三話
巨大なパイを思い出させる、高さがない円柱の建物は、食用の植物を研究する為の施設だ。栽培の実験結果をすぐにフィードバックする為に、ファクトリーに隣接している。
そこが目的地だった軍用車両三台が、音もなく敷地内へと侵入した。そして、その車に搭載された動力が停止すると、黒い服装の兵士達は速やかに降車する。
頭の中に建物の見取り図を焼き付けているその集団は、二人一組で迷うことなく自分の持ち場へと散って行った。
大介達が履いている靴は、軍用に開発されたものだ。床や地面に使われる金属との相性が良く、ほとんどの足音を吸収してくれる。
己の呼吸と、微かな心音だけが聞こえる静かな研究施設を、美紀について歩く大介は、スタンガンを握っていた。前衛の美紀もスタンガンを構えて、慎重に持ち場へ向かって進んでいる。
何の装備もないはずの脱走者を、恐れている訳ではない。それでも、気を抜いて殴りかかられれば、万が一はあり得る。特に、命懸けの脱走者は、何をするか予想出来ない。
暗視装置による少し緑がかった景色から、身を潜めている脱走者を見落とさないように、神経を張りつめる。すでに研究施設で働く職員は、一人もいない。
扉はすべて電子ロックで施錠されており、途上のそれらが無理にこじ開けられていないかを確認しながら進む。
先が見えない曲がり角では一度立ち止まり、顔を半分だけ覗かせて、安全を確認する。スタンガンの先にあるニードルは、何よりも先に、いるかもしれない敵に向けられていた。
美紀から止まれを意味する指示を受けた大介は、背中を壁につけてしゃがみ込む。目標の待機地点にはまだ到着していない。だが、複数のぺたぺたという音が聞こえてくる。
(来たな)
(うん)
複数の脱走者が、裸足で床を走っているらしい。足音の数で、脱走者が複数人だと判断できる。
美紀と大介は、敵との交戦に供えて、スタンガンからスタンロッドへ持ち替えた。スタンガンの射程は、スタンロッドよりも長い。しかし、一発ごとにカートリッジを交換する必要があり、多数を相手にするには不向きだ。
大介達がいる通路の先は、T字路になっており、敵の姿はまだ確認できない。美紀は手信号で、大介に戦闘準備を指示する。
その場所なら、待ち伏せして不意打ちが出来る。そして、戦闘を行うにも十分な広さがある通路だ。美紀の判断は、間違っていない。通路を走ってきた脱走者から、死角になる位置で二人は身を屈めている。
足音が大きくなると共に、向かって右側の通路から、光源がみえた。研究施設は暗闇に支配されており、何らかの光源を手に入れたのだろうと、美紀は身構える。
……あれ?
落ち着いて待ち構える美紀とは対照的に、大介は何かの違和感を覚えた。それが何かは、大介自身にも分かっていない。だが、敵が迫ってくる緊張以上に、脈が速くなっていく。
(どうした?)
(なにか、変じゃない? あれって、魔法の光じゃ)
通路から敵が姿を現すと同時に、大介に異変が起きた。自分以外の全てが、驚くほどゆっくりと動いている。敵に跳びかかろうとしている、美紀の動きでさえ、止まったように見えた。
大介自身の体も、周りと同様の速度しか出せていない。事故の瞬間のように、大介の脳は化学物質を過剰に分泌させていた。
敵が持っていた光源は、宙に浮かぶ光の弾だ。それは、魔法で出現させたものであり、脱走者が持っているはずがない。
異世界の住人であるグレムリンだけは、大介と同じ景色を見ていた。二人の視線は、脱走者の一人が握りしめている物体へ、ほぼ同時に向けられる。大介はそれを、リモコンの様な物としてとらえた。だが、二十世紀を知るグレムリンは、それを携帯電話に似たものだと判断している。
大介の中にある直感とも第六感とも似ているが、そうではない何かが、危険を知らせてきた。永遠に終わりが来ないと思えるほどの刹那に、大介は覚悟を決める。
自分の感覚を信じた大介が、踏み出した瞬間。時計の針が、正常な時を紡ぎ始めた。
立ち上がろうとしていた美紀の背中から、覆いかぶさるように跳びついた大介は、自分の体ごと美紀を床へ押し付ける。うつ伏せに倒れ込んだ大介の首筋から、信号が脳へと伝わる。その信号の種類は痛みだった。
スーツとヘルメットが守っていない首筋の隙間を、負傷したようだ。ヘルメットからはみ出していた髪が焦げ、皮膚がケロイド状になっている。
だが、ダメージを受けた範囲は極僅かだ。戦闘に支障は全くない。
(よおぉぉしいぃぃ! いい判断だ! 行くぞ!)
