七話
ミーティングルームで、特務部隊の前に立つ上官は、緊張感の漂う顔をしていた。
大介が所属されている特務部隊は、常に二十人で構成されている。しかし、先日あった脱走者との戦闘で、二人の欠員が出ており、現在椅子に座っているのは十八人だ。
今回も、早々に人員が補充される予定だった。だが、軍全体の人材が不足してきている。その為、補充は見送られてしまった。
「皆も知っての通り、反政府の活動が活発化している」
軍の敵は、人金だけではない。政府に不信を持ちドームから離反した活動家が、脱走者をまとめてテロ行為を続けており、政府軍と日々戦闘行為が行われていた。
過去に大介達が乗った軍用車両と、代表候補生達のバスを襲ったのは、その活動家達だ。
「現在本部で、奴らの拠点への大規模な掃討作戦が、準備されている。その為に、こちらへ回せる人員がいないそうだ」
特務部隊の幾人かが、眉間にしわを寄せる。人員が減れば、それだけ自分への危険が高まり、気分のいい話ではない。
だが、軍本部の方針に文句を言える権限は、彼らにはなかった。それどころか、目の前にいる上官への反論も許されていない。だからこそ、溜まっていくストレスが顔に出る。
「奴らはどうやら、質の悪いパトロンを得たらしいと、諜報部が情報をつかんだ」
壁に据え付けられたディスプレイには、データが表示され始める。戦闘で得た、敵の武装についてのデータだ。
大介が撃退した戦闘用機体に、脱走者が持っていた端末もどきも表示されている。
「見ての通りだ。今までは旧時代の銃火器だけで、こちらへの被害はほぼ皆無だった。だが、敵の使う魔法で本部の戦死者が急増している」
上官がディスプレイを操作すると、活動家達の襲撃状況データへと画面が変わる。
棒グラフで分かりやすく表された襲撃回数を見ると、半年前から急増していた。約八割は第一メインドームが襲われている。だが、他のドームにも被害がないわけではない。
襲撃されていないのは、もっとも戦力があるアーミードームだけだ。
「どうやって労働者達にあの端末を渡したかは、いまだに解明できていない」
(縮地の魔法かもしれんな)
(しゅく? なに?)
(瞬間移動する魔法だ。馬鹿)
(ああ、なるほど)
上官は厳しい口調で、隊員達へ気を引き締める様に命令した。
出所不明の資金と技術を得た活動家達は、既に軍と呼べるほどの力を持っている。軍の規模が小さい第四メインドームは、総攻撃を受ければ全滅も考えられるだろう。
(どこかの国。もしくは、それに相当するレベルのバックアップを受けてるな)
(この流れって、まずくないかな?)
(確かに第一に戦力を集中し過ぎて、他が手薄だ。その為の遊撃部隊は、組織されてるって言ってるが、被害をゼロには出来ないだろうな)
目線だけを美紀と合わせた大介が、不安を顔に出す。大丈夫と伝えたかった美紀は、無表情のまま足を組み替える動作で、靴の先を大介の脛に軽くあてた。
大介は美紀へ顔自体は向けないが、表情から少しだけ不安が薄れる。代わりに、正面へと戻した目付きが鋭くなった。美紀を守りたい気持ちが、表に出ているようだ。
端末の中にいるグレムリンも、上司に負けないほど表情が険しくなっている。データを見つめ、敵の攻撃パターンと思惑を、見抜こうとしているのだ。
地球での戦争を見続けたグレムリンは、軍本部よりも的確に敵の動きを予測した。そして、目を瞑り座る。敵の作戦から、何かの臭いを感じ取ったらしい。
だが、確証がとれるまで、大介にも喋る気はないようだ。だた、万が一の事を考え、静かに策を練る。
「解散!」
****
定期ミーティングを終えた大介は、美紀と共に宿舎の部屋へとかえる。美紀と誓い合って以降、シェールの事も考え、同棲といえるほど入り浸っていた。
「本当にあなたの言った通り、きな臭くなってきたわね」
(敵の動きが、俺の予想よりも早い。計画を練り直すぞ)
「うん。そうだね」
美紀の部屋では、秘密の会議が幾度も行われていた。
内容は、ドームからどう逃げ出すかについてだ。
「現実的には、難しいわよ。シェールちゃんを逃がす事を考えて、一時的にガルーラに潜伏しましょう」
(自然舐めんな! お前らが、文明なしに生き残れるほど、自然は甘くないんだよ)
「じゃあ、この第四ドームで宇宙船を手に入れるの? 無理よ。三台しかないのよ」
(出来る出来ないじゃないのっ! やるのっ!)
