三話
厳しい自然の掟が支配する夜の闇は、穏やかでもなければ優しいものでもない。
美しいと表現できる部分も確かにある。だがそれは、自然の中で生きる生命の躍動であり、人工物の中で育った人間の考える美とは違っているかもしれない。
人間により持ち込まれ、自然繁殖した生命達は、長い夜を過ごす。ある哺乳類は食われ、ある爬虫類は逃げ延び、ある昆虫は子孫を残している。
その全てが行っているのは生物として当たり前の、「生きる」という事だ。人間のように、生きる以外の目的を見出す生命は少ない。
草原に囲まれたブラックダイヤの村周辺でも、残酷とも言える生命の連なりが繰り返されていた。
ただ、大脳新皮質を発達させた人間ないし人金は、生きていくだけでは満たされない。手に入れた知恵という力で、色々な事を試みる。
ブラックダイヤの一角に、トタンで囲まれた工房があった。その中では、芸術センスを生かした女性達が仕事をしている。金属に大理石等、材質は様々だが、家に飾るオブジェを制作しているのだ。
ブラックダイヤ内では現在、動物をデフォルメした表札が流行し始めている。岩から掘り出された、ぬいぐるみの様な犬や兎が飾られている家が、村の中で多く見かけた。
ポストとしても機能するその表札は、ほとんどが岩化金属でできており、百キロ以下の物は少ない。
「ふっ! ぐううあああぁぁ!」
表札でもあるその重量物は、日頃村の中にある車などで運搬している。しかし、家々が隣接している場所は車が入れず、運送が難しい。
そこで活躍しているのが、大介だ。近距離ではあるが、古代エジプトでピラミッドの石を引いている奴隷と同じ方法で、表札を運んでいた。
ワイヤーで縛った表札の下には細い丸太が並べられ、大介がそのワイヤーと真っ赤な顔で格闘している。
(馬車馬のごとくってか。ただの馬車馬じゃねぇか)
(こなくそっ!)
(表札が五百キロ以上とかって、どうなんだろうな?)
(うがあああぁぁ!)
「うがあああぁぁ!」
(おいおい、脳みそまで筋肉になるなよ? ブラザー)
大介は血管が切れる前に、表札を目的の場所に運び終えた。そして、呼吸を整える。
夜に入ってすでに二十四時間が過ぎており、風が吹き抜けると少し肌寒い。大介の火照った体を、その風が適度に冷やしてくれた。
「これで、表札運びは終わりよ」
人金の女性から差し出された飲み物を受け取った大介は、それを一気に飲み干す。
「次は、診療所に行って。おばあが呼んでるわ」
まだ肩で息をする大介に、その女性は容赦なく次の仕事をいいつける。
「はぁいぃ」
のっそりと立ち上がった大介は、高齢の女性が運営している診療所へ向かう。
「あの、大介は?」
入れ違いで来たシェールが、人金の女性に話し掛ける。
「診療所に向かったわ。でも、あの子信じられない力ね」
「えっ? そうですね」
大介の事をほめられたシェールは、少しだけ嬉しそうな顔で答えている。直接大介には言わないが、その女性も大介を評価しているようだ。
「こんな重い物、人金の私達でも簡単には運べないわ。毎回来るたびに、力が増してない?」
「まだ、毎日が試練の連続ですから」
頭を下げたシェールは、診療所へ向かう。
「あ、居た」
数分後にシェールが到着した診療所では、煉瓦と鉄板と工具を担いだ大介が、屋根まで片腕でするすると登っていた。
大介はそのまま屋根の修理に取り掛かる。
「本当に人間離れしてきたわね」
呆れたように呟いたシェールは、そのまま診療所へ入る。そして、医者である女性に話し掛けた。
「おばあ。ご無沙汰してます」
「ああ、シェールちゃん。何処か悪い所はあるかい?」
「いえ、大丈夫です。ただ、湿布と傷薬をまた分けてください」
「大介の分だね? 少し、そこで待ちな」
「はい」
煉瓦造りのその診療所は、かなり古い建物で鉄骨がむき出しになった簡素な作りだ。待合室と診察室の区切りはカーテンだけで、受け付け等はない。薬を置いてある部屋とトイレ以外は、全て同じ部屋にある。
村に一つだけの診療所で、医師と看護師はそれぞれ三人おり、常に患者がいた。
木製の長椅子に座ったシェールは、一番高齢で責任者でもある女性、通称おばあが持ってくる薬を待つ。屋根から聞こえる、修理の音を聞きながら。
その頃、大介は近所の女性に五月蝿いと石を投げられ、涙を堪えていた。
(お前、なんだかんだで、我慢強いよなぁ)
(泣いたら、負けな気がする)
金属板の隙間に、専用の接着剤を流し込む大介は、リンの事を思い出している。仕事に向かう為に、もうリンは同僚の車に乗って村を出た。
その少しだけ前にリンは、ナクサと他数人に大介の事を問い詰められた。そして、建物の陰に隠れて、リンは自分の足が折れてしまうのではないかと思えるほど、ナクサの家に置かれた大理石の表札を踏みつけていた。
大介が見たリンの目は、寒気が走るほどの黒い感情が渦巻いていたのだ。
屋根から星空を見上げた大介は、溜息を吐く。
(ブラザー。何を思い出してる?)
