第16話:境界線の奪還
昼時、作業の手を休めた人々が、建物の影に腰を下ろした。
モールの周囲は、どこまでも続く緑の草原だ。
かつての文明を飲み込んだその草は見る影もなく背高く生い茂り、風が吹くたびにザワザワと不気味な音を立てて波打っている。
クマさんが用意した「牙」の端肉入りスープが、泥と草の汁にまみれた身体に染み渡る。
「……信じられない。あんなに硬かった茎が、今は嘘みたいに刈り取れるわ」
マルタが泥のついた手を拭いながら、一息ついた。
隣でスープを啜っていた護衛の若者も、静かに頷く。
「ああ。腹の底に、重い力が溜まっている感じがする。……おかわり、あるかな」
「まだあるぞ、しっかり食え」
クマさんが鍋の底をさらう。
特別な会話はない。
ただ、咀嚼そしゃくする音と、時折混じる安堵の吐息だけが、そこに流れていた。
休憩が終わり、再び鎌の音が再開される。
夕暮れ時、遮るもののない平原に、巨大な夕日が沈み始めた頃。
マルタが声を上げた。
「そこまで。今日の作業は終了だよ」
その合図で、人々は一斉に手を止めた。
顔を上げた住民たちの視線の先には、数メートル分だけ剥き出しになった地面が広がっていた。
かつてそこが道だったのか、広場だったのかは分からない。
稀に顔を出す割れたコンクリートの破片と、踏み固められた土。
昨日まで建物を覆い尽くそうとしていた緑の波が、わずかに後退している。
「……ここまでか」
誰かが呟く。
数メートル。
どこまでも続く緑の地平から見れば、指先ほどの前進でしかない。
だが、彼らは今日、確かにその距離を自分たちの手で奪い返した。
屋上の入り口では、カイが一人、その光景を静かに見下ろしていた。
下では、泥だらけになった大人たちが道具をまとめ、建物の中へと戻り始めている。
彼らの背中には隠しきれない疲労が滲んでいたが、足取りは昨日よりも幾分か安定していた。
カイは、双眼鏡をケースに収め、疼きが残る右手を軽く振った。
彼は最後にもう一度だけ、暗がりに沈んでいく草原の端を見つめると、ゆっくりと背を向け、モールの中へと戻っていった。