机に置かれた大介の端末を、ソファーで足を組み替えた美紀が睨みつける。当然、端末内のグレムリンもディスプレイの際まで近づき、目を血走らせていた。
目を細めた大介だけが、コーヒーをすするように飲んでいる。
「ねぇ? どっちがいいと思う?」
(そうだ! お前はどう思うんだ?)
話を振られた大介は、コーヒーカップを机に置き、腕を組んだ。そして、思った事をそのまま口にする。
「やっぱり、イチさんの言ってる作戦がいいかな。成功した時のプラスが大きいよ」
(よし! 多数決で、俺の案を採用だ!)
美紀は鋭い目のまま、歯を食いしばる。そして、隣に座る大介に手を伸ばした。
「なんで、あんたは、こいつの言う事を全部肯定するの? 少しは自分で考えなさいよ」
「痛っ! いぁたたっ! 美紀さん! 痛い! ちぎれる!」
耳を引っ張られる大介は美紀の腕をつかみ、顔をひきつらせながら訴えた。だが、グレムリンとの口論で血が頭に昇っていた美紀は、手加減なしで力をくわえる。
(負けるな! ブラザー! この感情論の塊に負けんな!)
「ちゃんと考えてるでしょうが! 成功率は、高いほうがいいにきまってるでしょ!」
「いぎゃあぁ! ちぎれる!」
(ハイリスクハイリターンが、俺の生きる道だぁぁ!)
「私達を巻き込まないで!」
「ちぎれっ! ちぎれる! 美紀さん! 美紀さぁぁん!」
数分後、ぐったりとした大介は涙目で耳をさする。
隣でコーヒーを飲む美紀は、まだ不機嫌な顔のままだ。
「で? 理由はあるのよね? 何となくとか言ったら、次は鼻を引っ張るわよ」
「あのね。純粋に、イチさんって頭いいんだよ。行き当たりばったりに見えて、先まで読んでたりするからさ」
「で?」
カップを少し乱暴に置いた美紀は、眉間にしわを寄せたまま大介に向き直る。
「ガルーラを出て、美紀さんと心置きなく暮らしたい。他の国に行って、僕が精一杯働くから。ね?」
大介の真っ直ぐな言葉に弱い美紀が怯んだのを見て、グレムリンが畳み掛ける。
(俺の魔法を使えば、そこそこの成功率はあるんだ。惑星内で逃げ出すだけなら簡単だが、生き延びる確率はかなり低いんだぞ? な?)
