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四話

 人間に作り変えられた星に、雨が降っていた。

 太陽からの日差しは、その熱により地表や海面にいる水を気体へと変える。水蒸気となった多くのそれらは、大空へと舞い上がってく。上空の冷たい空気に冷やされ、仲間と手を取り合った水は、雲を作り出す。そして、一斉に元居た場所へ、降り注ぐ。


 娼館で若い脱走兵達が無駄に命を散らしてから、数時間後に降り始めた雨は、まだ続いている。本来昇っているはずの太陽は、厚い雨雲で姿を見せない。

 街を歩く住人の服装には、若干の変化がある。長い長い夜と雨で、気温が低くなり、肌の露出度が下がっているのだ。

 露店はほとんど出ておらず、いつも道にまではみ出していた食堂の机は、折りたたんで店内に立てかけられていた。心なしか笑っている人も少ない。

 ただ、それだけで休みになるほど、仕事は甘くない。海岸沿いの港を中心にして東西に伸びた街の、東側に娼館がある。青いレインコートを着た男性達が、その娼館に荷物を搬入していた。

 建物の中では、改装が急ピッチで行われている。信二達によって、営業できない状態にされたからだ。

 手が付けられているのは、建物内部だけではない。金属パイプで組まれた矢倉とビニールシートが、建物全体を覆っている。そのシートの内部では外壁がペンキにより色を変え、新しいネオンが取り付けられていた。

 クロエと店のオーナーの判断で、全面改装をしているのだ。その資金は、友希達が隠れ家にしていた宇宙船を売り払って、賄われた。


 娼館とは逆の位置にあたる西側に、一つの店がある。娼館とは男性が金銭を払い遊ぶ場所だが、その店は女性が対価を払う店だ。働いている従業員が男女の違いはあるが、提供しているサービスは同じである。

 ただ、女性側の求めるサービスは、精神的な面が重視され、働いている男娼達のストレスは、娼館よりも大きいらしい。そんな中で、性格が歪まないほうが不自然だろう。

 指名客の少ない男娼は、その性格が歪んだ者達の虐めの対象であり、奴隷の様な生活を送っていた。

「ふぐぅ! ぎゃん!」

「お前、見てるだけでむかつくから、消えろ」

 男娼館の裏口から、顔の形が変わるほど殴られた男が転がり出た。

 その男を館の外へ蹴り出したのは、店でトップの人気を持っている男娼だ。ゲルマン系の作り物に見える綺麗な顔と、無駄な贅肉が全くないしまった体を持つその男娼の名は、クラウス。サラサラの金髪は染色で、碧眼はカラーコンタクトだ。

 目立つ貴金属を身に着け、胸元までボタンがないシャツを着たクラウスは、倒れたまま鼻血を流す男に、つばを吐きかけて店内に歩き出す。取り巻きのクラウスと一緒に男へ暴力を振るった男娼達も、扉を閉めて仕事に戻った。

 倒れたまま流れている雨水に、鼻血と涙を垂れ流すその男も、男娼だ。だが、見た目がぱっとせず、喋りも人を惹きつける物がないので、指名が全くない。

 泣き続けても助けてくれる者のいないその男娼、ユルゲンは、起き上がってとぼとぼと歩きだす。雨が鼻血を洗い流してくれたのが、唯一の救いだろう。

 ユルゲンは、ポケットの中に他の男娼に使い走りをさせられた時の、おつりがある事を思い出した。それをポケットの中で握りしめ、アジズの店に向かう。街の中心部にあるその酒場は中立地帯であり、弱者であるユルゲンもトラブルに巻き込まれ難いからだ。


「今日は手下がいないんだねぇ」

「ちょっとした休暇中よ。端末を上に献上したご褒美って所かしら」

 カウンター席に座ったクロエとおばあを見たユルゲンが、顔をしかめる。その二人に嫌な意味で目を付けられれば、街で生きていけなくなると知っているからだ。

 二人はカウンター席の一番奥に座っており、ユルゲンは出来るだけ離れた席に座った。

「その貴重な休暇を、酒場で潰すのかい?」

「ふん。分かってるんでしょ?」

「大介かい? あの子は、人気者だねぇ」

 茶色い液体と氷が入ったコップを、クロエが傾ける。それに合わせたかのようにおばあも、水で薄めていない原酒の酒を飲み干した。

「いらっしゃいませ。何になさいますか?」

 シェールに対応されたユルゲンが、ポケットの金をカウンターにだし、酒のボトルを注文した。クロエ達が飲んでいる高級なものではなく、酔えればいいという客向けの水で薄めて飲む安い酒だ。

