一話
乾いた風が吹き、強い日差しが照りつける荒野を、一台の車が走っていた。それぞれが思い思いに伸び放題の雑草を踏みつけ、道なき道を真っ直ぐに進んでいる。
その車に車輪はついているが、三つしかない。大昔の地球でオート三輪と呼称された、貨物自動車の一種だ。
運転席を守る四角い箱は薄い鉄板で出来ており、正面こそ強化プラスチックで出来ているが、それ以外の窓は透明で厚いビニール製だ。小回りがきき、過積載にも強い車両ではあるが、事故の際運転手が助かるかどうかは、運に頼るしかない。
その車の昔のそれと一番違う所は、動力はモーターであり、無段変速機で面倒な操作を必要としない点だろう。それが化石燃料のないその衛星で、もっとも安価で需要の多いトラックなのだ。
ただ、需要があるのは、都心部などの人が多い場所であり、郊外をその車で走る者は少ない。それは、山賊や海賊と呼ばれる者達から、逃げるだけの速度が出ないからだ。都市部から森や荒野を抜けて、工場地帯等に移動する場合、重力制御装置が付いた飛べる車両か、最低でも強化した四輪車に乗るのが普通である。
それでも、そのオート三輪は荒野をひた走っている。
数分後、オフロード用のタイヤが奏でる音が、突然変わる。地面の状態が、いきなり変わったのだ。ひび割れ、草木一本生えていないその場所は、かつて水が流れていた痕跡が残っている。
さらに、周りを見渡すと、森や草原らしき場所が、四角く区分けされていたらしい事も推測できた。その衛星の大地は、ほとんどが人工的作られており、自然の雄大さを感じられる景色は海ぐらいだろう。
木星の第二衛星である「エウロパ」が、変わり果てたのには理由がある。地球を逃げ出した人間が、最初にテラフォーミングを開始したのが、その衛星なのだ。
失敗をする生き物である人間が、最初に選んだその星は、生物には厳しい環境しか作れなかった。重力を操り、大気を地球と同じにしたが、あまりにも過酷な環境に、宇宙船団はこの衛星を諦めたのだ。ただ、現在は一億人程度の人々が暮らしている。
管理された社会から逃げ出した研究者が、最新技術を導入し全てを改善したからだ。九割を海がしめるその星は、亜熱帯の環境が作られ、人間の住みやすい場所へと変わった。
衛星をつくりかえた研究者達は、自由な国を目指して、移民希望者を分け隔てなく受け入れる。その結果、自分達を守る強固な要塞都市を作らざるを得なくなった。移民を求めた多くが、社会からはじき出された者達であり、犯罪者や反社会主義者だったからだ。
さらには、星を逃げ出した人金さえも受け入れている。
人口が増え活気ある星にはなったが、要塞都市以外の場所は、無法地帯と化していた。ある種の人間には住みやすい場所だが、それ以外の者には、厳しい社会だとも言える。
だからこそ、そこで生きる人々は、老若男女問わず、曲者ぞろいだ。
オート三輪を運転している大介は、現在その脛にある傷が大きいか小さいかの違いしかない人々の中で、暮らしていた。
「ストップ。通行止めだ」
森に入ったオート三輪の前方を、三人の男がふさいでいた。
(懐かしさを感じる山賊スタイルだな)
(あれ? あの人は)
大柄な男二人と小太りの男一人は、銃を構えて大介に近付く。
「どうも、お疲れ様です」
ビニール製の窓を畳んだ大介は、首を出して男達に声をかける。その顔を見た三人は、溜息をついて銃を下げた。
「なんだ。お前か」
「すみません。通してください」
「分かってるよ。行きな」
「では、失礼します」
山賊達に挨拶した大介は、表情を変えずに森を抜けて行った。
「ついてないな、ジャン」
「あのガキには手を出せねぇな」
山賊達は悔しそうに、三日ぶりの獲物であるオート三輪を見送る。
「あいつらは、バタリオンに顔がきくからな。仕方ない」
「それに、ベイビーに目をつけられたら、それこそ事だしなぁ」
自分に言い聞かせるように理由を喋った山賊達は、茂みに隠してあるテントの中へ戻る。そして、次の獲物をポーカーで時間を潰しながら待つ。
(あいつら、たまに来るよな?)
