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五話

 人工物の空から降り注ぐ儚い光は、より強い光にかき消される。

 その強い光を放っている自動販売機は、飲み物を冷却する為か、低いうなり声をあげていた。研究者達によって設計されたドームは、虫や動物達の営みを感じない。

 人の住居としてはほとんど使われていない第四ドームは、夜が異常とも言えるほど静かだ。二十世紀の人間が見れば、その作為的な環境は、生理的な気持ち悪さを感じるだろう。


 Tシャツとズボンだけの大介は、自動販売機の前でしゃがみ込んでいた。視線の先には、入院患者が着るガウンのような水色の服を着た人金が仰向けに倒れている。

 その人金は三つの目を瞑り、鼻からは見る角度によって色をかえるプリズムのような液体を流していた。

 大介は自分の知識から、懸命に人金の情報を取り出そうとしている。人金は人間の敵であり、目を覚ませば襲いかかってくる可能性が高い。何故ここで人金に出会ったかは、推測も立っていないが、対処を優先するべきだと考えている。

……これは、僕等の敵なんだ。

 昼間の戦闘を思い出した大介は、目が鋭く変わっていく。自分に迫ってきた、銀の槍を持った悪魔。その悪魔はたしかに、大介を殺そうとした。実際に魔法がなければ死んでいただろう。

……殺せ。殺すんだ。

 恐怖を思い出した大介は、手負いの獣を思い出させるほど獰猛な炎を目に灯す。顔から表情が消え、眼球からのみ異様な殺気がほとばしっている。

……殺される前に、敵を殺すんだ。

 大介の本能が、生きる為に殺せと言っている。兵士となって叩き込まれたのは、生きた兵器となる事だけだ。兵器の仕事は、敵を殺す事。

 グレムリンは、人金ではなく大介を凝視する。その顔はプレゼントを開封しようとする子供のように、期待に胸を膨らませていた。

……みんなを守る? 違う。自分が死にたくないから殺すんだ。

 大介の脳内では、人金の殺し方が思い出されていた。ほぼ、人間と同じ方法で、死に至らしめることが出来る。

 武器のない大介が、とるべき手段は限られていた。その中でも最も確実な方法を選択した大介が、人金の頭に両手を伸ばす。人間よりも強度は高いが、人金も首を勢いよくひねれば、殺す事が出来る。

……やるんだ。敵を殺すんだ。

 人金の頭を、両サイドから掴んだ大介の手が止まった。額から流れた汗が、地面へと落ちる。

 無数のしわが入るほど強く目を瞑り、手を離してしまう。握られた拳は、力をこめすぎて震えていた。

 両手から伝わってきた人金の体温を感じ、静かな呼吸音を聞いた大介は、溢れ出さんばかりだった殺意が消えていく。

(他の生物を殺さないと生きていけない人間の。それも、同族を殺す兵士であるお前が、躊躇するのか?)

 グレムリンの囁いた言葉も、よく理解できる大介だが、既に殺意と恐怖で凍りつかせたはずの心は、溶けだしていた。そして、目の前にある自分が握っている命に、答えを出す。

……僕は、自分で選ぶ。

(おう)

……ここで、この命を殺さない。

(綺麗事だな。えっ?)

……それでも僕は、殺さない。

(それも正解だ。ブラザー)

 顔を歪めるほどの笑顔を作ったグレムリンは、賭けの勝利を喜んでいる。

 苦痛を伴った試練の波を、大介は乗り切った。大介は、精神的な苦痛を溜めこまず、忘却もせずに受け入れたのだ。そして、前を向いて立ち上がった。

 いくつもの感情を、過去に置き忘れてきた大介の壊れた心は、形を変え始めている。グレムリンは、大介を悪戯に誘い、裏の世界に飛び込ませ、人々の渦中へと戻した。喜びを思いだし、命の瀬戸際を経験し、苦痛を味わった心は、異世界の住人が望んだ方向へと転がり始めている。

(あれ?)

 心をフラットに戻した大介は、曇りなく人金を見る。そこで初めて、その個体が昼間見たそれと違うと分かった。

(すごく小さいような)

(なんだ? 今頃気が付いたのか?)