「ありがとうございます。後、これよかったら」

 笑顔のシェールは、タオルと無地のシャツをユルゲンに差し出した。シャツが鼻血で真っ赤に染まっていたのだ。

 シェールの行為に、ユルゲンは涙をためてしまう。それだけ、心身ともに限界だったらしい。

「ありがとう」

 ユルゲンが何とか吐き出した言葉は、鼻声になっていた。

「なんだ、おばあも知ってたの」

「まだ、目は腐っちゃいないよ、クロエ嬢ちゃん。しかし、どこを気に入ったんだい?」

「ベイビーの仕事ぶりよ」

「なんだい? 色気がないねぇ」

 煙草に火をつけたクロエは、白い煙を吐き出した。そして、コップ越しに酒の棚を眺める。

「殺しって病み付きになるくらい、快感があるじゃない?」

「そうらしいねぇ、征服欲や破壊衝動を満たしてくれるからねぇ」

「それに憑りつかれた者は、この街にも多いわ。でも、ベイビーは違うのよ。心の位置を全く動かさない」

「元軍人でもあそこまで心が波を打たないってのは、珍しいってところかい?」

「そのくせ、感情も残ってるし、正常な判断もする。あんなに掴みどころがなくて、危険な香りのする男が他にいるかしら?」

 おばあは、クロエから注がれた酒を半分ほど飲み干して、アルコール臭い息を吐く。

「どんな経験をすりゃ、人間がああなっちまうのかねぇ」

 怪しく威圧的なオーラを出す二人は、言葉を最後まで続けずに笑う。

 店主であるアジズとシェール以外の人間が、それを聞いて会話を止めた。そして、店内に気まずい空気が流れる。

 溜息をついたアジズは、店内の音楽をクラシックからジャズに切り替え、その空気に対応した。


 BGMが変わると同時に、金属でできた店の扉が開く。

「おばあ。お待たせ」

 入ってきたのは、ナクサだ。ナクサは娼館で重傷を負った女性達を、要塞都市の病院に送り届けて帰ってきたのだ。要塞都市の病院は、その星でもっとも信頼できる医療機関といえる。

「あの子も、あんたみたいに色っぽい事を、考えてほしい年なんだけどねぇ」

「あの朴念仁には、無理じゃない?」

「でも、気になる子はいるんだけどねぇ。ライバルがあんただと、厳しいかもしれないねぇ」

 おばあの言葉を聞いたクロエが、ピクリと眉を動かす。そして、シェールから渡されたタオルで髪を拭き、二人に近付くナクサを横目でじろりと睨む。

「なんで、あんたかがいるのよ」

「貴女には関係ないでしょ」

 ナクサからタオルを受け取ろうとしたシェールが、無言の圧力にたじろいでいた。そして、食事を済ませてキッチンから出てきた大介は、踵を返す。

 気配を消して隠れようとした大介の肩を、アジズががっしりと掴んだ。アジズも人金である。シェールの父親ほどではないが、人間よりも力は強い。

 アジズの手が振りほどけない大介が、プルプルと震えながら目で訴えかける。

「仕入に行ってこい」

 人金の腕力で投げ捨てられた大介は、冷凍されたマグロのように店の床を滑る。見事に、アジズへの懇願は拒否されたのだ。

「あら? 大介居たの?」

「面白い子だねぇ」

 ナクサのつま先に、後頭部をぶつけて転がっていた大介が停止する。

「ちょっと! 今、スカートの中を覗いたでしょ!」

……この場面で足を上げたら、余計に見えますって!

(避けろ! ヒールは立派な凶器ですぅぅ!)

 額に向かって進んできた尖ったヒールの先を、大介は首をひねって紙一重で躱した。そして、その反動を生かし、床をそのまま転がって扉に向かう。

(転がりながらの逃走か。器用になったな)

(何処かの誰かに、嫌って程追い回されたからね)

 大介が向かっていた店の扉が、開かれた。そして、子供を抱いたリンが店内へ入ってくる。

……神様。僕は何か、悪い事をしましたか?

