六話
日中の軍宿舎に、人は少ない。休暇を取っている者もいるが、朝から娯楽を求めて宿舎を出るか、昼過ぎまで眠り続けている。
規則正しく時を刻むアナログ時計から、カチカチと音が聞こえていた。部屋に音を出す物が少なく、それがやけにはっきりと聞こえる。この時代にアナログ時計を好んで使う者は少なくなっているが、技術自体は途絶えていない。
美紀は自分の趣味で、部屋に少し大きなそれを壁に飾っている。ほとんどの場合、時刻は机に置いてあるデジタル表示の時計で確認するので、飾りとして置いているだけだ。
バスローブ等の衣服に埋もれた端末の中で、グレムリンは意識を情報の海へと送り込んでいた。何もしないのは、性に合わないのだろう。そして、裏の奥にある真実へとたどり着く。
呆れたように溜息をつきながらも、顔に不機嫌な部分はない。鍵になる情報を手に入れたからだ。
しかし、今回手に入れた鍵は、使い勝手がよくない。そう思えたらしく、タイミングを見計らって早々に使ってしまおうと、考えているようだ。
考えがまとまったグレムリンは、手に入れた情報を整理する。そして、いつのように怪しく笑う。
「んっ……」
驚くほどの気怠さに体を支配されながら、大介は天井を眺めていた。心が心地のいいぬるま湯の中を、ふわふわと漂っている。眠たそうに目がとろんとしているが、瞳の奥にある光が今までよりも強くなっていた。心に空いた穴は、完璧に修復され、以前よりも強度を増している。
隣で枕に顔を半分だけ埋めた美紀が、とても優しく大介の頭を撫でていた。横目で美紀の顔を見た大介が、急いで視界を天井に戻す。恥ずかしさで顔の温度が上がっていくのが、触れている手を通して美紀にも伝わった。
大介の初々しい態度に、美紀が優しく笑う。そして、軽く頬に唇で触れた。それにより、大介の体温は、さらに引きあがる。
「ふふっ」
笑った美紀の顔を見た大介は、息苦しさを感じた。そして、人を好きになり過ぎても、苦しさを感じるものなのだと知る。
一緒にベッドに体重を預ける美紀への気持ちが、大介の中で飽和した。
……僕はこの人に、恋と愛を同時にしてしまったんだ。
大介の顔から赤みが引いていくのとは逆に、美紀の頬が染まる。無言で顔を見つめられ、少し照れたようだ。
大介より年が上の美紀だが、怪我による見た目の変化もあり恋愛経験が豊富な訳ではない。好きな相手が出来たのも、久しぶりだ。
朱に染まった顔を隠そうと、美紀は上半身を起こす。そして、必死に誤魔化そうとする。
「あの、あれ。もうすぐお昼だし、食堂に行かない?」
「はい」
後頭部を激しく掻きながらの美紀からの提案に、大介は即答する。
「じゃあ、先にシャワー浴びてくるわね」
ベッドから裸のまま起き上がった美紀は数歩進み、立ち止まる。そして、その様子を不思議そうに見ていた大介の元へと戻り、口づけをした。
「ふふふっ」
にやけてしまった大介も、ベッドから起き上がる。そして、床とベッドの上に散らかった服をかき集めた。
(その汚いブラザーのブラザーを、俺に見せつけるな)
「あっ、ごめん」
大介は、自分が見えない様に、端末を机の上に置いた。
(後、巣で雛が腹を空かせて待っている事は、忘れるなよ)
そこで、大介はシェールの事を思い出す。
大介が渡した携帯食を、シェールは既に全部食べてしまっていた。美紀と過ごしたい気持ちは大きいが、帰らないわけにはいかない。
バスルームへ美紀と交代で入った大介が、美紀と出来るだけ長く過ごす方法を考える。
「えっ?」
食堂に大介と向い合せに座った美紀が、大介からの言葉で驚いている。
「すみません。合宿を手伝っているおかげで少ないんですが、宿題を済ませないといけなくて」
「そう。そうよね。学生だもんね」
(お前にしては、まともな言い訳だな)
笑顔が消えた美紀を見た大介が、急いで言葉を続ける。
「あのぉ。その、終わったら。宿題が終わったら」
「終わったら?」
「嫌じゃなかったら、また行ってもいいですか? あの、部屋に」
「待ってるわね」
美紀の優しい笑顔を見た大介が、顔を真っ赤にして笑う。そして、用事を早く済ませようと、食事を口に急いで詰め込んだ。
「ふふっ、あわてないの」