大介の潤んだ瞳に負けた美紀が、溜息をつく。そして腕を組み、端末内のグレムリンに目を向けた。
「わかったわ。私の負けよ」
「美紀さん……」
(勝ち負けじゃねぇっつってるだろうが)
嬉しそうな大介と違い、グレムリンは顔をそむける。しかし、そのまま自分の考えた策を喋り始めた。
軍用に作られた圧縮魔力カプセルを、入手する。そして、グレムリンの魔法を最大限に活用し、訓練などで手薄になった時間を見計らい、宇宙船を強奪する作戦だ。
「軍用のカプセルは、管理が厳しいわよ?」
(管理システムを誤魔化すプログラムは、もう作ってある)
「宇宙船の操縦は? 私も出来ないわよ?」
(それも、俺が出来る。ついでにメンテナンスもな。マニュアルは暗記済みだ)
耳の痛みが引いた大介が、笑顔で美紀に話し掛ける。
「ね? 機械と金属が関われば、万能なんだって」
目を閉じた美紀が、自分なりにシミュレートする。そして、納得したように無言で頷いた。
「で? いつ決行する?」
(多分、急いだ方がいい。今すぐに、決行だ。管理システムは誤魔化してあるから、カプセルを今すぐ十個ほどくすねてこい)
グレムリンの指示に、美紀がうなずいた。
「それだけでいいの?」
(それ以上は、見た目でばれる)
「そう言えば、シェールちゃんは素直について来てくれる?」
(おう。そっちももう、手なずけてある。何とかなるだろう)
「で? 宇宙船は?」
(お前らが寝てる間にでも、メンテナンスプログラムを作動させておく。明日の午前中には、出せるようにしてやる)
美紀と大介は、どちらからともなく手を握り合っていた。不安に負けないように、お互いの温もりを確かめ、自分達二人の未来を信じる。幸せな未来を。
打ち合わせを終えた大介と美紀は、お互いを抱きしめながら口づけをする。そして、倉庫に忍び込みカプセルを手に入れ、美紀の部屋へと隠した。
「じゃあ、シェールに食事を渡してくるよ」
「ええ。説明もお願いね」
「うん」
美紀から頬に口づけされた大介が、握っていた手を離し、部屋を出た。
「ふふふっ、大丈夫」
手を離した事が無性に寂しく感じた大介が、部屋を出てすぐに振り返った。
その大介に、美紀は優しい顔と言葉を向ける。
美紀も大介と同じ感情を抱いたらしく、扉を閉じてすぐに自分の手を見つめた。そして、その自分の手を抱きしめて目を瞑り、艶のある息を吐く。
****
宿舎に帰った大介は、玄関ホールで舟橋に会う。
「寺崎。体はどうだ?」
「あっ、はい。明後日には仕事へ復帰できます」
「そうか」
軽く頭を下げて通り過ぎようとした大介の背中を、舟橋は見つめる。雰囲気の違いで、何かを感じ取ったようだ。
舟橋の視線を感じたグレムリンが、薄く笑う。そして、情報を十分に蓄えた自分が、もう舟橋では気付かれないレベルの偽装が出来ていると、確信した。
前日から大介の態度に不信感を持った舟橋は、独自に調査をしている。だが、何の痕跡も見つける事は出来なかった。
部屋に帰った大介は、クローゼット奥の壁をノックする。すると、グレムリンが金属を歪めて作り出した隠し部屋から、シェールが出てきた。大介が女性物の服を用意できなかったせいで、大介と同じシャツとズボンを着用している。
まだシェールに警戒した態度は残るものの、大介から渡された弁当をベッドに座って食べ始めた。グレムリンの案に従って丸腰で結界を解除し、信じてほしいと頭を下げた大介を、シェールは受け入れたのだ。
大介に対して、まだ十分すぎるほど警戒はしているが、危険を冒してまでかくまってくれたのは分かっている。だからこそ、大介の言葉に従って逃げ出さない。
「明日。ドームから出してあげられると思う」
無言で食事をしていたシェールが、大介の顔を見た。
不安と希望のごちゃごちゃになった顔で、シェールは大介の言葉に耳を傾ける。
「遠隔でこのコンピューターに電源を入れるから、それを見たら非常階段を使って外に出てほしい。鍵も遠隔で解除する。角部屋だから、非常階段はすぐそこだからね」