(もう、分かってるよね)
(おっかねぇえな。だが、忘れるな。世の中には、ましな女もいるぞ)
(でも、この星にはいないんじゃない?)
(うん。多分なぁ)
屋根の修理を終え、工具を片付ける大介に、シェールが声をかけた。それは、ナクサの依頼を伝える為だ。
「帰ってこない?」
「そうなの。うちの街に働きに出てる人達が、子供を迎えに来なくてね。ナクサさんに聞いたら、昨日から帰ってないんだって」
「どっかで飲んでるんじゃないの?」
「子供との時間を、一番大事にしてる人まで帰ってこないのよ。変じゃない?」
「何? それで、調べてこいと?」
「ここの仕事もほとんど終わったでしょ? 帰ったついでに、見てきてほしいって」
タオルで汗を拭きながら、大介達は託児所に向かった。
「あっ、大介くんこれ」
託児所に入ると、子供の面倒を見ていた女性の一人が、大介にメモを渡した。
それを読んだ大介は、その場に膝をつく。
……勘弁してよ。
(想像以上の、あれだったな。どうするよ? 泣いとく?)
(嫌だ。あんな人に負けたくない)
「はっ? なにこれ?」
大介握ったメモを見たシェールが、かなり驚いている。
メモを書いたのは、リンだった。内容は、一山当ててお金を持って帰るので、それまで子供達をよろしくと書いてある。さらに、宛先は新しいパパ大介へとなっていた。
(子供捨てやがった)
(子供達に罪はない)
(まあ、そうだな)
(だから、メモを破り捨てて、逃げよう!)
(お前、本当に強くなったな。ちょっと感動して、俺が泣きそうだ。だが、そこの女とシェールが読んだ以上、逃げ出せると思うか?)
……ちくしょう!
大介が突っ伏して震えている頃、村がにわかに騒がしくなる。
黒塗りの威圧感がある大きな車三台が、村に向かって来ていた。その三台は、門の前でナクサと問答を終え、正式な許可を得て村の中まで侵入する。
クロエを含めたバタリオンの人間十人と、エウロパではあまり見かけない服装の青年が一人、武器を持ち込んでいないかボディチェックを受けた。
騒ぎを聞いた村の女性達は、バタリオンの人間を取り囲む。そして、にらみ合うナクサとクロエを、緊張した面持ちで見つめていた。
(睨まれただけで、石になりそうな二人が、睨み合ってるね)
(お前、隠れた方がいいんじゃないか?)
(えっ? 何で?)
