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『「つべこべ言わずにやれ」と無能上司が言うので、言われた通りに会社を崩壊させることにしました【一話完結・短編集】  作者: じょな


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1件3分で切れ。お前の代わりはAIでいい」とセンター長が言うので、心を捨てて3分ジャストでガチャ切りする「人間ボット」になりました

 乾いた電子音が、フロアのあちこちで鳴り響いている。

 ここは、IT企業「ネクスト・クラウド」のコールセンター。

 窓のない広い部屋には、数百人のオペレーターが養鶏場の鶏のように詰め込まれ、ひたすらヘッドセットに向かって謝罪の言葉を紡いでいる。

 空気は乾燥し、キーボードを叩くカチャカチャという音と、抑揚のない話し声だけが低く澱んでいた。


「……はい、ご不便をおかけして申し訳ございません。それでは、お客様の画面の右上にあります歯車のアイコンを……」


 私はモニターを見つめながら、できる限り柔らかい声を出した。

 相手は七十代の男性だ。新しいクラウド会計ソフトの使い方がわからず、不安で声を荒らげていたが、十分ほどの会話でようやく落ち着きを取り戻していた。


「ああ、あったあった。これか。いやあ、お姉さんのおかげで助かったよ。やっぱり機械の説明書じゃわからんからねえ」

「とんでもないです。また何かあれば、いつでもご連絡くださいね」

「ありがとう。あんたみたいな人がいてくれてよかったよ」


 通話終了。

 ヘッドセットを置くと同時に、ふう、と息が漏れる。

 解決した。この瞬間だけが、埃っぽいこの部屋で唯一、酸素を吸える時間だ。


 だが、その余韻は土足で踏み荒らされた。


「おい篠崎! 今の通話、何分かかってると思ってるんだ!」


 背後から怒鳴り声が飛んできた。

 振り返ると、ブランド物のスーツを着た男が、ストップウォッチを片手に仁王立ちしている。

 先月着任したばかりのセンター長、鬼島だ。


「十五分だぞ、十五分! 平均処理時間(AHT)が大幅に悪化してるじゃないか! お前はリーダーだろ? 率先して数字を落としてどうする!」


 鬼島が私のモニターの隅にあるタイマーを指差す。

 そこには『15:20』という数字が表示されていた。


「申し訳ありません。ですが、ご高齢のお客様で、操作に不慣れな方でしたので」

「言い訳はいらん! 客が誰だろうが関係ない。マニュアルのURLを送って終わりにすればいいだろ!」


 鬼島の香水の匂いが鼻につく。現場の汗臭さを消そうとしているのか、やけにきつい柑橘系の香りだ。


「センター長。URLを送るだけでは、あのお客様は解約されていたでしょう。寄り添って解決することで、継続利用に繋がりました」

「だから! その『寄り添う』のが無駄なんだよ!」


 鬼島がデスクを蹴り上げるように叩いた。

 周囲のオペレーターたちがビクリと肩を震わせ、さらに声を潜める。


「いいか、CSはな、会社にとってただの**『コストセンター』**なんだよ。利益は生まない。金食い虫だ。お前らが一分長く喋るたびに、人件費という名の金がドブに捨てられてるんだよ」


 金。

 コスト。

 この男が来てから、その言葉を聞かない日はない。


「今日からルールを変える。全体朝礼で言うつもりだったが、今ここで通達する」


 鬼島はフロア全体に聞こえるような大声で宣言した。

 

「今後、全ての通話は**『3分以内』**に完了させること。これを絶対厳守とする」


 ざわっ、とフロアが揺れた。

 3分。

 それは挨拶をして、本人確認をするだけで終わる時間だ。トラブルのヒアリングや解決など、物理的に不可能に近い。


「3分を超えたら、どんな状況でも通話を切れ。強制終了だ」

「なっ……正気ですか?」


 私は思わず立ち上がった。


「お客様は困っているから電話をかけてきているんです。解決もせずに切るなんて、サポートの放棄です」

「解決なんてしなくていいんだよ」


 鬼島は冷ややかに言い放った。


「客なんてのはな、適当に相槌打って、**『謝れば済む』**生き物だ。『調査して折り返します』と言って切ればいい。あとはメールでテンプレートを送っておけ」

「そんなことをすれば、顧客満足度が地に落ちます」

「満足度? そんな数字で飯が食えるか? 大事なのは回転率だ。質より量だ」


 鬼島は私の目の前に顔を近づけ、嘲笑った。


「篠崎。お前、自分が特別な仕事をしてると勘違いしてないか?」

「……どういう意味でしょう」

「電話を受けて、マニュアル通りに答える。そんなもん、**『誰でもできる仕事』**なんだよ。いや、今の時代ならAIの方がよっぽど優秀だ。感情もないし、文句も言わないし、24時間働いてくれるからな」


