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二話

 強い潮の香りを乗せた風が、エメラルドグリーンの海面を撫でる。海面すれすれを泳ぐ青魚の群れを、追いかける様に飛ぶ海鳥達の群が、よく響く声で鳴いていた。

 何艘もの船が浮かぶその海に、ゆっくりと太陽が沈み始めている。もうすぐ長い夜がくるのだ。


 客で賑わうアジズの酒場では、カウンター内にいるシェールがコップを拭いていた。満席になるほどの団体客が来店して既に二時間が経過しており、注文が落ち着いたからだ。

 アジズはカウンター内にある折り畳み式の椅子に座り、葉巻をふかしている。

 働き者であるシェールの手が、いつの間にか緩慢になっていた。それは、惑星間通信放送を映し出すディスプレイが、戦争の状況を報じており、その内容に気を取られたからだ。

 激化の一途をたどっていた戦闘行為が、各惑星で中断されつつあるらしい。理由は、三つの力が均衡し、各勢力が攻めあぐねているからだ。三つの勢力とは、惑星連合軍、革命軍、アマル帝国軍。

 大介達がドームで生活をしていた時代とは、大きく人々の在り様が変わっている。革命軍に奇襲を受けた各国は、連合軍を作り、その有り余る物量で対抗した。

 戦いが始まってすでに隠し切れなくなった指導者達は、歪められてはいるがドーム外の情報も国民に開示している。それだけ、逼迫した状況だったのだ。

 戦死者の数は、その時点で二百万人をこえている。そして、突然戦闘に介入したのが、人金により作られたアマル帝国だ。

 シェール達部族と違い、独自の科学力で宇宙に飛び立つ事の出来た帝国は、人間達に支配されなかった唯一の人金達が作った国だ。彼等は、同胞達が人間に脅かされているのを知ってはいた。

 だが、敵が持つ魔法の力を軽視するわけにもいかず、人間達の隙を虎視眈々と狙っていたらしい。正式な開戦は、大介がエウロパにたどり着いて半年後の事だった。

 シェールにとってもっとも気がかりなのは、戦争の状況ではない。帝国が各惑星の人金を救い出しているらしいが、最前線であるガルーラで救出された人金はまだ少ない事だ。

 エウロパへ乗ってきた宇宙船を、生きていくために二人はお金に変えた。

 しかし、レートも知らず頼れる人もいない大介達は、宇宙船を十分の一以下の値段で、買いたたかれてしまったのだ。アジズに拾われなければ、野垂れ死んでいたかもしれない。

 仕方のない事ばかりだが、仲間の元へ向かえない自分をシェールは情けないと感じていた。そして、流れてくる情報に意識が集中する。


「あっ!」

 コップを布で滑らせてしまったシェールは、落下中のコップへ手を伸ばす。

 だが、運の悪い事に、掴みに行った手の指に当たったコップが、あらぬ方向へ飛んでいく。カウンターに座る女性客に向かって飛んでいくコップを、もう一度つかむ運動能力は、シェールにはない。

 目を瞑ったシェールの耳に、ぶつかる音や、客からの怒声は届かなかった。恐る恐る目を開くと、コップを大介が掴んでいる。

(セーフ)

(はぁぁ、危なかった)

 仕事から帰った大介が、即座に対応していたのだ。片目に一瞬だけ赤い雷光が走ったのは、グレムリン以外気が付いていない。

 客達は皆、懐の銃に手が伸びていた。シェールが粗相をしてしまいそうになった相手は、クロエだ。もしぶつけていれば、ただでは済まなかっただろう。

「すみません。クロエさん」

「ありがとう。大介」

 クロエは軽く平手を上げ、部下達を抑止する。

「あの! すみません! 本当に!」

「大介に感謝しなさい。お嬢ちゃん。そうでなければ、骨の一本も覚悟してもらうはずだったから」

「はい! 本当にすみませんでした!」

 何度も頭を下げるシェールに、クロエが笑いかけている。クロエの目を見た大介が、寒気を覚える。

……あの目は、本当にやるつもりだったんだ。

(そうだろうな。あの手の人種は、プライドやら面目やらを、死ぬほど大事にするからな)

