様のお力は、かねがね伺っております。聞くところによると、ベイビーなる下衆を邪魔に思っておられるそうですね。そこで、私共が貴方様にお力添えを出来ればと思い、馳せ参じた次第です」
早口でしゃべった男は、先程までと違い、意識的に笑顔を作っている。爬虫類のような冷たいぬめりを感じた男娼達は、気持ち悪さから男達から一歩離れた。
だが、口角を上げたクラウスは、男達を招き入れる。
「面白そうな話じゃねぇか……」
****
男達が男娼館に荷物の搬入を始めた頃、要塞都市に異質な者達が集っていく。
エウロパでは最高級になる車輪のついた車が、バラバラに八台ほど中央塔へ向かっている。厳しい検問所で、車内にある全ての武器はいつもの様に一時預かりとなった。
眼光だけで死人が出せそうな者達が、車を降りて中央塔内部へ入っていく。案内をする女性達も、その人物達の圧力で冷や汗が止まらない。
「可愛い御嬢さん。そう、緊張せんでおくれ」
電動の車椅子で中央塔に入った白い眉毛とあご髭を伸ばした老人が、頭を下げる女性に笑いかける。頭頂部に毛が生えていないその老人は、一見すると人の良さそうな顔で笑っていた。
だが、取り巻きの厳つい男達と、ミスをすれば取って食われそうな目の輝きで、只者ではないと分かる。
顔を上げた女性は、緊張と恐怖で震えてしまい、うまく体を動かせないでいた。
「ワン! 女を虐めるんじゃないよ」
ワンと呼ばれた老人に続いて入ってきた、体格のいい中年女性が、眼帯をしていない右目で老人を睨む。
「うん? ファラか、久しいな」
アサルトとブラックジュエルのトップ二人は、息が出来ないほど凄まじい目線を交換した。
ワンの隣に立っていたアサルトの幹部や、ファラの後ろにいるナクサ達ブラックジュエルの幹部も、二人のやり取りを緊張しながら見つめる。
「相変わらず、色気もクソもないな。仕方ない。わしが、エスコートしてやろう」
「ふん! 結構だよ」
二人のトップは、並んでエレベーターに向かう。案内役の女性は、あわててその前に小走りに進んだ。
その少し後に、クロエを連れたバタリオンのトップ。そして、人金のボディーガード兼幹部を連れたキメラのトップが、中央塔へ入った。
要塞都市の中央塔にある会議室の円卓に、エウロパのトップ達が集まったのだ。
エウロパのトップや幹部には、親の権力を引き継いだだけの人物も、金だけで上った人物もいない。そんな者は、すぐに食い殺されてしまうからだ。それぞれが、信じられない修羅場を潜り抜けてきた人物達が集まる、その会議室は心臓発作を起こしそうなほど重い空気が漂っている。部屋に飲み物を運ぶ女性達の手は、小刻みな揺れを止められていない。
「いやいや、緊急招集に応じてくれて、感謝するよ」
円卓に座った山本だけが、笑ったままお茶をすする。
同じように真っ先にお茶を飲んだ肌の良く焼けた白人系男性が、サングラスを外した。そのサングラスを外すと、顔にいくつもの刃物でつけられた傷跡があると分かり易くなる。
憂いといかめしさのある顔を持ったその男性、カールは、バタリオンのトップだ。センター分けをした癖のある赤銅色の髪を持ち、トレードマークであるアロハシャツを着ている。
誰も山本へ返事をしないので、仕方なくカールが声を出す。
「で? 要件は何だ? 代表」
「俺達も、暇ではない」
カールの言葉に付け足しをしたのは、腕を組んでいた黒人男性、ハネスだ。
キメラのトップであるハネスは、顔にこれといった特徴はない。よく手入れされた髭が、口の周りを囲っているくらいだろう。だが、体格にはトップ達の中で一番特徴がある。身長が人金並に大きく、シャツとズボンがはちきれんばかりの筋肉を持っているのだ。
隣に並んだ人金の幹部よりも大きな体には、脂肪がほぼ全くついていない。常に眉間にしわを寄せ、物理的な威圧感だけならば、一番強いだろう。そのくせ、無理にスーツを着ているせいで、ボタンが常に悲鳴を上げている。
「まずは、これを見てもらおう」
山本が円卓に埋め込まれた操作パネルを触れると、部屋の明かりが消え、窓の金属カーテンが自動で降りる。そして、山本の背後に、写真らしき画像が表示された。