人だかりの中から、大介を見つけたクロエが、大きな声を出す。
「大介っ! こっちに来なさい!」
(こうなるからだ)
小刻みに震える大介が、クロエに近づいていく。大介が逆らう事など、出来はしない。
「さて、役者はそろったわ。話して頂戴」
クロエが話しかけた青年を見た大介は、真剣な顔に変わった。その青年の服装を、大介はよく知っている。
「俺は友希。ガルーラから来た」
その友希と名乗る背の高い青年は、大介が着ていた物とは色違いの、高校のブレザーを着ていた。制服の色から、第二ガルーラの生徒だと大介には推測が出来る。
友希は血染めの包帯を頭に巻いており、それをグレムリンはきな臭く感じていた。
(こりゃ、裏の仕事だな)
(多分ね)
「あの、ここでいいのか? もっと人がいない場所で……」
気を使った友希の言葉を、煙草に火をつけたクロエが遮る。
「貴方が気にする必要はないわ。ここにはここの、流儀があるの。知ってる事を教えなさい」
少し躊躇したが、友希はそのまま話し始めた。
クロエ達が狩り立てていたのは、友希達ドームの学生兵士だ。何故、ドームの兵士がエウロパに来たのかといえば、大介と似た境遇で脱走したからだ。
ガルーラの最前線で孤立した彼等は、唯一残った船で宇宙へ脱出した。本来ならばドームへ帰還すべきだが、戦争に嫌気がさし、エウロパに流れ着いたのだ。
友希は元々皆を纏めていたらしいが、意見がもう一人の纏め役である信二と対立してしまい、学生兵士達は二つのグループに分かれてしまった。バタリオンの縄張りで暴れていたのは、友希達とは別のグループだ。
軍の最新魔法兵器を持った学生兵士達は、略奪を繰り返しバタリオンとも衝突した。友希達のグループは、そういった違法行為を好まない人間が集まっており、身を潜めていたのだ。
しかし、同胞の醜態を見過ごすことも出来ず、友希が代表して説得を試みた。その結果が、包帯を巻く事になったのだ。元仲間達は、本気で友希を殺そうとしたらしい。
情報を掴んだクロエが、友希達の逃走を手助けし、この交渉の場に連れ出した。
「この子達は、亡命を希望してるの。それで、うちが要塞都市と交渉を済ませたわけね」
クロエは煙草を地面に投げ捨て、ヒールで火を踏み消した。
「その子達をかくまうのは要塞都市が一番でしょうね。で? ただで都市には入れないわよね?」
顔にかかったクロエが吐き出した煙を、手で払ったナクサが質問をした。
グレムリンは、おおよその話を既に予測済みだが、大介は自分が何故よばれたか、まだ分かっていない。ただただ、クロエとナクサの顔色を伺っている。
「この子達の兵器を、要塞都市に差し出すのよ。確か、端末って言ったかしら?」
「ああ、そうだ」
「バタリオンが、無償で働くわけないわよね」
「十台あるうちの、二台はうちが貰うのよ。これで、納得した?」
そこで大介は、忘れていた端末の価値を思い出して、自分の腰を見る。
(何考えてる)
(売ったらいくらだろうと思って)
(やめろ馬鹿。俺達は契約があるんだぞ。お前が死ぬぞ)
大介の端末を見た友希が、驚いた顔になる。そして、大介も脱走兵だろうと、推察した。
「わざわざ、この村に来た理由が分からないわね」
ナクサの鋭い眼光を、クロエは馬鹿にしたように笑う。
「街の娼館には、お仲間がいるんじゃないの?」
クロエの言葉を聞いたナクサが、顔色を変える。
「今、この子達の片割れが、そこを占拠してるのよ。あそこは、うちも出資してるから、嬉しくないのよね」
空気を読んだ友希が、交渉時に掴んだ情報を喋り出した。
元学生兵士達は、酒を飲み、女性に乱暴しながら、好き勝手に暴れている。最新のフィールドと、大量の魔力カプセルを持った彼らに、バタリオンも容易には手が出せないらしい。
「けが人は? 死人は出てるの?」
両肩を掴んだナクサが、友希を揺さぶりながら問いただす。
「ちょ! 止めてくれ! 抵抗した店員は殺されてた。女性が死んでいたかは、見ていない。ただ、変な女が信二と一緒に、女性を蹴りつけていたくらいだ」
その言葉で、初めて大介の顔が曇る。思い当たる節しかないからだ。
(その女はリンだ。に、千ポイント賭けよう)
(僕もそっちに賭けるから、無効だね)
「ごめんね。友希くん。もしかして、その変な女性って……」
大介がリンの特徴を伝えると、友希は静かにうなずいた。
(はい、アウト!)