シールドのせいで、敵や美紀には見えないが、大介の目が鋭くなっていた。巨人を召喚したあの時よりも、鋭利になっている。
《アプランク!》
敵が使ったのは、スーツとヘルメットだけでは防ぎきれない、炎の魔法だった。物理法則を無視して、通路を渦巻きながら真っ直ぐに進んだ魔法の火は、脱走者達の予想に反して、大介に少しだけ怪我をさせることしか出来ていない。
しかし、大介の反応が少しでも遅れれば、美紀と大介は死んでいた。その事実が、大介の本能を呼び起こしてしまう。そして、夜の闇と一体化した大介が、敵に襲いかかる。
グレムリンの魔法で、敵の端末らしき機械を封じた大介は、右手に握ったロッドを目線の位置で水平に振るう。ロッドで首筋を殴られた脱走者が、顔面から壁にぶつかる。頸椎が粉砕された鈍い音は、命を失ったその脱走者が聞いた最後の音だろう。
少しだけ勢いを失ったロッドに、大介は自分の体をコマのように回転させ、力を補充する。足運びで回転と前進を同時にこなした大介は、敵との距離を消し飛ばした。
床と水平に弧を描くロッドの先にあった敵の首は、右側面から凄まじい衝撃を受けて、支えとなる骨が潰れる。白目をむいて自分の左にあった金属の壁に激突した敵は、もう二度と立つ事はない。口から噴き出した泡は、血で赤く染まっている。
反動で回転にブレーキをかけた大介は、空いている方の手で既にスタンガンをホルスターから抜いていた。
その針が刺さったと敵が判断をするまでの間に、ワイヤーが伸びきっているスタンガンを投げ捨てた大介が、別の敵をロッドの射程内に捉えている。鎖骨が折れるほどの勢いでロッドを右肩に振り下ろされた敵が、声もなくその場に倒れ込んだ。
「えっ? いぎゃあぁぁ!」
大介が敵のほとんどを戦闘不能にしたところで、針が体に刺さった敵が思い出したように悲鳴を上げる。
「はっ? え?」
端末らしき物を握った男は、自分の両サイドに立っていた仲間が、倒れた事を理解できないでいた。そして、背後に回った大介は、その男の首筋にロッドを押し当てる。
「ぐぎぃぃ!」
大介は、焦げたヘルメットとスーツから、湯気のように煙を立ち上らせている。
美紀は、それを呆然と見ていた。大介が五人の敵を制圧する時間で、美紀が出来たのは、落としたロッドの代わりに、スタンガンを抜く事だけ。肩で息をする大介に、かける声が見つからない。
兵士として優秀である美紀は、大介の能力を正当に評価している。そう自分では、そう思い込んでいた。だが、その評価が間違えていたと、認めざるを得ない。
(上出来だ! ブラザー! 俺に生身があれば、キスしてやるところだ)
「熱っ!」
高温を保ったままのヘルメットを脱ぎ捨てた大介は、熱を逃がそうと、後頭部を撫でる。そして、大きく息を吐いた。その目からは、先程までの鋭さが消えている。
息苦しさを覚えた美紀も、ヘルメットを無意識に脱いでいた。
「あの、大丈夫ですか?」
「あっ、ええ」
「敵が、何故か魔法を使えます。皆に知らせないと」
大介の言葉で、兵士の目に戻った美紀が、通路に設置された非常用回線へと走った。そして、拠点にいる上司へ、魔法の事を伝える。
大介は、その間に生きている三人を拘束し、謎の端末らしき物を回収した。
(こいつは驚いた)
(どうしたの?)
