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四話

 軍拠点の一階中心部に、広くはないが許可のない者が立ち入る事が困難な部屋がある。扉や壁が通常よりも厚く、他の部屋のように端末をかざしただけでは、鍵が開かない。端末をかざしたうえで、パスワードを手入力し、初めてその分厚い扉が開かれる。

 部屋の内部には、十台の机と一体化されたコンピューターが設置されており、机毎にパーティションで区切られていた。ディスプレイが少し大きい以外に、一般人が使用している物と見た目の変わらないコンピューターだが、性能の面で違いがある。

 さらに、他のドームと情報を共有する為の無線通信トラフィック量を、優先的に確保できた。軍人専用であるそのコンピューターは、所属部隊や階級による制限はあっても、極秘とされる情報まで閲覧することが出来る。その為に、セキュリティを固くしていた。

 物理的な部分だけでなく、コンピューター自体のメインシステムも、端末を接続するだけでは起動しない。任意の個人パスワードと、定期的に変更される軍発行のIDとパスワードを入力する必要がある。

 軍に所属している人間なら、申請をすれば使えるが、そうでない者には使う事が出来ないだろう。ドーム間の通信を行ってはいるが、閉鎖的な軍拠点サーバー同士のやり取りのみで、ハッキングも不可能だ。

 その旧時代の軍用資料室ともいえる部屋で、美紀は画面にかじりついていた。幾度もプログラムで情報を比較し、自分で考えた推論を検証する。

「はぁ」

 何度試みても、確証にたどり着けない美紀は、両目を擦りながら溜息をついた。

 画面に表示されているのは、大介の情報だ。筋量や骨格など、スキャニングと検査で収集した情報は、全て見ることが出来る。

 美紀が見つめる画面には、大介以外の情報も表示されていた。自分を含めた身体能力の高い軍属の人間達と、大介のデータを比較しているのだ。

 理由は、あの日の大介に答えを出す為。美紀自身も戦場に立つ軍人であり、命のやり取りは何度も経験している。異常事態に脳内で化学物質を分泌し、体のリミッターを外した状態を、実体験で語るのも難しくない。火事場のくそ力等と呼ばれるそれが、大介が使った力の第一候補だった。

 しかし、何度検証しても、不可能だとシミュレートプログラムから返事がかえってくる。

 間違いなく、大介は美紀が瞬きを一度する間に、二人の敵をねじ伏せていた。だが、それは脊髄反射のいきを越えている。

 訓練を嫌というほど積んだ軍人でも、辿り着ける力ではない。そして、無意識下の偶然で片付けるには、大介はあまりにも的確に動きすぎていた。

 推論がことごとく間違えていた美紀は、大介の身体能力を調べるしか思いつけないでいる。他の訓練を積んだ人間と比べて、大介が特出しているのは、若さによる体の柔軟性のみだ。

 しかし、それは成長期特有の脆さも併せ持っていると計算に入れれば、プラスとマイナスが打ち消し合ってしまう。瞬発力や持続力等は、大介よりも優れている人間は、いくらでもいる。

 大介が舟橋に注目されたのは、その身体能力の高さだ。とはいえ、それは平均値を上回っているだけで、特殊任務に従事する歴戦の勇士に匹敵するほどの値ではない。

 何をどう調べても、優れた十七才以上の力はないと、データが美紀に語りかけてくる。それでも納得がいかない美紀は、憑りつかれたように答えを探す。

 大介を危険な存在だと思っているのか、自分もあの力が欲しいのか、相棒でもある教え子の力を十分に発揮させてやりたいのか。自分自身が何をしたいのかも分かっていないのに、美紀はあの日の大介に固執する。

 目を細めて、画面に映し出された大介の画像を見る美紀は、脳を活発に働かせていた。美紀が今考えている事は、人間として間違えているとは言い切れない。だが、少なくとも軍属としては不適切な思いを巡らせている。


****


(ぎゃあああ! 油断したぁぁ!)

 倉庫から出た大介は、持っていたタオルの束を床に落としてしまう。背中のシャツを鷲掴みにされ、首だけを後ろに向けると、春川がいたからだ。大介は呼吸が止まり、体を硬直させる。

(固まるな! 刺される! 急所を的確に、刃物でえぐられるぞ!)

