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九話

 食いついていた惑星の大地を砕き、大気を巻き込みながら上昇を続けていた第四メインドームは、ついに大気圏を突破した。

 衛星軌道上で一度停止したそのドームは、淡い光に包まれている。火災の煙を吹き出し、誘爆が続く移民船は、自重により歪み、今にも分解を始めそうだ。

 だが、その船を囲んだ球状の光が、崩壊をギリギリの所で食い止めていた。光の正体は、魔法科学によって生み出されたフィールドだ。危険な宇宙を航海する為に、人間が生み出した力は、重力すらも操っている。そして、ドームそのものが惑星であるかのように、大気を閉じ込めていた。

 ドームを守る青い光の膜は、グレムリン達を宇宙の過酷な環境から守ると共に苦しめている。小型の宇宙船で脱出するには、その強固なフィールドを破らなければいけない。その為の準備時間が、整備を進めるグレムリンに重くのしかかる。

 しかし、大介とグレムリンは希望を捨てない。諦めてしまえばそこで全てが終わると分かっているから、明日を信じて前を向く。


(こいつぁ、想像以上だなぁ)

(勝利は、まさに万に一つか。奴が必死になるはずだ)

 大介を通してハイブリッドを見た雷神と武神が、相手の力を即座に見抜いた。そして、勝算のなさに、溜息をつく。

(人間の魂を乗っ取っているのか? 確かにあれは、私達と同じ世界の住人だな)

 精神体の目で敵を解析した知神は、大介と自分達の精神をもっともよい状態でつなぐ。そして、魔力の配分を調整した。

 精神がつながった大介に、異世界の住人達が発する言葉がダイレクトに届く。本来人間には知覚出来ない情報交換速度だが、魂を幽世に浸し、精神が加速した大介は、何とか処理することが出来た。

 自分以外がひどくゆっくり動く、時間歪みの中で、大介は三人の怪物達に意思を伝達する。

(相打ちでもいい! あの化け物を倒したいんです!)

(んんんっ?)

 人間では追従できないはずの世界で、返事をした大介に三人が驚く。そして、笑う。

(ほうっ)

(やるじゃん。お前)

 グレムリンが書いたシナリオに現実味が出てきた事で、三人が頭を回転させ始める。それにより、万だった確率が、千へと変わった。

(よし! 接続完了だ!)


「おおおおぉぉぉ!」

 走り出した大介の内部へ、武神が目を向ける。大介が握った拳に、雷神が魔力の雷を付加した。敵を見る大介の目を通して、知神が敵の情報を見抜く。

(結界を張っているな。遠距離魔法は魔力の無駄だ)

(魔力の操作は、精神力だぜぃ。気合をいれな!)

 神の言霊は、大介の精神に直接情報として流れ込む。人間が発する言葉とは違い、伝達に時間を必要とせず、誤認もしない。

 両拳を握った大介が、脇を閉めてハイブリッドに真っ直ぐ突進する。

(馬鹿者! こちらに速度の利はない!)

 武神の叫びで、視界の端に影が迫っている事に気が付いた大介が、体を丸める。そして、影が見えた方向とは逆に、転がった。

(視界を! 意識を広げるのだ!)

 知神の声で、タンブルウィードのように転がる大介が、閉じてしまっていた目を開く。

 大介が走り込むはずだった場所に、ハイブリッドの拳が降りぬかれているのが見えた。

(敵は我らと似た者だ! 同じ世界にいると思え!)


 美紀だけでなく、戦士のムハドすら大介の動きは追い切れていない。だが、敵の拳はそれ以上の速度で振るわれている。

 回転が止まる前に姿勢を整えた大介が、床を滑りながら立ち上がった。そして、再び拳を構えて床を蹴る。

 今度は上半身を揺らし、フェイントを入れながら斜めに敵の懐へ向かう。

(馬鹿者がっ! 倒れこめ!)

 武神の声で転ぶようにその場に倒れ込んだ大介は、ハイブリッドの拳がかすり、枯れ枝のように宙に投げ出された。

「あがぁ!」

 床で跳ね、置いてあった戦闘車両で背中を強打した大介が、むせこむ。魔力をおさえる為に、フィールドは出していない。

 当たれば即死するほどの巨大な拳は、肩を少しかすめただけで、あり得ないほどのダメージを大介に残した。背中が痛みで麻痺し、口いっぱいに鉄の味が広がる。常人ならば、恐怖で動けなるかも知れない。

 しかし、頭のネジを自分で外した大介は、すぐさま立ち上がり呼吸を整える。

(よしっ! 敵のフィールドは、拳には反応しないのが分かったな? 敵の力と、意識が向いた先を予測するんだ)

 体のダメージが、動きを妨げるほどではないと判断した知神は、戦闘の思考を大介に流す。

(感覚を広げろ! 肉体の限界に囚われるな!)