(もう、あの人いろんな意味で嫌だ)
怪我人がいるらしい事を聞いたナクサが、親指の爪を噛んだ。そして、どうするべきか思案する。
「で、大介。わざわざ、私がここに来た意味は分かるわね? もちろん、このレズビアン共に教えたのは、ついでよ」
(ほれ、来たぞ)
「ベイビーですね?」
涼しい顔の大介は、クロエと仕事の内容を打ち合わせた。友希の前では直接口にしないが、皆殺しの依頼だ。
(おい、念の為、あいつの端末を調べるぞ)
《アプランク》
手で口元を隠した大介は、呪文を小さくつぶやく。その瞬間から、グレムリンは友希の端末へ遠隔でもぐりこむ。
「料金は四本出すわ。その代り、そいつらの持ってる端末を、可能な限り無傷で回収してきて」
「分かりました」
悩んでいたナクサは、首を傾げていた。
「なんで大介に? アジズの店に直接言えばいいのに」
ナクサの言葉を鼻で笑ったクロエが、指を鳴らす。ボディーガードの二人が、それぞれ煙草と火を彼女に差し出した。
「ものには順序があるのよ。レズのナクサちゃん」
クロエの言葉に、ナクサが即座に反論した。
「変な噂たてるんじゃないわよ。クソアマ」
今にも殴り合いを始めそうだった二人は、つばを吐きながら同時に相手に背を向ける。
クロエについて、バタリオンの人間と友希も車内へと戻っていく。
……この二人。怖い。
車に乗り込もうとした友希が、立ち止まり大介に近付いた。そして、真っ直ぐに目を見る。
「あんたも脱走兵だろう?」
「まあ、似たようなものです。多分、軍では死んだ事になってると思いますよ」
「俺達は元々、只の代表候補生だった。でも、いきなり戦場に駆り出されて、大勢の友達が死んでいくのを見たんだ」
友希は大介に、心の内を伝えた。
この世の地獄を経験し、戦争自体を否定したかった友希は、仲間を連れてエウロパに来たらしい。そして、信二達は死の恐怖と敵を殺す重圧で、既におかしくなった後だと、説明する。
「悪いのは、全部戦争なんだ。可能な限りでいい。仲間達を、生き残らせてくれ」
「まあ、可能な限り」
人差し指で頬を掻く大介は、仕方なく返事をした。
自分を殺そうとする相手を助ける事など、実戦ではほぼ不可能に近い。だから、仕方なくの返事だ。
(あのガキも分かってるんだろうな)
(曲りなりにも、実戦に出てるからね。でも、僕に伝えないと罪悪感で生きていけないかもってところ?)
(悪い奴じゃないだろうが、この星で生きられるかは、あいつ次第だな)
友希が乗り込むと同時に、バタリオンの車が村を出る。
ナクサ達は、仲間達と相談をしていた。仲間を助けたいらしいが、娼館がどれほど危ないかは理解している。
そこで、天に伸びたのは、枯れ木のように細くなった腕だった。その腕の主は、全身が皺くちゃで白髪のおばあと呼ばれている老婆だ。
おばあが、現地で仲間の治療をすると言い始めていた。
「おばあ! 危ないわよ」
「ナクサ。あたしゃ、もう十分生きた。若いあんたらが行くよりも、正しい判断だと思うがね」
「でも、おばあ」
「最低一人は助けてみせるよ。それに、ベイビーが守ってくれるさね」
おばあが、大介にウインクをする。
……あれ?
大介はおばあに、正体を明かしていない。しかし、おばあはその正体を知っているかの様に見えた。
「ナクサ? リンはどうする? 子供達もいるし」
仲間の言葉で泣き出しそうだったナクサは、いつもの厳しさのある表情に戻る。そして、それを大介に向けた。
「大介!」
「はい?」
「ベイビーに追加で依頼よ。仲間を救って。そして、出来ればリンも」
ナクサから百万ジルを受け取った大介は、オート三輪の運転席に座る。
荷台には、おばあとシェール。そして、シェールが背負ったリンの赤子と、おばあの隣に座る男の子がいた。
ナクサからの依頼は、仲間を助ける事と、子供達を見せてリンを説得する事だ。この星で、親のいない子供は悲惨な末路をたどる。
リンが改心しなければ、子供も一緒の墓に入れてほしいとナクサははっきりと口にした。つまり、遠まわしなリンへの脅しとして子供を連れて行けと、ナクサは大介に依頼したのだ。
その星での現実をよく知る大介は、依頼を受け入れた。残酷な優しさも必要なほど、厳しい世界なのだ。
(子供殺すのやだなぁ)
(まだ、お前は子供を殺したことないからなぁ。すこぶる気分が悪いぞ)
(やめてよ。最悪だぁ)
同時に溜息をついた二人の目が、鋭くなる。荷台から大介の目を見たおばあが笑った事には、二人とも気が付いていない。
(新型の端末は、厄介だな。フィールドも洒落にならんぞ)
(魔法で端末を無効化できないの?)