大介は、紙に書いた図をベッドの上に出す。この時代に紙媒体はほとんど使用されなくなっているが、完全になくなったわけではない。ティッシュペーパーも変わらず使われている。
大介が軍拠点へ向かう道を説明すると、シェールは地図を何度も手でなぞった。暗記しようと頑張っているらしい。
「ここが軍の拠点なんだけど、ここ。この場所の金網に穴をあけておく。警備も誤魔化すから中に入って」
軍拠点の見取り図まで見せた大介に、シェールはうなずき続ける。
グレムリンも大介の説明に不備がないか、端末内で注意深く聞いていた。
「で、これが長袖のシャツと帽子とサングラスとマスク。髪は帽子の中に隠して。いいね」
頷いたシェールは、変装セットを身に着けてみる。
(夏場だから、マフラーとかで厚着できないのが、いたいな)
(そこは、どうしようもないよね。無理に厚着すれば、逆に目立つよ)
バスルームの鏡で自分を確認するシェールを、後ろから見ていた大介が、ファンデーションを差し出す。食事と一緒に買ってきたものだ。
万が一を考えたグレムリンは、その購入履歴すら改ざんしている。
「嫌かも知れないけど、その肌は目立つんだ。これで、出来るだけ隠して」
無言で受け取ったシェールは、粉状のファンデーションを手の甲で試す。人間のそれとは肌の質が違う為に定着しにくいが、塗り重ねれば何とか肌色に見える。
肌色になった自分の皮膚を見て、シェールは唇をかんだ。そして、耐えがたく膨らんだ自分の感情を、吐き出す。
「なんで? なんでなの?」
バスルームから出たシェールは、怒りを現した顔で、泣きそうに震えた声を使って問いかけた。
自分から初めて声をかけてくれた、シェールの感情が全て入り混じった一言に、大介は真っ直ぐに向き合う。
「僕は少し前まで人間が、君達に何をしてきたかを知らなかった。でも、今は知っている」
謝っても意味がないと言ったグレムリンの言葉に従うように、頭を下げずにシェールの目を見た大介が、不器用に少しずつ言葉を紡ぎだす。
「謝って許されるレベルじゃないし、取り返しがつくものでもないのは、分かっている」
たどたどしいが、意思の籠った大介の言葉には、何処か強さが感じられた。
「僕は君達の味方について、同族を殺す選択は出来ないし、人間を止める力もない。でも、これ以上犠牲の上には立っていたくない」
徐々に、シェールから怒りが薄れていく。
人金の涙は、水に浮かんだ油を思わせる虹色に見えた。
「今、僕に出来るのは、君達を犠牲にするこの国から逃げ出す事だけなんだ。ほとんど何も出来ない僕だけど、殺されると分かってる君を無視する事が出来なかった。それだけなんだ」
「やめっ……やめてよ! 馬鹿あぁ!」
涙声のシェールは、全力で叫んでいた。床の絨毯に涙と唾液の飛沫が落ち、色をくすませる。
「許してほしいわけじゃないけど、嘘はつきたくなくてさ」
「違うわよ。馬鹿」
シェールは何度も涙を手で拭いながら、気持ちを言葉にする。
「人間が大嫌いだったのに、憎くて憎くて仕方がなかったのに。あんたを憎み切れなくなってるのよ」
申し訳なさそうに大介が、人差し指で自分の頬を掻く。
端末内で寝転がっているグレムリンは、目を瞑ったまま薄い笑いを消さない。
「だから、あんたなんか大嫌いよ」
「ごめん」
大介は、あえて謝った。人金の少女と繋がった細い糸に、気持ちを乗せる為に。
シェールが泣き止むまで待った大介は、入念な打ち合わせを行った。
簡単な作業の積み重ねだが、失敗はお互いの命を奪ってしまう。だからこそ、並んでいる建物の順番から、軍拠点内通路まで、知っている限りの事を大介はシェールに伝えた。
寝転がったままのグレムリンは、二人の話に耳を傾けつつ、監視カメラからの情報を眺める。人間とは、頭の出来が違うグレムリンだからこそ出来る処理だ。