 拳を握った大介に、武神から戦いのイメージが伝わっていく。

(精神の速度に、体を合わせるんだ! 柔軟に! 体を大気と一体化させろ!)

 脱力した状態から踏み出した大介は、流水のようにぬるりと加速する。体の動き自体は先程よりも遅くなっているが、無駄な力が抜けて移動速度がどんどん増していく。

(そうだ! 風の流れを感じ取れ! 全ての振動を理解しろ!)

 目にもとまらぬ速度で振り回される敵の拳を、近づきながら大介は躱す。竜巻のように荒れ狂う力の中を、流水のように揺らめき、実体を掴ませない。

(力をわずかも逃がすな! そうだ! 加速し続けろ!)

 伝達したイメージを、すぐさま取り込んでいく大介。指導していた武神の言霊に、徐々に熱がこもる。

(敵の観察も、忘れるな。短い脚……今の移動速度は遅い。それは、腕を振り回す為に支えに徹しているからだ)

 知神は、武神とは逆に冷静な言霊を投げている。

(ただ、思い込むなよ。あの腕を支えられる力が、あの足にはある。それを移動する力へ向ける事も、出来ると思え)

 大介の体内で、雷神が己の拳同士をぶつける。戦う力が増していく大介に、体がうずいているようだ。

(さあ! 拳に、おれっちの雷は溜まってるぜぇ!)

(よし! 今だ!)

 ハイブリッドが同じ場所で拳を振り回した結果、床の金属板がつぶれた。それにより、ぐらついたハイブリッドは、懐への道を開けてしまう。それを見た大介は、体を傾けた。

(しまっ!)

 敵は、知神の予想をこえてきた。体が倒れ込む中で、拳を伸ばしてきた。ハイブリッドを操っているのは、異世界の住人なのだ。

 つまり、魔法が使える。それも、大介のような人間に仲介させることなく、直接使えるのだ。呪文も魔方陣も必要ない。

 大介に向けられた拳と腕が、細長く伸びたわけではない。質量保存の法則を無視して、そのままの大きさと威力で、伸びてくるのだ。

 予想を超えられた知神の顔が、焦りで険しく歪む。だが、雷神と武神は薄く笑った。

(そうだ。それでいい)

 雷神の直感イメージを受け取っていた大介は、体を既に傾けていた。懐に飛び込む方向とは、真逆に向かって。

 敵の拳と同じ速度で上体をそらしながら後ろに跳んだ大介が、左の拳を握る。そして、伸びきった敵の腕に向かって、雷を纏わせたそれを突き上げた。

 魔法の稲妻は、腕を伝ってハイブリッドの体に流れ込む。大介の中にいる三人が、稲光に浮かび上がった敵の本体を見る。真っ黒い人型の霞が、人間の魂を腹に抱え込んで、雷に苦しんでいた。

(よしぃぃ! いけっぞぉぉ!)

 ハイブリッドの強靭な体を破壊する事は、大介では難しい。だが、それを操る異世界の住人を、内部から雷で焼き払う事が出来ると、大介の中にいる三人が確信した。

(その力もいかせっ!)

 ハイブリッドを殴った力の反発を使用した大介は、床を滑るように移動する。

 自身の腕が死角となり、縫うように虚をついて移動した大介を、ハイブリッドは捉えきれなかった。そして、大介に背後へ回り込まれてしまう。

 ハイブリッドは、自分の尻尾を追いかけて回る犬のように、情けなくその場で旋回を始めた。羽虫のように纏わりつき、雷を打ち込んでくる大介をはらおうと、拳を振り回している。