(クロエさん。美人なのが、なお怖いよ)

 ブラウンの髪と瞳を持つ白人種であるクロエは、常にスーツを着ており、美人秘書を思わせる外見を持っている。理想的なおうとつのある体と、整った目鼻立ちをしているが、眼光だけがイメージの中にいる秘書とは違う。彼女の機嫌を損ねれば、ろくな事にはならない。

(お前はあれだな)

(何?)

(凶悪肉食系女と、縁があるよな)

(やめて。笑えない)

 コップをカウンターに置いた大介は、まだ謝っているシェールを見かねて、クロエに話し掛ける。

「今日は、どうしたんですか? みなさんを引き連れて」

「あら? あなたから話しかけてるくなんて、珍しいわね」

「そうですか?」

「今日はね。狩猟をしていたの」

「狩猟?」

「そう。勝手にうちの縄張りに入り込んだ、くそガキ共のね」

(この人にとって、人間も狩りの対象なんだろうなぁ)

(俺等が言うのもなんだが、おっかねぇ)

 自分に目を向けたクロエに見えない様に、大介は向こうに行くようにシェールに手で指示をした。

 コップを持ってカウンターの奥に逃げ出すシェールを、クロエが気付かないはずがない。

「あの子を虐めて、正解だったわね」

「はい?」

「貴方から喋りかけてくれるなんて、思っていなかったもの」

 軽く笑う大介の顔が、若干ひきつる。

「また、そんな冗談を」

「本当よ。貴方なら、私の愛人にしてもいいわよ。どう?」

 引きつり過ぎた大介の顔が、泣いているようにも見える。大介の目にはクロエではなく、その後ろで腰の銃に手をかけた黒人男性二人が映っているからだ。

(こっ! 殺される!)

(ブラザー。人生ってのは、あっけないものさ)

(諦めないでよ! 助けてよ! フィールド準備してよ!)

 ゆっくりと後ろに下がっていた大介の腕を、クロエが掴んだ。そして、強引に自分の隣へ座らせる。

「ひぐっ!」

「なぁに? その声は? 相変わらず、分からないわね」

「なっ、なにがでしょう?」

「うちの二人も、それなりの腕はたつわ。でも、貴方ならここにいる全員を、無傷で殺せるでしょ? なんでそんなに怖がるの?」

 クロエとその専属ボディーガード二人は、大介の裏を知っている。本気で怖がっている大介の顔を、クロエは不思議そうに覗き込んでいた。

「買い被り過ぎです。ここにいる人達を運良く殺せたとしても、バタリオンを相手になんかしたら、次の太陽を見る前に死んでます」

 小刻みに震える大介は、クロエに向けた両掌を激しく左右に振っている。魔法を使えば、バタリオンにも大介はかなりの抵抗が出来るだろう。

 だが、兵士だった大介は、群に個で挑む愚かさをよく知っている。だからこそ、精一杯敵意がない事を、体で表現した。

「大丈夫よ。この二人を殺したら、代わりに貴方が愛人兼ボディーガードになってくれるんでしょ? バタリオンは、仲間に手を出さないわ」

 ボディーガードの一人であるスキンヘッドの黒人男性が、こめかみに血管を浮き上がらせている。そして、大介は目に涙をためた。


「やめろ。うちのもんに手を出すな」

(あああ! 店長!)

