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エピソード2-24:銀輪の胎動、あるいは静かなる報復の序曲

 

 狂騒のスイーツフェスティバルが、チョコレートと瓦礫の山の中で幕を閉じてから数時間が経過した。

 王都の興奮は恐怖へと変わり、夜の帳が下りると同時に、街は不安な静寂に包まれていた。だが、その静けさの裏側で、三つの異なる場所で、新たな物語の歯車が音を立てて回り始めていた。

 

 

 王宮の離宮、アリアの寝室。

 月明かりだけが頼りの薄暗い部屋で、アリアはベッドの端に腰掛け、自身の両手を見つめていた。

 震えが、まだ止まらない。

 

(……あの時。私は、確かに……)

 

 脳裏に蘇るのは、襲いかかる魔導人形の無機質なレンズの輝きと、それを貫いた時の、硬く、重い手応え。

 アリスとの特訓で何度も木人を相手にしてきたが、実戦の空気は別物だった。一歩間違えれば、自分が、あるいは守ろうとした子供が、肉塊に変わっていたかもしれないという恐怖。

 だが、それと同時に、彼女の胸の奥底には、奇妙な高揚感が渦巻いていた。

 

「……守れた」

 

 小さな呟きが、部屋の空気に溶ける。

 誰も傷つけたくないという願いと、傷つけてでも守らなければならないという現実。その狭間で、アリアは初めて「戦い」の当事者となったのだ。

 

「……アリア。……起きてる?」

 

 扉が音もなく開き、シフォンが姿を現した。彼女はアリアの隣に座ると、何も言わずにその震える手を両手で包み込んだ。

 

「……シフォンさん。私、怖かったのです。でも……嬉しかった」

 

 アリアは、シフォンの体温を感じながら、素直な心情を吐露した。

 

「今まで私は、あなたの背中を見てばかりでした。あなたが傷つくのを、ただ祈って待つことしかできませんでした。……でも今日は、ほんの少しだけ、あなたの隣で戦えた気がしたのです」

 

 シフォンは少し驚いたように目を瞬かせ、それから、アリアの肩にコツンと頭を預けた。

 

「……アリアは、……すごい。……私より、……ずっと勇敢」

「いいえ、まだまだです。……もっと強くならなければ。あなたが安心して背中を預けられるくらいに」

 

 アリアは空いている方の手で、サイドテーブルに置かれた細剣の柄を握りしめた。その掌には、もう迷いの冷たさはなく、確かな決意の熱が宿っていた。

 

 同時刻。王都の時計塔最上層、アリスのプライベート・ラボ。

 そこは普段、彼女の趣味の空間だが、今夜は氷点下の怒りが充満する作戦司令室と化していた。

 

「……分析完了。……信じられないわ。本当に、最低最悪のセンスね」

 

 アリスは、メインモニターに表示された複雑な回路図を睨みつけていた。それは、昼間にアリアが破壊した魔導人形から回収したデータチップの解析結果だった。

 

「……報告。アリス、対象の魔力波長は、アンバー・ノアの系列とは完全に異なります。……これは、もっと古く、そして純粋な機械技術メカニクスです」

 

 リリィが、傍らで補足情報を読み上げる。

 

「ええ、そうね。魔力を動力源としつつも、その制御系は全て物理的な歯車と演算機で構成されている。……『前時代』の遺物よ。私たちが生まれるずっと前、この国がまだ魔法より機械を信奉していた時代の亡霊」

 

 アリスはコーヒーカップを乱暴に置いた。カチャン、と乾いた音が響く。

 

「……問題はそこじゃないわ。……奴らは、私の完璧な計算を狂わせた。市民の幸福度指数のデータ収集を妨害し、あまつさえ、私が厳選した最高級のチョコレートを泥まみれにした」

 

 アリスの声は低く、静かだった。だが、その瞳の奥には、どんな高熱の炎よりも熱い、冷徹な憤怒が渦巻いていた。

 

「……許さない。私の『完璧な一日』を台無しにした罪は、万死に値するわ」

 

 アリスはキーボードを叩き、王都の地下構造図を呼び出した。

 

「……リリィ。王都の地下水路、さらにその下層にある、封鎖された旧時代の配管区画をスキャンして。……ネズミの巣穴を見つけ出すわよ」

「……了解オーダー。アリス、あなたの報復プロトコルへの移行を確認しました。……敵対組織に、同情します」

 