(この間、カネが魔力少なすぎるって、怒ってたな。呪われたんじゃねぇか?)

 うつ伏せに寝そべったまま、首を持ち上げた大介は、リンを見つめる。

 その大介を見たリンは、笑顔を作り、しゃがんだ。そして、自分の子供である男の子に、何かを耳打ちした。

「パパァ!」

 笑顔の男の子が、大介に抱き着こうと走り出す。

 腕の力だけで後ろに跳んだ大介の体は、重力を無視したように浮き上がる。そして、子供の抱擁から逃れた。

「はぁはぁはぁ」

「もう、大介くん。自分の子供は、大事にしないと駄目よ」

(毎回言ってる事が分からない!)

(今度は、夢とか妄想で補完する女じゃないといいな)

 男の子の手を取り、笑顔で大介に近付こうとするリンの前に、ナクサが立ちふさがる。それを避けようとした先には、腕を組んだクロエが待ち構えていた。二人は、リンを大介に近付けない。

 喋りはしていないが、二人は何らかの光線が出てもおかしくないほどきつい目で、リンを睨む。

「なっ! なによ! そんなきもいの、こっちから願い下げよ!」

 大介の悪口を捨て台詞に、リンは店を出た。

 何時でも逃げ出せるように様子をうかがっていた大介は、少しだけ顔を緩める。

(運よく、地雷を回避できたな)

「えっ? あの」

 振り向いたクロエとナクサが、大介に歩み寄ってきた。

「あんなのに付き纏われない様に、ブラックダイヤの誰かと付き合ってみる気はないの? リンは駄目だけど」

「大介? いつでも私が囲ってあげるわよ。どう?」

 再び顔色を変えた大介が、ゆっくりと後ろに下がる。

 しかし、二人との距離は開くどころか詰まっていく。大介よりもクロエ達の方が、歩みが速いのだ。

「その、あれ、村で一番話すのは誰? 私は知らないけど、その子と付き合えば? あれ、でもいつも私と喋ってたっけ?」

「ねぇ? ちょっとは本気で考えてよ。私と組めば、いい思いがいっぱいできるわよ?」

 大介の向けた視線を、アジズとシェールはいつも通り無視する。

(あれだな。地雷を避けたら、核が飛んできたな。二発も)

「しっ、仕入れに行ってきます!」

 ナクサとクロエの視界から、大介がぼやけて消える。

 反射速度の限界で、左右へのフェイントを行った大介は、二人の間をすり抜け裏口から逃げ出した。残像が残る視界で変化の分かり難い直進をされ、クロエとナクサは反応出来なかったのだ。

 不機嫌そうに鼻から息を吐いたクロエが、ナクサを見る。そして、見下した目でナクサをからかい始めた。

「何? 大介に気があるの? 私が先に目をつけてるんだけど?」

「違っ! ただ、あいつなら村にいてもいいかなと、ちょっと思っただけで」

 最終的に銃を抜きそうになった二人を、シェールとおばあが落ち着かせ、席に座らせた。

 その光景を、ユルゲンは血走った目で見つめている。強く噛みしめた歯茎から血が流れ、首とこめかみに血管が浮き出ていた。ユルゲンの心を真っ黒に染めたのは、嫉妬だ。

 何の情報もないユルゲンは、大介をアジズの店でたまたま雇われた店員としか思っていない。そして、運だけでいい思いをしている大介へ、明確な敵意を抱く。

 自分となんら変わらないどころか、劣っていると思えた大介が妬ましくて仕方がないようだ。

 敵意の根源である黒い感情は、プラスの方向へは働き難い。特に、弱者の中では自分を正当化する為に、色々な部分がねじ曲がり、置き換わっていく。大介がいなくなれば、自分があの地位につけるのではないかという考えは、徐々によれる。

 ユルゲンは、大介がいるから自分が苦労しているんだと、思い込み始めていた。自分が努力して這い上がり見返すのではなく、相手をどう貶めるかを考え始めてしまう。

 酒を飲み干したユルゲンが、憎悪を抱えて店を出る。そして、足りない頭で身勝手な復讐計画を描いていく。


****


 溜息を連続でつき続けながら、オート三輪を運転する大介は、そんなユルゲンの事など、名前も知らない。

 ただ、自分が苦手とする女性達から寄せられる好意に、頭を抱える。

(逃げ癖がついてきたなぁ)

(僕、何か悪いことしたのかな?)