(うん。お客さんだね)
グレムリンと会話をしていた大介が、目を細めた。森を抜けて、日差しを弱めてくれていた葉がなくなったからだ。
先程下げて、戻していない窓から、心地のいい風が大介の頬を撫でる。
(おい! 寝るなよ!)
(あっ、ごめん)
グリップから左手を離した大介は、目を擦る。
(帰ったら、一回眠っとけ)
(そうだね)
エウロパは自転(公転)周期の関係で、一日が二十四時間ではない。
大介がその衛星で生活を始めて、一年以上がたつ。だが、眠るタイミングが不規則で、寝不足になる事がまだある。
****
目的の街が見えた大介は、スロットルを緩めて速度を落とした。そして、人々が行き交う街中をゆっくりとすすむ。
コンクリートや煉瓦で作られた単純な作りの建物が並び、様々な人種が通りを歩いている。大介が育ったドームはほぼ黄色人種だけだったが、白人や黒人だけでなく人金すら気兼ねなく暮らせる街なのだ。
暖かい気候の海沿いにある潮の香りがするその街では、大多数の人間が薄着で過ごしている。ランニングシャツと半ズボンや短いスカートを身に着けている者が多く、上半身裸の男性や水着の様な衣服の女性も少なくない。Tシャツとデニムのズボンをはいた大介は、厚着をしていると言える。
日よけの帽子をかぶり、サンダルを履いた住人達は、健康的に日焼けしているが、一様にガラが悪い。タトゥーやピアスは当たり前で、体にある大げさな傷跡を見せつけているモヒカンヘアーの男性や、病的に痩せたスキンヘッドの女性が、常に人を威嚇しながら歩いている。
その人々のもっとも特徴的なものが、目だ。まっとうに生きてきた人間が、持てる目をしていない。露店で魚を売る老人すら、人を五人は殺しましたと言いそうな目の鋭さだ。
大介は人の多い露店が並んだ通りを抜け、現在の居住地である酒場へと帰り着いた。外壁が木目調の金属で出来た、二階建ての西部劇でよく見るような外観をした、比較的大きな建物だ。
建物の裏にある鉄骨に、大介は三本の太いキーロック式ワイヤーで車を繋いだ。無法の街では、それでも盗まれる事がある。だが、ワイヤーで繋がないよりは、はるかに盗まれ難くなるのも事実だ。
「へへっ! これ見ろよ」
大きく伸びをした大介の後ろで、子供達が手に持った何かを見て騒いでいた。裏路地にしゃがみ込む汚れたシャツを着た子供達が、あまりにも騒いでいるので大介がそちらを見る。
座っている三人の子供は、身なりから裕福ではないと推測できた。
「すげぇじゃん! レッドドラゴンなんて、始めて見た!」
騒いでいる原因は、子供の一人が握っているカードだと大介にも分かった。子供達の間で対戦が出来るそのカードゲームのカードは、お金と同じ価値があると聞いた事があるからだ。
「どうしたんだよ。 まさか、買って当たったのか?」
「そんな金ねぇよ。マルコの家から、盗んでやった」
「すげぇ! いいなぁ」
「心配するな。売れば、七千ジルにはなる。飯ぐらい奢ってやるよ」
お金と同じ価値があるそのカードは、珍しいものになればなるほど、高額で取引されている。ドームよりも手に入りにくい魔力カプセル一つの値段が、五百ジルだと言えば、そのカードの価値がドームに住む人間にも伝わるだろう。
大介は呆れたように、溜息をつく。
(なれろ。ここで三歳以上の奴は、全員どろっどろだ)
(注意なんてするつもりもないけど、親の顔が見たいね)
(安心しろ。その親も、多分真っ黒だ)
もう一度溜息をついた大介は、裏口から店へ入る。ガンマンやお尋ね者が居そうな店内は、五つのテーブル席と、一人で来た客が七人ほど座れるカウンター席があった。
店内は古い酒場をイメージして作られているが、暴れる客も多い為、壁や床の材質はすべて木目調の合金だ。さらにカウンターやテーブルも、強化セラミックで出来ている。
カウンターの奥にある、棚にはずらりと酒が並べられていた。その棚の前に立っている店主の人金が、扉の開く音で振り返る。
その店主は、人金ではあるがシェール達とは種族が違い、身長は人間と同じ程度だ。そして、目が二つしかない代わりに、髭が生えている。シェール達の種族は、成人男性でも髭は生えてこない。
「おう、お疲れ」
「お疲れ様です」
運転の疲れから肩を回していた大介は、カウンター内でコップを拭いていた店主のアジズに挨拶をした。そして、店内を軽く見渡しつつ、カウンター席へ座る。
客は、テーブル席に座った男三人だけだ。その三人は、酒を飲みながら馬鹿話をしていた。
そのテーブルで、注文を取っているのはシェールだ。シェールも、この店で住み込み店員として働いているのだ。そのウエイトレス姿も、大介にとってもう目新しいものではなくなっている。
「配達は?」
「問題なく終わりました」
「そうか。飯でも食うか? 作ってやるぞ?」
「はい。お願いします」
アジズが差し出したコップの水を飲んだ大介は、ぼんやりと酒の並んだ棚を見つめる。
……眠らないといけないかな?