(ドーム内の魔法を封じる結界を、無効化するプログラムがあるぞ)
(えっ? そんなプログラム、聞いた事もないよ)
(まっ、俺を縛る結界用じゃないから、俺達に使い道はないけどな)
(使えたら、盗めとでも? これは、どう考えても、軍に回収されるから、元々盗めるものじゃないよ)
念の為に、その端末らしき物をポケットにしまった大介は、振り返る。
そこに立っている報告を終えた美紀は、大介に何かを聞きたいようだ。だが、言葉が出てこない。
「早く、他のみんなをフォローに向かいましょう」
「あっ、そうね」
それから一時間ほどで、命の火が消えていない全ての脱走者は捕縛された。
大介達のチームが、最初に敵と接触した事で、被害は最小限に出来ている。だが、二人の殉職者が出た。帰りの車内は、重い空気が流れている。
(これで済んだだけ、ましなんだって)
(分かってる。けど。けどさ)
大介もショックを隠し切れない。二人の死を悲しんでいないのは、グレムリン。そして、美紀だけだ。
美紀の思考は、大介が見せた信じられない光景を処理しきれず、同僚の死を悲しむ余裕がない。身体能力は、元々大介が自分よりも高いと認めていた。
だが、経験は美紀の方が計算するまでもなく多い。総合的な兵士としての能力は、自分が上回っていると思い込んでいた。その日見せた大介の身体能力は、美紀の経験を含めた全てを凌駕している。
結果として、美紀は教え子に命を救われた。悔しさと嬉しさが交互にこみ上げ、複雑な心境になっていく。目には煙を纏う大介の姿が、焼き付いていた。
****
夏の日差しを再現した空からの光が、金属板を幾重にも重ねた大地へ降り注ぐ。武道場で練習に励む代表候補生達の額には、汗がにじみ出ていた。
大昔の日本のように、湿度は高くしていない。その為に、日陰に入れば快適な環境になる。発汗の原因は、運動による体温の上昇だ。
代表選手になれなければ、将来の利益が大きく違ってくる。その思いから、生徒達は練習に熱心に取り組んでいた。
ほぼ同じ練習をすれば、残酷なほど才能のある者だけが伸びると、理解している生徒がどれだけいるだろうか。まだ自分に絶望していない温室育ちの彼・彼女等には、それを受け入れるのは難しいかもしれない。
宿舎から出た大介は、大きな黒いビニール袋を、五つほど運んでいる。
リサイクルが難しいゴミは、各ドームで処分方法が違う。第四ドームでは、行政の担当者が一括管理している。その為に、一度全てのゴミを、行政の施設へと集めるのだ。大介が握っている袋には、ゴミが詰まっている。
作り物の太陽が発する熱と、運動による体内からの熱で、不快感を覚えても不思議はない。
しかし、大介は笑顔で仕事をこなしていた。表情が少ない大介には、珍しい事だ。
(鼻歌でも飛び出しそうなほど、ご機嫌だな)
(えっ? そう?)
春川が、接触してこなくなっていた。前日の揉め事を重く見た舟橋が、春川にきつい命令を出したらしい。
大介は、幾度か視線を感じてはいる。だが、絶対にそちらへは振り向かなかった。隙を見せて、食いつかれたくはないらしい。
(俺は、暇になった)
(午後から、忙しくなるんだし、休んでてよ)
(うぃうぃ)
大介の表情筋が緩んでいる理由は、もう一つあった。朝食を、門倉と一緒に食べたのだ。それも、門倉から大介を誘った。
他愛のない世間話をふってくる門倉に対して、緊張して言葉をほとんど返せなかった大介だが、十分な満足が得られたようだ。近付きすぎてはいけないと思いつつも、気持ちを抑えられないでいる。
端末内のグレムリンは、寝そべってごろごろしていた。端末の画面を見るだけでは、それ以外に何もしていないように見える。だが、画面に映らないバックヤードでは、急速にプログラムの処理が行われていた。
グレムリンは、誰にも気付かれずに、自分に必要な鍵やカードを溜めていく。不気味に笑うグレムリンは、一歩ずつ着実に、目的に向かっていた。
「香坂?」
仕事をこなす大介は、休憩に入った生徒を避けて、リングの傷み具合をチェックする。武道場用の少し大きな端末に、部品交換が必要なリストが出来上がりつつあった。
「ねえ? 大介?」
端末を操作していた大介は、名前を呼ばれて振り向いた。そこには、霧林と浜崎が立っている。村川がいなくなり、霧林は代表選手として扱われており、大介も二人の名前と顔だけは知っていた。
「お前、やっぱり、大介だよな?」
「大介?」
何故この二人が、自分を呼び止め、名前を読んでいるか理解できない大介は、眉をひそめる。
(第一の、浜崎選手と霧林選手? なんだろう?)