(あるかどうかは知らないが、人殺してるからな。地獄行きは、確定済みだ)

……神様。

(俺の知り合いを勝手に召喚しようとするな、馬鹿)

(でも、あの三人って)

(最近のお前を見てると、本当に召喚できそうだから、止めろ)

 商店で出来るだけゆっくり選んだ食料や酒を、大介はオート三輪の荷台へ積む。そして、ビニールシートをかけて、雨から守った。

 大介が余りにもゆっくりしたせいで、雲間から太陽が顔を出す。それを見た漁師達が、道具の準備を始めた。そして、波が穏やかになると同時に、海原へ我先にと船を進ませる。

 雨が降り続くと、陸の栄養が流れだし、それを目的にした魚が大量に捕獲できるらしい。大介は漁師の客から聞いた、その言葉を思い出しながらぼんやりと海を眺めていた。何が何でもクロエ達が店からいなくなるまで、帰るつもりはないようだ。

 オート三輪を停車して、露店で買った果物を頬張りながら海風を感じて、海鳥の声に耳を傾ける。


 大介は見つめる海の先で、ある異変が起こっていた。魚群をレーダーで追いかけ、日頃足を延ばさないほどの位置に、何艘も船が進んでいる。

 海の生物も、人間が持ち込んだものばかりで、危ない生物はいない。漁師達も気にしているのは、帰りの動力を動かすバッテリィの残量ぐらいだ。

 波も大雨の後とは思えないほど、穏やかになっている。水中が雨の影響で透明度を落としている以外は、何の変化もない海だった。

 だが、海底から安全だと思い込んでいた漁師達を襲う、大きな影が浮上する。異常に気が付いた漁師が、船から海面を見上げた時には手遅れだった。

 巨大な何かが海面を隆起させ、近くにいた船を転覆させる。直接船底から持ち上げられた船だけでなく、近くにいた者達も三メートル近い大波の影響をくらう。十五艘あった漁船は、二艘を残してすべて沈没した。


 死者、行方不明者合わせて十四人の海難事故として、街で噂になる。噂の題名は、「海に謎の巨大生物現る」だ。死人が珍しくない星でも、謎の巨大生物は話題として申し分ない。

 戦争中の軍が秘密兵器を開発している。エウロパにいた古代の生命体が目を覚ました。宇宙から、飛来した化け物等々、噂にはどんどん尾ひれがついていく。


****


 それから昼と夜を二回過ごした大介は、ベッドの上にいた。力の限り握った拳の色が変わり、ボキリと音を鳴らす。寂しさと悲しみで潰れてしまいそうな心を、必死に抑え込む。

 起きてから三十分ほど経過しているが、その日は入念に落ちつかせる。愛する人の笑顔がちらつき、叫び出しそうな衝動を幾度も消していく。

 眠るたびに心の傷が化膿して、どろどろの膿と血を流している。それでも、生きていかなければいけない。その為の仮面が出来上がると同時に、汚れた服を持って洗濯に向かう。

 グレムリンは端末の中で、黙って見守る。大介の不安定な心が、手を差し伸べられる状態ではないと分かっているからだ。その特効薬になりえる、人の温もりも、エウロパでは望めない。何よりも、美紀を忘れるつもりがない大介は、それを受け取らないと知っている。

 洗濯を済ませた大介が酒場に出ると、アジズがカウンター内で右往左往していた。落ち着きをなくしたアジズを見て、シェールが苦笑いをしている。

(親バカ炸裂だな)

 大介も呆れたように笑い、二階から酒場へ降りた。

 アジズの娘であるセリナが、要塞都市の職場から帰ってくると連絡してきたのは、地球の日にちで三日ほど前だ。それ以降のアジズは、時間が経つにつれおかしくなっていく。


 大介がカウンター席に座り、キッチンから持ってきた炭酸水を飲み始めると、店の扉が開かれる。

 入ってきたのは大きなボストンバッグを持つ、セリナだった。セリナは人金ではない。黒人種と白人種の特徴を併せ持った、人間。彼女は、アジズの養女なのだ。

 癖のある茶色い髪と、小麦色の肌を持ち、くっきりとした目鼻と、厚く少し大きな唇が特徴的に見える。

 セリナは、要塞都市の制服を着たまま店に入ってきた。要塞都市の制服は、ボタンの代わりにジッパーのついた青い学ランに見える。大昔の地球である海軍が着ていた礼服を、イメージしているらしい。スカートはなく、全てズボンだ。