眠気に負けそうな顔をしているが、眠るべきか考えているらしい。
(眠っとけ。もう、まる三日寝てない計算だぞ?)
(そうしようか)
大介は、溜息をつきながらグレムリンに返事をする。
この星に来てから、大介は眠る事を嫌うようになっていた。美紀が夢に出てくるからだ。
夢の中で、大介は愛する女性と幸せな時間を過ごせる。だが、目が覚めると泣き出したくなるほど、胸が苦しい。
ドーム脱出から、一年以上たつ今でも、眠りながら泣いている事が多いのだ。起きている間は我慢できるが、眠っていては我慢しようがない。
「あれ? 大介帰ってたの?」
「ああ、今さっき」
伝票を持ったシェールが、大介を見ながらカウンターの奥へ消える。客からの注文品を用意する為に、キッチンへ向かったのだ。
シェールと入れ違いで、アジズが大介の食事を持ってキッチンを出てくる。
「とりあえず、新しい仕事は入ってないぞ」
「はい。少し眠ります」
「そうだな。そうしろ」
食事を続ける大介に、アジズはそれ以上喋りかけなかった。もともとアジズの口数が少ないのと、それ以上喋る事がなかったからだ。
「じゃあ、仕事が入ったら起こしてください」
「おう」
食事を終えた大介は、自分の部屋へと向かい歩き出す。酒場の奥にある手すりのついた階段を昇り切ると、そこは宿泊施設になっている。その一番奥の部屋が、大介専用の部屋だ。
クローゼットとベッドだけしかないその部屋には、カーテンの隙間から漏れた光がさし込んでいた。出入り口を入ってすぐの扉は、ユニットバスになっている。回線とベルトに取り付けてあった端末を外した大介は、ユニットバスに向かった。
眠気の限界で、既にふらふらしている。トイレから出た大介は、床に脱いだズボンを無造作に投げ捨てた。そして、Tシャツとトランクスだけの姿で、ベッドに倒れ込む。
寝息が聞こえるのに、時間は必要なかった。そして、愛する女性の夢を見る。
訓練中の美紀はきつい目つきをしていたはずだが、夢の中にいる彼女は優しく大介に笑いかけていた。枕に埋めた大介の顔が、緩んでいく。
それが端末内から見えたグレムリンは、背を向ける。あまり見たくない光景らしい。
数時間後、グレムリンの予想通り、大介の目から涙がこぼれ始めた。ただ、顔は笑っている。心底、幸せそうに。
窓の外は、夜の闇が支配する時間になっていた。外からは犬の遠吠え、酒場からは酔った客の騒ぐ声が、それぞれ聞こえてくる。睡眠を妨げるほどの音ではないが、神経質な人間には嬉しくない状況だろう。
寝返りで大介の涙が全て枕に吸収されると、扉の開く音がした。端末の中から、グレムリンが真っ暗な部屋に入ってきた相手を見る。そして、溜息をついて背を向けた。
入ってきたのはシェールだ。ウエイトレスの制服から、シャツとスカートに着替えていた。これから部屋で休むのだろう。
廊下からの光を、銀色の肌がはね返している。感情が読み取れない三つの目で、大介を見つめたシェールは、ベッドに向かう。そして、眠っている大介に馬乗りになった。
二人がそうなるのは、初めてではない。その衛星へ到着してから、シェールが定期的に行っている事だ。シェールは、そのまま両手を大介に伸ばす。そして、首を両側から掴み、ゆっくりと力をくわえた。
眠ったままの大介は、全く反応しない。大介はドームの人間だった。それは、シェールから両親を奪った一因を、担っているという事に他ならない。
大介が悪くないのは、シェールも分かっている。
だが、悔しさと悲しみで自分を抑えきれない日が出来ると、こうして殺さない程度に大介の首を絞めた。