 気を抜いていたグレムリンも、端末内で騒いでいた。

 春川は、引き留めた大介の目を真っ直ぐに見つめる。大介よりも身長の低い春川だが、顎を持ち上げて、見つめている訳ではない。顔の位置はそのままに、目線だけを上に向けている。

 上目使いとは、相手の機嫌を伺い、甘える時に使われることがあるものだ。しかし、春川のそれは、形こそ同じだが、明らかに使い方が違う。目に憎悪と狂気が渦巻いている。人殺しの目ではなく、人を殺せるほどの目だ。

 唐突に訪れた窮地に、大介もグレムリンも対処できない。恐怖で心臓を掴まれた大介の視界が、ぼやけ始めていた。

……誰か。誰か、助けて!

(こんな所でチェックメイトなんてぇぇ! ちくしょうぅぅ!)

 頭が真っ白になっていた大介の視界で、春川の唇が動く。処理の遅れていた脳が、鼓膜に伝わってきた振動を音と認識して、言葉に変換する。

 声量自体は少ないが、低く威圧感がある声だった。

「今の大介は、本当の大介じゃない」

 言葉として処理が出来ても、大介にはその意味が理解できない。

「大介は由梨のものなの。何があっても、由梨を幸せにしないといけないのよ」

……えっ? あれ? 何を言ってるの? 理解できない?

 少しの間だけ恨めしそうに大介を睨んでいた春川は、シャツから手を離して歩き去っていく。舟橋に大介との接触を禁じられており、見つかれば処罰を受ける。

 隙を見つけておこなわれた春川の行動は、大介達にとって恐怖以外の何物でもない。春川が見えなくなると、大介は背中から壁にもたれ掛り、そのままずるずると崩れ落ちる様に座り込んだ。呼吸を整え、冷たい汗をぬぐった大介は、両手に顔を埋める。

(イチさん。イチさん! イチさんってば!)

(聞いてる! 聞こえてるって、兄弟! 取り敢えず、落ち着け! 俺も落ち着くから!)

(死ぬかと思った)

(深呼吸。そうだ! 深呼吸をするんだ!)

 端末の中にいるグレムリンは、右の掌を胸にあて、自分の鼓動を確かめる。そして、二人は一緒に深呼吸をした。

(ふぅぅ、はぁぁ。すうぅぅ、はああぁぁ)

(ひっ! ひっ! ふぅ! ひっ! ひっ! ふぅ!)

 落ち着き始めた大介は、春川の言葉を考える。だが、どうしても理解できない。もしかすると、脳が理解する事を拒否しているのかも知れない。

(イチさん? 春川さんは、何を言いたかったの?)

 腕を組んで目を瞑ったグレムリンも、考える。動揺していつもの思考能力がなくなっているが、それでも何とか答えをひねり出した。

(多分。多分だがな)

(うん)

(私、お前、殺す。って意味じゃないか?)

 泣きそうな顔をした大介が、胸の端末を覗き込む。

(泣くな! 俺だって、よく分からんのだ! そこまでしか、変換できなかったんだよ!)

「はああぁぁぁ」

 春川を助けてしまった過去の自分を後悔した大介が、大きく息を吐いた。そして、うなだれる。


「寺崎くん? 大丈夫? 調子悪いの?」

 立ち上がれずにいた大介に、休憩時間中の門倉が声をかけた。心配そうに大介の前にしゃがみ、顔を覗き込む。

「あっ! いえ! その! えっと、少し寝不足で」

 門倉の心配そうな顔を間近で見た大介の顔が、赤くなっていく。そして、熱を計ろうとして伸ばされてくる門倉の掌を、立ち上がって避ける。

「本当に大丈夫なの?」

「はっ! はい! ちょっとサボってただけですから!」

(喋れるわけないよな)

(勿論だよ)