 だが、捉えきれず、徐々に本体である精神を削られていく。さらに無理をしすぎている体の縫い目から、てらてらと黒く光を反射する石油の様な血が、流れ出し始めていた。


「お父さん。あれ、あれっ!」

「ああ。分かっている。これは夢か?」

 信じられない光景に、ムハドとシェールは目を擦る。

 人間よりも優れた動体視力の二人でも、大介の動きどころか、最高速に達しているハイブリッドの拳すら残像しか見えない。まさに、人外の戦いだ。

「あの人間は、これほどの力を持っていたのか」

 構えていた銃を下したムハドは、見えないはずの戦いを見つめる。

「お願いします。神様。お願い。私から、あの人を奪わないで」

 今にも泣き出しそうな顔をした美紀は、両手を組み、祈る。祈り続ける美紀の目線は、せわしなく動いていた。恐怖と不安が、美紀の心を締め付ける。大介の雄姿を見ていたい。

 だが、何時大介が殺されてもおかしくない状況を、見るのが怖い。幾度も戦いに目を向けては逸らし、目を閉じては開く。

 頬を涙が伝うその美紀の顔は、笑っているようにも泣いているようにも見える。不思議な表情のまま、美紀は大介との未来を想像していた。美紀の頭に浮かんだ、子供達に囲まれた自分と大介が笑う光景を、神に願い続ける。そうする事しか、美紀には出来ない。


(もっとだ! もっと、おれっちの電撃に気合を入れろ!)

「はぁ! はぁ! はぁ!」

 優勢に戦いを進める大介だが、余裕は欠片ほどもない。精神が軋むほど加速状態を維持し、強化している体が悲鳴を上げるほど酷使している。

 骨に複数個所亀裂が走り、関節から痛みが走り、鼻と口からは血が止まらなくなっていた。酸素を十分に取り込めない呼吸が続き、心臓が引き裂けるほど激しく動いている。

「ぐがあああぁぁぁ!」

 それでも、大介は止まらない。さらに限界の先へと向かって、ブーストをかける。

(おい! カネ! 限界だ!)

(分かっている! 魔力ももう、底をつく! 後、数発が限度だぞ! タケ!)

(よおっしぃ! 拳に、最大限の魔力をこめろ!)

 大介の右腕から、今まで以上の放電がおこる。

 しかし、その強い光は、ハイブリッドに大介の位置を教えてしまう。ハイブリッドも、大介のその一撃がどれほど危険か分かっている。

(まずい! 避けろ!)

 敵は、最後まで取っておいた切り札を使う。胴体に埋め込まれた口が開き、濁った泥水を凄まじい勢いで噴き出す。

 人間を圧殺出来る威力を持った濁流を、大介は何とか回避する。だが、攻撃範囲が広いそれを避ける為に、宙に飛び上がることしか出来なかった。

(この野郎!)

(迎え撃つぞ!)

 空中で逃げ場を失った大介に、腕を伸ばした敵の拳が迫ってくる。

 武神が考え出せた作戦は、拳を拳で迎え撃つ事だ。雷でダメージを与えつつ、拳のぶつかった衝撃で致命傷を避ける。腕は無事では済まないだろうが、死は回避できるだろうと、予測していた。

 だが、勝利の女神は、頑張っている大介に笑いかけても、ただ祈るだけの美紀には恩恵を与えない。

 視界を広げていた大介が見たのは、革命軍の男だ。死んでいると思っていたその男は、ふらふらと立ち上がり、銃を美紀達に構えている。それを美紀達は、気が付いていない。

(何?)

(馬鹿者!)

 大介は迷いなく拳を振りぬいた。ハイブリッドに向かってではなく、革命軍の男に向かってだ。大介の拳から走った電光は、銃を構えた男を撃ち抜いた。

 少しだけ遅れて、何かが破裂したような音が響く。

(くっそ!)

(ここまでか!)

 美紀達が革命軍の男に目を向けたのは、それが消し炭に変わった後だった。


「いやああああぁぁぁぁ!」

 大気を振るわせるほどの轟音を聞いた美紀達は振り向き、ハイブリッドの拳が壁に突き刺さっているのを見た。

 腕が直進した軌道には、先程まで大介が浮かんでいた場所も含まれている。ほぼ間違いなく、ハイブリッドの拳が貫いた壁の奥には、肉塊となった大介がいるだろう。避ける方法も、力も残っていなかったのだから。

 美紀は、壊れた警笛のように、叫び続ける。そして、全身の力を失って、その場に座り込む。涙には、少しだけ赤が混じり始めている。

 シェールが両手で口を押え、ムハドが悔しそうに目を瞑る。三人は、粉塵の舞い散るハイブリッドの腕が伸びた先を、呆然と見つめる。

 只一人、宇宙船のコンピューターに本体をうつし、整備を進めるグレムリンだけが笑う。

(お前らのちんけな頭で、あいつを推し量れると思うな。俺の予想が、何回裏切られたと思ってるんだ)