 心臓が冷たくなるのを感じた。

 私がこの十年間、喉を枯らし、耳を痛め、心をすり減らして積み上げてきた技術と誇り。

 それを、この男は「誰でもできる」「AI以下」と言い捨てた。


「お前らの代わりなんていくらでもいる。AI導入までの繋ぎだと思って雇ってやってるんだ。……嫌なら辞めていいぞ? どうせ**『生産性が低い』**お荷物社員はいらないからな」


 悔しさで、爪が掌に食い込む。

 だが、ここで感情的に反論しても、彼は「ヒステリーな女だ」と笑うだけだろう。

 論理には論理を。

 数字には数字を。

 そして、命令には絶対の服従を。


 ふと、私の中で何かが焼き切れる音がした。

 それは「良心」という名の安全装置だったかもしれない。


 私はゆっくりと息を吐き出し、表情筋から力を抜いた。

 怒りも、悲しみも、やる気も、すべてを心の奥底にあるゴミ箱へとドラッグ&ドロップする。


「……承知いたしました」


 私は能面のような顔で答えた。


「3分ですね。1秒たりともオーバーせず、必ず通話を終了させます。それがセンター長の業務命令ということで、よろしいですね?」

「おう、そうだ! 最初から素直にそう言えばいいんだよ」


 鬼島は満足げに頷き、自分の個室へと戻っていった。

 残されたフロアには、重苦しい沈黙が漂っている。

 隣の席の後輩が、泣きそうな顔で私を見ていた。


「し、篠崎さん……本当にやるんですか? 3分で切るなんて……」

「やるわよ。だって、命令だもの」


 私はモニターの設定画面を開き、通話タイマーのアラート設定を変更した。

 『180秒』で強制的に警告音が鳴るようにセットする。

 さらに、手元のスクリプト(台本)を開き、共感を示すための言葉――「お困りですね」「心中お察しします」といったフレーズを、黒のボールペンで塗りつぶし始めた。


「コストセンターらしく、徹底的にコストを削減しましょう。感情というコストをね」


 人間であることをやめる。

 それは案外、簡単なことかもしれない。

 ただ、目の前の相手を「人」だと思わなければいいのだから。


 ヘッドセットを装着し直す。

 着信音が鳴った。

 私は機械的な指つきで「応答」ボタンを押した。


「お電話ありがとうございます。ネクスト・クラウド、担当の篠崎です」


 声のトーンは一定。抑揚なし。

 私の瞳には、もう光は宿っていなかった。

 さあ、3分間のカウントダウンの始まりだ。


 午後一時。

 私のモニターの右下にあるデジタル時計が、無機質に時間を刻んでいる。


 『02:50』


 ヘッドセットの向こうでは、中年女性が悲痛な声を上げていた。


「だ、だからね、今月の請求がおかしいのよ! 二重に引き落とされてるの! 生活費がかかってるのよ、早く調べてちょうだい!」

「左様でございますか。ご請求内容の確認には、お時間を頂戴いたします」


 私の声は、氷のように冷たく、一定のトーンを保っていた。

 以前の私なら、「それはご不安ですよね、すぐに調査します」と声を弾ませ、最優先で経理部と連携を取っていただろう。

 だが、今は違う。


 『02:58』


 残り二秒。

 女性はまだ必死に訴えている。

 「ねえ、聞いてるの? 来週の支払いが……」


 『03:00』


 時間だ。

 私はためらうことなく、マウスの人差し指に力を込めた。


 カチッ。


 プツン、ツーツー。


 電子的な切断音と共に、女性の声は強制的に遮断された。

 解決もしていない。調査もしていない。ただ、こちらの都合で回線を引っこ抜いたに等しい行為。

 通常なら懲戒ものの暴挙だ。


 だが、私は涼しい顔で「対応完了」のボタンを押し、ステータスを「待機中」に戻した。

 すぐに次の着信が入る。


「お電話ありがとうございます。ネクスト・クラウドです」

「おい! さっきいきなり切れたぞ! どうなってんだ!」


 先ほどの女性がかけ直してきたのだ。怒号が耳をつんざく。


「申し訳ございません。電波状況が悪かったのかもしれません」

「ふざけるな! 名前を言え! 責任者を出せ!」

「担当は篠崎です。責任者は不在です。お問い合わせ内容は請求についてですね。マニュアルのQ&Aをお読みください」

「だから読んでわかんないから電話してんだろ!」


 私はチラリとタイマーを見る。

 再入電リコール扱いになったため、またゼロから3分のカウントが始まっている。

 彼女がどれだけ怒鳴ろうが、3分経てばまた切るだけだ。

 それを繰り返せば、いずれ彼女は諦めるか、疲れて電話をしてこなくなる。

 それが、鬼島センター長の望む「効率化」だ。