舟橋はコンピューターの前で、何度も首を傾けている。確かに舟橋も人間としては優秀だが、人間を越えるほどの力は持っていない。グレムリンにより完璧な処理を施されたデータから、大介の裏を読みだす事は出来ない。
馬鹿にしたように笑うグレムリンが、別の部屋に注目する。
「あれは、あの動きは、絶対に大介よ! 間違いないわ!」
「でも、本人が違うって言ったし、苗字も違うじゃないか。もう、忘れろよ、早苗」
「あんなにそっくりな人間が、いてたまるもんですか! 本人よ!」
霧林の部屋にいる浜崎が、興奮した霧林をなだめようとしていた。
しかし、霧林はそれを受け入れない。大介と幼馴染が別人だとは、思えなくなっているらしい。
「確かにそっくりだけどさ。返事をした時の顔を思い出せよ。嘘ついてない感じだったろ?」
「何かわけがあるのよ! そうに決まってる! そうじゃないなら、私に嘘をつく理由がないもの!」
大きく息を吐いた浜崎から、笑顔が消えた。そして、座っていたベッドから立ち上がる。
「そんなに大ちゃんと会いたいか?」
「当たり前じゃない! 浩太は会いたくないの? 私達三人は、いつも一緒だったじゃない」
「確かに今の俺があるのは、大ちゃんのおかげだ。大ちゃんに教えられた剣を磨いて、大ちゃんの背中を追いかけた」
「ね? 会いたいでしょ?」
「俺は会いたくない」
「えっ?」
目に力をこめた浜崎が、拳を開いた両腕を霧林に向かって広げる。
「俺を見てくれよ! 早苗! もう、大ちゃんやお前に助けられてた泣き虫の俺じゃない! 俺は変わったんだ!」
「ちょっと、浩太」
「大ちゃんと小学生の時に結婚する約束をしたのは、俺も知ってる! あの時の俺は、それを見ていることしか出来なかった!」
浜崎が霧林との距離を詰める。
「俺を見てくれよ! お前がずっと、ずっと好きだったんだ!」
「ちょっ、やめてよ」
後退していた霧林の背に、壁が触れる。
覚悟を決めた浜崎の告白を、霧林は受け止めない。そして、鼻息の荒くなった浜崎に、気持ちの悪さしか感じなくなっていた。
「好きだ! 早苗!」
「きゃああぁぁ!」
抱き着こうとした浜崎の頬から、乾いた音が響いた。奥歯がぐらつくほどの張り手を霧林から受けた浜崎が、床に転がる。
赤くなった手を見ていた霧林は、思い出したようにバスルームへと入った。そして、中から鍵をかけ、震えながらしゃがみ込んだ。
その閉じた目蓋の裏では、三人で楽しく遊んだ、幼い日の記憶が映画のように思い出されていた。
「んっ、んんっ!」
「はぁぁ」
霧林達がいるフロアから二つ下の階にある部屋では、春川が男子生徒と口づけをしていた。
男子生徒は自分なりに大人のキスをしたつもりらしいが、経験が浅く歯が当たってしまう。
「なあ? いいだろ?」
ベッドに自分を押し倒そうとする男子生徒をするりと躱した春川は、背後にまわり背中に抱き着く。
「駄ぁぁ目っ。ご褒美が欲しいなら、由梨のお願い聞いてくれなきゃ。ね?」
「寺崎の奴、病院に通ってるとかで、どこにもいないだよ。なぁ、頼むよ」
「お・あ・ず・けっ」
背後から抱き着いたままの春川は、男子生徒の頬にキスをする。そして、妖艶に笑う。
「なんで、あいつにそこまでこだわるんだよ」
「あいつは、中学時代から由梨を虐めてたの。だから、罪を受けて由梨に尽くさないといけないの」
「でもよぉ」
「由梨には貴方だけなの。ね? 由梨を自由にしていいから」
その男子生徒以外にも、春川が自分に特別な感情を抱いていると思っている者は多い。そして、春川の虚言に踊らされる。
情熱を持て余している若い男達は、その嘘を見抜けない。それは、春川自身がそれを本当だと信じ切っているからだ。
「由梨は貴方だけを待ってるからね」
ウインクをした春川は、部屋を出て、すぐに別の部屋に入る。そこには、先程とは別の男子生徒が上着を脱いで待ち構えていた。
(やべぇ。超こえぇぇ)
「ん? イチさん? 何か言った?」
(いや。なんでもない)
上半身だけを起こしたグレムリンは、再び腕を枕に寝転ぶ。そして、宿舎の裏に取り付けられているカメラの映像を呼び寄せた。