 昼間大介が戦った人金は、二メートルほどあった。だが、目の前にいる人金は人間でいえば、小学生か中学生ほどの大きさだ。そして、服に隠れているが、微かな胸のふくらみもある。

(もしかして……)

(まあ、普通に考えれば、ガキって事だろうな。それも、女だな)

……女の子。

 自分が少女を殺そうとしたのかと寒気を覚えた大介が、頭を乱暴に掻き毟る。

「ふぐっ!」

(どうした? この幼女に、欲情でもしたか? 変態ブラザー)

(違っ! 痛い!)

 圧力を加えた右手から、呼吸が止まるほどの痛みが走った。先程赤くはれ上がっていた大介の拳は、既に青紫に変色している。薬指の付け根は、倍ほどに膨れ上がっていた。

(折れとりますな)

(痛い。ちょっと、洒落にならないレベルで痛いよ)

 痛みに苦しみながらも、大介は少女の事を考えていた。ドーム内へどうやって侵入したかも分からないし、自分を襲おうとした理由も見当がつかない。ただ、そのまま放置することは出来ないとだけ思っている。

(イチさん。この子、どうしよう)

(お前は、どうしたいんだ?)

 痛みで冷や汗をかく大介は、グレムリンに素直な気持ちを伝える。

(このままドーム内にいれば、きっと殺される。だから、ドーム外へ逃がしてやれないかな?)

(その逃がした相手に、のちのち殺されるかもしれないぞ?)

(それでも、この子をどうにかしてあげたい)

 呆れたように溜息をついたグレムリンだが、顔は尚も笑っている。そして、ため込んでいた二枚のカードを使う。

(今すぐ、こいつを逃がすのは俺でも難しい)

(うん)

(だが、宿舎の部屋でかくまう事なら出来るぞ。どうするよ?)

 グレムリンから予想外の返事をされた大介は、驚いた顔で胸の端末を見る。

 潰れていない左目を見開いたグレムリンが、親指を立てていた。笑顔を作った大介は、端末に向かって左手の親指を立てる。

(のった!)

(オゥ、イエェ! 楽しい楽しい悪戯の時間だぜ)

 人間の成人男性と同じほども重さがある、人金の少女を背負った大介は、宿舎に向かって走り出す。


 誰にも出会わずに戻れた自分の部屋で、大介は少女を床に寝かせた。念の為、床にはタオルを敷いている。

《アプランク》

 大介が呪文を唱えると、床に魔方陣が刻まれた。金属を、グレムリンの魔法で変化させたのだ。

(よし、プログラムを起動させろ)

 端末を大介が操作すると、光の筒が少女を囲った。魔法で作った、簡易の檻だ。生身でその少女と対峙すれば、大介でも危ない。

(これで大丈夫だな)

 作業が終わった大介が、グレムリンに問いかける。

(出来すぎてない?)

(あの馬鹿上司に感謝するんだな。今日はごたごたしたから、俺の封印を戻し忘れやがった)

(それもそうだけど、解除プログラムの方もコピーしてたなんて)

 グレムリンは、脱走者の端末から、密かにドームの制限を打ち消すプログラムを抜き出していた。それにより、結界を作ったのだ。

(備えあれば、憂いなしだ。実際に役に立っただろう?)

(うん。でも、大丈夫かな?)

 ホテル内等の監視カメラは、グレムリンの魔法で誤魔化している。だが、過去にこれは見破られており、不安がないわけではない。

(前に比べて、俺がこっちの情報をほとんど把握できてるからな。見つかる心配はないと思え)

(前は、それで痛い目にあってるんだけど)

(忘れちまえよ! そんな悲しい過去!)

 グレムリンは、人に会わない様にホテルの扉等を操作して、人の流れまで誘導していた。溜息をついた大介は、それがどれほど重要な事か気が付いていない。少女を見つめながら、呑気に食事を始める。

(もし見つかったら)

(銃殺刑とかだったりしてなぁ)

(うっ。笑えないんだけど)

 大介が軍用の携帯食を一口食べると同時に、少女が起き上がった。そして、大介から離れる様に結界の膜に背中をつけ、周りを確認している。明らかに怯えている事が分かる。

(そうなるよね)

(一応敵に掴まってるからな。言葉は通じるんだろ? 話しかけてみたらどうだ?)