 三人が見つめていた粉塵が、風圧で形を変えた。高速で何かが通過した粉塵に、トンネルの様な穴が穿たれている。

 それは、稲妻を右拳にため込んだ大介が、飛び出して出来たものだ。革命軍の男に拳を振りぬいた大介は、死が迫ってくる中で、武神達の予想を越えた。全身を限界まで脱力したのだ。そして、拳を振りぬいた勢いで、大介の体は宙に浮いたまま回転を始める。

 どんなに激しい暴風でも、宙を舞う木の葉を砕く事は難しい。さらに、回転する事で反発する力を生み出し、わざと自分を弾き飛ばさせた。

 これにより、大介は壁と拳に挟まれる圏内から、ぎりぎり体を退避させていたのだ。

 この防御方法を、武神は知っている。だが、大介に伝えてはいない。危険が迫れば、人間は自然と体が強張るものだ。脱力するには、それなりの経験と修練が必要になる。だから、大介にはそれが出来ないと思い込んだ。

 しかし、大介の直感は、三人の想像をいともたやすく上回った。

 勿論、大介の体は木の葉ではない。可能な限り軽減しても、ダメージは十分に受けていた。拳と接触した左腕の骨は砕け、壁にぶつけた右足も動かなくなっている。全身を突き抜けた衝撃も、無視できないほどの威力が残っていた。

 スーツは複数個所破れ、割れたヘルメットも何処かへ拭き取んでいる。人間として限界の状態だ。

 だからこそ、最後の一撃に全てを乗せた。


(よくやったぁ! 狙えぇぇ!)

 知神は、敵にもっとも効果がある箇所を、大介に教える。

(よしっ! よおおしぃ!)

 武神は、強化魔法を左足と右腕に集中された。

(いけぇぇぇ!)

 雷神は、最大限の雷を、右拳にため込む。

「おおおおおおお!」

 壁を蹴った大介の全身が、弾丸のように大気を切り裂いて進む。そして、大介の右拳がハイブリッドの顔面に直撃した。


《三柱合成魔法! 雷公牙らいこうが!》


 爆発したように飛び散る稲妻が、眩い光を放ちながら樹枝状に伸びていく。

「がっ……」

 大介が床にグシャリと落ちたと同時に、雷に全身が晒されていたハイブリッドが、燃え上がる。その炎は、一色ではなく、緑や紫など燃えている箇所によって色が違う。

(よくやった)

(お前、気に入ったぜぇ。また、呼べよな)

(見事だ)

「ごほっ! ぐふっ!」

 魔力と肉体の限界に達している大介は、体から真っ赤な放電現象が起こり、吐血する。

 知神は急いでグレムリンに主導権を戻し、他二人を連れて異界へと戻った。それほど切迫した魔力しか残っていないのだ。


(よくやった。褒めてやるぞ。兄弟)

「げほっ、げほっ! もう、限界だけどね」

 駆け寄った美紀が、大介の耳から回線を外す。

「大丈夫なの? 命は? ねぇ! ねぇってばぁ!」

 返事をする暇なく問いかけてくる美紀に、グレムリンが顔をしかめる。それ見た大介が、笑う。

(喋らせる気がねぇじゃねぇか)

「はははっ、痛たたたたっ」

 血塗れで笑う大介を見た美紀が、泣きながら抱きしめる。優しく精一杯抱きしめる。

「馬鹿」

「うん。ごめん」

 シェールとムハドも、仰向けに倒れて抱き合う二人に近付いてくる。

(おう。お前ら二人も、宇宙船に乗せてやる。だから、こいつを運ぶのを手伝え)

 グレムリンの言葉に、顔を見合わせた二人は、頷いた。大介に対する敵意は、ムハドの中で完全に消えたらしい。

「ぐっ!」

「えっ? 大丈夫? 痛い?」

 三人に宇宙船の中へ運ばれる大介は、痛みで顔を何度も歪める。死には至らないが、かなりの重症だ。


「で? 整備は?」

(転移開始まで、後七分。整備完了まで、だいたい五分ってところだ。任せとけえぃ)