(心当たりは?)
(さっぱり)
「あの、大介よね?」
少しずつ自分へ近づいてくる二人に、大介は立ち上がって返事をする。
「あっ、はい。そうですが、何でしょうか?」
「えっ? あの、何かの冗談?」
困惑した表情の大介は、頭を掻く。
「お前。香坂大介じゃないのか?」
浜崎の言葉で、推測が出来た大介が、即座に返事をする。
「僕は寺崎です。寺崎大介」
何かを懇願する様に、眉をハの字に下げていた霧林が溜息をついて、一度下げた頭を戻す。
少し潤んでいた目が吊り上り、眉毛がハの字とは逆の凛々しい角度に変わった。その綺麗な顔は、冷たい威圧感がある。
「知り合いにそっくりだったから、間違えました。ごめんなさい」
「あっ、いえ」
丁寧ではあるが、不機嫌な声で謝罪をした霧林が、大介に背を向けて離れていく。少しだけ呆れた表情の浜崎も、その後を追った。
霧林は、前日の娯楽室で大介の動きと顔を見て、幼馴染だと確信していたらしい。だからこそ、落胆も大きかった。
「第三に引っ越した、香坂って幼馴染を探してるんだって」
いつの間にか大介の隣にいた門倉が、大介に情報を伝える。霧林の事などどうでもいい大介は、門倉から話し掛けられた嬉しさで笑顔になり、照れた顔を隠すように俯いた。
「寺崎くんは、香坂って人を知らない?」
思い当たる人物がいない大介は、首を横に振る。
(世の中にそっくりさんは、三人いるって言うしな)
(ちょっと、何を言ってるか分からないだけど?)
(大昔の言葉だ。その時代は人間が腐るほどいたから、そっくりな人間も、探せばけっこういるってだけの意味だ)
(僕にそっくりな人か)
霧林の遠退いていく背中を、少しだけ眺めた大介は、すぐにどうでもいいと結論を出した。そして、ある事に気が付いた。
「あの、門倉先輩?」
「うん? 何?」
「凄い汗ですね。タオルと飲み物を取ってきます」
門倉の制止よりも早く、大介はタオルと飲料水確保に走り出していた。
大介の好意が嬉しかった門倉が、少しだけ照れながら笑う。そして、自分が汗臭くないかを気にして、シャツの臭いを嗅いでいる。
****
大介がタオルとよく冷えた水を持って走っている頃、軍のトレーニングルームで、汗だくの美紀が座り込んでいた。前日見た、大介の動きを自分で再現しようと、頑張っていたらしい。
手には練習用のロッドが握られている。そして、ウォーターバッグが五つ、昨日の敵と同じ位置に吊り下げられていた。
何度やっても、美紀では再現できない。筋力の誤差を計算に入れても、大介と同じ事をするのに、倍以上の時間が必要だ。その上、大介は現場での状況判断もやってのけた。
「あれは、人間が出来る事なの?」
浮かない顔をした美紀が、時計を確認する。すでに、二時間ほど体を動かしていた。これ以上続ければ、午後からの行動に支障が出ると判断し、タオルで汗を拭きながら道具を片付ける。
「かわいい顔した。ただの高校生なんだよね。あれで」
休憩用の長椅子に座って独り言をつぶやいた美紀は、白い無地のTシャツを、へそが見えるまでたくし上げ、左腹部の装置を開く。その装置は、伸縮する黒い金属でつくられており、美紀の体に埋め込まれていた。
それは過去の怪我で、機能しなくなった内臓を補う装置だ。美紀は、端末に使う魔力カプセルのよりも、かなり小型な専用カプセルを交換している。激しい運動の後には、必ず交換が必要だ。それを怠れば、死ぬ事もある。