 机に飲みかけの飲料水と携帯食を置いた大介は、結界に近付く。

 少女の目線に、グレムリンは気が付いたようだ。

「あの、言葉わかる?」

「いやっ! 来ないで! 殺さないで!」

 怯えきった少女は、逃げ出そうと結界の膜を何度もたたいている。

(お前、完全に悪役だな)

(うっ……)

「何もしないよ。このドームから、大人しく出て行ってほしいんだけど。それでいいかな?」

 大介の言葉で、少女は叩くのを止めた。

「嘘。嘘よ! だまして、殺す気なのね! この! 悪魔!」

(やっぱり、悪役じゃねぇか)

(仕方ないじゃないか)

「本当に何もしないから、落ち着いて。ね?」

 鼻血だと思われる液体を拭き取ってもらおうと、大介はティッシュペーパーを結界内に差し出す。だが、警戒している少女は、大介に身構えたまま動かない。

「外に誘導するから、出て行ってくれるかな?」

「嘘よ! だまして、殺す気よ!」

「いや、あのね。殺す気なら、もう殺してたと思わない?」


 何を言っても殺されるとしか返事をしない少女との会話を続けた大介に、疲労の色が見え始める。

 平行線上のやり取りが面白くなってきたグレムリンは、笑い声をだしてそれを見守った。

(もう、嫌だ)

(俺は結構面白いがな)

 大介が座り込んだのを見て、少女も結界の中で座る。

(仕方ない。助け舟を出してやろう)

(えっ?)

(携帯食と飲み物を入れてみろ)

 グレムリンの言うままに、結界内へ食事を差し出した大介は、自動販売機の前で襲われた事を思い出していた。

 ドーム内で、端末を持っていなければ、まともな生活は出来ない。決められた場所でしか手に入らない食事は、盗むことも難しいだろう。

 警戒しながらも食料を手に取った少女を見て、大介も食事を始める。袋を開き、缶を開けた少女は、においを確認した。そして、急いでそれを口の中へ押し込んでいく。

(毒だったら、即死だな)

(余計な事は言わないで)

 携帯食を口いっぱいに詰め込んだ少女は、涙を流し始めていた。泣きながら一生懸命に食べている。

(盗みにこのドームに来たんじゃないの? なんで泣くの?)

 グレムリンが、大介の言葉を鼻で笑う。

(大自然の中で食料がいっぱいある人金が? 自分達を殺せる人間から、略奪する? ちったぁ、考えろ。馬鹿)

 食事を終えた少女は、それを眺めながらゆっくりと携帯食をかじっていた大介を、見つめている。

 机の引き出しから携帯食をあるだけ出した大介は、それを結界内へ入れた。それをひったくるように奪った少女は、食事を再開する。

(そうとう腹減ってたんだな)

(そうみたいだね)

 急に立ち上がった大介を見て、少女は持っていた食事を床に落とす。そして、再び背中を結界の膜に押し付けて、怯えた目で大介を見つめる。

 震える少女に溜息をついた大介が、無言で部屋を出た。

 数分後に部屋に帰ってきた大介は、缶に入った飲み物を大量に抱えている。その缶を結界の中に入れた大介が、少女に問いかけた。

「あの、お名前は?」

 少しだけためらった少女が、初めてまともな返事をする。

「シェール」

「俺は、大介。寺崎大介。よろしく、シェールちゃん」

 それから、大介は少女に色々な質問をする。それに対して、膝を抱えて座る少女は、一度も口を開かなかった。

 結界で自由を奪った相手に、信用しろと言うのはどれだけ馬鹿げているか、大介は理解していない。


 二時間後に、シェールが眠気と戦い始めた。重くなってきたらしい目蓋を、何度も開こうと努力している。

 枕と布団を結界の中へ入れた大介は、自分も眠りにつく。ダメージが回復していない全身が熱を持ち、右手がずきずきと痛む。それでも、色々な疲労が重なった大介は、眠りに落ちる。