 大介は、アジズの声で大きく息を吐いた。

(なんだよ。面白かったのに)

 グレムリンの冷やかしで、大介はアジズから端末へ視線を移した。そして、本気で睨みつける。

「あら? 心外ね。口説いてただけじゃない」

「お前のそれは、血生臭すぎるんだ。それと、大介」

「はい? けほっ!」

 端末にガンを飛ばしていた大介に、アジズは煙を吐きつけた。

「お前は、用心棒も兼ねてるんだ。しゃんとしろ」

「げほっ! けほ! すみません」


 アジズが顎で大介に、奥へ消えるように指図をした。それを見た大介が、申し訳なさそうにクロエに頭を下げてキッチンへ向かう。

 そのキッチンでは、シェールが待ち構えていた。

「ありがとう。でも、情けないわ」

「だって……」

「男が言い訳しない!」

 大介は力なく、キッチンの椅子へと座った。そして、溜息をつく。

「仕事中とは、本当に別人ね」

 まかない料理を作り始めたシェールの呟きを、大介は聞いていない。勝手に開けた冷蔵庫から、炭酸水を取り出して飲んでいる。

 その目は、少し重たそうだ。また、二日以上眠っていない。

(飯食って寝ようぜ?)

(まだ大丈夫。もう少し起きてる)

「はい、これ。一応、お礼」

 ぼんやりしている大介の前に、シェールはまかない料理を乱暴に置いた。そして、キッチンを出て行く。

 大介は無言で、シェールの作ってくれたピラフをもそもそと食べ始めた。かなりの速度で食事を終えた大介は、そのままキッチンで皿を洗う。その気力がないのっそりとした動きは、夢遊病者に見えなくもない。

(やっぱり、眠ろうぜ。昨日も、裏の仕事したんだし)

(でも、もう少し)

 端末内のグレムリンは、呆れたように寝転がる。

 大介は、裏の仕事で魔法を使う。場合によっては、古代のものもだ。それは、精神的な疲労を、ほぼ間違いなく伴う。それを回復させるもっともいい方法は、睡眠をとる事だ。

 だが、大介はグレムリンから説明を受けても、眠る事を拒む。胸に空いた穴から、血が流れ出さない様に。


「お嬢ちゃんは元気?」

「ああ、要塞都市で元気にやっているそうだ。あっ、しまった」

「どうかしたの?」

 クロエと世間話をしていたアジズが、仕事を思い出した。

 大介が帰って来た時に、話そうと考えていたが、ごたごたでうっかり忘れていたのだ。


 クロエに断りを入れたアジズは、キッチンを覗き込み、皿を洗い終えた大介に話し掛ける。

「仕事の依頼が入ってるぞ」

「あ、はい。ベイビーの?」

「違う。ブラックダイヤから、運送と雑用依頼だ。料金は、いつも通り五〇で頼みたいそうだ」

 大介が、あからさまに嫌な顔をする。逆に、グレムリンはおもしろそうだと思えたらしく、起き上がった。

「仕事をえり好みするな。シェールと二人で行ってこい」

 大介は、アジズが差し出したメモを嫌々受け取る。そして、頭を掻きむしった。

「急いでほしいそうだ。手早くそろえてこい」

「はぁい」

 暗い顔をした大介は、裏の扉から店を出る。

「何? どうかしたの?」

 大介の顔を見たクロエは、アジズに理由を聞いた。しかし、アジズは煙に巻く。

「疲れているんだろうよ」


****


 ブラックダイヤから依頼された品物を、木箱に詰め込み、肩に担いだ大介が店へと帰る。その顔には、悲壮感が漂ったままだ。

(さて、今回はどうなるだろうな)

(行きたくない)

(人間諦めが肝心だぞ、ブラザー)

(分かってる。でも、行きたくない)

 ブラックダイヤとは、十キロほど離れた、村だ。

 その村には、大きな特徴がある。住んでいるのが女性だけなのだ。体力面等で弱者になる女性が、無法の星で生き抜く為に、作った場所なのだ。

 ただし、その村だけで自給自足は不可能だったらしい。仕方なく女性達は外へ働きに出ているが、ねぐらはその村と決めているらしい。

 大介は、アジズに拾われる前に、その村へ身を寄せた事がある。女尊男卑だったその村で、大介は食事を分けてもらう為に馬車馬のように働かされた。実は、ベイビーの呼び名は、その時に子守りをしたのが発端だ。