 説明が出来ない大介は、笑顔を作り取り繕う。それを見た門倉も立ち上がるが、心配そうな表情で、大介の顔色を伺っている。

「本当に大丈夫です! すみません」

 急いでタオルを拾った大介は、その場を立ち去ろうとする。表情を変えない門倉は、追いかけずに小走りに移動する大介を見送った。


「夏樹!」

 その背後から、門倉の名前を呼ぶ男の声が聞こえる。声の主が、誰だか分かった大介は、通路を曲がったところで立ち止まった。

「夏樹。ちょっと、話。いいか?」

 門倉に話し掛けているのは、門倉をふった男子生徒だ。

「何? 話す事なんて、ないでしょ?」

「あの、俺、すげぇ考えたんだ。んで、思ったんだけどさぁ」

 大介は二人から見えない位置で立ち止まり、つい聞き耳を立ててしまう。

「だから、何よ?」

「やっぱり、お前が好きだって事をだよ」

「えっ?」

「やっぱり、なくして初めて気付くっつうかさ。あの、やっぱり、俺にはお前しかいない? って事?」

 大介のタオルを持った手に力がこもり、指の皮膚が白く色を変える。

「そんな、今更」

「俺さぁ、やっぱりお前に嘘つけないんだよ。どうしても、お前とキスしたかったんだよ」

「えっ? あの」

「お前を好きすぎて、嘘つけなくなってつうかさ。うまくいえないんだけど、やっぱりお前が大事な気持ちは変わらなくてさ」

 壁に背を付けた大介は、目を瞑ってただ沈黙する。グレムリンも同様だ。

「悪かったと思ってる。でも、一回だけでよかったんだ」

「何が?」

「一回だけキスさせてくれたらさぁ。あんな事は、言わなかったんだ。な? 頼むよ」

「それは、キスをして、やり直そうって事?」

「そう! それが言いたかったんだ」

……門倉先輩。

(代表選手って言っても、誰も彼もが頭がいいってわけじゃないんだな)

 大介の眉間にあるしわが、徐々に深くなっていく。門倉に断ってほしいと、祈り始めているようだ。

「少し。少し考えさせて」

「おっ? おう。俺、マジだから。頼むな」

 大介は溜息をつきながら、目の前にある階段を下りていく。

 特別な関係ではない自分は、何も言えない。そう考えながらも、断ってくれるのではないかと、希望的観測に囚われる。そして、門倉への気持ちを一時的に心の奥へと追いやる。

(ふんっ!)

 大介の気持ちが分かったグレムリンが、不機嫌そうに鼻を鳴らす。何もしないのは、いつも通りであり、グレムリンに不満はない。だが、希望的観測は、気分がよくないようだ。

 その事で、大介に意見するつもりはないようだが、その考えを肯定する事は決してない。

 グレムリンには、男子生徒の行動が理解できていた。その生徒の前で、浮かれた大介は門倉と食事をしている。それを見た男子生徒に、独占欲と嫉妬心がわき出てきた。

 自分が門倉にこれ以上労力をかけるのは嫌だが、人にとられるのはもっと嫌だ。この単純な考えで、男子生徒は動いたにすぎない。この考えを、経験の浅い大介と門倉は察する事が出来なかった。


 その日、門倉は昼食に大介を誘わなかった。一人で食事をする門倉は、料理の味が分からくなくなるほど、深く考え込んでいる。

 一方大介は、道を歩きながら携帯食ですませた。午後からは、裏の仕事である訓練が予定に入っており、拠点へと向かっているのだ。

 心のもやもやは、大きくなるばかりで、一向に解消されない。注意力は散漫になり、歩行者を避けて肩を街灯にぶつけてしまう。

 グレムリンならば、その状態を解消できるかもしれないが、何もしない。端末の中で、足を組んだまま寝転び、目を瞑っている。


****


 未熟で一度壊れてしまった心しか持っていない大介は、訓練に気持ちがそのまま出てしまう。突入のタイミングに一人だけ遅れ、始末屋の先輩にいともあっさりロッドで殴り倒されてしまった。

 経験の浅い新兵ならば、変わった事ではない。だが感情の起伏が少なかった大介は、今まで常に高い水準の平均的なパフォーマンスで訓練をこなしていた。

「どうしたの? 体調不良?」

「いえ、少したるんでました。すみません」

 大介の不調に、美紀だけではなく、他の兵も気が付いていた。一週間の訓練で中堅の兵士に匹敵した大介が、新兵並に使えなくなっている。

 同じ部隊の兵士にとっては、他人事ではない。場合によっては、自分の命も危うくなる。

 民家を模して造られた実戦訓練場から、音が消えていた。そこにいるのは始末屋の部隊だけだが、全員が大介を見つめている。

「あっ! すみません。少し、顔を洗ってきます」

「ええ。行ってきなさい」

 皆の視線に気が付いた大介が、美紀に許可を貰ってトイレへ向かい走り出した。

(切り替えろ)