「久しぶり! シェールちゃん! 元気にしてた?」

「はい。お帰りなさい、セリナさん」

「大介くんも、変わりない?」

「はい。そちらも、お元気そうで」

 席から立ち上がり、手を差し出した大介に、セリナはバッグを渡した。

「ただいま!」

「おう」

 照れくさいらしいアジズは、わざとらしくそっぽを向いて葉巻をふかしていた。それがセリナには分かっているらしく、笑ったまま土産を差し出す。

「はい! これ!」

「ん? なんだ?」

「お土産兼誕生日プレゼント。忙しくて、帰ってこれなかったしね」

 アジズの目尻が下がったのを横目に見ながら、大介はバッグをセリナの部屋へ運んだ。プレゼントを渡し終えたセリナも、大介についてくる。


 部屋は定期的に掃除するだけで、何時でも帰ってこられるように、セリナが暮らしていた時のままにされていた。

「ああ、やっぱり落ち着くわね」

 部屋に入ったセリナは、真っ先にベッドに仰向けに倒れ込んだ。それを見た大介は、頭を下げて部屋を出る。

「じゃあ、またあとで」

 酒場に戻ると、アジズがカラフルなシャツを五枚ほどカウンターに並べて、見比べていた。

(あれがプレゼントかな?)

(あんなカラフルなアロハなんて、似合わないだろうぅ)

(プレゼントは気持ちって言うし。アジズさん嬉しそうだから、いいんじゃない?)

 カウンター席には、先程までいなかった男性二人が座っていた。二人とも、セリナと同じ制服を着ている。手荷物は、それぞれ小さなカバンだけだ。

(同僚?)

 気を利かせた大介は、アジズに問いかける。

「セリナさんの同僚の方でしょうか? このお二人も、泊まるんですか?」

「いや。同僚だが、ホテルは別にとったそうだ」


 五分後、部屋から降りてきたセリナが、同僚の隣に座る。そして、娘としてではなく、要塞都市の人間として正式に仕事を依頼してきた。

「ベイビーって知ってるよね? かなり凄腕の人らしいんだけど、うちの店で仕事を仲介してるって本当?」

 話を聞いて、名乗ろうとした大介を、アジズが目線でとめた。

「ああ。俺経由で、仕事をしてもらってる」

「そう。じゃあ、紹介して。正式に仕事を依頼したいの」

 娘の依頼に、少しだけ悩んだアジズだったが、用心深い性格から大介の正体を明かさなかった。

「俺が説明を聞く。それで、仲介するのが決まりだ。内容は、俺と大介が聞く」

「会えないの?」

「ちょっと訳有りでな」


 同僚と小声でしばらく話し合ったセリナが、カウンターの上に地図を出す。そして、仕事の依頼を始めた。

「信じられないかも知れないけど、この星に大昔の人間がいるかもしれないの」

「えっ?」

 依頼内容は、すぐには信じられない内容で、大介だけでなく、グレムリンも首を傾げる。

 長雨の続いていたある日に、海上から救難信号が発信された。その信号は、大昔に使われていたもので、生存者ありの情報まで含まれていたのだ。

「照合結果は、千四百年前に生きていた人だったわ。個人識別データは、複製できないから、本人の可能性があるの。コールドスリープや、サイボーグ化しているかも知れないけど、要塞都市で救助しようって方針なのよ」

「で? 何故、民間のこっちに?」

「捜索船を何度も出したけど、見つけられないのよ。信号も、雨の日に三回だけだったし」

「それで、現地の事情に明るいうちに、か?」

「そうなの。色々な組織の人に聞いたけど、大規模な調査をする前に頼むなら、ベイビーさんだって口をそろえて教えてくれたのよ。会わせてくれない?」

 地図を見ていた大介は、グレムリンと相談をする。

(この場所って、もしかして)

(謎の巨大生物と関係があったりしてな)

(最悪、海に潜って大丈夫?)