「はぁ?」
怒りを浮かべた門倉が、男子生徒を睨みつけていた。
「だから、愛情が溢れだしてるんだっ、つってるじゃん。な?」
「そっ、そんなの」
「おさえられないわけよ。この、気持ち? ひと夏の思い出って、大事なんだって」
しつこく迫る男子生徒に、堪忍袋の緒が切れた門倉が顔をそむけた。拳は力いっぱいに握られている。
「もういい。分かった。別れましょ」
「ちっ、何だよ。また寺崎に泣きつくのか?」
「ええ、そうよ。あの子は、私を裏切らない」
男子生徒に向けられた目を見たグレムリンが、鼻で笑う。そして、門倉の打算を馬鹿馬鹿しいと考え、遠隔の視点を変えた。
現実的な思考をする門倉は、条件のいい代表選手の男子生徒とよりを戻した。だが、男子生徒の考えがどうしても受け入れられない。そこで、大介の名前を出したのだ。
その男子生徒が、大介と自分の関係を気にしている事は分かっている。だから、自分が優位に立つ為に大介の名を出しただけだ。大介の変化には、気が付きもしていない。
駆け引きを失敗したなら大介と付き合えばいいだけと考え、余裕のある門倉は薄く笑う。大介を励ましたかつての爽やかな笑顔は、もうなくなっていた。
「出来るだけ待つけど、時間を過ぎれば僕達は出発する。いいね?」
「分かったわ」
「じゃあ、気をつけてね」
「うん。そっちもね」
どちらからともなく差し出した手で、大介とシェールは握手をした。決意を秘めた目で、敵であるはずの二人が笑い合う。
****
(よし、買い物だ)
(うん!)
デイパックを背負った大介は、有り金を使い切る勢いで、保存食等を買い込んだ。そして、美紀の待つ部屋へと走る。
美紀も拠点内で、可能な限り旅の準備をしていた。つとめて平静を装ってはいるが、期待と不安が鼓動を乱している。
二人の思考は、最終的に同じ所に行きつく。愛してやまない、大好きな恋人の顔。胸から漏れ出した温もりは、二人の体を優しく包む。
「お帰りなさい。可愛い坊や」
「ただいま!」
(はあぁぁぁ。少しは自重しろよな)
部屋へ帰った大介は、一も二もなく美紀に跳びつく。
「ほらぁ、焦っちゃ駄目。私は逃げないわよ」
「うん」
溜息をついたグレムリンは、力を使って宇宙船を整備する。長い間使われておらず、軍倉庫の一番奥で埃をかぶった状態だ。眠る必要がないグレムリンは、夜を徹して作業を続けた。誰にも気付かれずに。
****
翌朝、作業の九割を終えたグレムリンは、焦りを見せる。
予想外の事がおこったようだ。そして、精一杯の声で叫ぶ。
(起きろおおぉぉぉ! 敵だ! 敵が来た!)
飛び起きた二人は、驚きで目を丸くしていた。
驚くほどの速さで脈をうつ心臓のせいで、軽い頭痛がした美紀が、痛みを紛らわせようと目を強くこする。
「えっ? イチさん?」
グレムリンに状況を確認しようとした大介の耳に、けたたましい警告音が届く。そして、端末を接続していないコンピューターが独りでに起動し、警告内容を二人に教えた。
拠点内部へ、敵が侵入したと表示されている。軍内部も混乱しているらしく、独自判断で対応しろとしか書かれていない。
信じられない出来事に、ベッドの上にいる二人が固まった。
(最悪だ! ドームの結界を外から無理矢理解除して、縮地してきやがった! 急げ! 出発の準備だ!)
固まっていた二人が、顔を見合わせて、ベッドから出る。そして、急いで服を着る。
「イチさん! 延期しなくていいの?」
(延期出来るレベルじゃねぇ! 百人以上の重装備した馬鹿が、来てやがる!)
念の為持ってきていた戦闘用スーツを着た二人は、デイパックも背負った。
(その上、人金も攻め込んできてるぞ! くそっ! どっちかがタイミングを合わせやがったんだ! 逃げ出さなきゃ、兵士は皆殺しにされるぞ!)
門倉達の顔が、大介の頭をよぎる。巻き込まれる可能性が高い。
……僕は。僕は、僕は! 美紀さんと生きる!
「んんっ? もう!」
(急げ馬鹿!)