(ごめん)

 さすがにまずいと思えたグレムリンも、まだ不機嫌さの残る声で注意を促す。

 蛇口から流れ出る水で、何度も顔を洗った大介の顔は、まだ晴れやかになっていない。心を軽くしてくれたはずの門倉の笑顔が、心に重くのしかかる。


 自分で両頬を叩いた大介は、気合を入れなおして訓練場へ戻ろうとした。その時、軍拠点に警戒のアラームが響き渡る。

 出撃する兵士の波に逆らい、訓練場から駆け戻ってきた美紀達と、大介はミーティングルームへと走った。特務部隊である大介達は、他の兵士と違う行動をとらなければいけない。

 急いでミーティングルームの席に座った大介は、既に来ていた上官から、情報を受け取る。

「レーダーに、ドームへ向かってくる複数の未確認移動物体が補足された」

 ディスプレイには、レーダーでとらえた画像が表示されていた。二メートルほどの大きさを持つ敵が、約五十体確認できる。

「敵はおそらく、人金ひとがねだ。目的は、このドームへの侵入と、略奪にあると推測される」

 大介の顔が、一層厳しくなった。

(ほう。やっとご対面できるのか)

 グレムリンから不機嫌な表情が消え、満面の笑みになる。

 人金とは、人間とは違うが、人間によく似た生命体だ。一番の違いは、体がほぼ無機物で出来ている事だろう。人金の皮膚は鉄を思わせる銀色で、髪は炭素の同素体で出来ている。惑星ガルーラに、先住していた生物だ。人間と酷似した外見をもっている理由は、いまだに解明されていない。

 ガルーラへ三百年前に到着した人間は、人金と共存を望んだらしいが、それは叶わなかった。現在、人金と人間は、敵対関係にある。

「寺崎」

「はい」

「人金とは初めてだな?」

「はい」

「奴らは、魔法には弱いが、身体能力は人間のそれをはるかに凌駕している。十分に注意しろ」

「はい」

 大介の顔から緊張を読み取った上官が、気を使ったようだ。美紀もちらりと大介を確認した。

 何とか兵士の表情に戻った大介が、作戦の説明に集中する。

「バリケードを使って、他の部隊が正面から応戦する。その間に、こちらは二手に分かれ、敵の背後へ回り込む。そして、敵を挟撃する。装備はBまでだ」

 B装備の指示とは、防弾防刃性能の高いスーツを着用し、銃を所持する事だ。

 この時代の銃は、鉛玉を火薬で撃ち出すのではなく、魔法その物を効率的に使う道具でしかない。銃身には小型の端末が内蔵されており、何種類かの魔法を撃ちだせるのが普通だ。そして、マガジンで魔力カプセルを、手早く交換できるような仕組みになっている。

「では、健闘を祈る。解散!」

 敵の接近まで時間のない大介達は、上司の声を聞くと同時に、部屋から走って出る。そして、いつもは使っていない、もう一つのロッカールームへ入った。

(楽しくなってきやがった)

 見た目のほとんど変わらない黒いスーツに着替えた大介は、腰のホルスターに予備を含めた二挺の銃を差し込む。そして、いくつものマガジンが刺さったベルトを、肩からたすき掛けする。

「もう大丈夫ね? 気は抜けないわよ」

「はい!」

 ヘルメットをかぶった大介達特務部隊は、機械人形のように無駄のない規則正しい動きで部屋を出た。

 軍の拠点から地下へと直接続く通路を抜け、ドームを出た大介は、美紀の背中を追いかける。部隊はすでに、二手に分かれていた。


 大介がドームを囲む森に足を踏み入れて、数秒後に爆発する音が聞こえる。飛行能力を持つ森の住人が、その音で一斉に空へと逃げ出していく。

 大介達まで届いた魔法の光が、ヘルメットのシールドに反射する。先頭を走る兵士の手信号を見た大介が、人金用の耐物理防御フィールドを起動させた。

 戦いが近づくにつれ、大介達の緊張感が高まっていく。人間よりも、生物として強い相手と戦うのだ。緊張して当たり前だろう。

 部隊が走る方向を大きく変えたと同時に、大介が銃を抜く。そして、レバー式になっている安全装置を解除した。安全装置解除の信号を受け取った銃のランプが、赤から緑へと変わる。

(いたぞ! 撃てぇ!)