 私の背中を見ていた後輩たちが、ざわめき始めているのがわかった。

 あの「仏の篠崎」と呼ばれた私が、客の話を遮り、無慈悲にガチャ切りしている。その事実に動揺しているのだ。


「……篠崎さん、本当にいいんですか?」


 隣の席の新人、牧野が震える声で聞いてきた。

 私はモニターから目を離さずに答えた。


「牧野さん。今の通話、何分だった?」

「え、あ、3分ジャストでしたけど……」

「完璧ね。センター長の指示通りよ。あなたもやりなさい。心を殺して、指先だけで仕事をするの」


 牧野はゴクリと喉を鳴らし、かかってきた電話を取った。

 最初は躊躇していたが、私の「切って」という冷たい視線に促され、震える手で切断ボタンを押した。


 カチッ。


 一度やってしまえば、それはただの作業になる。

 罪悪感は、マニュアルという免罪符によって麻痺していく。

 次第に、フロア中に伝染していった。


 カチッ、カチッ、カチッ。


 謝罪の言葉よりも、マウスをクリックする乾いた音の方が多くなってきた。

 数百人のオペレーターが、ベルトコンベアの流れ作業のように、顧客からのSOSを3分ごとにゴミ箱へ廃棄していく。

 そこはもう、コールセンターではない。

 言葉の屠殺場だった。


 午後五時。

 鬼島センター長が、上機嫌でフロアに現れた。

 手にはタブレットを持っている。


「おい、みんな聞け! 素晴らしいぞ!」


 鬼島が大声を上げた。


「今日の平均処理時間(AHT)、なんと2分50秒だ! 先月の15分から劇的な短縮だぞ! 応答率も98%! 待ち時間ゼロだ!」


 彼は数字しか見ていない。

 その数字の裏に、どれだけの怒りと絶望が積み上げられているかなど、想像もしない。


「やればできるじゃないか! 今までお前らがどれだけサボっていたか、これではっきりしたな。ダラダラ喋ってないで、最初からこうすればよかったんだ」


 鬼島は私の席まで歩いてきて、バンと背中を叩いた。


「特に篠崎! お前が一番数字がいいぞ。処理件数トップだ。さすがリーダー、意識が変われば行動も変わるもんだな」

「ありがとうございます。すべてセンター長のマネジメントのおかげです」


 私は能面のような笑顔で答えた。


「だろ? 俺の言うことは絶対なんだよ。……おい、なんだその画面は」


 鬼島が私のサブモニターを指差した。

 そこには、SNSのリアルタイム検索画面が表示されていた。

 キーワードは『ネクスト・クラウド』『サポート』『最悪』。


 画面は、滝のような速度で更新されていた。


 『ネクストクラウドのサポート、マジでゴミ。話の途中で切りやがった』

 『3回かけ直しても3回とも切られた。これ着信拒否か?』

 『AIのほうがマシってレベルじゃない。人間がロボットの真似してるみたいで気味が悪い』

 『解約しようと思ったら解約方法もわからんし、電話も繋がんないし(繋がっても切れるし)、消費者センターに通報した』


 炎上。

 それも、ボヤ騒ぎではない。大火災だ。

 サポートの劣悪さが拡散され、トレンド入りすら果たしている。


「あ、ああん? なんだこれ。SNSで騒いでるのか?」


 鬼島が眉をひそめた。


「放っておけ放っておけ。ネットの愚痴なんて便所の落書きだ。実際の解約数は増えてないんだろ?」

「はい、今のところは」


 当たり前だ。解約の手続きすらさせずに電話を切っているのだから、数字上の解約は発生しない。

 それはダムが決壊する寸前の、見せかけの静けさに過ぎない。


「なら問題ない。むしろ、話題になって宣伝効果があるくらいだ」


 鬼島は本気でそう思っているらしい。

 想像力の欠如。

 現場を知らないコンサルの末路。

 彼は気づいていない。顧客の怒りが、SNSという枠を超えて、もっと物理的で致命的な場所へ飛び火しようとしていることに。


「センター長。一つご報告があります」


 私は淡々と切り出した。


「先ほどから、システムのアラートが断続的に鳴っています。サーバーへのアクセス負荷が急上昇しているようです」

「サーバー? インフラ部隊の仕事だろ。俺たちには関係ない」

「いえ、それが……お問い合わせの内容が、『ログインできない』『データが消えた』というものに急変しています。おそらく、大規模障害の前兆かと」


 その時だった。

 フロアの照明が一瞬明滅し、赤い回転灯が回り始めた。

 緊急事態発生のアラームだ。


「な、なんだ!?」

「センター長! インフラ部から緊急連絡です! メインサーバーダウン! 全サービス停止しました!」


 牧野が悲鳴のような声を上げた。

 直後、フロア中の電話が一斉に鳴り響いた。

 ジリリリリリリリリッ!