大介はすぐに自分の中で、選択した。そして、美紀に急いでキスをして、ヘルメットをかぶる。
「行きましょう!」
大介達がいたのは宿舎であり、寝間着のまま通路に出て立ち尽くす兵士達までいる。経験の浅い兵士ほど、混乱は大きいようだ。ただ、経験豊富な兵士達も、予想外過ぎる事態に、統率がとれない行動をしていた。
部屋を出た二人は、混乱する同僚達をかき分け、ロッカールームへと向かう。
(シェールは?)
(もう、連絡を入れてある! 準備を始めた画像までは、確認済みだ! 人金の仲間が来てるんだ! あっちより、こっちがやばい!)
(そのことをシェールは?)
(画面には表示させてある! 伝わったかは、分からん!)
ロッカールームから重火器を持って出た大介達は、格納庫へと走り出した。
監視カメラを支配したグレムリンは、敵のいないルートを大介に伝える。そして、大介から手信号で美紀へと進み道が示された。
(イチさん? 船は?)
(もうちょいだ! 今、遠隔で最後の仕上げ中!)
グレムリンの目になったカメラから、戦闘状況が伝わってくる。フィールドをキャンセルされた兵士達が、次々に餌食となっていた。
特務部隊や老獪な兵士が、それなりの善戦はしている。敵のようにキャンセルは出来ないが、ランチャー型の装備から放たれる魔法で、幾人かの命は奪っていた。だが、数と装備で劣る彼らは、どんどんと前線を後退させている。
敵を一人あの世へ送る間に、その十倍の仲間が消えていた。そして、拠点から逃げ出した兵士達が、ドームへ侵入した人金達に狩られていく。
第四ドームは、完全な地獄と化した。敵に鉢合わせた兵士達は、声を上げることなく、命を散らす。ただただ魔法で焼き払われ、人金の槍で首をはねられていく。
自分達を革命軍だと叫ぶ敵の武器は、マシンガン型だ。細かい弾を連射しているが、その一発一発が兵士の体を四散させるほど威力がある。
目を血走らせて笑いながら、兵士を蹂躙する敵は、それぞれが大声で叫んでいた。思い知ったか、死ね、ゴミ共が等々。自分達の力を誇示して、今までのうっぷんを晴らすように、殺戮を楽しんでいる。
グレムリンは、遠い記憶にある、地球の戦争を思い出していた。そして、どれほど時間がたっても愚かさを失わない人間に、吐き気を覚えている。
宇宙船にたどり着き、金属板を剥がしてバリケードを築く二人も、同じ人間なのだと考えてしまい、一瞬の隙が出来てしった。
したたかな運命の歯車は、その隙を見逃さない。
規格外の膂力で、格納庫の壁が破られた。強度の高い壁を、薄いアルミ缶のように歪め、敵が侵入してきたのだ。
一際大きな人金が、一人で入ってきた。大介が見た人金は、二メートル弱ほどだったが、その個体は三メートル近くの身長を持っている。腕と頬から、シェールと同じ虹色の血が流れ出していた。だが、それはかすり傷程度で、戦闘力が低下するほどの怪我だとは思えない。
銃を構えた大介達は、あの人金達が無残に殺される映像を見てしまった。トリガーに掛けた指に、力をこめるのを躊躇したのだ。
しかし、人金からすれば、大介達は只の敵でしかない。床を蹴り、信じられないほどの速度で、大介達に真っ直ぐ突進してくる。
その大柄な個体は、明らかに大介が前回戦った人金よりも速い。
「かはっ!」
バリケードをものともしない槍が、二人を同時に薙ぎ払った。床を転げるように滑った大介達は、宇宙船にぶつかって止まる。
(馬鹿野郎! 生きる事を優先しろ!)
「このおぉ!」
痛みで顔を歪ませた美紀が見えた大介は、人金に魔法を発射した。
ソフトボール大の魔法が、床に着弾する。人金は、横に飛びのいていた。そして、左右に素早く動き、照準を合わされないようにしている。
人間では不可能な速度で、巨体が揺れるように移動していた。そのランダムな動きを、大介は眼球だけで追いかける。
腹部を抑えて立ち上がった美紀も、銃を構えるが目が付いて行かない。
(連射が遅いランチャータイプは失敗だったな)
(ハンドガンに持ち替える隙が出来れば、飛び掛かられるね)
(どうするよ?)