もやもやした気分のまま、タオルを持って美紀がシャワールームへ向かっていた。俯き気味に歩く美紀は、すれ違う同僚達の目を見ない。
同僚達は、美紀を見ると自分から道を譲る。自分より階級が上という理由でもなければ、始末屋だから嫌われている訳でもない。同僚の目に浮かんでいるのは、憐れみか同情だ。
外敵と戦いで瀕死の重傷を負った美紀は、その美しかった容姿をなくした。美紀も、兵士である前に、女性だ。鏡で自分を見るたびに、死んでしまえば楽だったかもしれないと考え、変わり果てた自分の姿に落ち込んでしまう。
日頃大介が見ている顔や腕も、十分酷いが、そこはまだ怪我が少ない部分だ。シャツの中にある皮膚は、ほとんどが本来よりも傷の形に膨らんでいるか、えぐれている。傷跡だらけと言うよりは、傷跡しかないのだ。
同僚の憐れみに、唇をかんだ美紀は、汗と汚れをシャワーで洗い流す。
夜間とは違い、道に車輪のない車が行きかい、歩行者がいる。午後から軍の仕事をする大介は、拠点へ向かって歩いていた。
門倉との会話が長引き、時間を削られてしまった大介は、歩きながら携帯用の食事を取食べている。
(お前は、とことん食事に無頓着だな)
(なにが?)
(その軍用の携帯食って、味は五種類ぐらいあるんだろ?)
(そうだよ)
(なんで、お前の部屋にある二十個全部、同じ味なんだよ)
(栄養は一緒だし、食べられればなんでもいいよ)
拠点の裏門にいる警備兵に、端末を使って身分証明を済ませた大介は、くずかごにゴミを投げ捨てる。そして、ロッカールームへと真っ直ぐに向かった。
「お疲れ様です」
ロッカールームの中で、既に着替えを済ませた美紀を見た大介が、敬礼とあいさつをした。その大介を、美紀はじろりと睨む。
「ずいぶん、ゆっくりだったわね」
「すみません」
美紀の言葉には、明らかに険がある。目付きも、いつも以上に冷たい。
「気が緩んでるんじゃないの? 気を付けない」
「はい。すみません」
美紀は、敬礼を崩さない大介を睨みながら、ロッカールームを出た。
扉が閉まる音を聞いた大介が、端末との回線を外して、着替えを始める。
(何怒ってるんだ? あいつ? まだ、時間に余裕はあるじゃねえか)
「機嫌の悪い時だってあるよ」
(腹は立たないのか? えっ?)
「本当のあの人は、よく知ってるんだし、怒る理由がないよ」
大介に呆れたグレムリンは、大きく首を左右に振る。
(なんだ? また、興味なしか?)
「いやいや。流石に、あの人の事は、興味あるよ」
(ならお前って、大人の考え方通り越して、老成してないか?)
「そうかな?」
黒いスーツに着替えた大介は、ヘルメットを抱えて上官の部屋に向かう。そして、部屋の前で美紀が来るのを待つ。
大介から少しだけ遅れて部屋の前に来た美紀は、先程とは違い暗い顔をして俯いている。
(なんだ? 感情の起伏がおかしくなってないか?)
(珍しいね。昨日殉職した人と、仲が良かったのかな?)
一晩寝た大介は、その事を既に心中で整理済みだった。他人への興味が薄い大介は、気持ちの切り替えも早い。
(分かった。お嬢ちゃんは、きっとあの日なんだ)
(どの日?)
(二十世紀の言葉って、標準語以外につうじないのか?)