(敵のフィールドは、俺の魔法ごと無効化できるらしい。戦場で何がおこってるんだかな)
(魔法で真っ向勝負?)
端末の中で、案を絞り込んだグレムリンが笑う。そして、いつもの言葉を告げた。
(そいつはつまらないし、リターンが少ない。だから、俺は悪戯を提案するぜ)
大介は一切動揺せずに、鼻で笑う。
(はいはい。乗るから、早く教えて)
グレムリンが提案する悪戯は、ほとんどに高いリスクが付く。だが、その分のリターンも大きい。
グレムリンを信頼している大介は、躊躇なく案に乗る。そうやって、厳しい環境を生き抜いてきたのだ。
****
店に帰り着いた大介に、おばあが話しかけた。
「やっぱり、あんたがベイビーだね?」
「えっ? あの」
「あたしゃ、あんたの何倍も生きてるんだ。誤魔化せると思わない事さね。黙っててやるよ」
(この干物ばばあ、侮れんな)
アジズに説明し、戦闘用スーツとヘルメットをかぶった大介は、娼館へ向かった。目立たない様に屋根伝いに移動する為に、おばあを背負い、男の子を胸に縛り付けている。
動きについてこられるシェールが、赤ん坊を背負ったまま大介を追走した。そして、交渉する為に、正面から娼館へと突入する。
娼館は、一階がバーになっており、二階が遊ぶための個室だ。扉をくぐってすぐの狭いクランク通路にある受付には、人がいない。その代り、血の臭いが漂っていた。
大介は迷わず、ピンク色の布をかき分けて店内に入った。店内は全体を見通せるが、薄暗くピンクの照明が使われている。
七人いると聞いた敵の六人が、一階で酒を飲んでいた。全員が軍の服を着ており、笑いながら騒いでいる。
大介から向かって右側に、長くL字型のカウンター席があり、広いホールには丸いテーブルとチェアが規則正しく並んでいた。床には五人の客だったであろう男性が倒れており、チェアやカウンターにも縛られた女性が十人ほど見える。全ての女性がもれなく、衣服を破られていた。
ボディーガードと店員らしい男性達は、抵抗して魔法を使われたらしく、人間の原形をとどめていない。
「なんだ? このふざけた馬鹿は?」
大介の姿を見た酒瓶を持った男が、ハンドガンを向ける。
老人と子供を背負ったヘルメットの人間に対しての評価として、それは間違えていない。
「おいおい? それが盾か? おいって! こいつ見ろよ! いかれてるぞ!」
酒をラッパ飲みする男性の声で、残り六人が大介を見る。そして、馬鹿にしたように大声で笑う。
「駄目だ。リンは二階だね」
(臆病者共だな。フィールドを、既に展開してやがる)
おばあと子供を下した大介は、シェールに二人を預けた。そして、背中からブッシュナイフを抜く。
大介の姿を見た、眼鏡をかけた一人が、顔をしかめて叫んだ。
「おい! そいつ、特殊部隊の奴だ! 気を抜くな!」
その声で、他の構えていなかった五人は酒の瓶や缶を投げ捨て、銃を手にする。
「おい、本当か? あんな装備見たことないぞ?」
「あっそうか。開戦前の装備だ。データで見たから、間違いない。余裕だな。多分、開戦前の脱走兵かなんかだ」
仲間からの情報を聞いた五人の顔に、気持ちの悪い笑みが浮かぶ。開戦前と後では装備のレベルが違い、六人はそれをよく知っていた。
「なんだ? ナイフだけか?」
「お前、俺達を舐めてるのか? ああっ?」
「俺達は、お前と違って、地獄を潜り抜けてきたんだぞ? 分かってんのか? こらぁぁ!」
薄暗いピンク色の照明を浴びながら、六人は吠えた。
自分達を弱いと思って、威嚇している訳ではない。圧倒的優位を知らしめ、大介を絶望の中でなぶり殺そうと考えているのだ。
(分かってるな。この簡易で作ったプログラムだと、相手のフィールドを打ち消すだけでいっぱいいっぱいだ)
(こっちのフィールドは出せないし、攻撃に魔法の効果はつけられないんだよね)
(ああ。ただ、刃は単分子化してある。定期的に魔法で研げば、切れ味は確保できる)
(うん。十分だよ)
六人が大介の手足を狙い、引き金を引こうとする。だが、その見ていた大介の姿が、ゆらりと視界から消えた。
「えっ?」
「はあっ?」
目を擦る六人は、お互いの顔を見合わせる。そして、周りを見渡した。全員が照準をつけようと目を細めた瞬間に、全速力で移動を開始した大介を、捉えられた者はいない。
障害物に身を隠しながら高速で移動しただけだが、酔っている上に油断した六人は、大介を完全に見失った。そして、思い込みで、先程まで大介がいた付近をきょろきょろと探す。カウンターの上に立っていた仲間が、消えた事に気が付かない。