ゆっくりと会話と食事を楽しみたい美紀の気持ちを、大介はくみ取ることが出来ない。
喉がつまりそうになった大介は、美紀から差し出されたコップの水を、一気に飲み干す。そして、速度を緩めずに食事を済ませた。
「急いでもう一度会いに来てくれるのかしら? 坊や?」
大介とは違い、美紀は相手の考えが分かっている。その上で、少しだけ皮肉を込めて、大介を坊やと呼んだ。
「はい! 大急ぎで片付けてきます!」
皮肉すら気にしない大介は、美紀を残して食堂から飛び出していく。偶然にも美紀とグレムリンは、呆れたように溜息を同時に吐き出した。
****
食料と飲み物を買い込んだ大介は、大急ぎで宿舎へと帰る。
春川が、休憩時間に入った男子生徒に囲まれていても、気にしない。霧林が浜崎と喧嘩をしていても、気にしない。門倉とその恋人が手をつないでいても、気にしない。
心は既に、美紀だけでいっぱいになっていた。だが、門倉や霧林はその大介の姿を目で追う。
大介は、自分が全力で走ると、どれほど目立つか分かっていないようだ。障害物となる代表候補生達を、軽やかに躱しながら、部屋へと戻った。そして、シェールに食事を差し出す。
「あのね。なくなれば、買ってくるから、もう少しゆっくり食べてくれるかな?」
常に大介の行動に警戒しながらも、シェールは食料を口にする。それも、冬眠前の動物のように、可能な限り栄養を蓄えようとしているのか、出した分を全部たいらげた。
二つ目のビニール袋を結界の中へ入れた大介は、なんとか打ち解けようと努力する。年齢から始まり、趣味などを聞いてみるが、シェールからの返事はない。食料の入ったビニール袋を抱え、結界の中で大介から可能な限り離れようとする。
……どうやれば、信用してくれるのかな?
(ちょっと想像してみろ)
(ん? 何を?)
(お前が、そうだな。人食い種族に捕まったとしよう)
(うん)
先が読めない大介は、ベッドに座り首を傾げてグレムリンの話を聞く。
シェールは、そんな大介にすら警戒の態勢をとかない。
(檻に監禁されて、餌を差し出してきた相手が、信用しろって言って出来るか?)
自分の身に置き換えて、想像した大介は答えに行きつく。しかし、そんな状況ではないと、反論に出る。
(確かに信用されないと思うけど、僕はシェールを食べないし、ちょっと違うと思うな)
(だからお前は、馬鹿なんだ)
(でも、生物としては、シェールの方が強いじゃないか)
(リマ症候群にでもかかったか?)
(リマ? 何? 病気?)
端末内のグレムリンは、膝をつく。
(ちくしょぉぉうっ! 前回こっちに来て覚えた言葉が、通じない! 結構、真面目に勉強したのに!)
(ごめんよ。でも、分からないんだよ)
涙目のグレムリンが立ち上がり、大介を睨む。目には、悔しさがにじみ出していた。
(もういい。だが、俺が間違えていない証拠を見せてやろう)
(えっ?)
いやらしく口角を上げたグレムリンは、端末内のプログラムを起動して、情報を取り出す。待つ理由がないと考え、躊躇わずに今朝手に入れた鍵を使った。
(ちと、覚悟しろよ)
大介の頭に、端末から直接映像が流れ込んだ。
「えっ? あ、ああ、こんな」
目を見開いた大介の顔から、血の気が引いていく。
状況が理解できないシェールは、怯えた表情のまま大介を凝視した。
脳に直接流れ込んでくる情報は、目を背ける事も出来ない。おぞましい光景を見せられた大介の全身が、震え始める。
「うっ!」
口を押えた大介は、トイレのあるバスルームへと走った。そして、便器に向かって何度も胃の内容物を吐き出す。酸味と苦さを感じている大介の目から、自然に滲み出してきた涙が、吐しゃ物と同時に便器へと落ちていく。
苦しんでいる最中も、映像は大介を襲い続ける。最終的に胃液まで逆流させた大介は、バスルームで放心した。口、鼻、目から、だらしなく液体が垂れている。
五分ほど続いたその映像は、本来もっと長い。だが、グレムリンがより残酷な部分だけを編集していた。
大介は労働者を見て、それを知らない人々に、嫌悪感を覚えた事を思い出す。だが、自分自身もまだその一人なのだと実感し、両手で頭を抱える。
(俺の言いたい事が、よく分かっただろう?)