その画像には、あの黒ずくめの怪しい集団が映っている。
「侵入者だ。君達の力も貸してほしい」
端的な言葉で、山本は概要を説明した。
会議室にいる全ての人物が、それだけで状況を把握した。
「なるほどな。いいだろう。わし等も探してみよう。だが、費用はどうなる?」
ワンの言葉に、山本は説明の補足をする。
「この画像以外、足取りがつかめない。敵は軍の最新技術で、監視装置を誤魔化しているんだろう。つまり、対応するには、こちらもそれなりの武器が必要だ」
「なるほどねぇ。その武器を同じ数だけ配給して、回収しないって所かい?」
山本はにやりと笑い、ファラの言葉にうなずく。
「最新の魔法技術も取り入れた、なかなかの物が出来た。損にはならないはずだ」
「で? 奴等の目的は?」
カールの言葉で、山本の作り笑いが消える。そして、本性である鬼にも見える厳つい顔に変わった。
「多分、どこかのくそ野郎が、この星に戦争を持ち込もうとしている。こっちはこっちで、すきにやっているのに、迷惑な話だ」
久しぶりに本当の顔を見たトップ達が、声を出さずに笑う。ただ、その山本を初めて見る幹部は、驚きで固まっていた。
「この国を脅かす奴も、舐めた奴も、死ぬほど後悔させてやるのが、私の流儀だ」
山本は、ドームに似た要塞都市育ちである。だが、無法の星で代表につく人間が、ぬるま湯で育つはずがない。若いころは警備部と呼ばれる要塞都市の軍に所属し、組織のトップ達とも幾度となく命のやり取りをしていた。
「許可なく入ってきたのは向こうだ。ミンチの袋詰めにして、海にでも捨てようと思っている。異論は?」
トップ達は笑ったまま、首を左右に振る。そして、切り替わった画像に目を向けた。
そこには、エウロパの地図が表示されている。
「画像と足取りが掴めたのは、この三か所だ。多分、目的はこの街だ」
山本が操作パネルを触ると、地図上のある港町が赤く色を変えた。
それを見たクロエとナクサが、反射的にお互いの顔を見てしまう。そして、気まずそうに反対の方向へ顔を向けた。
「皆も分かっているだろうが、ベイビーにはうちから依頼を出す。そして、アジズにもだ。既に、うちの警備部が街に向かった」
山本は敵に奇襲をかけたいらしく、直接セリナが所属する警備部に依頼を持って行かせた。敵の技術力が分からないので、電話が盗聴されるかもと考えているからだ。
「面倒な事はとっととすませて、次の日の出は酒を飲みながら拝もう。これで、いいかね?」
二十分ほど武器の受け渡し方法や、分担地区を話し合っていた強面達は、山本の発した締めの言葉で一斉に立ち上がった。そして、手下へ武器を手配する指示をだし、アジズの酒場がある街へと向かう準備を進める。
人のいなくなった会議室で、山本が椅子の背もたれに体重を預け、険しい顔する。
大介達が中央塔を出て、すぐに山本は諜報部から侵入者の報告をうけた。すぐさま行動を開始したが、行動のロスが出たのは確かだ。大介がいる間に報告があれば、もっと効率的に動けた。
さほど問題にはならないと思える程度のロスだ。だが、戦場を生き抜いた山本は、嫌な予感を覚えていた。一つでもケチがつき始めると、戦場の流れは一気に悪くなる事がある。
山本はカーテンを上げた窓から、偽物の空を眺める。
要塞都市内も、画像は夜に変わっていた。
****
街に送り届けられた大介は、商店から木箱を担いで出てくる。箱一杯の魔力カプセルを、買い込んだのだ。
(やっぱり高いね)
(宇宙船も死ぬほど高いし、いつ買えるんだろうなぁ)
大介とグレムリンは、何時もの様に同時に溜息をついた。
その姿をユルゲンが、建物の陰から監視している。ユルゲンは前歯が折れており、呼吸のたびに空気が抜ける音がしていた。
……なんだろう?
万全の状態になった大介は、ユルゲンの視線を感じ取っている。だが、自分からは声をかけない。一定距離以上近づいてこないからだ。
ユルゲンの追跡は、酒場まで続けられた。大介は酒場の扉を開ける前に、振り返った。そこで、ユルゲンは来た道を引き返していく。
(なんだろう?)