(今も端末は十分な防水はしてあるが、念の為に魔法でカバーを作れば、何とかなるだろうな)

(イチさん。この事件の真相分かる?)

(いや。流石に俺でも、さっぱりだ)

 アジズも悩むふりをして、大介が答えを出すのを待つ。

「えと、調査報告だけで、日に十万で、成功報酬で五百万なんだけど、どうかな? あっ、諸経費込みね」

 大介とグレムリンは、話し合いをするが、なかなか結論が出ない。それだけ不明確で、危険が予測できないのだ。

 二人は千年以上生きた人間がいるなど、信じられないでいた。

「ねぇ? ちょっと。お願いよ。せめて、ベイビーさんと交渉だけでもさせて」

 娘に泣きつかれたアジズが、大介を見つめた。それを見たグレムリンと大介は、溜息をつく。

 アジズは二人から返ってきた仕方なくの返事に、仕事を引き受けた。条件は、ベイビーだけで調査をして、ベイビーを詮索しない事だ。

「ありがとう! ちょっと、上司の許可取ってくるね」


「すみませんね。予算の関係で、無茶が出来なかったもので」

 セリナが席を外すと、同僚二人が頭を下げる。アジズはその同僚の相手をした。

 その時間で、大介は船など準備する物を考え始めている。そして、端末内のグレムリンは、想定できるプログラムを組みつつ、端末の防水カバーを設計し始めた。


****


 海パン姿の大介が、空を見つめる。大きなゴーグル兼酸素カプセルを頭につけ、端末を付けたベルトを腰に巻いていた。端末との回線も、特殊な柔らかい金属のケースに包まれ、耳から外れないようにフックがついている。

(快晴だなぁ)

(そうだねぇ)

 五時間後、大介は小型のボートに乗って、漁師達が近寄らなくなった海域を進んでいた。


 二時間ほど海上を散策したが、なぞの巨大生物すら出てこない。

(どうしよう。潜らないといけないのかな?)

(闇雲に潜っても、海しかないぞ? こりゃ、正規調査でも成果が上がらないはずだ)

 エウロパは、作られた星であり、人が住む大地は一つしかない。惑星のように、島や岩礁帯等もなく。自分がいる場所は、レーダーとナビでしか分からない。

 悩んだ挙句、グローブとフィンをつけ、大介は海に飛び込んだ。そして、海中を散策するシュノーケルのように口にくわえた酸素カプセルから空気を吸い込み、鼻から吐き出す。

 透明度の高い海は、光の届く範囲は見渡すことが出来た。だが、何も見つからない。


 三時間ほど潜り続け、船に戻って酸素カプセルを四本目に交換した。

(これは、想像以上にきついな)

(そうだね。見つかる切っ掛けもないから、精神的にくるね)

 再度海に飛び込んだ大介は、巨大な影を見つけた。望んだ切っ掛けは、自分の方から大介に接触してきたのだ。

(何? 何? 何?)

(動揺するな、馬鹿! よく見ろ!)

 円盤状の金属の塊が、海底から浮上してきた。

 鉄板を継ぎ合わせた体に、ガラスで出来たように見える目が四方に一つずつ付いている。そして、大小数十本の甲殻類を思わせる足が、底に生えていた。

(こっ! こっち来る!)

 大介は、全力で海面に出ようと水を蹴る。

 だが、謎のそれは大介よりも速く浮き上がり始めた。

(大きい! 避けられない!)

(落ち着けって! 相手は、金属だぞ!)

(あっ、そうか)

《アプゥバァンプゥ》

 大介は発光する掌を、迫ってくる金属の壁に向かって突き出す。

 海面が盛り上がり、謎の物体が太陽の下に顔を見せた。物体が揺さぶった海面は、大きな波紋を遠くまで届かせる。

 大介は水の流れにもまれながらも、突起になっているその物体の目に片腕でぶら下がっていた。

(分かったぞ)

(しっ、死ぬかと思った)

(こいつは、テラフォーミングマシーンの生き残りだ。大昔の人間が、本当にいるかもしれないぞ)

 大介が掴まる金属板には、海藻や貝らしきものがくまなくへばりついていた。錆びない金属で出来ているらしいが、それが機械の年季を伝えてくる。

(こいつ、ご主人様の為に、魚と空気を調達しに出てきたんだ)

(えっ? それって、もしかして)

(こいつに掴まってれば、万事解決だな)

(うっ! そおおぉぉ!)

