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五話

 戦争とは、人間が生み出したもっとも愚かな行為の一つである。

 その結論は、大昔に出ていた。しかし、人間は呪われた業から逃れられないでいる。

 平和と自由を求めて革命軍が、武器を取った。惑星連合に罪を償わせるために。帝国軍の参戦により、戦場はより激化した。

 安全な椅子に座っているのは、権力を持った指導者達であり、平和をもっとも望む民衆ではない。戦いを強要された兵士達は、悪夢のような戦場で、命を散らしていく。エウロパに住む人々の様に、自分の利益を求めて、己で責任を持つ覚悟もなしに、敵を殺す。

 緊張状態の続く戦場に、遅行性の毒にも思える緩やかな変化が起こり始めていた。人々が求める本当の平和をちらつかせ、水面下から表舞台へ新たな勢力が鎌首をもたげようとしている。疲れ切っていた人々は、自分の居た軍を離反し、甘く魅力的な正義の御旗に集う。


 データを見た舟橋は、眼鏡を外した。そして、眉間を指で強くつまむ。見ていたデータには、軍からの離反者リストが映し出されている。

「ふぅ、諜報部や秘密警察も役に立たんな」

「そうですね。でも、気持ちは分かります」

 舟橋は、門倉が出したコーヒーに口をつけた。そして、眼鏡をかけなおし、部屋を見回す。

 十畳ほどの部屋に特に目立った物はない。自分と秘書用の、コンピューター一体型デスクと幾つかの棚があるだけだった。全ての指示がコンピューターから出来るので、それだけで十分なのだ。

 出入り口とデスクまでの広いスペースは、部下が報告の為に立つスペースでしかない。椅子が高級な物に変わった以外は、教師時代とほとんど同じだ。

 戦争の混乱でさらに出世した舟橋は、最前線のドーム内に最高司令官として座っていた。

「これで、あの悲劇の代表候補生は、お前だけになったんだな」

「はい」

 大介が脱出した、あの第四メインドームから助け出された代表候補生達は、真っ先に戦場へと送り込まれた。元々選りすぐられた者達だけあって、開戦直後の主戦力となったのだ。

 だが、未熟な彼等は、すぐに戦場の重圧で精神を病んでしまう。そして、八割の者が戦地から帰ってこられなくなった。ただし、二割は生き残ったのだ。

 最新武器を使いこなし、特務部隊だった大介にも引けを取らないほどの活躍を見せた。しかし、ある時期からどんどん離反者が出始め、残ったのは門倉だけになっている。

「お前は、裏切ってくれるなよ?」

「貴方が私を大事にしてくれる間は、裏切りませんよ」

 二人しかいない部屋。指でかき上げた髪を耳に乗せた門倉は、舟橋に唇を近づけた。

 お互いの服を脱がせていく舟橋の前には、離反者達のリストがまだ表示されている。その中に、浜崎、霧林、春川の名前もあった。

 舟橋は知らないが、代表候補者離反の原因は、春川なのだ。裏の事情を知っている春川が、他の者達よりも余裕があったのは一週間程度だった。大介のいなくなった春川を舟橋は利用価値なしと判断し、余裕のなくなった取り巻きの男子生徒達から邪魔者扱いされ始めたのだ。理由は驚くほど簡単で、知恵も力もなかったからだ。