人金の力ならば、大介を殺す事も出来るだろう。しかし、それはシェールには出来ない。シェールの中に、大介に対する好意が芽吹いてしまっているからだ。
一度目を閉じたシェールは、苦しそうな表情を浮かべて、ベッドを降りる。そして、部屋の扉を静かに閉めた。
暗闇で大介が目を開いた事を、グレムリンも気が付いていない。大介はそのまま目を閉じて、大好きな人が待つ夢の世界へと帰っていく。
あの日、心の病気にかかった二人の、これが日常だ。そうやって、一年以上の時を過ごしたのだ。端末の中にいるグレムリンは、何も言わずに、それを見守り続ける。
****
さらに数時間後、夜が続く中で目を覚ました大介が、起き上がた。泣き出しそうな悲しい瞳で、天井を見つめる。そして、大きく息を吐いて立ち上がった。
「おはよう」
(酷い顔だ。シャワーでも浴びてこい)
「うん」
部屋の明かりをつけた大介は、クローゼットから着替えとタオルを出して、浴室へと向かう。
シャワーを浴びて、歯を磨き終えた大介は、髪をタオルで拭きながらバスルームから出る。そして、右の腰に端末を取り付け、回線をつないだ。
(今日は、なんの仕事だろうな?)
「お金が稼げれば、なんでもいいよ」
汚れた服とタオルを持って、酒場に向かうのとは逆の位置にある階段を降りる。その階段の先は外に繋がっており、アジズの家があるのだ。
大介はアジズから、家にある物は好きに使えと言われている。汚れた服とタオルを洗濯機に投げ込んだ大介は、そのまま終わるのを待つ。
洗濯機の隣に置いてあるパイプ椅子に座った大介は、まだぼんやりとしている。五分後に、最新式の洗濯機から乾燥まで終わった洗濯物を取り出した大介の髪は、余分な水分が全て蒸発していた。ドライヤーを持っていない大介は、いつもそうやって自然乾燥させている。冬どころか、雨季すら来ないその星では、それで十分なのだ。
服とタオルをクローゼットにしまった大介は、軽い屈伸運動をして酒場へ向かう。それに気が付いたアジズは、大介を手招きで呼ぶ。
アジズが立っているカウンターの前にある席で、一人の女性が大介に会釈をした。長い髪を持ちあげて髪止めで固定しているその女性は、人の良さそうな笑顔を大介に向ける。
階段を降りながら、大介も会釈を返した。大介は、そのブロンドヘアーの女性を知っている。
(あれは、確か大家をやってた女だったか?)
(ジェシカさんだよ)
大介が暮らす酒場から一キロほど離れた場所に、三階建のマンションが建っている。ジェシカは、そのマンションの持ち主だ。見た目と性格が良く、付近の住人に慕われている女性。それが、彼女だ。
大介が来る少し前に夫を事故でなくしており、それ以降求婚する男性が後を絶たないと、大介はアジズから聞いている。実際に大介も何度か会話を交わし、母性が強い甘えたくなるようなタイプの女性だろうと感じていた。
「あの? アジズさん?」
「ベイビーへ、仕事の依頼だ」
ジェシカが仕事に依頼人だと分かった大介は、うなずきながらカウンターの席へ座った。
「あの、アジズさん? 大介さんにも?」
「説明してやってくれ」
「あの、実はマンション近辺で、人が大勢殺されてまして」
……この人、香水つけすぎだな。いい香りが台無しだ。
その街では、珍しい事ではなく、大介とアジズは表情を変えない。
「元殺し屋だった近所のおじいさんが、シリアルキラーの犯行だろうって言ってまして」
(俺は、近所のじじいが殺し屋だって事の方が、よっぽど怖いがな)
(隙見せたら、殺されるね)
「犯人を捕らえればいいんですか? それとも、殺してほしいですか?」
無表情の大介が、あっさりと言い放った言葉で、ジェシカが俯く。
……噂通り性格が良くて、心が痛むのかな?