 テラフォーミングマシーンに掴まっている大介は、そのまま海中に引きずりこまれた。そして、水中を凄まじいスピードで動く抵抗と、戦う破目になる。

(腕! 腕が千切れるぅぅ!)

(大丈夫だって。人間そんなにやわじゃねぇって)


 海底に着いたテラフォーミングマシーンは、大きな岩の前で停止した。そして、その岩にある丸い穴に、足の一本を差し込み、魚と空気を送り込む。

(ここだな。おい? 大丈夫か?)

(何とか)

 テラフォーミングマシーンは作業を終えると、海底で停止し、休眠モードに入る。

 大介は、補給用だと思われる三メートルほどの穴に、直接入り込んだ。

(この岩は、元々の地表から作ったようだな)

(あれ? 扉?)

 グレムリンの魔法で金属のシャッターを開いた大介は、中に侵入した。何枚ものシャッターは海水の侵入を拒んでおり、何度も通路の水抜きが行われる。

 大介はただ、ベルトコンベアで運ばれるまま、金属のトンネルを進んだ。

(酸素はどうなってるか分からんから、カプセル取るなよ)

(あっ、うん)

 最後のシャッターが開いたのを見て、フィンを外した大介がコンベアを降りる。そして、そのまま通路を進んだ。

 驚くほどの時間が経過しているはずの通路は、何故かあまり汚れていない。人がいるかもしれないと、警戒して進む大介を待っていたのは、女性だった。

 その女性は、全裸で銀色の箒を持って床を掃除している。

(えっ? ごめん。何? これ? あの人が大昔の人?)

(よく見ろ。混乱するな)

 掃除をするその女性の動きは、何処かカクカクとしてぎこちない。全裸もとい、服を着ていないが、肌もほとんど残っていなかった。

 元は完全な女性形として作られていただろう事が、ギリギリボディラインで分かる程度だ。肌の無くなった箇所では、銀色の機械部分が丸見えになっている。

 関節部分から漏れ出したであろうオイルは、黒くひび割れてこびりつく固形に変わっていた。腹部と顔からは、火花が散っている。顔だけは元々金属部分からそう作られていたのだろうが、人間の形をしていた。

 だが、右目と鼻の部分しか肌色は残っておらず、左目は壊れて奥にある回路が見えている。

(サイボーグ? いや、アンドロイドだろうな)

(あの大きい作業用マシーンと同じように、千年も働いてるのかな?)

(そうじゃねぇか。多分だけどな)

 掃除を続けていたアンドロイドが、いきなり動きを止める。そして、大介の方に顔を向けた。その動きは、人間とはかけ離れており、首はそのままで顔だけが回転する。

(なんか、ホラーだな)

(生理的に気持ち悪さがあるね)

「ニンショウコードナシ。シンニュウシャ、シンニュウシャ」

(えっ? うわああぁぁ!)

 アンドロイドが振るう金属製の箒は、音を追い越して大介に迫った。

 片目で照準がずれているらしく、箒の先は肩をかすめただけで床にぶつかる。

 だが、床を見た大介は息をのんだ。かなり固い金属でできていると思われる床が、箒の形にくぼんでいる。そして、かすめただけの大介の体の箇所が、真っ赤になって腫れあがっていく。

(やばいぞ! 当たれば即死だ!)

(イチさん! 魔法!)

(外部接続出来ん! どっか壊れてるんだ! 直接触れろ!)

(あれを?)

(そうだ! 床や周りの金属は、強度的な問題で、いじるべきじゃない! 水圧に建物が負ければ、俺達も死ぬ!)