 門倉と霧林は女性である不利を、知恵でカバーした。浜崎達は、その身体能力を戦場でいかす。だが、凡人でしかない春川は、自分の体を使っても、何の点数も稼げなかった。

 そんな春川に目を付けたのは、まだ水面下にいた組織だ。


****


「えっ? 春川か?」

「あら? 誰かと思えば、安岡じゃない」

 その日安岡も、自分を助け出してくれた革命軍から離反し、新たな組織へと加入した。

 そこで安岡が見た春川は、派手な化粧をして目立つ服を着ており、以前とは違う種類の取り巻きを連れていた。

「あんたなんかじゃ、すぐ死ぬでしょうけど。せいぜい、頑張りなさい」

「なっ!」

 組織の兵士に宇宙船を案内されていた安岡は、春川を睨みつけた。

 まだ安岡の中で、春川を好きな気持ちは変わっていない。しかし、雰囲気が変わった春川は、安岡を見下し鼻で笑う。

 自分より弱かった者のこの行動に、安岡は怒りを隠せない。

「はっ? あがぁぁぁぁ!」

 安岡の目を見た春川が、取り巻きの一番大柄な男に顎で指示を出した。すると、二メートルをこえる大男は、安岡の顔面を片手で掴み、そのまま持ち上げる。

 足をばたつかせる安岡は、激しい苦痛から逃れようとした。だが、安岡がいくら暴れようが、大男は掌で掴んだ顔面をはなさない。それどころか、指先にどんどん力を加えていく。

「もういいわ」

 安岡が失禁しながら気を失ったのを見て、春川が大男を止める。そして春川は、床に倒れた安岡に唾を吐きかけ、顔を蹴りつけた。

「このゴミを、掃除しておいて。よろしくね」

 ウインクした春川に、兵士は敬礼で応える。

 これが、惑星連合を離反して一年以上の時間を過ごし、地位を手に入れた春川の姿だ。

 彼女は今日も、心の脆い兵士を見つけ、勧誘する。甘い魔性の笑顔で。


 人間と人金を飲み込んだ大きな流れは、次の段階へと移行する。それに気が付いた者は、まだ少ない。


****


 編み笠をかぶったランニングシャツ、短パン姿の男性は、船をチェックする。筋張った腕で後頭部を掻くその男性は、溜息をついて大介を見た。

「お前これ、予備のバッテリィ全部駄目にしやがって、モーターも焦げ付いてるぞ」

「すみません。修理代は酒場の僕宛に、請求してください」

 船の持ち主である痩せて白い髭を生やした男性に、大介は頭を下げる。

「買い直した方が、安く済みそうだ。百万請求するからな」

 笑顔を崩さずに、大介は問いかける。

「本当は?」

(お前、本当に慣れてきたなぁ)

(だって、こんな船に百万の価値はないよ。迷惑料で少し多めに渡してもいいけど、百はない)

 照れたように笑う持ち主が、息を吐く。

「はぁ、五十万請求する。おっと、勘違いするなよ。漁に出られない分も含めての値段だから、これは正当だぞ」

 笑いながらうなずいた大介は、もう一度頭を下げて、桟橋に降りる。その足元は、まだ少しふらついていた。

「大丈夫か? よかったら、少しうちで休んでいくか?」

「ありがとうございます。大丈夫です」

 大介は船着き場に置いてあった、フィンなどの道具を入れたバッグを担いだ。片手に持った瓶の炭酸水を飲みながら、力なく大介は酒場に向かって歩き出す。

(急作りだが、医療プログラムで何とかなったな)

(脱水症状って、最悪死ぬって言うし、助かったよ。イチさん)

(もっと感謝してもいいぞ。ブラザー)

(はいはい)


 ふらつきながら店に向かう大介は、街の人々に声をかけられた。

「おい、小僧。大丈夫か?」

「あら? どうしたの?」

「おっ。アジズんとこの……どうした? 顔色悪いぞ?」

「なんだい? 何かあったのかい? うちでちょっと休む?」

 自分が軽い脱水症状であると説明した大介は、飲み物を両手に持っていた。説明した相手の、約半数が何かしら飲み物をくれるのだ。

 すでにお腹は、水分でタプタプになっており、飲み物の缶や瓶はかなりの重量があった。その上、自分が脱水症状だと喋るのにも嫌気がさしている。それでも、無視することが出来ず、大介の笑顔が引きつった。