 アジズの店で腰を落ち着けてからも、大介指名で雑用や買い出しの依頼を受ける。それが、大介には苦痛らしい。


 店と複数の商店を四度ほど往復した大介は、荷物とシェールを荷台に乗せてブラックダイヤへ向かう。運転をする大介の顔は、さらに暗くなっていた。

(元気出せよぉぅ! 種馬ぁ!)

(馬には違いないけど、それなんか違う。それよりも、イチさんは何で嬉しそうなの?)

 グレムリンは、端末内で小躍りしていた。

(あそこは、面白い。女同士の上っ面の会話とか、どろどろした内面とかが、色々観察できるからな)

 呆れたように息を吐いた大介は、眉をハの字にしたまま運転を続けた。


****


 二十分ほどで到着した村は、金網で囲われている。過去に何度も男性達と揉めたブラックダイヤは、自分達を守る為にそうしたのだ。

 三メートルほどの金網には有刺鉄線が巻きつけられており、出入りできる門は二つだけで、常に監視が立っている。その監視役の女性が、村へ向かってくるオート三輪にライフルを構えた。

 最初から撃とうとしている訳ではない。暗視装置つきのスコープで、運転手の顔を確認しているのだ。

 相手が大介だと分かると、門のスイッチを押し、錆が浮き出ている厚い鉄の扉を開いた。

「ご苦労さん」

「まっ、毎度どうも」

 大介を迎えたのは、頬に目立つ傷がある女性だ。

 昔の地球では、インドや中東に居そうな顔立ちの彼女は、ブラックダイヤの代表者をしている。白人種や大介がいたドームの人間よりは、濃いと言える顔を持った女性ではある。

 だが、男性受けのよさそうな顔でもあり、プロポーションも申し分ない。大介はその女性、ナクサが苦手である。

「じゃあ、商品はここにありますんで」

「何を帰ろうとしてるのよ」

「えっ、あの、その」

「運送だけに、五十万も出すと思う?」

 愛想笑いを続ける大介は、ナクサに足を踏みつけられる。サンダルではなく靴を履いている大介だが、それでも痛みは感じていた。

「小屋の修理と、引越しの手伝いに、ゴミの運搬に色々あるわ」

「はい」

「この子が案内するから、手を抜くんじゃないわよ」

(ドナドナって歌知ってるか?)

(知らない。そして、今は聞きたくない)

 人金の女性に引きずられながら、唇をかんだ大介が運ばれていく。待っているのは、嫌になるほどの重労働だ。


「シェールちゃん。元気にしてた?」

「おかげさまで。この荷物は、どこに運びますか?」

「いいの、いいの。こっちで運ぶから。それよりも、子守りを頼める? 親が帰ってきてない子の相手が、足りないのよ」

「はい」

 大介とは違い、シェールは笑顔でナクサの依頼を受ける。人種は関係なく、女性には住みやすい村なのだ。逆に、村に入る事を許された男性は、重宝がられるが、扱いが悪い。


****


「えっ? 大丈夫?」

「大丈夫に見える?」

 五時間ほど重労働をこなし虫の息になった大介が、シェールのいる託児所に投げ込まれた。

「喋れるなら、大丈夫よね」

(このお嬢ちゃんも、お前に気遣いしなくなったよな)

(そうだね。良い事だよね。今は、少し泣きたくなるけど)

 大介は、全身が疲労と睡眠不足で、軽く痙攣している。それでも、立ち上がり泣いている赤子の相手をした。サボれば、もっと嫌な目にあうのは、分かっているからだ。

 震える手で、ミルクを作り、おしめを変える。

(お前の肉体の限界が、もうすぐだと思うんだが?)

