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エピソード2-29 :空白の死神、あるいは飢餓の臨界

 

「星時計の騎士団」との戦いに備え、アリスが下した非情な宣告――それは、シフォンに対する「一切の糖分摂取の禁止」だった。

 それは単なる罰ではありませんでした。精神の安定の要素を外部(糖分)に依存するシフォンの回路を飢餓状態に追い込み、彼女の奥底に眠る「原初の生存本能」を強制的に引き出すという、アリス流の極限実験でもあった。

 

 

 禁欲生活が始まって一週間。

 シフォンの姿は、見るに堪えないものへと変わり果てていました。

 • 身体的兆候:

 • 肌の血色が失われ、陶器のような不気味な白さへ。

 • 焦点の定まらない瞳。

 • 指先の絶え間ない震え。

 • 精神的兆候:

 • 言語能力の著しい低下(「……あまい……」「……しろい……」以外の語彙の消失)。

 • 周囲に対する無反応。

 

「……アリスさん、もうやめてあげてください! シフォンさんが壊れてしまいます!」

 

 離宮の静かな一室で、アリアはアリスに詰め寄る。

 アリアの手には、せめてもの情けにと焼いた、砂糖抜きのパサパサしたクラッカーがありましたが、今のシフォンはそれを見つめることすらできない。

 

「甘いわね、アリア。彼女は『死神』として造られた。その本質は、エネルギーを奪い、変換し、破壊することにある。今の彼女は、外部からの供給を絶たれ、自分自身の存在を燃焼させている最中よ」

 

 アリスは冷徹に、端末のグラフを見つめていた。

 シフォンの魔力残量は、理論上の「生存限界デッドライン」を割り込み、未知のマイナス領域へと突入しようとしていた。

 

 その夜。

 月のない闇を切り裂き、四条の銀光が離宮へと飛来してきた。

 

「星時計の騎士団」が送り込んだ刺客、『クロノス・ハウンド』

 

 彼らは大司教のような肥大化した欲望を持たず、ただ「効率的な抹殺」のために調整された、静かなる機械の暗殺者たちだった。

 

「……ターゲット確認。ロザリス公女、および実験体シフォン。……排除を開始する」

 

 リリィが即座に反応し、迎撃に出ますが、敵の狙いは「空白」となったシフォンだった。

 アリアは震える手で細剣を抜き、ベッドでうずくまるシフォンの前に立ち塞がる。

 

「……シフォンさんには、指一本触れさせません!」

 

 アリアの細剣と、猟犬の放つ高周波ブレードが激突する。

 特訓の成果により、アリアは数撃を凌ぎましたが、相手は感情のない完成された殺人機械。徐々にアリアの防御が崩され、銀の刃が彼女の肩を浅く切り裂く。

 

「……っ……!」

 

 赤い血が、床に点々と落ちます。

 その瞬間。

 死んだように横たわっていたシフォンの指先が、ピクリと動きだす。

 

「……アリアの、……匂い。……鉄の、……匂い」

 

 シフォンがゆっくりと、機械人形のようなぎこちなさで立ち上がる。

 その瞳にはハイライトが一切なく、ただ底なしの闇が広がっている。

 彼女の魔力回路が、糖分という燃料を失った果てに、「周囲のあらゆるエネルギーを無差別に食らう」という、禁忌の変換効率へと変異したのです。

 

「……お腹、……空いた。……全部、……食べて、……いい?」

 

 シフォンの背後から、黒い「何か」が溢れ出してきた。

 それは影ではなく、光すらも吸い込む、物理的な「虚無」の触手。

 襲いかかったクロノス・ハウンドが、その虚無に触れた瞬間――。

 金属の悲鳴が上がる間もなく、機械の身体から「駆動魔力」が、そして「素材の構造エネルギー」までもが、瞬時にシフォンへと吸い取られていった。

 銀色の暗殺者が、一瞬で色褪せ、ただの灰となって崩れ落ちていく。

 

「……警告。シフォン様の熱源反応が消失。……いえ、周囲の熱を全て吸収しています。……このままだと、離宮全体が凍結します!」

 

 リリィの声が響く中、シフォンは音もなく宙に浮く。

 彼女は「死神」というカテゴリーを超え、宇宙の終焉を体現する『虚無の特異点』へと変異していく。

 

 残る三体の刺客が、危機を察知して一斉に最大出力を解放する。

 しかし、彼らが放つレーザーも、蒸気圧による突進も、シフォンの周囲数メートルに展開された「空白地帯」に触れた瞬間、その運動エネルギーを奪われて霧散します。

 

「……足りない。……もっと、……よこせ」

 

 シフォンが虚空を掴むと、空間がひしゃげ、刺客たちが磁石に吸い寄せられるように彼女の手元へと引きずり込まれる。

 彼女は愛槍さえ使わなかった。

 ただ、その白い指先で機械の頭部に触れるだけで、数百年維持されるはずの鋼鉄が、数秒で朽ち果て、砂へと還す。

 圧倒的な、そして静かなる蹂躙。

 そこにいたはずの「星時計の刺客」たちは、その存在の痕跡すら残さず、シフォンの空腹を満たすための「餌」として消滅した。

 

 敵が全滅した瞬間、シフォンの身体から黒いオーラが消え、彼女は力なくアリアの腕の中へと倒れ込む。

 

「……シフォンさん! シフォンさん!」

 

 アリアの叫びに、アリスが背後からゆっくりと近づき、シフォンの頸動脈にバイタルセンサーを当てた。

 その顔には、これまで見たこともないような、満足げな、そして少しだけ畏怖の混じった笑みが浮かんでいる。

 

「……成功ね。魔力に依存しない、空間そのものを食らう新世代の駆動形式。……これが、真の『死神』の姿というわけね」

「そんなこと、どうでもいいです! アリスさん、約束です! もういいでしょう!?」

 

 アリスはふん、と鼻を鳴らし、懐から一本の「特製・高濃度ブドウ糖入りチョコレートバー」を取り出す。

 アリアがそれを急いで開封し、シフォンの口元へ運ぶ。

 

「……あ。……あま、……い」

 

 一口。シフォンの瞳に、ようやく微かな光が戻る。

 二口。彼女の頬に、いつもの柔らかな赤みが差す。

 

「……アリア。……クッキー、……十枚。……いや、……百枚」

「はい、はい! いくらでも焼きますから! だから、もうあんな顔をしないでください……」

 

 アリアは涙を流しながら、シフォンを強く抱きしめる。

 極限状態で見せた、世界を凍りつかせるような力。

 けれど、甘いチョコレート一本で満足そうに微笑むその少女は、やはりアリアにとって、かけがえのない「シフォン」そのものだった。

 

 翌朝、アリスは一人、ラボで録画データを見返している。

 シフォンが発現させた力は、かつてヴィオラが追い求めた「究極の適応」に近いものだった。

 

「……星時計の騎士団。これでもまだ、彼女たちを『誤差』と呼ぶかしら?」

 

 アリスは、次の遠征先である「辺境」の地図を広げる。

 そこには、今回の覚醒をさらに確固たるものにするための、次なる試練の場所が記されていた

 しかし、その前に。

 

「……リリィ。地下倉庫から最高級の砂糖を全部出しなさい。……死なれたら、次のデータが取れないからね」

 

 アリスなりの、不器用で冷徹な「お祝い」が始まろうとしていた。

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