(この街では、いかれた奴が多いからなぁ。気にするな、ブラザー)
大介が酒場に入ると、アジズがカウンターに座った客らしき人金と、会話をしていた。髭と髪から、その人金はアジズと同じ種族だと、大介にも分かる。
客は、その人金だけだ。シェールもいない。
「ちっ!」
人金は大介を見ると聞えよがしに、舌打ちをした。
(感じ悪いな。この野郎)
(人間が嫌いな人金は、エウロパにもまだ多いからね)
苦笑いを浮かべた大介は、そのまま自分の部屋へ向かう。
ただ、客である人金の背後を通り過ぎる時に、少しだけ小声の会話が耳に入った。
「……ます隊長。もう一度」
……隊長?
少しだけ気にしながらも、大介はその言葉に反応せず、二階へと戻った。そして、魔力カプセルをホルダーにセットしていく。
大介の部屋にはカシュン、カシュンと魔力カプセルをセットする小さな音だけが、数分間続いた。金属製の袈裟掛けベルトには新しいカプセルが装填され、バックパックの中へしまわれる。
そのベルトは、ショットガン用のシェルホルダーをイメージしたグレムリンが作った物だ。古式魔法を使う時の為に、仕事中は五本ほど常に持ち歩いている。
細かい仕事で肩がこった大介が、屈伸運動をする。
(あ、そうだ。お土産)
(鳥の形をしたまんじゅうか。どっかで見たデザインだな)
(えっ? どこで?)
(いや、まあ、気のせいだ)
ビニール袋に入った土産を持ち、大介は二階の手すりから身を乗り出して酒場を覗く。そして、先程の客が帰ったのを確認して、階段を降りる。
シェールもいつの間にか、カウンター内の椅子に座っていた。
「今日は、お客さんが少ないですね」
「こんな日もある」
カウンター席に座った大介は、アジズとシェールに土産を見せる。
(うわぁ)
(似合ってないね)
大介はそこで初めて、アジズがセリナのプレゼントしたカラフルなシャツを、着ている事に気が付いた。そして、笑顔が引きつる。
「で? 山本の野郎は、元気だったか?」
「えっ? アジズさん知ってるんですか?」
「俺もこの星は長いからな」
「掴みどころのない人でしたが、元気でしたよ」
大介達は箱の包み紙を破り、一つずつ包装されたまんじゅうの一つを食べ始める。
そこで、グレムリンが真っ先に異常に気が付いた。
(おい。おかしくないか?)
(何が?)
(箱と中身の大きさが、あってないぞ)
(上げ底じゃない?)
「あっ、これおいしいわね」
「確か、要塞都市の銘菓だと聞いたな」
大介は、まんじゅうを二口で食べ終えた。そして、箱に敷いてあったまんじゅうを固定する厚紙を、持ち上げる。
そこには、端末用のチップと、極薄の端末らしき物が入っていた。一緒に入っていたメモには、「リチャード・ロウより愛をこめて」と書かれている。
(しゃれた事しやがるな。あの、タヌキおやじ)
(えっ? もしかして、同性愛者?)
(ああ、お前はまだその辺は、馬鹿のまんまなんだな)
端末を持ったアジズが、鼻で笑う。
「あいつは、何時もこうだった」
「えっ?」
「戦いは、下準備が全てと言ってな。二手三手先を読んで、行動する奴だ」
大介は、アジズのようには笑えない。まだ、山本が信用できないからだ。
一度俯いて顔を上げた大介に、変化が起こる。大介の脳は、現在正常な状態とは言い難い。慢性的な睡眠不足による目眩や吐き気に頭痛は、日常の出来事だ。そして、常に意識の外へ追いやっているが、美紀を失った心の傷は脳に信じられないほどのストレスを与え続けている。
その結果として、脳は化学物質の過剰分泌を止めず、定期的に医療プログラムを起動させるほど、体が酷使されていた。ただし、それはマイナス面であり、プラスの効果もある。
精神が何をしなくても鍛えられ、加速状態を任意に引き出せる。そして、脳のリミッターが外れているせいで、限界に近い筋力を操ることができ、意識さえすれば神経が通常以上の情報を集めてくれた。
仮面の下にある大介の本能が危険を察知し、無意識で精神を加速させる。
まんじゅうに手を伸ばしたシェールと、カウンターの上に極薄端末を置いたアジズが、動きを止めた。正確には、加速状態の大介にはそう見える。
歯を食いしばった大介の目から、赤い稲妻が走った。
その大介はカウンター席から跳び上がり、カウンター内へ飛び込む。そして、飛び込みながら二人の胸元を掴み、無理矢理カウンター内に寝かせる。
何がおこったか理解できない二人が、驚いた顔をしていた。グレムリンも反応できておらず、端末内で飛び起きている。
大介の意識が戻ると同時に、店内の轟音が聞こえてきた。無数の弾丸が、酒場へと無作為に撃ち込まれている。それも、その弾丸には店を囲う金属板を貫くほどの威力があるらしい。
短い時間混乱していたシェールとアジズも、大介同様両手で首筋を隠し床に伏せている。
(よくやったぞ!)