 浅い眠りは、大介に残酷な幻を見せた。笑っていた母親が炎に包まれて消え、笑顔の門倉が現れる。しかし、門倉は大介の隣を素通りして、恋人の元へと向かう。

 大介は、その門倉追いかけて肩を掴んだ。振り返った門倉の顔は、何故か泣いている春川に変わっていく。泣きながら怒りの表情を見せる春川から、大介は逃げ出した。背を向けて、力の限り走る。だが、どんどん春川に距離を縮められ、ついには後ろから抱きかかえられてしまう。

「うっ!」

 悪夢で目を覚ました大介は、目を擦り、机の上に置いてある飲みかけの水を飲み干した。シーツが大介の汗でびしょびしょになっている。

 ふとシェールを見ると、枕を抱きかかえ、眠っていた。涙を流しながら。


****


 翌日、朝早くからシャワーを浴びた大介は、シェールに大人しくしていてほしいと頼み込んでから、部屋を出る。そして、舟橋に治療の為に、仕事を休むと伝えた。右手はすでに、黒く変色を始めている。

(痛いか?)

(痛いけど、なんだか少し麻痺してきてる。薬指は、完全に動かないね)

 軍の拠点へ向かおうとした大介は、食堂で門倉を見かけた。朝食を恋人と二人で食べている。座っている椅子をくっ付けて楽しそうに笑っている門倉を見た大介は、胸の痛みを思い出す。ちらりと大介を見た門倉は、すぐに目線を恋人へと戻した。

 それを大介から見えない位置で、春川が覗いている。本当に嬉しそうに、見下した視線を大介に向けていた。

 人間の裏側ばかりを見た大介の気持ちは、晴れない。溜息を連発しながら、軍の拠点にある医療施設へと向かった。


****


「そうか。では治療に専念しろ」

「はい。失礼します」

 右手の治療を終えた大介は、上官に報告をした。固い人金を素手で殴った大介の右手は、粉砕骨折している。魔法を使い、二日ほどで完治すると言われた。だが、その間右手の使用は、医者から止められている。

 それを聞いた上官から、正式な療養指示を受けた大介は、する事がなくなった。

……忘れたい事だらけで、体を動かせれば楽になれるかも知れないのにな。

(のんびりしようと言いたいが、あの人金のガキをどうするか考えないとな)

(頭が痛い事が多いね)

(まあ、少し休め)

 自動販売機で飲み物を買った大介は、軍拠点の屋上へ向かう。門倉や春川に会いたくないと考え、空を眺めたくなったらしい。


 屋上に座り込んだ大介は、久しぶりにぼんやりと空を眺めた。

(いい天気だなぁ。兄弟)

(作り物だから、清掃以外で雨が降らないだけなんだけどね)

(お前、たまに身もふたもないよな)

 屋上に、美紀が昇ってきたのは、偶然だった。大介のデータを夜遅くまで調べていた美紀は、そのままコンピューターに突っ伏して眠ってしまう。外に出て体を思い切り伸ばそうと考え、屋上にきたのだ。