次にカウンターの前に立っていた男が、背後から口を押えられ、胸からナイフの刃が飛び出した。そして、動かなくなったその男も、カウンター内に引きずり落とされる。
二人の仲間を失った事にも気付かない四人は、大介を懸命に視線だけで探していた。探している大介が酒の棚を軽々と昇り、天井の梁に潜んでいるとは思ってもいない。
四人を見下ろす大介の目に、いつの間にか赤い放電現象が始まっていた。そして、バーの一番奥にいた二人の背後へ、壁を滑りながら落下する。
その落下する力で一人。さらに、Ⅴの字に振り上げたナイフの刃が、もう一人を斬り捨てた。
大介が落ちてきた音で、入り口付近を見ていたバー中央付近にいる二人も振り向く。その二人は何がおこっているか、理解できていない。
バーの壁から男までの五メートルある距離を、大介が投げたナイフが素早く飛んでいく。頭に深くナイフがつき刺さった男は、そのまま力なく崩れ落ちた。
「はああぁぁ?」
メガネをかけた男は、仲間の死を信じられないもののように見つめた。敵から視線を逸らす事が戦いの場でどれほど危険かを、考えもせずに。
大介が腰のベルトから抜いたダガーナイフは、その男の喉を簡単に引き裂いた。
「ごっ! かっ」
銃を落とし、血が流れ出す首を押さえた男は、膝をついた。そして、声を出すことも出来ずにそのまま倒れ込み、弱い呼吸がゆっくりと終了する。
大介は縛られている女性に被害を出さない様に、一発の発砲もさせずに敵を制圧したのだ。
六人の元学生兵士が天に召されたのとほぼ同じ時間に、バタリオンの車が娼館の前に到着した。既に友希は治療を受けさせるために、別の場所に運んだらしく、その車には乗っていない。
車から降りたクロエが、指を鳴らす。立ったまま車を背もたれにしたクロエは、煙草を吹かしながら、大介が出てくるのを待った。
ライターをポケットにしまったボディーガードの一人が、薄く笑うクロエに質問をする。
「あの男だけで、大丈夫なんでしょうか? 今回は、軍人が相手ですよ」
「大丈夫よ。すぐに終わるわ」
「しかし、うちの者もかなりやられたんですよ。あいつ一人じゃ……」
クロエの目を見たスキンヘッドの黒人男性、ジャックに戦慄走る。彼が見た瞳に宿っていたのは、その星でもあまりお目にかかれないレベルの狂気だったからだ。
目を見開いたクロエは、笑ったままジャックに教える。
「私が、初めて大介に会った時の事を、教えてあげる。あれはたしか、もうなくなった組織との抗争中よ」
クロエは、口の端をぐにゃりと釣り上げた。
「その馬鹿達は、何処かから軍の魔法兵器を手に入れてきたのよ。仲間達や、共闘していた組織の人間。それに、雇っていた殺し屋達も次々に、ゴミに変わっていったわ」
煙草を吸ったクロエの指が、微かに震える。自分自身の話で、興奮したらしい。
「私も死を覚悟した中で、大介だけがナイフ一本で敵に向かっていたのよ。魔法の弾丸が、スコールのように降り注ぐ中をね」
限界まで興奮を覚えたクロエは、煙草を投げ捨て、両腕で自分の胸を抱きしめる。
その時には、全身が震え始めていた。
「かぶっていたヘルメットやスーツはボロボロになったけど、大介はたった一人で敵を切り崩したのよ。信じられる? 無理よね? 見てた私も、自分の目を疑ったもの」
クロエの吐き出す吐息に、艶が付加されていく。そして、目から狂気が消え、潤み始めた。
それを見たジャックが、唾液を飲み込んだ。
「その時大介の目を、私は見たの。見てしまったの。赤い火花を散らす、狂った混沌が渦巻く目をね。あれを見て、感じない女は、不感症か馬鹿ね」
大きく息を吐いたクロエは再び指を鳴らし、煙草を部下に催促した。
「あれは脱走したガキが殺せるほど、ぬるい男じゃないの。分かった?」
ジャックがクロエから目線をそらし、返事をしなかった。
そんなジャックを見たクロエが、鼻で笑う。そして、大介のいる娼館を眺めた。
クロエの事など知りもしない大介は、シェールに目線を向ける。
最後の一人である信二が、上半身裸のまま、リンの肩を抱いて二階から降りてきたのだ。その信二は酒を飲みながら、呑気に仲間を探している。
余りにも無防備すぎて、斬っていいかを大介は迷っていた。そして、シェールに確認の目線をおくるが、いつも通りそっぽを向かれる。
(フィールドは?)