大介はグレムリンに返事をしない。何を言えば分からないからだ。震えたまま、浅い呼吸を続けている。
大介が見せられたのは、人金の解体シーンだ。ガルーラに到着した人間は、人金に笑顔で近づいた。そして、人金の情報をかき集める。
人金達が人間に心を開き始めた頃に、結論が出てしまう。人金の体そのものが、自分達に利益をもたらすと。そして、研究者達が提出した書類に、国のトップ達は承認のボタンを押した。
映像の中で神妙な顔をしたその人間達は、残念だが我々が生きる為には仕方ないとうなずき合っている。まるで、自分の正当性を確かめ合い、褒めてもらおうとしているかのようだ。
グレムリンが知らなかった金属のほとんどが、人金の体から作られている。人間は圧倒的な魔法と科学の力で、先住生物達を掴まえた。そして、体をバラバラに分解し、再利用している。
大介がいる第四ドームは、そのかなりの部品が犠牲者をだして作られていたのだ。自分を殺そうとした人金が、仲間を助けようとしていたのだと、大介にも想像がついた。
(シェールは、逃げてきたのかな?)
(あの服装を見る限り、間違いないだろうな。どうだ? 現実ってなぁ)
(知らないのは、いけない事だ。でも、知りたくなかった)
(なかなか素直な返事だな。そう、落ち込むな。人間は、大昔からこうやって生きてきたんだ)
少しだけ顔を上げた大介は、端末へ目を向ける。
(生きる為に、動物を殺して、肉を食べる。皮をはいで服を作る。骨で道具を作る)
(それは……)
(人金には、知恵があるか? 残念だが、牛や豚にだってそれなりにあるし、生きたいと思う気持ちは同等だ)
(そうか。そうだよね)
(生物にとっては、道徳なんかより、生きる事の方が重要なのさ)
目を閉じて沈黙した大介は、考える。膝を抱えてバスルームの隅に座り、答えを探す。
グレムリンも目を瞑り、胡坐をかいて腕を組んだまま大介を待つ。鍵を使うには、早すぎたのではないかとも考えている。だが、大介ならばたどり着くと、思えたようだ。
一時間以上悩んだ大介は、突然立ち上がる。そして、耳につけた回線を外し、顔を洗った。
タオルで顔をふき、回線をつけ直した大介は、グレムリンと答え合わせをする。
(きれいごとを言っても仕方がない。僕はもう、人間さえ殺してるんだ)
(そうだな)
(気力がなくて、ただ生きていた間でさえ、人金を間接的に殺してたんだ)
(ああ)
(でも、それを知って、嫌だと思った以上、変えないといけない。僕には理性があるし、道徳も知っているから)
グレムリンは大介が答えを出したと分かりながらも、あえてかまをかける。そうする事で、大介の心が全て理解できると知っているからだ。
(で? この秘密を公表するか? それとも、人金の仲間に加わって、人間と戦うか?)
(何もしない。人を巻き込んでも、僕にはその責任が負えない)
(ほぅ。で?)
(政府にやめさせようとすれば、力が必要だけど、力に力で対抗するのが正義だとは思えない)
(そうだな)
(だから、今は僕自身が変わるんだ。まずは、そこから始める)
端末の中にいたグレムリンが、拍手をおくる。
(うんうん。上出来だ)
(ドームを出て、生きていく自信すらないけどね)
(そんなお前に、ご褒美だ)
大介の脳内に、新たな情報が流れ込んでくる。
答えを出したご褒美として、グレムリンがカードを一枚出したのだ。それは、今の大介には何よりもうれしい情報だった。お互いに親指を立てて見せた二人が、笑う。
長い時間同じ姿勢で座っていた大介は、臀部の痛みを感じて立ち上がる。そして、首と腰を軽く回した。
大介がバスルームから出ると、シェールは飲んでいた水を、床に置いて構える。
(僕がいない方が落ち着けるよね)
(まあな、一石二鳥ってやつだ)
(僕の考えは、全部お見通しなんだね)
(当然だ。俺を舐めんな)
大介は、ベッドの上に置いていた、残りのビニール袋全部を、結界の中へ入れる。一つにはお菓子が入っており、もう一つには本や簡単な玩具等が入っていた。
「ごめんなさい。必ず、ドーム外へ連れて行くから、もう少しだけ我慢してください」
シェールに深く頭を下げた大介は、明かりを消さずに部屋を出る。
(今のは、ちと減点だな)
(えっ? どこが?)
(気持ちは分からなくもないが、謝って許されるレベルじゃない。そう思えないか?)