 あくびをしながら扉を開いた美紀は、大介を見つける。

「療養中?」

「あっ、お疲れ様です」

 大介の隣に座った美紀は、空からの光に目を細める。ぼんやりとしていると、眠ってしまいそうな美紀から、大介に話を振った。

「あれから、例の門倉さんとはどうなの? ん?」

 美紀は笑顔で話しかけた。だが、大介は顔を伏せて、返事をしない。

「今日は、私も休暇日なの。よかったら、話してみない?」

 美紀の優しい声に、大介はゆっくりと美紀へ、門倉との事を話す。

 門倉を励まし、仲良くはなれた。食事をしながら喋り、楽しい時間を過ごした。だが、門倉は恋人の元へと帰ってしまった。自分には何もできなかった。

 無理をしながらも、大介は状況を伝える。自分の中で可能な限り整理はしたが、支離滅裂な部分も多い。

「やっぱり寺崎くんって、彼女は言ったのね?」

「はい」

 話を聞いた美紀は、グレムリンしか気が付いていない、門倉の心中まで見通す。門倉は大介が、自分に以前から好意を持っていた事を知っていた。その上で、恋人を作っている。

 その恋人に振られ、傷ついている状態で、大介に自分から話しかけていた。理由は自分を慰め、癒してくれる、都合のいい人物として、大介を選んだからだ。

 そのまま大介と仲良くするなら、大介のよさに気が付いたとも取れる。だが、目の前で、恋人の元へ戻った。一言でいえば、大介を使い捨てたのだ。自分の心を守る為だけに。

「その門倉さんに、怒ったりはしないの?」

「先輩は、何も悪くないですから」

 大きく息を吐いた大介は、美紀に笑顔を向ける。

「ありがとうございます。すっきりしました。もう、ミスはしません」

 美紀は日の光に照らされた、大介の顔を直視してしまう。幼さを少しだけ残した、屈託のない笑顔。そこで、美紀は自分が何を言うべきか、知っていた。可愛い後輩を、励まし、存在を固定してあげたうえで、笑いかければいい。ただそれだけの簡単な仕事で、美紀がするべきであり、美紀にしか出来ない事だ。


 だが、美紀の化膿した心は、どす黒い膿を吐き出してしまう。

 大介の顔を直視した美紀は、分かってしまった。だからこそ、最高に意地悪くなった心を、そのまま吐き出す。

「貴方、本当の馬鹿じゃないの?」

「えっ?」

「それを本気で言ってるなら、馬鹿も馬鹿。手の施しようがない大馬鹿よ」

「はぁ」

「貴方はその門倉に、いい様に利用されて、捨てられただけなのよ。分かってる?」

 強い口調になった美紀は、笑っているようにも怒っているようにも見える、歪んだ表情に変わっていた。そして、出来るだけ大介が傷つく様に、言葉を選び出していく。

「自分には何も出来ないですって? 嘘つくんじゃないわよ。気分の悪い。貴方は、そうやって自分の都合がいい場所に、逃げ込んだだけなの」

 目を伏せた大介に美紀は言葉を続ける。

「結局、自分が傷つかない様に、片思いに逃げ込んだだけ。それを見透かされて、利用されたの。分かってるんでしょ?」

 歪みが進む美紀の顔は、醜くなり始めていた。黒く濁った心が、表面化していく。

「嫌われたくなかったんでしょ! 自分が安全な場所にいたかっただけじゃない! それを、彼女の為だとか、資格がないとか! まだ、言い訳して自分を騙そうって言うの? 気持ち悪いのよ! この! この……」

 俯いたままの大介は、返事も出来ない。それを見た美紀は、何故か目に涙を溜めていた。

「これ以上、貴方なんかに何を言っても無駄ね」

 最後の言葉を吐き捨てた美紀は、屋上から自分の部屋へと帰っていく。

 顔をしかめた大介は、美紀の言葉を重く受け止める。


****


「あいつ、本当に馬鹿じゃないの?」

 足音を響かせ、荒々しく階段を下りた美紀が、ついに泣き出してしまう。口を手で押さえ、声を殺して静かに泣く。

 言ってしまった言葉は、もう取り消せない。確実に嫌われただろうと、考えている。


 気持ちがぐちゃぐちゃになった美紀は、何とか自分の部屋へ戻り、シャワーを浴びながら泣き続けた。いつの間にか美紀は、大介に対して同僚以上の好意を持ってしまっていたのだ。

 その気持ちは、美紀自身もなんとなく分かっていた。だが、軍人として不適切だと理由をつけて、考えないようにしていたのだ。醜い自分に大介が答えてくれるはずがないと、言い聞かせて。

 それでも、人の見ていない情報室で、大介の写真を見ながら情欲を燃やしてしまった

 先程大介に投げつけた言葉は、そのまま自分へとはね返る。そうなる事は分かっていたが、止められなかった。


 他の女性を好きな大介が許せない。

 真っ直ぐな目をした大介が可愛い。

 自分より優れた資質を持つ大介が妬ましい。

 嘘のない優しさをくれる大介が愛おしい。


 醜くなった自分と違い、明るい未来があると思える大介が、眩しすぎて美紀は憎しみを抱えきれなくなった。

 真っ黒な自分の愛憎を、只の同僚でしかない大介に、ぶつけてしまった美紀は、死にたくなるほどの自己嫌悪に襲われる。


****


 屋上に残っていた大介は、顔を上げた。

「よし! 反省終わり!」

(またえらくすっきりした顔してやがるな)

「うん。あそこまではっきり言ってもらえば、整理しやすかったよ。感謝しないとね」

 グレムリンが驚いた顔になる。どうやら、大介がまた予想をこえたらしい。

(おいおい。お嬢ちゃんの言葉は、間違えちゃいないが、悪意もあったぞ? それを感謝?)