策を立てた大介は、グレムリンに返事をすることなく、引き金を引いた。故意的に返事をしなかったわけではなく、する余裕すらないほど人金から圧力を感じていたのだ。
人金がいるおおよその位置に放たれた魔法の弾は、見事に外れる。だが、それは予想の範囲内だ。ランチャー型は連射が少し遅いだけであって、出来ないわけではない。
人金は大介がわざと見せた隙に、食いついてきた。槍を振りかぶった人金が、床を蹴る。常人であれば、瞬きする間にその人金に討ち取られるだろう。
だが、大介は反応する。銃口を人金に向けながら、同時に引き金を引いた。
(うおおっ! マジかよ!)
真っ直ぐ大介の頭に振り下ろされていた、銀色に輝く軌道は宙でねじれた。
大介の驚異的な反応に対して、その人金はそれ以上の反応で対応した。槍を振り下ろしている最中に、床を蹴って横に跳んだのだ。
頭に当たるはずだった槍は、大介の二の腕部分にかするだけに留まった。代わりに、大介が撃ち出した魔法も、人金の脇腹を少し焦がしただけだ。
お互いの射程内で動きを止めた二人は、相手の先を取る事だけに全神経を集中させる。大介の指にはぎりぎりの力が加わっており、人金の槍を振り上げている腕の筋肉は膨らんでいた。まさに一触即発状態だ。
やっと二人の姿が見えた美紀が、ハンドガンをホルスターから抜く。
大介がフィールドで守られている以上、人金の一撃を躱せば終了のはずだった。
だが、その人金が破った壁の奥にある部屋から、四人の人金が格納庫に侵入する。美紀はそちらに銃を向け、牽制した。
先に、大柄な人金を倒すという判断もあっただろう。だが、その判断を間違いとは言い切れない。美紀の立っている位置から大柄な人金は、大介の体が邪魔をして直接狙えないからだ。人金の身体能力を考えれば、新手の四人を無視する事も出来なかった。
遮蔽物のない状態で、全員が動きを止める。へたに動けば、自分や仲間の死につながるからだ。呼吸が出来ないほどの張りつめた空気が、格納庫に漂う。
その中で、グレムリンだけが遠隔で宇宙船の整備を進めていた。
静まり返った格納庫に、遠くで何かが砕け散る音が届いた。拠点内部での激闘が続いている事を、その音が教えてくれる。
だが、七人はその音にすら反応できない。目から流れ込んでくる敵の動きだけに、意識の全てをつぎ込んでいた。
「やめてえぇぇぇ!」
緊張状態を打破したのは、シェールの悲鳴にも似た叫び声だった。変装の為にかぶっていた帽子とマスクを投げ捨てたシェールは、格納庫の入り口から大介達に向かって走り出していた。
それを見た大柄な人金が、大介と距離をとり、背中を見せずにシェールの元へと近づく。十分な警戒はしているようで、持っている槍はまだ大介達に向いたままだ。
(ふぅ)
シェールを誘導したのは、もちろんグレムリンだ。壁の金属を歪ませ、直通の通路で最短距離を走らせた。
シェールが状況を好転させると考えて、グレムリンは一人で賭けをしていたらしい。
(イチさん)
(ぎりぎりセーフだ)
残りの四人も、大介達に向いたまま、ゆっくりとシェールの元へと向かう。
大介と美紀が、呼吸を再開する。何度も大きく空気を吸い込んでは吐き出して、鼓動を落ち着けていく。
人金の恐ろしさをよく知っている二人は、構えを解く事が出来ない。警戒した状態で、シェールを見つめる。
「お父さん! 聞いて! あの二人は違うの! あの二人だけは!」
シェールの声に耳を傾けた二人の、真綿で首を絞められるような時間は続く。
少し前までとは違う緊迫感が漂う格納庫で、グレムリンは宇宙船を仕上げていた。それがどれほどの意味を持つのか、切れ者のグレムリンすらも分かっていない。
知っているのは、運命の歯車だけだ。