 数千、数万の顧客からの、怒りの電話だ。


「おい篠崎! どうするんだこれ! パンクするぞ!」

「落ち着いてください、センター長」


 私は冷静にヘッドセットを直した。


「マニュアル通りに対応すればいいだけです。……ああ、そうでした」


 私は鬼島に向かって、冷たく微笑みかけた。


「現在、緊急事態につき、お客様一人ひとりの事情を確認し、安否やデータの状況をヒアリングする必要があります。通常なら一件につき二十分はかかるでしょう」

「だったら早くやれ! 丁寧に対応しろ!」

「いいえ、できません」


 私はモニターのタイマーを指差した。


「今のルールは『3分で切断』です。これは絶対厳守、でしたよね?」

「ば、馬鹿野郎! 今は非常時だぞ! 柔軟に対応しろ!」

「柔軟? いえいえ、そんな個人の裁量を入れたら『生産性が下がる』じゃないですか」


 私は着信ボタンを押した。

 相手は、大手銀行のシステム担当者だ。怒りで声が震えているのがわかる。


「おい! どうなってる! ウチの顧客データが見られないぞ! 損害賠償ものだぞ!」

「お電話ありがとうございます。現在、システム障害が発生しております」

「いつ直るんだ! 原因はなんだ! 責任者を出せ!」


 私はチラリとタイマーを見た。


 『00:30』


「申し訳ございません。原因は調査中です。復旧の目処は立っておりません」

「ふざけるな! もっと詳しく説明しろ!」

「マニュアルにないことはお答えできません」

「お前じゃ話にならん! 上司に代われ! 今すぐだ!」


 鬼島が私の横で、必死に「代わるな! 適当にあしらえ!」とジェスチャーをしている。責任を取りたくないのだ。

 私は小さく頷き、顧客に告げた。


「上司は席を外しております。……あ、お時間ですね」


 『03:00』


「3分経過しましたので、通話を終了させていただきます。ご利用ありがとうございました」


 カチッ。


 ツーツーツー。


 私は数億円規模の取引先との電話を、一方的に切断した。

 鬼島の顔色が、土気色に変わっていく。


「き、貴様……相手は銀行だぞ……! 切っていい相手じゃ……」

「おや? 『客が誰だろうが関係ない』と仰いましたよね?」


 私は次々と鳴る電話を取り、そして3分ごとに切り捨てていく。

 病院、官公庁、インフラ企業。

 社会を支える重要顧客たちを、平等に、機械的に、マニュアル通りに切り捨てる。


 それは、ネクスト・クラウドという会社の信用を、秒単位でミンチにしていく作業だった。

 鬼島が震える手で自分の頭を抱えた。


「やめろ……やめてくれ……」

「止まりませんよ、センター長。私はAI以下のボットですから。プログラム通りに動くことしかできないんです」


 さあ、本当の地獄はこれからだ。

 私はSNSの画面を横目で見た。

 『#ネクストクラウド倒産』というハッシュタグが、トレンド1位に躍り出たところだった。


 午後六時。

 コールセンターは、戦場と化していた。

 ただし、それは一方的な虐殺場だ。

 絶え間なく鳴り響く着信音。

 それに応答し、3分きっかりで切断するオペレーターたちの無機質な声。

 そして、SNSとネットニュースで拡散される『ネクスト・クラウド、顧客対応拒否』の見出し。


 鬼島センター長は、真っ青な顔でフロアを右往左往していた。


「お、おい! 切るな! 銀行からの電話は切るなと言っただろ!」

「判別できません」


 私はモニターから目を離さずに答えた。


「センター長が『コスト削減のためCTI(着信振り分けシステム)のランク付け機能を切れ』と指示されたので、相手が重要顧客か一般客か、電話に出るまでわかりません」