 天才魔導技師のプライドを傷つけた代償は、高くつくことになる。

 

 王都の地下深く。下水道のさらに下層、忘れ去られた古代の遺跡が眠る空間。

 湿った空気と、油の匂いが混じり合う暗闇の中で、規則正しい機械音が響いていた。

 カチリ、カチリ、と歯車が噛み合う音。

 そこには、ぼろぼろのローブを纏った数人の人物が集まっていた。彼らの体の一部は、真鍮や鋼鉄の義肢に置き換わっており、その隙間から精巧なゼンマイ仕掛けが覗いている。

 

「……『試金石』の投入結果を報告せよ」

 

 祭壇の中央、巨大な時計仕掛けの御神体の前に立つ、ひと際大きな影が問うた。組織の指導者、『大司教クロックワーク・ビショップ』と呼ばれる男だ。

 

「……はっ。地上での騒乱は成功。治安維持部隊の反応速度は想定内。……しかし、二つのイレギュラーを確認しました」

 

 報告者が、昼間の映像データを投影する。そこに映し出されていたのは、銀色の槍を振るうシフォンと、細剣で人形を貫くアリアの姿だった。

 

「……かつてアンバー・ノアが造り出した『死神』の個体。そして、もう一人は……魔力を持たぬはずの、ロザリス家の公女です」

 

 大司教の義眼である左目が、ギョロリと回転し、アリアの姿を拡大した。

 

「……興味深い。魔導変成武装か。……有機生命体の脆弱さを補う、浅知恵の産物だな」

 

 彼らの組織の名は、『銀輪の使徒アーキタイプ・ギア』。

 魔法という不確定な力や、肉体という脆弱な器を否定し、全てを完璧な機械仕掛けに置き換えることを至上命題とする、狂信的な技術者集団。

 彼らにとって、アンバー・ノアのような生物実験は「汚らわしい魔改造」であり、地上の人間たちは「非効率な旧式」でしかなかった。

 

「……我々の悲願、素晴らしき『機械化世界ギア・ワールド』の実現には、地上の掃除が必要だ。……あの公女、そして死神。……我々の計画の、最初の排除対象として設定せよ」

 

 大司教の宣告と共に、地下空間の至る所で、無数の赤いレンズが一斉に輝き出した。

 

 翌朝。離宮のテラス。

 いつもの優雅なティータイムの光景だが、テーブルの上に広げられているのはお菓子ではなく、王都の地下詳細図だった。

 

「……というわけで、敵の正体は『機械かぶれの懐古主義者』たちよ。アリアを襲ったのも、彼らの仕業ね」

 

 アリスが簡潔に状況を説明する。徹夜したにも関わらず、その表情は復讐心で生き生きと輝いていた。

 

「……地下。……暗い。……狭い。……嫌い」

 

 シフォンが不満げにマドレーヌをかじる。

 

「文句を言わないの。あんたの分のクレープを弁償させるためにも、根城を叩き潰す必要があるのよ」

 

 アリスの言葉に、アリアが静かに手を挙げた。

 

「……アリスさん。今回の調査、私も同行させてください」

 

 その場の空気が止まった。シフォンが食べる手を止め、アリアを見る。

 

「……アリア。……危ない。……地下は、……私がやる」

「いいえ、シフォンさん。昨日の襲撃で、彼らは私の顔を見ました。私はもう、彼らにとっての『標的』なのです」

 

 アリアは毅然とした態度で、シフォン、そしてアリスを見据えた。

 

「それに……私はもう、守られているだけの存在ではありません。自分の身は自分で守り、そして、あなたたちの力になりたいのです」

 

 アリスは少しの間、アリアの瞳をじっと覗き込んだ後、フッと笑った。

 

「……いい目をするようになったじゃない。ヴィオラがいたら、きっと泣いて喜んだでしょうね」

 

 アリスは地下地図の一点を指し示した。

 

「……いいわ、アリア。あなたの『実地試験』、開始よ。……リリィ、突入ルートの最終確認を」

「……了解オーダー。王都地下、旧第三区画への侵入経路を確立します」

 

 春の陽気とは裏腹に、少女たちの新たな戦いが、暗い地底で始まろうとしていた。

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