(それは、二時間前にこしたから。後、一時間はもつと思う)

(今のお前は、俺でも尊敬できるぞ)

(誰か助けて)


「あっ! お母さんだ!」

 シェールが読む絵本を、静かに聞いていた少年が、託児所に入ってきた女性に抱き着く。少年を抱え上げたその女性は、大介に近付いた。

「下の子まで面倒見てくれてるのね。ありがとう」

……うわっ。何が狙い?

 両手に哺乳瓶を持ち、二人の赤子にミルクを飲ませていた大介が固まる。

 その女性と、大介は初めて会う。ブラックダイアの村では、女性から労いを受ける事が珍しい。そして、男性に優しくする女性のほぼ全員が、何かしらの下心があった。

 過去に、お金や端末を盗まれそうになった事だけではなく、濡れ衣を着せられそうになった事のまである大介は、心構えをする。場合によっては、逃げ出そうと考えていた。

 だが、その女性は大介に何も要求してこない。ミルクを飲む、自分の赤ん坊を優しく見つめていた。

「大介くんだよね?」

「あっ、はい」

「噂は聞いてる。よく働くって、みんなが言ってるよ。」

「いえ、僕は普通です」

(変な所で、拒絶を見せるな。馬鹿)

 ミルクを飲み終えた赤ん坊の頬を指で撫でたその女性は、自分の名を名乗った。

「私、リン。よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

 眉間まで鼻筋がとおっていないリンは、大介と近い人種だ。長い黒髪と細い目に、丸みをおびた低い鼻を持っている。クロエやナクサのような美人とは言い難いが、愛敬があり異性からもそれなりに好かれるだろう。

 しかし、大介は警戒を緩めない。しきりに話しかけてくるリンを、子供の世話をしながらのらりくらりと躱す。

 相手が二児の母だからでも、好みではないからでもない。その村で、女性に気を許す愚かさを、よく知っているからだ。大介は過去に、自分と同じように労働力として雇い入れられた男性が、下心を出してどんな目にあったかを見てきた。

 ある男性は、大事な部分を切り取られた上で逆さ吊りにされ、また別の男性は、オートマチックの拳銃でロシアンルーレットをさせられていたのだ。

「ねえ? ベイビーがいるくらいだし、アジズさんの店って、給料がいいの?」

「いえ、普通だと思いますよ」

「大介くんって、ベイビーの相棒なんでしょ? 分け前をもらってるの?」

 赤ん坊を背負い、揺れながら別の子供にパンツをはかせる大介は、目が泳ぐ。そして、作っていた笑顔が引きつり始めた。

(ほら見ろ)

(何?)

(お前が相手をしないから、本性が出始めたじゃないか。この子は、お金が大好きなんだ! 財布は抱きしめて眠れよ。ほぼ間違いなく、パクられるぞ)

(これだから、ここの人は嫌なんだ)

 少しずつ体に触れようとするリンを、大介は躱し続ける。しかし、リンもすぐには引き下がらない。

「大介くんは、料理作れる? 掃除は?」

「料理は出来ません。掃除は人並み程度なら。うっ!」

 目線を合わせない様に働いていた大介は、シャツを掴まれて動きを止めた。そして、背後を恐る恐る振り向く。

「少し誤解してるみたいだから、はっきり言うわね。私と真面目に付き合ってみない?」

 リンの言葉が聞こえたシェールが、目線を向けずに聞き耳を立てた。青ざめた大介の顔には、すでに作られた笑いはない。

「大介くんの人柄は聞いてるし、優しそうな見た目も私の好みなの」

(はいっ! ロックオーン! こいつの裏は、どんなでしょう!)