こめかみ部分を指で掻きながら、大介が軽い反省をする。グレムリンにとって、「許されなくてもいいから謝る」は、不正解らしい。
複雑な思いを抱えながらも、大介の足は重くなるどころか、軽くなっていた。早く美紀に会いたくて、気持ちを抑えられないようだ。
エレベーターを降りると、早足で玄関ホールをぬける。自分に話し掛けようとした霧林達が声を出す前に、出口前まで進んでいた。そして、宿舎を出ると、軍拠点へ向かって走り出す。
その時には既に、頭の中は美紀一色だった。
(はぁぁ。初めての恋人だし、仕方がないだろうけど)
(うん!)
(とりあえず落ち着け、馬鹿)
(ごめん。無理っぽい)
****
軍拠点へついた大介は、美紀の部屋へと直行する。
思っていたよりも遅かった大介に、美紀は不満を言うつもりだった。
だが、息を弾ませて、満面の笑みで立っている大介を見て、愚痴を飲み込んだ。そして、頬へのキスで部屋に迎え入れる。
「あら? 何か買ってきたの?」
「はい! あの、お腹がすいたので」
「あれ? ふふっ、いつからそんなに食べるようになったの?」
「少し多めに買ってきたんで、一緒にどうでしょうか?」
訓練をつけていた美紀は、大介の食が太くない事をよく知っていた。だが、昼食を吐き出した事は知らない。
……あれ? これって。
大介は、自分の変化に驚きながら、恐る恐る食事を口に運ぶ。
……やっぱりだ。
弁当と口を往復するプラスチックフォークが、自然と速くなっていく。なくしていたはずの味覚が、うっすらと戻り始めていた。
……そうだ。これが、美味しいだ。忘れてたよ。
シュークリームをかじっていた美紀は、手を止めていた。会話をするつもりだったが、大介の気持ちがいい食べっぷりに見とれている。
「えっ?」
「いいの。続けて」
大介が可愛くて仕方のない美紀は、食べかけのシュークリームを机に置き、頭を撫でていた。
そして、ソファーの隣に座った大介に、足を組んで向き直る。
美紀はそのまま、背中や首筋へ指を這わせた。むず痒さに体をよじりながら食事を終えた大介も、美紀に体ごと顔を向ける。
「満足した? 坊や?」
「はい」
待っていたらしい美紀は、返事を聞いて両腕を大介の首へ回した。目を閉じた二人は、お互いを確かめ合う。
(これだから、付き合ってすぐの人間は……)
頭をぼりぼりと掻いたグレムリンは、寝転がって情報整理に専念した。二人の恋愛は楽しむ対象ではないようだ。
数時間後、大介はまどろみの中で、緩やかに夢の世界へ落ちて行く。
枕に肘をつき掌に顎を寝せる美紀は、静かな寝息を立てる大介を見下ろしていた。笑っていたその目が、徐々に暗く沈んでいく。
大介が自分に好意を持ってくれたのは、分かっている。だが、フェアと言えない方法を取った自分に、不安を感じ始めていた。
美紀から強引な方法で迫り、優しい大介が受け入れてくれただけではないか?
大丈夫。この人は自分を好いてくれている。
こんな醜い自分を、何故大介は受け入れてくれたのか?
大丈夫。この人は嘘をつかない。
大介の気が変わらない保障が、どこにあるのか?
大丈夫。この人は違う。
美紀は自分自身へ言い聞かせるように、自問自答を繰り返す。そして、かつての恋人や家族の事を思い出す。自分が愛して、自分を愛してくれた人々は、醜い自分を拒絶した。
何時かは隣で眠る大介が、変わってしまうかも知れないと、根拠のない不安に心が押し潰されそうになる。大介とすごした時間が、何よりも大事だと感じている。だからこそ、失う不安が肥大化していく。
大介の頭を撫でようとした自分の手が、震えている事に気が付いた美紀は、音をたてないようにベッドを出た。部屋を出る頃には、目に涙がたまり始めている。
暗闇の中で、一人残された大介が起き上がった。そして、服を着て、部屋を出る。
眠りが浅く、美紀の動いた振動で目が覚めたのだ。美紀が向かった場所が屋上ではないかと、なんとなく想像できた大介は、歩き出す。
****
手動の扉を、ゆっくりと開けた大介は、美紀の様子をうかがう。
月の光で見えたのは、美紀の輝く涙だった。声を殺して、膝を抱え、一人で泣いている。幼い少女のように、震えながら泣いていた。
目を閉じた大介は、眉間に深いしわが入るほど精一杯頭を回転させる。そして、出てきた答えに溜息をつく。
(イチさん。いや、イチ先生)
(突然、変な呼び方すんな。なんだ?)