(イチさん! 魔力は?)
(十分だ)
銃弾が止み、敵が逃げる気配を感じた大介は、カウンター内から飛び出した。そして、敵を追いかける。
……えっ? なんで?
ガトリングガンを持って走る男に、大介が何故か追いつけない。それどころか、距離が離れていく。
(うん? あ、あれだ! 足元!)
グレムリンの声で、走る男の足元を見ると、足跡が光っていた。踏み出した瞬間に一番強く光り、足を地面から完全に離すと消える。
(縮地の魔法だ!)
(えっ? 転移?)
(いや、本来の超高速移動魔法だ)
引き離されない様に全力で走った大介は、町はずれのスクラップ工場へたどり着いた。
「おいおい。やっぱり、俺はついてるぜぇぇぇ!」
(は?)
壊れた車が積まれている工場の裏で、大介は追いかけていた男を見失った。そして、男を探しながら歩いていると、少し開けた場所で、おかしな男を見つける。
それはスポットライトに照らし出された、クラウスだった。派手なキラキラ光る真っ赤なスーツを着たクラウスを、壊れた車の上にいる男娼達が支えたライトが照らしているのだ。
(悪趣味だね)
(ははぁぁん。こいつ、馬鹿だな)
「ベイビーをやる前に、お前を始末しておきたかったんだ。クズ野郎!」
スーツの上着だけで、シャツを着ていないクラウスは、その上着を脱ぎ捨て、恍惚の表情をしている。
それを、大介達は呆れたように見ているしか出来なかった。
(露出狂の人かな?)
(馬鹿な変態か、変態の馬鹿。それのどっちかだな)
「さあ! 土下座しろぉぉぉぉ! まあ、許さねぇえけどなっ!」
腰のホルスターから、リボルバー式の拳銃を抜いたクラウスは、大介に銃口を向けた。
……あれ?
(イチさん、あれって)
(ああ、弾丸は魔法だろうな)
クラウスは、わざと大介の隣に打ち捨てられていた車に向かって、引き金を引いた。ピンポン玉のような光る弾丸は、一トン以上ある四駆の車を一発で吹き飛ばす。
だが、爆音にも炎にも大介は動じない。
《アプランク》
「どうだぁぁ! これが、俺の……」
クラウスはその場に顔から倒れ込み、真っ赤な水たまりを作る。
車のボンネットから削り出したナイフを、クラウスの額に投げ終えた大介の目は、鋭さを失っていない。大介が見つめる壊れた車が三台積みあがっている陰から、赤いネクタイをした白い肌の男がゆっくりと出てくる。
睨み合う大介と男、そしてクラウスを見たユルゲンは、体が震えるほどの喜びを感じていた。嫌いだったクラウスが死に、殺したい大介がいる。そして、自分の手には弾の残ったガトリングガン。
大介の背後に、ガトリングガンを構えたユルゲンが飛び出した。
満面の笑みを浮かべてユルゲンが見た大介は、既に眼前に迫っている。
「は?」
ブッシュナイフを車から削り出した大介は、砲身ごとユルゲンの胸部を切り裂いた。
訳のわからないまま胸から血を流すユルゲンは、そのまま仰向けに倒れ、落ちてきた砲身に頭をぶつけて気を失う。
ユルゲンが持っていたのは、魔法を撃ち出す類の銃ではない。ガトリングガンタイプの魔法を撃ち出す銃は、個人装備用としては開発されていないからだ。
何故ならば、魔法は元々連射が内蔵端末の性能さえあれば出来るので、重いガトリングガンにする必要はない。つまり、ユルゲンが持っていたのは、二十世紀にはすでにあったのと同じ方式の、ガトリングガンだ。
それは、銃弾を発射する前に砲身が電動で回り始める。その音が大介に敵の位置を教え、斬り込むのには十分な時間があった。大介は即座に対応し、迷わずにナイフを振るっただけだ。
ユルゲンに止めをさそうとした大介だが、それを後回しにする。白い肌の男から放たれる雰囲気が、大介に余裕を与えないのだ。
男娼達は、クラウスとユルゲンを見て、既に逃げ出している。喧嘩が出来ない者が、男娼になる事が多い星なので、仕方がないと言えるだろう。
「これは、予想以上にお強いですな。少々見くびっておりました」
(こいつ、まだ何か隠してるね)
(ああ、気を抜くなよ)
(うん)
大介に返事をしながらも、グレムリンは男の顔を凝視していた。戦いの為ではない。
人間とは違うグレムリンの頭が、その男を記憶していると言っているからだ。だが、それがどこだったか思い出せていない。
「私が真面目に、お相手しましょう」
男が胸ポケットから端末を出したのを見た大介は、すぐさまナイフを振り上げて飛び掛かった。しかし、そのナイフの刃は、男が展開したフィールドに阻まれ、空中で止まる。そして、男が抜いたハンドガンから、魔法の弾丸が大介に向かって飛び出した。
空中でナイフが固定され大介は、動くことが出来ない。全てが緩やかに動く中で、迫ってくる弾丸が大介にはっきり見えている。だからと言って、大介自身は、弾丸ほど速く動く事は出来ない。そして、グレムリンもフィールドを展開する時間はない。
……こんな、こんな所で!