 端末の中にいるグレムリンが、手を叩いて喜んでいる。リンからにじみ出る腹黒さが、分かっているらしい。

(目眩がしてきた)

 背中で眠り始めた赤子をベッドに寝かせ、大介はリンと距離を取ろうとする。

 だが、体力を消耗した大介は、リンに腕を引っ張られ、その場に座り込んでしまった。

(詰んだな)

(最悪、魔法をお願いします)

(ぎりぎりになったらな)

「子供が二人いるわ。でも、恋人が出来た事ないの。この意味わかる?」

……近い、近い、近い! どんどん寄ってくる!

「私は娼館で生まれたの。母親も小さいころに死んで、生まれ育ったその店で、今も働いてる」

 膝と肩が触れる位置で、リンは大介の顔を上目使いに覗きこんでいた。すでに大介の首筋には鳥肌が立っており、顔は真っ青だ。

「私の夢は、素敵な旦那様を見つけて、子供達と静かに暮らす事。だから、色々聞いたけど、悪く取らないでね」

 大介は助けを求めようとシェールを見るが、目線を合わせてもらえない。グレムリンは端末の中で嬉しそうに騒ぐだけで、助けるつもりはないようだ。

……神様。助けてください。

(あ、俺の知り合いは忙しいから、期待するなよ。うけけけけっ)

(もう、悪魔でもいいんだけど……)

(無駄無駄。そっちも皆で、社員旅行に出てるぞっと)

「ねえ? どう? いいでしょ?」


 大介が拳を握りしめた所で、託児所の扉が開いた。そして、ナクサがリンの腕をつかみ、小屋の外へ出る。

「痛い! ちょ! 痛いってば!」

 座ったまま体を強張らせていた大介が、心臓の位置で胸に手を当てて二人を見送った。

(助かった)

 何度も深呼吸をする大介は、シェールの視線には気が付かない。

(何だよ。これからが面白くなりそうだったのに)

 託児所と呼ばれる木造の小屋を出たナクサとリンは、大声で口論をしていた。感情的になった二人の声は、睨み合う大介とグレムリンの耳にも届く。

「新入りが、勝手な事するんじゃない!」

「何よ! 早い者勝ちでしょ!」

「あいつは特別なんだ! これ以上続ければ、村から追い出すよ!」

「私だって……私だって、あんな気持ちの悪いオカマ野郎は願い下げよ! でも、子供には父親が必要なの! 我慢してやってるの!」

 眉間をつまんだ大介は、大きな息を吐き出した。端末内のグレムリンも、呆れている。

(せめて、悪口は聞こえない様に言ってほしいな)

(多分、あの女は頭が残念なんだ。てか、お前を財布代わり程度にしか見てないな)

(あれ? 本当に目眩が)

「えっ? ちょっと、大介? えっ?」

 ゴトリとその場に倒れ込んだ大介を、シェールが揺さぶる。だが、大介は目を覚まさない。寝不足と疲労の限界をこえており、気が緩んだ瞬間に意識を飛ばしてしまったのだ。

 大介は、そのまま夢も見ないほど深い眠りに落ちる。


 シェールの声を聞いたナクサが、託児所内へ入ってきた。そして、デジタル表示式の腕時計を見る。

「六時間か。本当にこの子は化け物じみてきたわね」

「万全なら、大介はもっと働きます」

 悲しそうなシェールが、大介を抱き上げる。そして、布団へと運んだ。

「あれだけ重労働をすれば、一時間で動けなくなってもおかしくないわ」

「それくらい出来ないと、私を抱えて生きていくなんて出来なかったんですよ」

「この星は、情報や力がない者には、地獄と同じだからね」

 二人の話が聞こえたグレムリンが、少しだけ遠い目をする。弱者としてエウロパに降り立った大介達は、何とか生き抜いた。法のないその星で、生き抜く為には相応の苦労が強いられる。