悲しそうな顔のグレムリンが、膝を抱えて座る。訳の分からない大介は、溜息をついた。
「いい?」
「あっ、はい」
美紀が扉をノックすると、中から「入れ」という声が聞こえた。
「失礼します」
「楽にしろ」
上官の前で敬礼をしていた二人は、腕を後ろで組み、足を少しだけ広げる。
「任務を再度説明する必要はあるか?」
「不要です」
大介達は、昨日の研究施設に向かう。目的は、脱走の経路を探す事だ。魔法で偽装された可能性がある抜け道は、まだ発見されていない。脱走の情報を掴んでから、幾度か他の兵士が探索したが、徒労に終わっている。
そこで、大介がグレムリンの魔法を使い、施設を探知する作戦が指示されたのだ。
「一刻も早く、見つけ出してくれ。それと、ファクトリー側にも進んで、そちらの確認も任せたいが、可能か?」
「はい」
「では、いい報告を待っている」
再度足をそろえて敬礼をした二人が、部屋を出る。美紀は無言で俯いたまま車に向かうが、何度か後ろを歩く大介を振り返って見つめている。
大介の目にも、憐れみがあるかも知れないと、疑心暗鬼に陥った美紀が、それを確かめる為に振り返っただけだが、大介とグレムリンにその気持ちはくみ取れない。
(なんだ? なんなんだ?)
(イチさんに読み取れないなら、僕には無理だ。さっぱりだよ)
(お前も少しは考えろよ! せめて、考えるふりはしろよ!)
回線を通して、二人で答えの出ない推測の話を続けた。
美紀が何度見ても、大介の顔に憐れみなどのマイナスの感情は読み取れない。分かっているのに、大介を疑ってしまった自分を恥ずかしく感じた美紀は、先程とは違う理由で唇をかむ。
美紀は大介に対する嫉妬に近い感情で、訓練をしていた。そして、追いつけないと気分が落ち込んだ所で、同僚の憐れみを受けてしまい、一気に気分が黒く染まったのだ。その感情を、タイミング悪く出くわした大介にぶつけてしまった。
だが、それでも大介の変わらないさまに、自分の未熟さを感じている。大介が門倉との事で浮かれており、ぶつけられた怒りをどうでもいいと考えているとは、夢にも思っていない。
****
施設についた二人は、白衣やスーツを着た研究員に交じって、経路を探す。限られた魔法の効果範囲で、施設全体を調べないといけない為に、魔力カプセルは予備を大量に持ってきている。
(どう?)
(ここにはないな。次も、真っ直ぐに五歩進め)
(わかった)
二時間かけて、床や壁に手をついた大介は、調査を終える。見つかった経路は三つ。全て、壁の金属を魔法で加工したあとが見つかった。
出入り口に始末屋の仲間二人を残して、美紀と二人で壁の奥にあったトンネルを進む。トンネルの中に光はなく、二人はヘルメットをかぶった。
大介が先行し、美紀は念の為にスタンガンを構えてついていく。グレムリンは魔法を使って、常に金属から情報を読み取っている。
(これは、あれだな。熱と冷却を繰り返して、劣化したところを削ったみたいだぞ)
(手間のかかる方法だね)
(この方法しかなかったんだろうよ。俺達の方が、普通じゃないんだ)
(それもそうだね)
大介が出口にもあった金属板を蹴破り、トンネルを出ると、そこはファクトリー内部だった。 大きな音に、労働者達が大介と美紀を見上げている。
労働者とは、ファクトリー内部から出る事を許されていない、最下層に追いやられた人間の呼称で、奴隷のように扱われていた。舟橋から説明を受けていたが、ファクトリー内部を見るのは、大介にとって初経験だ。建物内に土を持ち込み、農業をさせられている労働者達は、ボロボロの服を身に着けている。
(この建物全体も、チェックするのか?)