 大介が生まれて初めて見た人金は、偽物ではない本物の日の光を浴びて、きらきらと輝いていた。走りながら自分でまき起こす風に、赤黒く堅そうな髪をなびかせる。

 鼻も口も人間のそれと色以外、ほぼ変わらない。目だけは、人間と同じ位置の二つ以外に、額にも一つついている。

 生地と縫い目の荒い斑模様の布で出来た服を着ており、人間が仮装しているのではなかろうかと思えるほど、人間らしい動きをしていた。

 木の枝をかきわけて出てきたその人金は、靴を履いていない足で、地面の岩を思い切り蹴る。

(うおっ! マジかよ!)

 人間よりも重いはずの人金は、あり得ないほどの跳躍を大介に見せる。人金が踏み込んだ岩には、亀裂が走った。

(おいおい! 三メートルくらい上に跳んだぞ!)

 見入ってしまった大介は、仲間から遅れて人金に銃の照準を合わせた。

(避けろ!)

 今まさに引き金を引こうとした大介に、グレムリンが叫んだ。

 ヘルメットで狭くなった大介の視界の隅に、人金の持つ槍が映り込む。大介が向けようとした銃は、下から突き上げられたその槍に弾き飛ばされた。

 無防備になった大介に、人金の槍が打ち下ろされる。

「ぐっ! がっ!」

 反射的に首をひねり、頭への直撃を大介は避けた。だが、振り下ろされた銀色の槍は、大介の肩に直撃する。

 防御フィールドとスーツに守られているので、人間に同じことをされても、痛みすら感じないだろう。しかし、相手は人金であり、膂力は人間の比ではない。

 地面に打ち付けられた大介は、一度体を弾ませて、木に背中からぶつかる。全身を襲った激しい痛みで、視界が曇る大介に、人金が追撃をかけた。

 起き上がる事の出来ない大介は、迫ってくる恐怖に目を見開いて大きく息を吸い込んだ。

……殺される。

 先程美しいと感じた人金の姿が、悪魔に見える。

……怖い! 殺される! 嫌だ!

 大介に迫っていた人金の頭に、光が直撃した。

 首をなくした人金の体が、大介に転がってぶつかる。

「はぁ! はぁ! はぁ!」

 大介を助けたのは、美紀だ。美紀から立ち上がれの手信号が、大介に送られる。

 痛みに耐え、荒い呼吸をする大介は、何とか立ち上がった。しかし、全身から震えが消えない。傍目から見ても、膝ががくがくと揺れている。

「しっかりしなさい! 死ぬわよ!」

 それを見た美紀は、ヘルメットがぶつかるほど顔を近づけ、大きな声で喝を入れた。

 端末の中にいるグレムリンは、座り込んで角を撫でる。そして、覚悟を決めていない大介はこんなものかと、考えていた。けっして、失望したわけではない。

 だが、大介の成長度合いを、少しだけ下方修正した。グレムリンにとって、大介の能力を把握する事が、重要だからだ。


 それからの戦闘で、大介は仲間の援護に徹した。恐怖の中で混乱し、本来の力を大幅に損なったからだ。

 人金の力は、人間を越えている。しかし、いつもの大介ならば、動きを見切って攻撃の予測が出来たはずだ。心と体が直結している人間は、常にベストではいられない。

 一歩引いた位置から、大介は銃のトリガーに指をかける。仲間のフォローを受ける大介だが、ミスを連発してしまう。

 敵の動きを追って銃口を向ける。だが、遅れて照準を合わせた射線には味方の兵がいて、魔法を発射できない。その隙を突かれて敵の接近をゆるし、槍で薙ぎ倒される。

 倒れた大介が追撃されなかったのは、銃の性能が高かったからだ。大介が握っている銃は、ハンドガンタイプだが、物理的な弾丸が必要ないおかげで、マシンガンのように連射が出来る。その上、魔法を発射するので反動もほとんどない。

