エピソード2-23:砂糖菓子の狂騒、あるいは公女の初陣
王都の春は、狂気にも似た甘い香りに包まれていた。
かつて「死神」が闊歩し、琥珀の陰謀が渦巻いたこの街は今、一人の天才魔導技師の個人的な趣味と実益(主にストレス解消)によって、前代未聞の祝祭空間へと変貌を遂げていた。
「……報告。現在、中央広場の糖分濃度は致死量の 30% 手前で安定。市民の幸福度指数は計測不能レベルまで上昇中。……完璧ね」
王都中央広場を見下ろす時計塔の頂上。仮設の司令部で、アリスは腕を組み、眼下に広がる光景を満足げに見下ろしていた。
彼女が仕掛けた「王都春季大スイーツフェスティバル」。
それは単なる祭りではなかった。アリスの天才的な頭脳が、軍事作戦と同レベルの情熱で「いかに効率よく、高品質な甘味を、全市民に供給するか」に注がれた結果の産物である。
広場には巨大なケーキ型のパビリオンが立ち並び、噴水からは(魔法で衛生処理された)ジュースが湧き出し、空には綿あめの雲が浮かんでいる。
「……アリス。……あんた、……神様?」
地上では、シフォンが魂の抜けたような顔で立ち尽くしていた。彼女の両手には、既にクレープ、マカロン、そして山盛りの琥珀糖(リリィお手製)が抱えられている。
「神じゃないわよ、ただの主催者。……さあ、データ収集の時間よ。思う存分、血糖値を上げなさい」
アリスが通信機越しに告げると、シフォンは野生を取り戻した獣のように、露店街へと突撃していった。
「……ふふ、シフォンさん、顔にクリームが付いていますよ」
その隣で、アリアは微笑ましそうにハンカチを差し出していた。彼女の腰には、祭りの場には不釣り合いな、一本の細身の剣――アリス特製の魔導変成細剣が佩かれている。
「……アリア様。警戒レベルは最低値ですが、武装の携帯は推奨します。人混みは、予期せぬトラブルの温床ですから」
リリィが冷静に周囲をスキャンしながら、アリアの護衛に就いていた。彼女の手にも、ちゃっかりと限定版のパフェが握られている。
「ええ、分かっています。でも今日は、この平和な空気を楽しみましょう」
アリアは剣の柄に手を添え、穏やかな喧騒に身を委ねた。
これが「嵐の前の静けさ」であることに、まだ誰も気づいていなかった。
異変は、正午の鐘が鳴り響いた瞬間に起きた。
広場の中央に設置された、巨大な「魔導仕掛けのチョコレート・ゴーレム(観賞用)」が、突如として不気味な赤色に発光し始めたのだ。
「……警告。ゴーレム内部の魔力回路に、外部からの強制介入を検知。……これは、暴走プログラムです!」
リリィがパフェを捨て、二刀を抜く。
次の瞬間、ゴーレムが咆哮を上げ、周囲の露店を薙ぎ払った。飛び散る木片と、チョコレートの雨。悲鳴を上げて逃げ惑う人々によって、楽しい祭りは一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「……チッ。……私の祭りを、台無しにするなんて」
時計塔の上で、アリスが舌打ちをする。彼女は即座に端末を操作し、広場の防衛システムを起動しようとした。
「……ダメね。妨害電波が出てる。……誰かが意図的に狙ってるわ」
「……邪魔。……私のクレープ、……返せ」
地上では、シフォンが食べかけのクレープを噴水の脇のベンチへ置き、愛槍を手に取っていた。彼女の瞳から、甘い夢の色が消え、冷徹な戦士の光が宿る。
シフォンが地を蹴った。銀色の閃光が走り、暴れ回るゴーレムの腕を一本、容易く切断する。
だが、ゴーレムは再生能力を持っていた。切断面からチョコレートが泡立ち、瞬時に腕が修復されていく。
「……面倒。……核を、潰すしかない」
シフォンがゴーレムの懐に飛び込もうとした、その時だった。
破壊された露店の影から、小型の自律型魔導兵器――鋭利な刃物を持った人形たちが、逃げ遅れた子供に向かって飛び出した。
「……しまっ……!」
シフォンはゴーレムの相手で手が離せない。リリィも別の方向で市民の避難誘導に当たっている。
子供に刃が届く寸前。
一陣の風が、その間に割って入った。
キィン! と高い金属音が鳴り響く。
子供を庇うように立っていたのは、アリアだった。
彼女の手には抜身の細剣が握られ、魔導兵器の刃を正確に受け止めていた。
「……アリア様!?」
リリィが驚愕の声を上げる。
アリアの腕は震えていた。相手は小型とはいえ、人を殺すために作られた兵器だ。その膂力は、か細い公女の腕を簡単にへし折るほど強い。
だが、アリアは引かなかった。
(思い出して、アリア。アリスさんの教えを。……『力で対抗するな。魔力の流れを読んで、軌道を逸らせ』!)
アリアは歯を食いしばり、細剣に魔力を流し込んだ。刀身が微かに発光し、接触点に反発力が生まれる。
彼女は手首を返し、相手の力を利用して刃を受け流した。人形がバランスを崩し、たたらを踏む。
(今です!)
アリアは踏み込んだ。特訓で何度も繰り返した、基本にして奥義の突き。
細剣の切っ先が、人形の胸部にある動力炉を正確に貫いた。魔力光が奔り、人形はショートして動かなくなった。
「……はぁ、……はぁ、……」
アリアは肩で息をしながら、へたり込みそうになる膝を叱咤して立ち続けた。
守れた。自分の力で。
その背後で、シフォンがゴーレムの核を槍で粉砕した。チョコレートの巨体が崩れ落ち、広場に静寂が戻る。
シフォンが瞬時にアリアの元へ駆け寄った。
「……アリア、……怪我は?」
「……いえ、大丈夫です。手が少し、痺れていますが……」
シフォンは、破壊された人形と、アリアの剣を見比べた。そして、いつもより少しだけ真剣な瞳で、アリアを見つめた。
「……よくやった。……アリアは、……もう、守られるだけじゃない」
その言葉に、アリアは張り詰めていた糸が切れたように、安堵の笑みを浮かべた。
「……はい。あなたと並んで歩くために、練習しましたから」
騒動は鎮圧された。だが、時計塔のアリスの表情は険しかった。
彼女は回収した人形の残骸から、データチップを抜き出していた。
「……これは、ただの愉快犯じゃないわね」
アリスの端末に、解析結果が表示される。それは、『アンバー・ノア』とは異なる、しかし同等に危険な、未知の組織の暗号コードだった。
「王都の地下に、まだ別のネズミが潜り込んでいたみたいね。……それも、相当にたちの悪いやつが」
甘い祭りの裏側で、新たな火種が燻り始めていた。
平和な日常を守るため、機械仕掛けの少女たちと、剣を取った公女の新たな戦いが、今、幕を開けようとしていた。