 安心した四人が、やれやれといった感じで、大きく息を吐く。そして、疲れから大介の横たわる宇宙船の床に、そのまま座り込んだ。


 命を賭けて戦った大介達に、希望が笑いかけた瞬間だった。


 満面の笑みを浮かべたその希望は、仮面を外す。そして、絶望と呼ばれるものに変わったそれが、大声で気味悪く笑い始める。

 隙を見せれば、すぐさま食いついてくるのが運命だ。運命は、いつも絶望をつれて、駆け寄ってくる。笑いながら。


****


 残り少ない魔力を全て整備に回していたグレムリンは、それらが格納庫に侵入して始めた気が付いた。

 ハイブリッドと大介の戦いは爆音を響かせていたのだから、外にいた者が気が付かない方がおかしいだろう。革命軍の兵士に引き連れられたハイブリッド二体が、格納庫で宇宙船を見つけた。

 宇宙船の中にいる五人に兵士達は気が付いていないようだが、魔力を感知するハイブリッドは誤魔化せない。ゆっくりと宇宙船に向かってくる。

(くそがっ! ええい! くそっ! 賭けは俺の勝ちだろうが! くそおぉぉ!)

 グレムリンが叫ぶと同時に、宇宙船の内装に外の映像が映し出される。そして、四人は絶句した。

 美紀達にも、ハイブリッドが宇宙を壊せることぐらいは想像できる。さらに、その絶望達が宇宙船に到着するのに、一分とかからない事も。

 シェールが、涙を流す。どうしようもない現実が、悔しくて我慢できなかったようだ。

「ぐっ! くそっ!」

 真っ先に動いたのは、大介だった。まともに動かない体を、何とか起こそうとしている。目には、明らかな闘志が戻っていた。まだ戦うつもりらしい。

 だが、現実はそう都合よく出来ていない。上体を起こす事すら出来なかった。

 それを見たムハドが、歯を食いしばる。そして、懐から取り出した木彫りのお守りを、シェールに渡す。

 父親が何をしようとしているか分かったシェールが、ムハドの手を握る。

「そこの、異形の者よ」

 シェールの手を握り返したムハドは、大介の胸についた端末を見つめる。

「娘を頼む」

(ああ……分かった)

 ムハドが立ち上がると同時に、涙をぬぐった美紀も、グレムリンを見つめた。その目から、迷いは消えている。

「グレムリン。私の可愛い坊やを、頼んだわよ。もし、坊やが助からなかったら、呪い殺すわよ」

 笑顔の美紀が、冗談めいた言葉をはいた。

(ああ、絶対だ)

「あら? いつもみたいに、憎まれ口をたたかないのね?」

 瞑っていた目を開いたグレムリンが、美紀を真っ直ぐに見る。

(命で作られた言葉を……。茶化すほど、俺は馬鹿じゃない)

「ふふっ。似合わないわね」


 笑っている美紀に、大介が必死に手を伸ばす。持ち上げただけで、激痛が走るが、それでも精一杯伸ばす。

「嫌っ、嫌だ。嫌だ。嫌だ」

 大介の口からは、その言葉しか出てこなかった。ヘルメットを一度外した美紀は、大介の手を取る。そして、あの日のように大人のキスをした。

「美紀さん! 嫌だよおぉぉ!」

 笑ったままの美紀は、大介の頭を胸に抱える。そして、気持ちを伝えた。

「大好きよ。愛してるわ、私の可愛い坊や。この世の誰よりも」

「行かないでっ。嫌だよ。嫌なんだよぉぉ」

 子供のように泣き出した大介。それを、笑顔の美紀があやすように優しく撫でる。

「大丈夫。大丈夫よ」

「美紀さん! 美紀さん! 愛してる! 愛してる!」

 目を閉じた美紀が、最後に大介のおでこへキスをした。そして、聖母の様な優しい笑顔を大介に送る。

 ヘルメットをかぶりなおした美紀と、槍を握ったムハドが、宇宙船を出た。愛する者の命を繋ぐ為に。

「美紀さん! 美紀さぁぁぁぁん!」

 大介とシェールは、宇宙船の中で泣き叫ぶ。悲しくて、辛くて、悔しくて。

 頭がぐちゃぐちゃで、泣く事しか出来ない。

 その声を聞きながら、グレムリンは自分の仕事に集中する。残った二人の命を生かす為。そして、出て行った二人の命を誰にも無駄と言わせない為に。

(ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!)