****
大介に弾丸が迫っているのと同時刻、アジズの酒場に警備部の車が到着した。
「お父さん!」
「ああ? セリナ? どうしたんだ?」
「どうしたんだって、これ。無事? これは何?」
ガトリングガンで荒らされた店舗を、セリナがきょろきょろと見回している。
だが、アジズは特に焦りもせずに、壊れたテーブルを片付けていた。シェールも床を箒で掃除している。
「この星なら、珍しくない事だ。けが人もいないし、大丈夫だ」
「そう。大介くんは? ゴミ捨てか何か?」
「ん? まあ、そんなところだ」
「そう。よかった」
手を止めたアジズは、娘の前に立つ。
「それよりも、どうしたんだ? そんなに同僚を引き連れて」
セリナは一人ではない。十人の同僚と、店にきたのだ。
「ベイビーさんに急ぎの仕事なの。山本代表から」
「聞こう」
山本の名を聞いたアジズが、被害を受けていないテーブルへ、セリナを誘導した。シェールも壊れていない椅子を、そのテーブルに並べていく。
組織のトップ達が聞いた説明を、アジズも聞いた。そして、セリナと二人暮らしをしていた頃の顔に戻っていく。
「お父さん。こんな事に巻き込んで、ごめん」
「気にするな。これが、俺の仕事だ」
セリナの同僚達がトランクから武器を取り出し、店に運び込んだ。それを、アジズとシェールが手に取る。
「えっ? シェールちゃんも?」
「この小娘を甘く見ない事だ。何せ、戦士の一族だからな」
「大丈夫です。これでも、それなりには働きます」
身長が成人女性と同じほどになったシェールは、人間の男性をあらゆる点で上回っている。何より人金にとっては地獄と変わらないガルーラで育ったシェールは、戦闘自体に慣れているのだ。
その上、幼少時よりムハドに鍛えられ、エウロパに来てからも大介と共闘した経験を持つ。日頃は優しい性格から、人に手を上げないが、人間により戦争が持ち込まれたと聞き、覚悟を決めたのだ。その目には、迷いがなくなっている。
アジズとシェールは、セリナ達と打ち合わせをした。そして、急ぐべきだと判断したアジズが、カウンターに大介宛てのメモを残し、店から出る。
既に組織の人間達は、街の中に散らばった敵を見つけ出していた。街のいたる所で、戦闘が始まる。
人数で有利なエウロパの人々だが、皆顔をしかめていた。毛を生やしてない男達は、新兵器の力で事を優位に進めている。普通の銃弾や刃物は侵入者である男達まで届かず、魔法の弾丸を受けた組織の人間は一発で破裂していく。
その上で、敵は重力制御型の戦闘用機体を三台も持ち込んでいた。学生時代の大介が、炎の巨人で捻り潰したのと同じ機体だ。魔法の砲弾を放つその機体は、街と人々を虫けらのように踏み潰していく。
戦闘機までは予想できていなかった組織の人間も、見る間に数を減らしていく。
大介が住んでいる街は、戦場に変わったのだ。そして、エウロパの人間は勝ちの見えない戦いを、強いられる。
狂った異質の集団によって。