「うちの住人からも、犠牲がでました。これ以上、死者を出したくありません。殺してください」
「はい。分かりました。では、前金で半額の五十万ジルをお願いします。依頼完了後は、残りの半額を頂きます」
大介は、迷わずに返事をした。そして、ジェシカへ業務的に料金の話をする。
頷いたジェシカは、ハンドバッグから封筒に入った五十万ジルを、カウンターの上に乗せた。大介は封筒を受け取り、金額を確認する。
(ちゅうちゅうたこかいな! ちゅうちゅうたこかいな!)
(イチさん)
(なんだ?)
(ちょっと五月蝿い。数を数えてるんだから、邪魔しないで)
金額を確認した大介は、一割をアジズに渡して、ポケットにしまう。
「あのっ」
「はい?」
「ベイビーさんにはお会いできないんですか?」
さっそく下調べに向かおうとした大介の腕をつかみ、ジェシカが引き留めていた。それを見たグレムリンは、苦笑いをしている。
「ベイビーは敵が多いからな。この大介がきちんと仲介してくれるから、心配するな」
ジェシカの対応をアジズに任せた大介は、夜の街にでる。
二日近く夜が続くその星では、日が沈んでいるからといって、人々の活動が少なくなるわけではない。表通りは、街灯や店の明かりで、星が見えないほどだ。
歩くのに何の支障もなく、人通りが減る事はない。それどころか、酔っぱらって歩く人や店の引き込みが多くなり、賑やかになっていた。
(どうしようか? その殺し屋のおじいさんに聞いてみる?)
(そうだな。殺されんなよ)
(気を付ける)
軽く笑った大介は、ポケットに手を入れて通りを歩き始めた。やる気がなさそうに、歩く大介を一見すると、ドームでの通学を思い出す。騒いでいる人達には、興味がないのか視線を向けない。
だが、全く同じわけではなかった。瞳の奥に、闇と光が混ざり、混沌を生み出している。昔のように空っぽではない。
その違いは、グレムリン以外には分からないだろう。
(この景色をどう見るよ?)
(えっ?)
喧騒な街は活気に満ち溢れ、人の顔には様々な感情が隠すことなく現れていた。
道にまではみ出した食堂の机越しに、胸倉をつかみ合う男性達。わざわざ異性を誘惑する様に、腰を振りながら歩く女性。露店の果物を盗んで逃げる子供。酒を飲みながら、友人と肩を組んで大声で歌う老人達。店内で暴れた客を、店の外へ放り投げる人金の用心棒。
ドーム内では見る事もなかった、リアルな人々がそこにはいた。
(皆、楽しそうだね)
(興味ないかも知れないが、たまには観察ぐらいしとけ。これが、人間ってやつだ)
グレムリンの言葉を聞いて、大介は頭を掻く。
そんな大介に、ピンクのネオンを灯す店の前で立っていた女性が声をかけた。
「大介。今から仕事?」
「ん? はい。情報が集めです」
胸の部分が大きく開き、スリットが深く入った服を着た女性に、大介は自分から近づく。その女性は、男性がお金を払って女性と一夜を共にするその店の、従業員だ。
「最近、ジェシカさんのマンション付近で、シリアルキラーが暴れてるらしいんですけど。何か知りませんか?」
「シリアルキラー? さあ。殺人なんて日常茶飯事だからね。どれがそうなのか、分からないわ」
「そうですか。ありがとうございます」
「あっ! ちょっと!」
立ち去ろうとした大介を、女性が引き止める。
「たまには遊んで行かない? なんなら、私が相手してもいいわよ」
「ありがとうございます。また、機会があれば」
振り返った大介は、心のこもっていない笑顔で返事をした。そして、何事もなかったように歩き出す。
酒瓶を持って暴れている男性を避け、スリからぶつかられない様に大介は歩く。向かっているのは、ジェシカのマンションだ。大介はジェシカのマンション付近を中心に、シリアルキラーの情報を集めようと考えていた。
「おっ! アジズんとこの、若いの!」
大介を次に呼び止めたのは、アロハシャツを着たオールバックの男性だ。
(このチンピラは、バタリオンの奴だったか?)