「門倉先輩には、長い事片思いしてたしね。あそこまで言ってくれた方が、すっきりしたんだ」

(お前。いつからそこまでプラス思考になった?)

「さあ。今なったのかもしれないよ?」

 作り物の光を浴びた大介が、立ち上がり屈伸運動をする。顔から陰はなくなっていた。

「先輩とはどうにもならないし、縁もなかったんだ。なら、素直に諦める」

(なんだ? 他の恋でも探すか?)

「それは、そういう人に出会えた時に考える。僕は、生きる意味を探して、生きていくんだ」

(予想以上の大正解だ。九十五点をやろう)

「そこは、百じゃないんだ」

(言ったろう? 世の中は厳しいんだ)

 屈伸運動と深呼吸を終わらせた大介が、グレムリンに相談する。

「シェールのご飯を持って帰らないとね。携帯食でいいかな?」

(それもいいが、味は全種類持って行けよ。それに、他の食い物も買って行ってやれ。あれだけだと、かわいそうだろうが)

「そうしようか……あれ?」

 大介は、忘れ物に気が付いた。床で見つけたのは、美紀の端末だ。精神状態がギリギリだった美紀は、持って帰るのを忘れたらしい。

(あのお嬢ちゃんは、馬鹿か?)

「これないと、何もできないのに。仕方ないね」

(気まずくはないのか?)

「別に。それに、お礼も言いたかったし、ちょうどいいよ」

 その端末を持った大介は、美紀の部屋へと向かう。


****


「ぶっ!」

 美紀の部屋についた大介が、扉の開閉ボタンを押した。そして、いっきに肺の中にあった空気を鼻から放出し、少しだけ鼻水が飛び散る。

「すみませんでしたああぁぁ!」

 大介が見たのは、自分を戒めようと自分の裸を見ていた美紀だった。日頃は裏向きに置いてある姿見を表に向け、羽織ったバスローブを全開にして傷だらけの体を美紀は自室で眺めていたのだ。

……やってしまった。鍵が開いてたのは、端末がないからだ。僕は多分馬鹿だ。

(心配するな。多分じゃない)

(ごめん。今はフォローして、泣きそうだから)

 大介は、美紀の目が死んでいた事に気が付かない。扉の前で座り、眉間を指でつまんだで、深く反省する。


「何?」

 バスローブの帯を締め、表情を殺した美紀が、扉を内側から開いた。そして、冷たい視線で座っている大介を見下ろす。

「あの、これを忘れてたんで」

 顔を青くした大介が、目線を合わせずに美紀に端末を差し出す。明らかに呼吸が浅くなり、挙動がおかしい。

「そう、それだけ?」

「はい」

 端末を受け取った美紀に、大介は目を合わせない。自分の体を見た大介の態度に、叫びだしそうな気持ちを抑えて、美紀は大介に背を向ける。

「あの。あのおぉ!」

 後ろを向いた美紀に、大介が情けない声で叫んでいた。目には、見てわかるほど涙がたまっている。

「何よ。文句でも言いにきたの?」

「自分が馬鹿なのは、分かっています。でも、違うんです」

 振り向いた美紀は、怒りで目を細めた。門倉の事を情けなく言い訳すれば、殴ろうとさえ思っている。

「覗くつもりはなかったんです。わざとじゃないんです。わざとじゃないのだけは信じてください。すみません」

「はっ?」

 肩透かしを受けた美紀の顔から、怒りが消える。

「ちょっと、あの。女の人の裸と言うか。そういうのを見たことなくて、その。でも、違うんです!」

 青から赤に色を変えた顔で、大介が訴えているのは、覗いてしまった事だけらしい。先程の自分が乱暴に投げつけた言葉を、大介が聞いていなかったのかと美紀は首を傾げる。

「私のこんな体なんて、どうでもいいでしょ? それよりも……」

 大介の真っ直ぐな目を見た美紀は、言葉につまる。今にも泣き出しそうだが、怒りを感じないからだ。

「女の人が裸を見られて、怒るのはしょうがないと思うんですけど。でも、わざとじゃないんです。なんとか、それだけは」

 裸を見てしまった事だけを、なんとか言い訳になっていない言い訳で謝ろうとする大介。


 余りにも予想外の反応に、固まっていた美紀が、思い出したように大介を部屋に入れる。

(怒られる。多分、怒られるよね。どうしよう)

(お前なぁ)

(コードネームが痴漢とか変態になったら、どうしよう)

(俺は、お前を本当の馬鹿なんじゃないのかと、思え始めたぞ?)