 街の住人は大介を気遣い、一方的な厚意を向ける。それは、ベイビーとこねが出来ればと思っての行動だと、大介にも理解できていた。


「あの芋臭いのが、そうか?」

「はい。調子に乗ってるんですよ」

 猫背になった大介を、屋内の飲食店にいるクラウス達がガラス越しに見つめていた。彼は取り巻きの男娼二人と、ユルゲンを連れて食事をしている。

「確かにベイビー以上に、むかつくな」

 ユルゲンは、クラウスをたきつけたのだ。

「何だ? 何であんなクソが、いい思いしてやがるんだ? ああ?」

 クラウスに頭を叩かれたユルゲンは、笑った顔を崩さない。そうしなければ、怒りの矛先が自分に向くからだ。

「ベイビーさえ始末しちまえば、あんなクズ。すぐに死体になりますよ」

「ふん! 腰ぎんちゃくのくそ野郎か」

「ベイビーの仕事も、あのクズが全部下準備してるそうですから、あいつだけでも始末すれば……」

「おっと……」

 ソファーに大股を開いて座っていたクラウスが、飲んでいたビール瓶を、テーブルに置いた。そして、ユルゲンの言葉を聞かずに、店に入ってきた客に歩み寄っていく。

「ミランダさん。お食事ですか?」

 クラウスは先程までのチンピラに見えた顔が消え、愛想のある笑顔で女性に声をかけた。それを見た細身の黒人女性は、溜息をつく。

「ああ、クラウスか。何?」

「冷たいなぁ! 最近、店にも来てくれないしぃ」

 クラウス達がいる店は、街の中でも高級な部類にはいる。オーナーはバタリオンとも肩を並べる組織「キメラ」で、裕福な者以外は利用できない。

 クラウス達が出入りできるのは、男娼館もキメラの一部であり、構成員として数えられているからだ。組織への上納金の額が高い事もあり、クラウス達は金銭的に特別裕福な訳ではない。

 彼等と違い、バンダナで髪を纏めたそのミランダは、着ている服の生地や身に付けた貴金属を見ても分かるほど裕福な人間だ。クラウスにとって、上客だった。

「気が向いたら、また行ってあげるわよ」

「はいぃ。待ってま……」

 不機嫌そうに、目線をそらしたミランダの顔が変わる。そして、クラウスの言葉を最後まで聞かずに、店の外へ走り出していた。

「大介。どうしたの? 顔色が悪いじゃない」

「いえ、あの、色々ありまして」

「何々? 私に話してみない? ベイビー関係?」

「その、まぁ、そんなところです」

 ニコニコとした表情のミランダは、店に向かおうとする大介の行く手を阻む。そして、大介より身長が高いわけでもないのに、わざと胸元を見せるようにかがんだ。

「この前頼んだ、お願いはどうなってる?」

「いえ、その、ベイビーはデートとか無理です」

「じゃあ、大介はどう? これから、一緒に食事しない? おごってもいいわよ」

「仕事中なんで、また今度」

 大介はミランダを避けるように、歩き出す。それを血走った目で見るクラウスとユルゲンの事は、気が付けない。

(この星は本当に、凶悪肉食超獣だらけだな)

(まあ、男が少ないからね)

 エウロパの要塞都市を除いてしまうと、人口の七割が女性だ。人間のベースは女性であり、男性は生物として幼少時は病弱な事が多い。生まれてくる人数自体に極端な違いはないが、環境が厳しく育ち難いのが現状だ。

 その上で、成人してから争いの場に出てしまう男達は殺し殺され、結果として女性の人口だけが増えている。さらに付け加えれば、生き残れる強さを持ったまともな成人男性となると、全人口の二割に満たない。


****


「戻りましたぁぁぁ」

「あっ、お帰り。あれ? 顔色悪くない?」

 シェールに無理矢理作った笑顔を向けた大介が、カウンター席に座り、突っ伏した。

 それを見たセリナとアジズが、大介に近付く。

「大丈夫? やっぱり駄目だった?」

「いえ、見つけました。ただ、船が故障して、ちょっと脱水症状に」

 大介の返事を聞いたセリナの同僚二人も、大介に駆け寄ってくる。そして、大介の話の続きを待つ。

「で? 生存者はいた?」

「いえ、死んでました。説明しますけど、ちょっとだけ休ませてください」

「あ、そうね。ごめん」

「ほれ」

 アジズが差し出した氷嚢を受け取った大介は、目を閉じて回復を待つ。端末内の治癒プログラムは、今も正常に動作している。それでも、まともに喋れるまで、半時間ほど必要だった。


 大介から座標と状況を聞いたセリナ達は、驚きで固まっている。

「信じ難いでしょうけど、嘘じゃないんで確かめてきてください。報酬はそれからでいいです」

 水の入った桶に両足をつけ、額と首筋に氷嚢をタオルで縛り付け、栄養剤を飲んでいる大介は、淡々と説明を済ませた。そして、座っていた椅子の上で、体の力をだらしなく抜く。

(肉体って、マジで邪魔じゃねぇ?)