(僕では、美紀さんの気持ちが分からない。どうやっても、答えが出せないって、答えが出た)
(まぁ、無理でしょうなぁ)
(助けてください!)
なりふり構わずに、自分を頼った大介を、グレムリンが鼻で笑う。
しかし、表情はまんざらでもなさそうだ。そして、会話の流れを信じられない速度でシミュレートした。
(昨日まで、お前がお嬢ちゃんに持っていたイメージを言ってみろ)
(えっ? 強くて賢くて、頼りになる優しい人)
(で? 今、あそこにいるお嬢ちゃんは、どう見える?)
(泣いている女の人)
(もうちょいだ。あれが、強そうに見えるか?)
(見えない。守ってあげたくなる)
質問に答える大介は、必死にグレムリンの意図をくみ取ろうとする。
(動物で考えてみろ。猫でも犬でもいい。唸り声をあげて、自分を強く見せようとするのは?)
(喧嘩をしないように、威嚇するって事? 相手が気に入らない時? 相手が怖い時とか?)
(怖い? 何故?)
(相手が、自分より強いかも知れないから?)
グレムリンは、出来るだけ遠回りな質問をする。
(あっ! もしかして、弱い自分を隠す為って言いたいの?)
(おお、正解だ。もう少しかかるかと思ったが、ましになってきたじゃないか。お前)
(弱い? あんなに強いのに?)
(強く見せてる人間ほど、芯は弱いんだよ。お前のように、のらりくらりしてる奴の方が、案外強かったりするんだ)
大介では弱さの原因へたどり着けないと思えたグレムリンは、もう一つの誘導を始める。
(弱さの原因は何だと思うよ? コンプレックスの原因だ。午前中の会話を思い出せよ)
(あっ! 怪我の事?)
(講義はここまでだ。落ちこぼれ。女ってのは、男以上に外見を気に掛ける生き物だ)
……僕は、外見を含めた全部を好きになったのに。なのに。
(だから、お前は馬鹿なんだ。口で言って、行動で示して、初めて気持ちは伝わるもんだ)
大介がもう一度見た美紀は、まだ泣き止んでいなかった。必死に歯を食いしばっている。
覚悟を決めた大介は、階段を下りて自動販売機へと向かう。そして、いつも美紀が飲んでいるコーヒーを購入した。
(いいだろう。手伝ってやる)
(あっ、でもグロテスクなのは、少なくしてね)
(お前ぇ、注文多いな)
階段を上る大介が、少しだけ笑う。
(イチさんって、いつもヒントはくれるのに、答えはくれないんだね)
(当たり前だ。もし、俺が答えを言えば、それは俺の答えでしかない)
(僕自身が答えを出さないといけないって事?)
(他人に意見を押し付けて喜ぶほど、俺は馬鹿じゃない。俺が間違えだと思った事でも、それはそれで正解なんだ)
(じゃあ、正解しかないんだね?)
(ああ。この世は、正しくて間違った事しかないんだ)
美紀の隣に座った大介が、コーヒーを床に置く。
「あの、これは、ぐすっ……違うの……あの」
動揺した美紀は、急いで涙を拭き取ろうとする。
「えっ? え?」
美紀の手を取った笑顔の大介は、その手に伸ばした回線を渡し、つける様に促す。
回線を耳につけると同時に、美紀の脳内へ情報が流れ込む。大介が見たものより少しだけ緩和されているが、人金の真実を美紀も知った。そして、ドームの外にも人が生きられる場所があるという情報も。
知っただけで制裁を受けるであろう情報を、大介は何のためらいもなく美紀に見せたのだ。
「兵士を続ければ、僕らはいつ死んでもおかしくありません。命より大事な貴女がいなくなるなんて、嫌です。それに、僕自身も貴女ともっと一緒にいたいから、死にたくありません」
放心していた美紀の目に、意思の光が戻り、口をわなわなとふるわせた。そして、大粒の涙がこぼれ出す。
「愛しています。美紀さん。僕と一緒に来てください」
婚約指輪ではなく、缶コーヒーを差し出す大介に、美紀は抱き着いた。そして、大介の胸で声を出して泣き叫ぶ。
ドームを出て、生きていける保証はどこにもない。だが、大介は今の生活をすべて捨てて、美紀と共に生きたいと言った。
命を掛けた大介の告白は、成功したらしい。お互いがお互いの心の鎖を解き放った、未熟な二人は、力をこめて相手を抱きしめる。そして、時間を忘れて相手の温もりを確かめた。
大介の手からこぼれた缶が、床に落ちて鈍い音を出す。
偽物の月光は、二つの重なった影を、床へと深く深く落としていく。