(他の出口があるとまずいからね)
(ああぁ、もう。めんどくせえぇ)
ファクトリーの外観は研究施設と同じ太短い円柱だったが、広さは三倍近くある。そして、その内部も同じように広く、畑だけが続いていた。
大勢の労働者が、その畑で労働を強いられている。
壁際にずらりと並ぶ高さ四メートルほどの金属で出来た立方体には、一つずつ出入り口だけがあり、扉はついていない。その場所が、労働者達の家だと、大介は聞いている。
大介達が立っているのは、労働者が生活する立方体の屋根をつなげ、足場にした監視用のプレートだ。魔法がなければ登れない様に作られており、手すりで看守が落ちないようになっている。
使い捨て程度にしか思われていない労働者にとって、そこは地獄と呼べる場所だろう。
大介達に気が付いた看守数人が、駆け寄ってくる。
「お疲れ様です。特務部隊の方ですね? 連絡は受けております」
「お疲れ様です」
敬礼をしてくれた看守に、ヘルメットを脱いだ二人も、敬礼を返す。
ヘルメットを脱いだ大介を、労働者の一人が凝視する。大介は気付いていないが、土にまみれて働く、安岡だ。罪を犯し、家族ごと引っ越した事になっているが、実際は労働者に家族全員が落とされた。
髪型と雰囲気が違う大介だが、安岡は見間違わない。春川との事で、大介をよく睨んでいたせいで、忘れたくても忘れられなくなっていたのだ。
看守に注意を受け、食事抜きにならない様に仕事を続ける安岡は、何度も大介を見上げる。そして、壁に手を当てる大介の口から、グレムリンの魔法を聞いた。あの日、自分をリングで気絶させたのは、大介だと気付いてしまう。
労働者になったのは、自分が犯した罪のせいだ。だが、安岡はすべて大介のせいだと見当違いな思い込みをして、鬼のような形相で歯を食いしばった。目には涙をため、悔しそうに大介を睨みつける。
ほぼ壁しか見ていない大介は、看守に怒鳴られる労働者が、安岡だとは分からなかった。魔法を使って、淡々と隠された通路を探す。
(おわったあああぁぁぁ! もう、疲れた!)
(疲れたね)
(俺の方が、疲れたに決まってるだろうが!)
(ごめん。ごめん。ありがとう、イチさん)
研究施設の倍ほども時間をかけた調査は、何とか終了した。結局見つかった抜け道は、施設へとつながる三つだけだ。
「お疲れ様。少し休みましょうか」
「はい」
監視プレートに倒れる様に座った大介は、既にヘルメットを脱いでいる。大介の後ろをただついて回っただけの美紀ですら、明らかに疲労していた。六時間以上、立ち止まってはまた歩くを続けたのだ。疲れて当然だろう。
へたな訓練よりも体力を削られた二人に、看守から水が差しだされた。 大介は労働者達を見つめながら、水を一気飲みする。魔法を唱えすぎて、喉が渇いていたのだ。
ぼんやりと畑を眺めていた大介の表情が、暗くなり始めていた。
……労働者か。
(誰かが常に楽をして、幸せに暮らせば、しわ寄せを受ける者がいるって事だ)
(分かってるんだけどね)
(楽をする奴よりも、苦労する奴が多くなければ、その仕組みは成り立たない。そして、ピラミッドの上にいる奴が多ければ多いほど、土台も大きくないといけないって事だ)
溜息をついた大介が、水を飲む。
夏休みに入ってから、我欲の強い代表候補生ばかりを見てきた大介は、複雑な気持ちで労働者達を見ている。
犯罪者がここに、落とされた。だが、それを隠す為に、犯罪者の家族やその子孫までが、そこから抜け出すことが出来ない。
支えられる者が、支える者を知らない、作り物の世界。世界の裏側に来てしまった事を、改めて実感した大介は、何度も溜息をつく。
「これも、正義なのよ。勝者だけがかざせる正義って言葉の、一つの形なの」
大介を気遣う美紀は、優しい目をしていた。
「こうしなければ、人間は生き残れなかった。貴方は、何も悪くないの」
美紀の言葉を全て享受出来ない大介は、口をへの字に曲げる。
「人間が出来る善い事に、力は必要ないわ。でも、正義を行うには、どうしても強い力が必要なの。もしあなたの正義が、違う形を持っているなら、力をつけなさい」
美紀は、大介なら出来るかもしれないと続けるつもりだったが、その言葉を飲み込む。大介を、その言葉で苦しめない様に。
大介は溜息をつき、空の見えない建物内で、天を仰いだ。そして、自分そっくりな香坂大介は、引っ越したはずの場所にいないのなら、労働者として働いているかもしれないと、ぼんやり考えていた。
端末から聞こえてくるグレムリンの笑い声が、頭の中に響く。