(それから解放されたら、死んじゃうよ)

 ぼんやりと地図を眺めていたセリナが、顔を上げ我に返る。

「大介くん? 大丈夫なの?」

「はぁ、すみません」

「あの、ベイビーさんは?」

「あ、そっちも無事です」

「ちょっと、こっちで整理させてね」

 返事を聞いたセリナが、同僚と小さな声で相談を始める。

 大介はその間に、アジズへ壊れた船の請求がくる事を説明した。一時真っ赤になっていた大介の顔色は、やっと元に戻り始めている。

「あの、侵入の為に、信号がいるのよね?」

「あっ、はい。端末にプログラムをコピーしてますから、データチップか何かありますか?」

「端末用の? 持ってないわ。あっ、ちょっと上司と相談してくる」

 目の力が多少戻ってきた大介は、店内の据え置き電話へと向かうセリナの背中に返事をした。

「はい」


 電話で上司と喋っていたセリナは、氷嚢を外して足を拭く大介を手招きする。

 事情が分からない大介は、無言で自分を指さす。それを見たセリナの頷きを見て、電話口へ向かう。

「上司が話したいって」

「はぁ、じゃあ。もしもし?」

{始めまして、寺崎大介くん。いや、ベイビーくん}

「なっ?」

{私はリチャード・ロウ。今、この星の責任者をやっている者だ。まあ、お飾りの責任者だがね}

(リチャード? 偽名だな)

 大介の眉間に、深いしわが出来る。目線もセリナから見えなくしているが、殺気のこもったものへと変わった。

{ああ、勘違いしないでくれ。悪い様にするつもりはない。ただ、少し直接喋りたいんだ}

「直接、ですか?」

{そうだ。要塞都市へ、客として来てほしい。この星で今後も幸せに暮らしたいなら、従った方が私はいいと思うぞ}

 鋭いままの目線を、大介はグレムリンのいる端末へと向けた。


****


 五時間後、大介はセリナ達の車に乗って、要塞都市へと向かった。用心して、戦闘スーツは鞄に入れてある。

(大昔の人間も照合できるほどだ、惑星連合と裏で繋がってるかもしれないな)

(面倒なことにならないといいんだけどね)

 重力制御型の車の後部座席で、大介は腕を組んだ。

 運転は、セリナの同僚がしており、セリナ自身は大介の隣に座っている。

 目を閉じた大介は、グレムリンと何とかリチャードの思惑を見抜こうとしていた。だが、情報が不足し過ぎて、結論が出せない。グレムリンも、対策プログラムを組めずにいる。

(僕を軍につき出す? いや、利用する?)

(軍でお前は、一兵士だ。つきだしても、たいした見返りはないだろうな。利用するったってなぁ)

(分からないね)

 セリナは、日頃と違う大介の雰囲気に、落ち着かない。何度も後部座席で座り直し、咳払いをする。

 だが、大介は二時間の移動で、一度も口を開かなかった。それだけ、リチャードの事を警戒して真剣に悩んでいるのだ。


 要塞都市を囲う巨大な金属の壁が、夕日で鮮やかなオレンジ色に染まっていた。

 大介が元住んでいたドームよりも、大きな土地を囲ったその壁の周りには街がある。ブラックダイヤの女性が入院した病院や、商店街がいくつもある大都市で、アジズの酒場がある街の五十倍近い規模だ。

 その星で、まともな生産活動をしているのは、要塞都市と周りの隣接街のみなのだから、その大きさは当然と言えるだろう。アジズの酒場がある街を含め、エウロパには大小五十ほどの街や村があるが、工場と呼べるような場所はほとんどないのだ。地道にやっていても、奪われてしまうのだから当然かもしれない。