「だ、だったら出た瞬間に判断しろ!」

「判断には時間がかかります。3分以内に終わらせるには、平等に切るしかありません」


 カチッ。

 私はまた一件、医療機関からの悲鳴を切り捨てた。


「あああああ! もういい! 俺が出る!」


 鬼島が私の横から割り込み、ヘッドセットを奪おうとした。

 その時だった。

 オフィスの自動ドアが、重々しい音を立てて開いた。


 そこに立っていたのは、数名の秘書と弁護士を引き連れた、ネクスト・クラウドの社長だった。

 普段は雲の上の存在である社長が、作業着のような防災服を着て、鬼の形相で立っている。


 フロアの空気が、一瞬で凍りついた。

 着信音だけが、空気を読まずに鳴り響いている。


「しゃ、社長……!? なぜここに……」


 鬼島が硬直した。

 社長は無言で歩み寄り、鬼島の前で立ち止まった。

 その目には、明確な殺意が宿っていた。


「鬼島。現状の報告を」

「は、はい! 現在、大規模なシステム障害により入電が殺到しておりまして……現場のオペレーターたちがパニックを起こし、勝手な対応をしているようで……」


 息をするように嘘をつく。

 部下のせいにする。この男の生存本能だけは優秀だ。


「勝手な対応、だと?」

「ええ! 私が『丁寧に対応しろ』と言っているのに、彼らが勝手に電話を切ったり、マニュアル通りのことしか言わなかったりで……教育不足で申し訳ありません!」


 社長の眉がピクリと動いた。

 後ろに控えていた弁護士が、タブレットを社長に手渡す。


「鬼島。先ほど、メガバンクの頭取から私の携帯に直接電話があった」


 社長の声は、震えるほど低かった。


「『御社のサポート担当に、3分経ったからという理由で電話を切られた。復旧の目処も教えない。こんなふざけた会社とは取引できない』とな」

「そ、それは……担当者が勝手な判断を……」

「さらに、大学病院からも連絡があった。『電子カルテが見られず、命に関わる事態なのに、担当者がロボットのような対応しかしない。損害賠償を請求する』そうだ」


 社長はタブレットを鬼島に突きつけた。


「損害賠償請求額、概算で60億円だ。この数時間でな」


 60億円。

 鬼島の喉から、ヒュッという空気が漏れる音がした。

 コスト削減で浮かせた人件費など、誤差にもならない天文学的な数字。


「わ、私のせいではありません! こいつらが! この篠崎たちが無能だから!」


 鬼島が私を指差して叫んだ。


「こいつらはAI以下のゴミなんです! 私の指示を理解できず、臨機応変な対応ができないコストセンターの豚どもなんです!」


 フロア中のオペレーターが、悔しさに唇を噛む。

 だが、私は静かに立ち上がった。

 そして、自分のデスクにある「録音再生ボタン」を押した。


 ――『CSはな、会社にとってただのコストセンターなんだよ』

 ――『3分を超えたら、どんな状況でも通話を切れ。強制終了だ』

 ――『解決なんてしなくていい。謝れば済む』


 鬼島の声が、大音量でフロアに響き渡った。

 本人の声だ。言い逃れようのない、明確な業務命令。


「な……っ!?」


 鬼島が目を見開き、私を見た。


「き、貴様……録音していたのか……?」

「職業病ですので」


 私は冷静に答えた。


「私たちは『言った言わない』のトラブルを防ぐため、全ての通話を記録しています。当然、フロア内でのセンター長の指示も、業務の一環として記録させていただきました」


 さらに、私は一冊のファイルを社長に差し出した。


「こちらは、今朝センター長が配布した『新・対応マニュアル』です。ここには明記されています。『いかなる場合も3分で切断すること』『個人の裁量による対応は懲戒処分の対象とする』と」