 恐怖から魔力が尽きるまでその銃を乱射した大介を見た人金が、距離を取ってくれた。運がよかっただけに過ぎない。

 ランプが緑から橙色に変わるのを見て、大介がマガジンを交換した。

「うっ!」

 肋骨に痛みが走った大介の顔がゆがむ。フィールドごと人間を吹き飛ばす力で殴られたのだから、ダメージとしては少ない方だ。だが、大介の動きからさらに精彩さが失われていく。


 二時間の戦闘で、五回のミスをした大介は、人金に七度の接近を許した。そして、倒した敵は一人。余りにも情けない結果だ。

「大丈夫? 立てる?」

「すみません。すみません。すみません……」

 歩く事さえ困難になるほど殴りつけられた大介は、美紀に謝ることしか出来なかった。

……情けない。

(まったくだな。こんなはずじゃなかったとだけは、言うなよ)

(え?)

(その言葉は、自信のあらわれだからな。このレベルで、調子にのってたなら、流石に説教しないといけなくなる。面倒だから、やりたくねぇなぁ)

(言わないよ。ごめん)

 グレムリンにまで謝った大介は、軍の拠点で治療を受けて、宿舎へ帰る。魔法を取り入れた最新技術のおかげで、軍医から数日で完治するだろうと告げられた。しかし、全身をかなり強く打撲してしまい、薬だけでは痛みが抑えられない。

 特務部隊の中でそこまで負傷したのは、大介だけだった。仲間から初経験だし仕方がないと励まされ、安静にするようにと帰宅の指示を受けた。


****


……くそっ。

 大介に、自分が仲間の足を引っ張った自覚は十分にある。特務部隊の仕事に、少しだけ誇りを持て始めていた事で、悔しさを感じてしまう。少し前の大介なら、感じなかったかも知れない感情だ。

 不甲斐ない自分に腹を立てている大介は、ズボンのポケットに両手を入れて俯きながら歩く。そして、閉じたままの口の中で、何度も歯を食いしばる。

「ん?」

 薄暗くなった夜道は、人通りが絶えていた。その静かな空間で足音が聞こえた大介は、顔を上げる。

 音が聞こえたのは、道沿いの公園からだ。街灯の光に、二人の人間が照らし出されている。

……え?

 その二人を見た大介の鼓動が、早くなった。そして、自分の見ている光景の理解が出来ない。

(受け入れろ。これが現実ってやつだ)

 大介が見ている先では、門倉が男子生徒と長い口づけをしていた。

 空から明かりが失われていき、辺りが夜の闇に染まっていく。そこで、大介は立ち尽くすしかなかった。それ以外に、何をすればいいかも分からない。

 痛みとそれによる発熱で、吐き気も感じている。だが、足が地面に吸着して動かない。


 唇を離した門倉は、頬を桜色に染めて、公園を走り去る。大介がいる側に向かって。

「あっ……」

 暗闇の中で大介に気が付いた門倉が、驚いた顔で立ち止まった。自分の行為を、大介が見ていたのは、理解しているようだ。

「ごめん……」

 目線をそらして宿舎に走る門倉の背中を、大介はただ見つめていた。そして、熱で火照っているはずの体に、急に冷たさを感じる。

 それが、自分の胸に大穴があいて、風が吹き抜けている冷たさなんだと気付くのには、少し時間が必要だった。

 大介に気が付いた男子生徒は、勝ち誇ったように街灯の下でにやけている。


 その生徒が立ち去ってからかなりの時間が過ぎて、やっと大介は歩き出した。鉛のように重くなった体を引きずって。

 部屋に帰った大介は、夕食も食べずにベッドで座っていた。口は半開きで、目は虚ろだ。何も考えないようにしているが、胸の痛みが治まらない。

 人金から受けた怪我よりも、胸の痛みは重症のようだ。

……これって、もしかして失恋の痛み?