 星一番の大都市であるその場所に、大介も何度かは足を運んだことがある。

 だが、それは隣接街までで、要塞都市内部には入った事がない。友希の様にそれなりの理由があるか、セリナの様に資格を取得しなければ、中に入れないのだ。


 壁の入り口を、大介達が乗った車が通過する。外壁は五百メートルもの長さがあり、三度の検問をくぐって、やっと都市内部へ入る事ができた。検問所には、武装した兵士らしき者達が大勢いる。それを見つめる大介達は、容易に逃げ出せないと感じていた。

 だが、リチャードの要請を断っても、いい結果が出るとは思えない為に、仕方なくついてきたのだ。

(なるほどなぁ)

(ドームそっくりだね)

(いや、ここは、ドームなんだろうよ。多分、宇宙船なんじゃないか?)

 都市内部は、ドームと似たつくりになっていた。地面は金属でできており、空は偽物の画像が映し出されている。

 大介はいたドームと大きく違うのは、土を多く持ち込んでいるようで、公園や街路樹が多い事くらいだ。円柱のマンションやビルが、数えられないほど偽物の天井に突き刺さっている。

 車道には重力制御型の車が行き交い、歩道にも大勢の人間や人金が歩いていた。歩いているほぼすべての人が、セリナ達と似た服装をしている。職業か身分によって制服は分けられているらしく、服の色はさまざまで細部に違いはあるが大介からするとほとんど同じに見えた。

 要塞都市の中心部らしき場所に、一際大きな丸い柱が立っていた。その前で、セリナ達の乗った車が停車する。

「あの、大介くん?」

「はい?」

「ここなんだけど、私達はこの中へは入れないのよ」

「分かりました」

 後部座席の足元から、デイパックを拾い上げて背負ったTシャツ姿の大介が車を降りる。そして、ポケットに手を入れ、入口らしいガラスの自動ドアへ向かった。


「何か、聞いてた感じと違いますね。彼」

 大介を見送ったセリナの同僚が、口を開く。

「うん。日頃は、もっと優しい感じなのよ。でも、部長から事情を聞くなって言われたけど、何かあるのかな?」

 大介が建物に入るのを見送ったセリナ達は、体から力を抜いて、自分の職場へと帰っていく。知らない間に大介から漏れたピリピリとした空気は、三人に圧迫感を与えていた。

 大介が、ベイビーとして働く前に知り合っていたセリナは、少しだけ顔が暗くなる。そして、何度も自分の髪を撫でつけて、溜息を吐き出す。

 一年以上前になるが、セリナは腰まであった長かった髪を、就職の面接の為に肩へかからないほどに切った。それを見た大介が、よく似合うと言った事をセリナは思い出しているらしい。

 仮面が外れかけた大介を見て、セリナは少なからずショックを受けたようだ。だが、アジズの娘である彼女は、すぐに気持ちを元に戻す。そして、上司への報告内容を、頭の中で整理し始めた。


 セリナが自分のオフィスへ帰り着く頃、大介は中央塔と呼ばれるエウロパの中心地で、エレベーターの中にいた。ピンク色の制服を着た女性が、大介を案内している。

(三十階か、窓やぶって逃げる訳にもいかねぇな)

(飛び降りたら、死ぬよね)

 緑の絨毯がひかれた廊下を、女性について進む。

 壁は金属で、通路の両側にはいくつもの扉が並んでいた。明るい建物内は、宇宙船と言うよりも、グレムリンに地球の会社を連想させる。

「入りたまえ」

 応接室と書かれた扉をノックした女性に、中の男性が返事をした。声でそれが、リチャードだと大介には分かる。

 女性が開けてくれた扉を、大介がくぐり、部屋の中へ入った。

 室内は通路と同じ絨毯が敷かれており、壁は木目調になっている。そして、部屋の中央に二つのソファーと、ガラスの机が置かれていた。

 ソファーから立ち上がった髪に白が多く混ざった男性は、大介を笑顔で迎える。

 大介の背後で、扉の閉まる音がした。どうやら、女性は同席しないようだ。

「待っていたよ。寺崎くん」

「はぁ、どうも」

「まあ、座ってくれ」

 リチャードに促さるまま、大介は相手の対面の位置にあるソファーへ座った。それを見たリチャードは、壁につけられていた内線電話で、飲み物を依頼している。

 リチャードは恰幅のいい男性だ。服は色違いの白ではあるが、セリナ達とほぼ同じデザインのものを着ている。その服の胸には、階級章らしきバッジがついていた。

 リチャードが受話器を置き、ソファーに座ると、すぐに扉が開く。そして、先程とは別の女性が、大介とリチャードの前にお茶らしき物を置き、頭を下げて部屋を出る。

(早いな)