 グレムリンがくみ上げた医療プログラムを使い、怪我に対応した大介だが、すぐに全快したわけではない。だが、野盗達は着陸した宇宙船を見て、容赦なく略奪を繰り返す。

 心身ともにボロボロの状態で、大介達は寝る暇もなく戦った。宇宙船と自分達を守る為に。

 ハイブリッドとの戦闘で、大介は魔力をかなり消費してしまっていた。だが、宇宙船の装甲板から魔法で削り出したブッシュナイフ一本を握りしめ、フィールドもなしに機関銃やロケット砲と向かい合う。深い悲しみで、頭の線が切れていなければ、耐えられなかったかも知れない。

 ただ、人はそれを運が良いとは思わないだろう。もっとも楽な方法は、死を選ぶことなのだから。

 雨水をすすり、食料を分け合って、まともな人間が気が狂うのに時間のかからない環境で、二人は何とか生き延びたのだ。

 それでも、食料と魔力が限界に達する。ブラックダイヤを含め、各地を点々とする事になった二人に、微笑みかける者は少ない。ある者は宇宙船を安く買いたたき、ある者は金をだまし取り、ある者は二人を利用した。

 路上で餓死する寸前にアジズが拾わなければ、今の二人はない。


 だが、グレムリンが思い出しているのは、そんな過去ではなかった。前回呼び出した知神達に、魔力が少ないと文句をつけられた事を思い出している。そして、呼び出す相手を変えようかと悩んでいたのだ。


 泥のように眠る大介は、そんなグレムリンの悩みを知らない。


****


 十時間近くトイレにも起きなかった大介が、ゆっくりと目を覚ました。そして、ぼやけている目の焦点を合わせる。

「ん? ひぃっ!」

 自分の目に映っていた肌色が、何であるか分かった大介は、布団から飛び出した。そして、腰を抜かして座ったまま、腕の力だけで後ずさる。

 大介が見たのは、女性の手首だった。治癒されていたが、そこには切り傷が残っている。

(落ち着け! どうどう! あれは、お前の知ってる病気の人じゃない!)

 トラウマを刺激された大介は、壁に背をぶつけながら、尚も後ろに下がろうと腕を動かしていた。

「んんっ? 何? どうしたの?」

(ほらほら、大丈夫だよぉぅ。痛い人じゃありませんよぅ)

 布団から起き上がったリンを見て、大介が呼吸を整える。肩で息を続ける大介の心臓は、口から飛び出すほど激しく暴れていた。

「おはよう」

 目を擦るリンは、大介に笑いかける。そして、隣で眠っている自分達の子供を、優しく撫でていた。

 大介が拭った汗は、想像以上に冷たい。

(怖かった。怖かった。ただ、怖かった)

(ショック死寸前だな。おい)

 喉の渇きを感じられるほど落ち着いた大介は、状況を確認する。そして、託児所で自分が力尽きたのだと理解したらしい。

(ナクサさん、怒ってなかった? 寝てる間に変な事されてない?)

(心配するな。あれだけ働けば、大丈夫だ。財布も盗まれてない)

「あのね。さっきの話、本気だから」

 自分を見下ろすように話しかけてきたリンを見上げた大介は、口をぽかんとあけた。リンの言葉が信じられないらしい。

……あの大声を、聞いていなかったとでも?

(都合よく、聞こえなかったと思いたいんじゃないか?)

(そんな馬鹿な)

(心配するな。こいつは馬鹿だ)

 呆然とする大介に、リンは理想の家庭について喋り続けた。家族だけの家を買い、子供達は要塞都市の学校に通わせたいらしい。

 自分と二人で働けば、それも無理ではないと目を輝かせて、現実的な数字を口にする。

「どうかな?」

「ちょっと、何を言っているか分からないです」

「それは、付き合ってもいいって事?」


 涙を浮かべた大介は、返事をすることなく小屋から逃げ出した。そして、飲み物を求めて、夜道を走る。

……会話が出来ない女の人が、僕に寄って来る!

(今度、厄払いの神でも呼び出すか?)

……もう、嫌だ!


 水分を補給した大介は、ナクサに捕まるまで村の中を逃げ回った。涙を堪えて。

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