 鬼のような形相で、整備を続ける。そして船は、格納庫から宇宙へ飛び出した。


「きゃああああぁぁぁ!」

 ドームの転移する影響を受けた宇宙船は、上下が幾度も反転し、二人を壁や床に打ち付けていく。

……愛してる! 愛してます! 美紀さん! 美紀さん!

「美紀さぁぁぁぁん!」

 体を強く打ちつけられながらも、大介は美紀を想う。だがいくら叫んでも、美紀からの返事はない。

 二人の悲鳴と叫びは、真っ暗な宇宙空間に、飲み込まれた。


****


 ドームの転移に巻き込まれ、どことも知れない場所へ飛ばされた宇宙船。その中でグレムリンは、反物質燃料エンジンを再点火して、船が壊れていないか点検を開始した。

 二人は気を失い、床で倒れたまま動かない。


 グレムリンは二時間ほどかけて、宇宙船の座標を割り出した。それと同時に、大介が目を開く。

 虚ろな目は、深い絶望に染まっている。視点がふらふらと宙をさまよう。体が動けば、今すぐにでも死んでしまいそうな顔で、ただ天井を眺める。

 現実が受け止められていないのだ。もう一度目を閉じれば、そこに笑顔の彼女がいる。そう思えて、何度も瞬きをしていた。

 だが、現実は決して変わらない。考えがまとまらない頭とは違い、心は激痛を訴える。何も理解できないまま、目からは涙がこぼれ出していた。

 虚脱状態の大介は、そのまま涙を垂れ流し、仰向けで天井を眺め続けた。


「イチさん」

(なんだ?)

「全部……全部! イチさんのせいだ! イチさんの……」

 突然口を開いた大介は、怒声を浴びせた。

 それが間違いであることも、何処かでは分かっている。だが、痛みを抱えきれない心が、自分を守ろうと現実を捻じ曲げた。

(すまない……)

 グレムリンは、言い訳もせずに、ただ謝った。それしか出来なかったのだ。

 グレムリンも、本気で美紀を助けるつもりだった。それが出来ると信じて、命までかけている。だが、結果は伴わなかった。

 悔しさで目を瞑り、角を力いっぱい握っている。グレムリンが思い出しているのは、美紀との会話。いつも平行線をたどり、喧嘩になっていたが、いつの間にかそれが楽しいと思えていたらしい。

 もう少し早く計画を実行していれば。あの場面で気を抜かなければ。魔力をもう少し確保していれば。グレムリンの中で、悔しさが膨らんでいく。そして、喋れたのは、一言の謝罪だけだった。

「イチさん。なんでだよ?」

 美紀の顔を思い出してしまった大介の声が、震え始める。そして、涙の量が増えていく。

「なんで、言い訳してくれないんだよ? そうすれば、イチさんのせいだって、自分を誤魔化せたのに……」

 グレムリンは、返事をしない。

 大介は守ると誓った相手に、守られた。後悔の波が何度も打ち寄せ、発狂しそうなほどの悔しさで、心の穴が広がっていく。

 ただ、愛する美紀に会いたい。その大介の小さな願いは、グレムリンでも叶えられない。

 美紀と会ってからの色々な思い出が、大介の中でぐるぐるとまわる。

「僕なんて、死ねばよかったんだ。美紀さんに会わずに死んでいれば、こんなに悲しくなかったのに。こんなに苦しくなかったのに」

 歯を食いしばったグレムリンが、目を開く。辛くても、自分がしないといけない事は、分かっているから。

(お前はな……。お前は、あいつの命を背負っちまったんだ! あいつの分まで生きるのが、あいつを救えなかった、お前の罰だ! そして、お前に嫌われても、お前を支えるのが、俺の罰だ……)

「あ……ああ……ああああああぁぁぁ!」

 グレムリンの言葉で、大介の脳内に再生されたのは、愛する女性が見せた最後の笑顔だった。

 大介にも分かっている。この世に「もしも」はないが、美紀がたとえ大介に会わなくても、第四ドームは同じ運命をたどり、美紀は死んでいた。

 美紀との思い出を否定すれば、それは美紀を侮辱した事になる。

 美紀に会えてよかった。美紀を愛してよかった。そして、美紀に愛されて幸せだった。

 これが、大介の全てなのだ。


――大丈夫。自分を信じなさい。寄り道してもいいから、自分の信じた道を真っ直ぐに進みなさい――


 悲しみで壊れそうな心を、記憶の中だけになった美紀が支える。そして、優しく。とても優しく微笑みかける。


 もう一度、大介が立ち上がれるように。

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