(そうだね。既に準備してあったのかもね)

「遠慮せずに、飲んでくれ。もちろん、毒は入ってない」

 熱そうなお茶を一口すすったリチャードが、大介にも勧めてくる。

 人に騙され過ぎた大介は、飲み物には手を付けない。そして、まず気になっていた事を聞く。

「お名前を、教えて頂けませんか?」

「リチャードと名乗ったはずだが?」

「貴方は、身元不明遺体か何かですか?」

 大介は、グレムリンから聞いて知っていた。地球のある国で、身元不明遺体をジョン・ドゥかリチャード・ロウと呼んでいた事を。

 さらに、リチャードは明らかに、大介と近い人種だ。絶対とは言い切れないが、親はリチャードと名前を付けないのではと、推測できた。

 湯呑を置いたリチャードが、にやりと笑う。

「なかなか博識だね、君は。すまない。君のベイビーにあやかっただけだ。深い意味はない」

(多分、嘘じゃないな。だが、食えないタイプだ。気を抜くな)

(うん)

「本名は、山本公一郎やまもとこういちろう。改めて、よろしく頼む」

 警戒しながらも、山本が差し出した手を大介は握り返した。

「で? ご用件は?」

「言っただろう? 短期間で仕事を済ませてくれた君に、直接会ってお礼が言いたかっただけだ」

(なんか、わざとらしい喋り方する奴だな。この笑顔も、嘘くせぇ)

「それを信じろと?」

 目を閉じた山本が、肩を揺らしながらかすれた小さな声で笑う。

 怪しさしか感じない山本に、大介の目が細くなっていく。グレムリンも端末の中から、注意深く観察していた。

 山本は糸の様に細い目と、笑いじわをいくつも刻んだ人の良さそうな顔をしている。だが、大介とグレムリンは笑顔で近づいてくる者を、簡単には信用しない。

(怪しいオーラが見えるんだけど、気のせいかな?)

(疑心暗鬼か? でも、俺のセンサーも気を許すなって、言ってるんだよなぁ)

 笑いの落ち着いた山本が、腰にあるポケットの中に手を入れた。そして、端末用のチップをテーブルに出す。

「まずは、忘れないうちに、信号データを貰っておこう。これは、報酬も払うのだから、拒否しないでくれよ」

(イチさん。いい?)

(一応、ガードしてスキャンする。差し込め)

 グレムリンに確認を取った大介が、自分の端末にチップを差し込んだ。そして、座標データをコピーして、差し出す。

「この星で、その信じない心は大事だろうが、少しは信用してほしいものだな。これでも、君達を住まわせている側の人間だぞ?」

 ソファーで前かがみになり、何時でも動けるようにしている大介に、山本は呆れたように鼻息を吐く。そして、胸ポケットにしまってあった自分の端末を取り出した。

「端末?」

「そうだ。要塞都市でも、限られた人間だけが、これを持っている。ただ、見せたいのは端末ではない」

 端末に映し出された映像を見て、大介が顔をしかめた。

 ベイビーとして働いた際に、ヘルメットが脱げてしまった事が幾度かある。その映像は、その時の物だ。大介の顔がはっきりと映っている。

(この時は魔力に余裕がなくて、監視カメラまで気が回らなかった。くそっ。すまん)

(仕方ないよ、イチさん)