(確か、クロエさんの配下だったかな?)
(雑魚過ぎて、印象が薄いな)
(うん)
オールバック碧眼の男は、バタリオンと名乗る組織の一員だ。バタリオンとは元犯罪者達が作った集団で、都市を築けるほどの人数が所属している。組織の中で独自の法を定め、仲間との結束を重視しており、その圧倒的な組織力で衛星内でも一大勢力と呼ばれるようになった。
大介は、その幹部の一人であるクロエと、仕事で何度もかかわっている。関係も良好だ。
「どうしましたか?」
「それがな。俺の弟分が、この付近で殺されてな。犯人探しだ」
「別の組織と喧嘩ですか?」
「いや、一般人が犯人らしいんだ。くそが!」
つばを吐き捨てる男の言葉に、大介とグレムリンは少しだけ驚く。
バタリオンに手を出す者は、狂人としか思えない。それは、バタリオンの人間を殺せば、酷い拷問を受けた上に、近しい者を全員根絶やしにされかねないからだ。
「この付近で、最近いかれた野郎が、いるらしいって事までは分かったが、尻尾がつかめねぇ」
「もしかして、シリアルキラーですか?」
「お? それだ! 何か知ってるのか?」
「うちにも始末依頼が来たんですよ」
大介の言葉を聞いた男が、嬉しそうな顔をする。
「じゃあ、ベイビーがやってくれるのか?」
「はい」
「こりゃ、助かる! あねさんに伝えてくるわ! 頼んだな!」
男を見送った大介の顔から、笑顔が消える。そして、溜息をつく。
(弟分の仇ぐらい、自分で討てよな)
(あの人弱そうだし、仕方ないよ)
その後、大介は三時間かけてマンション中の住人から情報を集めた。そして、分かったのは、ジェシカが人気者だという事だけだ。
(気味悪いぐらい、褒められてるな。あの未亡人)
(ちょっと、げんなりしてきた)
マンションの入り口にある階段に座った大介は、自動販売機で買ったコーヒーを飲む。そして、通りを歩く人を、ぼんやりと眺めていた。かなり疲れたらしい。
「嗅ぎまわっているのは、お前か?」
白髪で小柄な男性が、大介に話し掛ける。その男性は、短いズボンをはいているが、上半身は裸でサンダルすら履いていない。
その老人から自分と同じにおいを感じた大介は、コーヒーを置いた。
「そう、身構えるな。ベイビーの使いだろう?」
「はい。あなたが、殺し屋のおじいさんですか?」
大介の言葉に、男性が軽く笑う。
「元だ。体が付いてこないんでな。引退した」
(やっと、たどり着いたな)
「で? 有益な情報でも頂けるんですか? 情報料なら払いますかけど?」
大介の隣に座った男性は、大介と同じように通りに目を向ける。そして、そのまま喋り出した。
「金はいらねぇ。だが、情報はやろう。多分、シリアルキラーが次に狙うのは、この俺だ」
(なんか知ってるな。こいつ)
「小僧。シリアルキラーの目的を知っているか?」
(殺しそのものが目的だ。そこに快楽を感じる変態だな)
「殺す事ですよね」
「そうだ……」
その男性から情報を貰った大介は、アジズの酒場へと帰った。
「どうだ?」
「犯人の目途はつきました。ジェシカさんは?」
「帰った」
大介がアジズと会話をしている頃、ジェシカのマンション一階で、住人の許可なしにある部屋の鍵が開かれた。その部屋の住人は、元殺し屋の男性だ。部屋に明かりはついておらず、物音もしない。
だが、男性がその部屋にいた。静かに息を殺して、ベッドの隣に置いた椅子に座っている。そして、侵入者を見据えた。
「よう。待ってたぜ」
侵入者は、持っていた小型の機関銃を乱射した。笑いながら、男性の体をハチの巣にする。全身から血を垂れ流し、動かなくなった男性は、椅子から転げ落ちた。