 社長がファイルをひったくるように読み、震える手でそれを閉じた。

 そして、鬼島を睨みつけた。


「……これが、お前の言う『教育』か?」

「ち、違います! それはあくまで平常時の指針であって、非常時は……」

「非常時だからこそ、現場はマニュアルに縋るしかないんだろうが!」


 社長の怒号が飛んだ。


「お前は人間の心をなんだと思っている! 顧客も、従業員も、数字じゃないんだぞ! 信頼を築くのに十年かかるが、崩れるのは一瞬だ。お前はその一瞬を、自らの手で作り出したんだ!」


 社長の拳が、鬼島の頬にめり込んだ。

 殴打音が響き、鬼島が床に無様に転がる。

 パワハラ?

 いいえ、これは企業のトップとしての、最低限の自浄作用だ。


「く、首だ……今すぐ出て行け!」

「ま、待ってください社長! 60億ですよ!? 私一人で背負えるわけがない!」

「安心しろ。背負わせるさ。退職金はもちろん没収、特別背任で告訴も検討する。お前の人生をかけて償ってもらう」


 弁護士たちが、抵抗する鬼島を両脇から抱え上げた。

 さっきまで「俺の言うことは絶対だ」と踏ん反り返っていた男が、今はゴミ袋のように引きずられていく。


「篠崎! 助けてくれ! お前ならなんとかできるだろ!? なんとか言ってくれ!」


 往生際悪く叫ぶ元上司。

 私は彼に向かって、丁寧に、そして最高の笑顔で、彼が作ったマニュアル通りの言葉を贈った。


「申し訳ございません。マニュアルにないので、お答えできません」


 鬼島の絶望した顔が、エレベーターの扉の向こうに消えた。


 フロアに静寂が戻る。

 社長が肩で息をしながら、私に向き直った。


「……篠崎くん、だったか」

「はい」

「すまなかった。現場にこれほどの負担を強いていたとは。……今からでも、顧客対応を頼めるか? 君たちの力が必要だ」


 社長が頭を下げた。

 周囲のオペレーターたちが、期待の眼差しで私を見ている。

 リーダーである私が号令をかければ、まだ最悪の事態は防げるかもしれない。


 だが。

 一度壊れた心は、謝罪一つでは戻らない。


 私は首から下げていた社員証を外し、デスクの上に置いた。


「お断りします」

「……え?」

「私たちは人間です。コストではありません。一度『AI以下』と烙印を押された私たちは、もう以前のような心からの笑顔で、お客様に『寄り添う』ことはできません」


 私はデスクの私物をまとめた。


「それに、今回の炎上で、私の本当の価値に気づいてくれた企業がありまして」

「ま、待ってくれ! 給料は上げる! 待遇も改善する!」

「お金の問題ではありません。……社長、ご存知ですか?」


 私はオフィスの出口で立ち止まり、振り返った。


CSカスタマーサポートの本当の意味は、『顧客満足』だけではありません。『会社を救う(Company Savior)』でもあるんです。貴社は今日、その救世主を全員失いました」


 私の合図と共に、フロアにいた数百人のオペレーターたちが一斉にヘッドセットを外した。

 カチャリ、カチャリという音が、連鎖反応のように広がる。

 それは、ネクスト・クラウドという会社の終わりの音だった。


「それでは、失礼いたします」


 私は清々しい気持ちで自動ドアを抜けた。

 外に出ると、夕焼けが街を赤く染めていた。

 スマホを見ると、ライバル企業である外資系クラウド会社のCEOからメッセージが届いている。


 『君のチーム全員を受け入れたい。最高のホスピタリティを持つ君たちに、最高の環境を用意する』


 私は小さくガッツポーズをした。

 もう、3分のタイマーに怯える必要はない。

 これからは、心ゆくまでお客様と向き合い、本当の意味での「仕事」ができる。


 私は大きく息を吸い込み、新しい未来へと歩き出した。

 背後で鳴り止まない電話の音は、もはや私には関係のない、遠い世界の出来事だった。


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