「そうかまえないでくれ。今にも、殴りかかられそうだ。君に勝てるほど、私は強くないぞ」

「もう一度聞きます。ご用件は?」

 首を左右に振った山本は、お茶を飲み干した。そして、細かった目を少しだけ見開く。

「本当に、君と直接会いたかっただけだ。私がこんなくだらない事で嘘をつくほど、小物だと思わないでもらいたい」

 眼光が大介に負けないほど強くなった山本の目を、グレムリンが見据える。

「本当に、それだけなんですね?」

「ああ、そうだ。君の実力は、色々な組織の幹部から聞いている。だから、今後私も依頼をする事があるかと思ってな。それだけだ」

(嘘じゃなさそうだな)

「分かりました。すみません」

 目線を外した大介は、そこで初めて出されたお茶に口をつけた。それを見た山本の目尻が下がり、眼光の鋭さが消える。


「うちのご先祖様はな。大昔に、君が生まれた国で、研究者をしていたんだ」

 そこから大介は、エウロパの歴史を教えられることになった。山本の会話を無理矢理止めることも出来ず、少しだけ首を傾けたまま、全てを聞かされる。

 かなり権力のある研究者だった山本の先祖は、自由人で趣味人で変人だったらしい。山本曰く、変人だったが本当の天才でもあったそうだ。

 犠牲者だらけになる、各国のやり方が気に入らなかったその先祖は、人金や犯罪者等、関係なく賛同してくれる人を連れて、ドームごと逃げ出したらしい。そして、各国からの妨害をかなり受けたらしいが、エウロパに根を下ろし、発展させた。

「この国にも、独自の兵器技術はあってね。今もたまにちょっかいをかけられるが、何とか跳ね除けている」

「はぁ」

「つまりは、君の力も必要になったら、貸してくれと言う事だ」

(こいつ馬鹿じゃねぇのか?)

(話が長いね。一言そう言ってくれれば、よかったのに)

「分かりました」

 突然立ち上がった山本は、両手を後ろで組んで窓際に向かう。

「うちの家訓は、大事な物でも固執しない。命に代えてまで守る物などないだ。自由人らしい発想だろう?」

(こいつの先祖も、痛い奴だったのか?)

「だが、私はこの星が、命よりも大事だ。だから、君のような力のある者の助けが欲しい」

「はぁ」

 窓から街を見下ろしていた山本が、大介に向き直る。そして、問いかけた。

「この星の四大勢力を知っているかね?」

「バタリオン、ブラックジュエル、キメラ、アサルト。ですよね?」

「そうだ。その全組織のトップと、幹部は全員私の友達でね」

 脅しにしか聞こえないその言葉で、大介はさらに首を傾けた。

 ただ、グレムリンは意図が読めたらしく、怪しく笑う。

「早い話が、私は力ある者と出来るだけ多く手を結んでおきたい。君は、その結びたい相手の一人だったというわけだ」

(おい)

(えっ? 何?)

(俺の言葉を伝えろ)

 大介は、グレムリンの言葉を、そのまま伝える。

「あの、力を集めてるのは、この星を平和にしたいってだけじゃないんですよね?」

「その通りだ。戦争がおかしな方向に向いているのは、知っているかな?」

「膠着状態だとしか」

 山本はソファーに座り直し、大介に笑いかけてくる。

「まだ調査中だがね。戦場におかしな流れがあるんだ。その流れは、この星にも影響を与えるかも知れなくてね。それで、念の為にってところだ」

 言葉の意味が全て分かったグレムリンは、胡坐をかいて座る。そして、うんうんと何度もうなずいた。

「一方的に手を貸してほしいとは言わない。こちらからも、君に助力はしよう。これで、全部だがどうかね?」

(イチさん?)

(俺はいいと思うぞ。何もなくても、長いものにも少しは巻かれとけ)

「はい。分かりました」

 大介の返事で、山本は再度手を差し出した。大介も再び握り返す。

 先程の握手とは意味が大きく違うとは、大介にも分かっている。だが、グレムリンほど山本の真意を読み解けてはいない。そして、それがどんな結果を生みかも。


 要塞都市の銘菓を受け取り、山本の部下が運転する車で大介は自分の住む街へ帰る。車の窓から大介が眺める景色は、夜に変わっていた。


 これからは、長い長い闇の時間だ。

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