 美紀の部屋には、大きなソファーが置いてあり、そこに大介は座らされた。

 ソファーの前にある机に、美紀がコーヒーを二つ置く。そして、大介の隣に座った。

「さっきの文句を言いに来たんじゃないの?」

「いえ、それはないです。吹っ切れたので、お礼には来たんですが、それで、まさか、その」

 俯いてもじもじしている大介に、美紀はわざと足を組み替えて見せた。目はどんどん冷たさを増していく。大介が本心を言っていないと思っているようだ。

「で? どうだった? 私の体は?」

「ええっ? あの、その、えと、その」

「本心を言いなさいね? そうじゃなければ、一生貴方を軽蔑すると思うから」

 鋭い目をした美紀が待つのは、憐れみの言葉だった。それで、大介への思いを消そうとしている。

 じりじりと迫ってくる美紀から逃げる大介は、ソフィーの肘かけに退路を塞がれた。そして、意を決して、叫んだ。


「嬉しかったです!」


 美紀が落としたコーヒーカップが、大きな音と共に床で砕け散る。

「あっ、あの、すみません」

「何、言ってるの?」

「すみません。初めてだったんで。すみません。わざとじゃないんです」

「貴方、本気?」

 ちらりと美紀を見て、大介は恥ずかしそうに目線をそらす。そして、言葉なくうなずいた。

「ちょっと、ちょっとこっちを向きなさい!」

「えっ、いやでも」

「いいから! 命令よ!」

 命令と聞いて、大介は美紀に顔を向ける。

「ぶっ!」

 そこには、バスローブを開いた美紀がいた。

「こんなものを見て、嬉しかった? 本当に馬鹿なの?」

 裸を見せつけられた大介は、真っ赤な顔で固まる。顔を背ける事さえできない。

「見てみなさいよ! ほらっ! これでも、嬉しいの?」

 美紀の傷しかない体は、悲しい形をしている。左半身には、乳房と呼べる物がない代わりに、黒い装置が埋め込まれていた。そして、右の胸にはふくらみが残っているが、何か所も抉れ、乳首と呼べる物がない。見渡す限りの傷痕は、上半身だけでなく、下半身にまで続いている。

 嬉しいかと聞かれた大介は、かくかくとロボットのようにうなずいていた。

「貴方、馬鹿なの? 見なさいよ! これ!」

 美紀は、大介に頭頂部を見せつける。赤く染められた髪の、生え際から白いものが見えていた。怪我を負った時に、ほとんどが白髪になってしまったのだ。

「アーミードームで生まれた私は、中学を卒業してすぐに軍人になったの!」

「はい」

「幼馴染の恋人と、初めて出撃して命令無視の結果が、これよ。髪の毛の黒い部分なんて、もうほとんど残ってない!」

「はい」

「幼馴染にふられて、親にまで腫れもの扱いされるの! そんな私の裸を見て、うれしい?」

 照れながらぎこちなく笑う大介は、素直に返事をする。

「はい。今も、嬉しかったりします」

 大介の頭を抱え込む様に抱き着いた美紀は、唇を重ねる。もう、おさえることが出来ないらしい。

 涙を流しながら、情熱的な大人のキスをする。

「ぷはっ!」

「はぁはぁはぁ」

 赤くなった顔を悲しそうにゆがめた大介は、左手で美紀の髪をなでる。そして、泣きそうな顔で呟いた。

「泣かないで……」

 大介が着ていたベストと一緒に床へ投げ捨てられた端末の中で、グレムリンが呆れたように笑っている。異世界の住人にとっては、馬鹿馬鹿しい行為だ。


 だが、それ以上に大介の変化が嬉しい。だからこそ、人を小ばかにしたように笑う。

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