(出してないな。もう、斬っちまうか?)
「なっ! おまっ! おまえぇぇ!」
やっと事態に気が付いた信二が、腰の銃を抜く。
「えっ?」
信二は、リンにも銃を投げ渡した。
「ちょっと! 信二! 大丈夫なの?」
「五月蝿い! 俺達が負けるはずがない! 俺達は神に選ばれた、英雄なんだ!」
リンと二人で銃を構えた信二が、大介に大声で質問をする。
「おい、お前! なにしやがった! 選ばれた俺達が、負けるはずがない! どんなずるしやがったんだ!」
……ああ、この人って。
(色々かわいそうな奴だな。てか、この馬鹿に従った六人は、もっと残念な奴らだけどな)
(ずるってなんかしたっけ?)
(敵が手の内を、喋ると思う様な痛い子だ。もう、大目に見て殺してやろうぜ)
大介が信二から目を離さずに呆れていると、シェールが叫んだ。
「リンさん! お子さんどうするんですか? あなたが居なくなったら、生きていけませんよ?」
子供達が来ている事に気が付いたリンが、震えながら涙を流す。そして、大声で叫ぶ。
「私はねぇ! 一生懸命やってきたの! その子達も、出来るだけ可愛がったの!」
「はい! ですから、銃を下してください!」
シェールの声にも、リンは銃を下さない。
「でもね! 自分が可愛いの! 私はかわいそうなの!」
……やばぁい。リンさん。あの子に似てる。
(落ち着け。お前が、動揺するな!)
「この店で育って、この店で客をとらされた! 好きでもない人の子供が、二人も生まれたわ! 私には、どうしようもなかったのよ! この気持ちが分かる?」
信二が顔を悲しそうに歪め、潤んだ目でリンを見つめる。
それを見た大介とグレムリンは、溜息をついた。
「私も幸せが欲しい! 服が欲しい! 宝石が欲しい! お金が欲しいのよぉぉ!」
(頭の悪い叫びだな)
(本心は、人間なんてあんなものじゃない?)
「じゃあ、この子達はどうなってもいいんですね?」
ナイフを構えた大介が、リンを斬る覚悟が出来た所で、予想外な事がおこった。
(あれ?)
リンが銃を床に落とし、そのまま子供達に走り出していた。信二はただ、その後ろ姿を眺めている。
(これは予想外だ)
シェールごと子供を抱きしめたリンは、その場で号泣し始めた。そして、子供に必死に謝っている。
(誰かさんと違って、ぎりぎり人間の心が残ってたらしいな)
信二を見た大介の姿が、ぶれる。自分を裏切ったリンに向かって、信二は引き金を引こうとしていたのだ。
だが、その引き金は引かれることなく、床へ落ちる。
仕事を終えた大介は、テーブルにあったペーパータオルで、ナイフの血を拭き取った。
「あの、おばあ。私動けないんで、あの人達を見てあげてください」
「はいよ」
絶命した者以外を、おばあが治療して回る。
ブラックダイヤの女性達に命の別状はなく、大介は依頼を完遂した。
数分ほどの時間をかけて大介が娼館の全てを調べ終わる頃には、リンも泣き止んでいた。そのリンは、笑顔を浮かべてベイビーとしての大介に近寄っていく。
「あの、ベイビーさんですよね? よかったら、私と結婚を前提に、おつきあ……」
その日大介は、シェール達を置き去りに、娼館を逃げ出した。話し掛けようとしたクロエにも目を向けず、ただただ逃げ出した。
(いっそ、殺しとけばよかったんじゃないか?)
黒いスーツを着た大介は、闇にまぎれて娼館から走り去る。
自分のトラウマから逃げる為に。