(その通り。正解だ)

 部屋に帰っても回線を外す事すら忘れていた大介は、グレムリンの返事を聞いて、ベッドに倒れ込んだ。

 学べたことは、一度手に入れた幸せを失う事は、手に入れられない事よりも辛い時があると言う事実だけだった。頭なのかで門倉と喋っていた楽しい時間が、何度も蘇ってくる。

 ただし、最後には公園で見た光景へと戻ってしまう。

 同じ苦しみを少し前に味わった門倉は、それを味わわせた男子生徒の元へかえった。さらに、失う怖さを知ってしまい、守っていたファーストキスまでをも許してしまう。

 仕方ない。どうしようもない。今更、遅い。何とか自分に言い聞かせようとする大介だが、うまくいかない。そして、気力をどんどん消耗していく。

 目を閉じた大介に、グレムリンは声をかけない。ただ、大介が出す答えを、静かに待つ。

 生きる意味が分からなくなりかけた大介に、死という言葉が迫ってくる。

……いや! 駄目だ。僕はまだ、答えを出していない。

 再び開かれた大介の目には、意志の光が戻っていた。

(それも、正解だ)

 端末の中で、グレムリンがにやりと笑う。

 心神喪失の手前で、大介が思い出したのは、あの日の事だ。命を掛けて召喚を行い、棺桶に片足を突っ込んだ大介は、生死の境をさまよった。

 その大介が、いつの間にか自分で出していた結論の一つ。自分の生きる意味を、他人になすりつけるのは間違えている。この事を思い出した大介は、自分の力で立ち上がったのだ。

「のど乾いた」

(買い置きの水は、もうないぞ)

「はぁ。仕方ないね」

 ベッドから体を起こした大介は、飲み物を買いに出る。胸に穴は開いたままだが、自殺を選ぶことはないだろう。


 宿舎内にある自動販売機の前には、霧林と浜崎がいた。会話を避けたい大介は、宿舎を出て外の自動販売機へと向かう。

「はぁあぁ。痛いな」

 溜息をつき続ける大介が、呟いて空を見上げた。偽物の空には、変わらず偽物の月と星が輝いている。

 熱を持ち痛みが消えない体は、涼しいはずの風ですら温度を下げられない。

「最低の気分だよ」

(それが人生ってやつだ。噛みしめとけ)

 商品のボタンを押して端末をかざすと、自動販売機から缶に入った飲み物が落ちてくる。

 のどの渇いていた大介は、それをその場で一気に飲み干した。そして、もう二本購入する。

 二本の缶を取り出して立ち上がった大介が、動きを止める。小さな音を聞き取ったからだ。そして、自分の背後へ振り向いた。

(うおぅ?)

 振り向くと同時に、金槌で地面を叩いたような音が大きくなる。そして、暗闇から自動販売機の光の中へ、人型が飛び込んできた。

 自分に跳びかかろうとする影を見た大介は、全身が粟立つ。そして、驚異的な反応を見せる。

「うわあぁ!」

 持っていた飲み物を手放し、利き手である右の拳をその影に振り下ろした。


 鈍い音がしたあとに、ガシャリと何かが崩れた。大介の顔色がみるみる変わっていく。

「いっ! たあぁぁ。いたたたっ」

 真っ赤になった右拳を左手で掴んだ大介が、片膝をつく。

 痛みをおさえようと、大介は自分の拳に息を吹きかけている。そして、拳を自動販売機の光にかざし、涙目で確認する。そこは、徐々に腫れあがっていく。

(おい。おいって!)

「何? 痛っ! 後にして」

(馬鹿か! お前! よく見ろ!)

 先程自分の拳で崩れ落ちた人影を見た大介は、左手で目を擦り、自分が間違えていないかを何度も確かめる。

「えっ? これって」

 大介の目の前で仰向けになっているのは、人金だった。一瞬で痛みを忘れた大介が、頭を抱える。

「もしかして今日の僕は、人生で最低の一日を過ごしているの?」

(可能性は、結構高いな。これはちょっと俺も笑えない)

 顔の筋肉を痙攣させた大介が、再び大きなため息をつく。


 人金の美しい銀色の肌は光を反射して、今にも泣き出しそうな大介の顔を鏡のように映していた。

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