だが、侵入者はその男性の遺体に向かって、尚も銃弾を浴びせる。狂った笑顔を浮かべながら。その侵入者こそ、シリアルキラーだ。
手についた返り血を、なめとっている。声は出さないが、嬉しくて仕方のない表情をしていた。
金属の擦れる小さな音を聞いたシリアルキラーの目が、一気に鋭くなる。そして、自分の先程入ってきた扉に、機関銃を向けた。
暗闇の中でブッシュナイフを構えている黒衣の男に、シリアルキラーは迷わず引き金を引く。
硝煙をまとわりつかせたシリアルキラーは、弾が切れても何度も引き金を引き続けた。自分の目で見た光景が、信じられないらしい。
黒衣の男に向かっていた弾丸は、男の手前で停止したのだ。空中で動かなくなった弾丸達は、しばらくすると床にバラバラと落下した。
何度も引き金を引いていたシリアルキラーは、黒衣の男がナイフを振り上げたのを見て、銃を盾にする為に頭上に掲げた。
《アプランク》
魔法の力で単分子にまで鋭くなったナイフの刃は、機関銃を真っ二つにして、シリアルキラーを袈裟掛けに斬り捨てた。
シリアルキラーはそのまま大介のいる方に、倒れ込んだ。そして、大介のヘルメットを最後の力で外す。
「あら? やっぱり、貴方だったのね。ありがとう」
返り血をベッドのシーツで拭いた大介は、ナイフを背中のカバーにしまい、ヘルメットをかぶりなおす。そして、息をひきとったジェシカの目蓋を、手で閉じる。
(このおじいさんも、逃げればよかったのに)
(多分。この女を、好きだったんだろうな。人間ってのは、合理的には出来てないって事だ)
男性から聞いた推測は、全て当たっていた。ジェシカは、自分の旦那を殺したチンピラを懸命に探し、機関銃で撃ち殺したのだ。
愛する者を奪われたジェシカに、殺人は驚くほどの快楽を与えてしまう。それ以来、殺しがやめられなくなったと、男性は推測していた。
(このおじいさんが殺されたのって、止めさせようとしたから?)
(多分な)
(じゃあ、なんでジェシカさんは僕に依頼を?)
(自分を、誰かに止めてほしかったのかもな。もう、真相は分からんがな)
ある日から、心が凍てついた大介は、死んだジェシカに心が動かない。裏のさらに奥の仕事を、ベイビーという仮名でこなす。
(あ、半額の料金取り損ねた)
「ご苦労様」
部屋を出ようとした大介は、女性に声をかけられた。その女性は、バタリオンのクロエだ。
クロエは、真っ黒な薄手のレディーススーツを着て、煙草をふかしていた。
「このマンションは、バタリオンが貰うわね。その代り、二百ほど酒場に届けさせるわ」
大介の耳元に顔を近づけたクロエは、もう一度ねぎらいの言葉をかける。
「ご苦労様、大介。後片付けは、こっちでやっておくわ」
****
マンションを出た大介は、人に見られない様に屋根伝いに酒場へと帰った。そして、戦闘用スーツとヘルメットを脱ぐ。
「今回は楽だったね」
(まあ、只の機関銃じゃあ、このフィールドは破れないからな)
大介は、返り血を入念にアルコールで拭き取る。
(しかし、ベイビーが、固定しちまったな)
「ねぇ。冗談のつもりで、ベイビーシット(子守り)として最初に仕事しただけなのにね」
(まあ、俺が言ったのは、綴りが違う方だがな。ベイビーだけ残ったな)
「まあ、仕方ないよ」
クローゼットに服とヘルメットをしまった大介は、端末をベルトにつける。そして、食事をする為に、酒場へ向かう。
人を殺しても、何も変わらない。それが、大介の今の日常だ。