 大介に向かうアンドロイドは、箒を振り回していた。その箒の先が、大介でもほとんど見えない。

 唯一の救いは、足が壊れかけているらしく、移動速度がかなり遅い事だ。大介は脳内でミキサーに手を差し込むイメージしか、湧いてこない。一発目は運よく外れたが、無茶苦茶に振るわれる箒は、避けられる類のものだとは思えないようだ。

 何もないドーム状の部屋で、大介はただ壁を背につけ、蟹の様に左右に逃げる。そして、呼吸を落ち着け、箒の動きを見切ろうとした。

(さっきの出口に行かせてくれないね)

(もう、こいつをどうにかしないと、出られそうにないな。くそっ)

 何とか心を落ち着けた大介は、集中する。それにより、精神を時間の狂った世界へ引き込む。

 その世界の中でも、十分すぎるほどの速度を保った箒は、振るわれ続けている。箒と同速度で動く事は、人間である大介には出来ない。

 だが、パターンを見出す事には成功した。左右に二回ずつ振りぬき、右と左に一回ずつ肩に背負った箒を斜めに振り下している。

 目だけでなく、手や足からも赤い稲妻を放った大介が、アンドロイドとの距離を縮めた。そして、箒が体に触れる手前で、避けきる。

 左右に横薙ぎさている間は、近付きすぎれば箒が避けられなくなる。だが、斜めに振るう瞬間であれば、何とか手を伸ばせると考えた。

 高速の世界で、アンドロイドが箒を右肩に担いだ。それを見た大介が、手を伸ばして床を蹴る。

(え?)

 大介の伸ばした手は、アンドロイドに触れる事はなかった。

 勢い余った大介は、肩から床にぶつかり、壁まで転げる。そして、高速の世界から精神が戻ってきた。受け身をとり、ダメージは最小限に抑えているが、大介は状況が理解できない。

 大介の手が躱されたのは、アンドロイドが急に動きを止めたからだ。機械らしく、今も箒を右肩に担ぎ、ぴたりと止まったままだ。

(あれ?)

(なんだ?)

「セッテイジコク、ケイカ。モード、イコウシマス」

 アンドロイドは大介を無視して、部屋の隅にあった金属板を操作した。すると、只の壁だと思っていた箇所が、扉として機能する。

(どうしよう。逃げた方がいい?)

(いや、後を追うべきじゃないか?)

 アンドロイドの後をつけた大介は、大きなモニターがある部屋へたどり着いた。

 その部屋には、コンピューターが置かれた机が三台と、何かの液体が詰まった大きなガラスの筒があるだけだった。

 アンドロイドは、コンピューターを操作している。ただ、コンピューターは壊れているらしく、画面が表示されていない。それでも、アンドロイドは決められた動作をする。

(今のうちだな)

(うん)

 大介に肩を掴まれたアンドロイドが、そのまま座り込み、動かなくなった。グレムリンが電源を切ったのだ。


(なるほどな。昔の情報が色々と分かったぞ)

(壊れてるのに、分かるの?)

(俺を舐めるな。こんな旧式なんて、電源なしでも見える)

 グレムリンは、コンピューターから情報を読み出した。

 大昔、テラフォーミング作業中に事故が起こった。そして、海底に三人の研究者が取り残される。その三人は、アンドロイドとテラフォーミングマシーンに、命令を入力し、コールドスリープに入った。

 だが、そのコールドスリープ装置の限界である五百年をこえても、助けは来なかったようだ。

(えっ? もしかして、このピンク色でどろどろの液体って)

(人間のミックスジュースだな。細胞は生きてるらしいから、識別信号を出してるんだ)

 大介がコールドスリープ装置から目をそらす。かなり気分が悪いらしい。

(アンドロイドとテラフォーミングマシーンには、コールドスリープから目覚めてすぐに動けない場合の、動作を指示してたらしいぞ)

(え? それで、コンピューターをいじってたの?)

(本来は、人間と一緒に目覚めて、動くはずのコンピューターで救難信号を発信するらしいな。三回で、動かなくなったんだろ)

(千年前の機械だしね。動いただけで奇跡だよね。でも、なんで動いたの?)

(分からん。突然、人間が目を覚ましたと、コンピューターが認識したらしいぞ。壊れた機械の動作は、俺でも予測出来ん。実際に動いたのは、この一週間ほどだけだな)

(取り敢えず、解決かな?)


 海中に戻った大介は、テラフォーミングマシーンの活動をグレムリンの魔法で停止した。そして、潜水病にかからない様に、ゆっくりと海面に出る。

 横転した船を捜し、何とか動く様にして船を出発させたのは、それから五時間後の事だ。


 港に着いた大介は、しばらくの休憩を余儀なくされた。容赦ない太陽光が原因の、脱水状態と戦ったからだ。

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