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エピソード2-7:深淵の記録、あるいはアンバー・ノア


 王都を震撼させた琥珀事件の沈静化から数週間。奪われた食糧が市場に戻り、市民が日常を謳歌する影で、アリスの「鷹の目」は微かな違和感を捉え続けていた。

 アリスは単身、王都の地下に広がる不法居住区、通りの光景から光が消える「裏社会」へと潜入した。

 

 湿った空気が肺にまとわりつく。アリスは気配を消し、腐敗した木材と石材が入り混じる廃屋の隙間を縫うように進んだ。彼女の「鷹の目」は、壁の向こう側に潜む熱源と、微弱に漏れ出す人工的な魔力波長を鮮明に映し出している。

 目的地は、かつての食糧倉庫の地下に急造された隠れ家だった。

 入り口を守る二人の私兵を、アリスは魔力消音を施した狙撃銃のストックで一撃の下に沈めた。悲鳴すら上げさせない、効率のみを追求した挙動。

 重い鉄扉の先にあったのは、時代遅れの錬金器具と、最新の魔導端末が混在する異様な空間だった。壁には『アンバー・ノア』という組織名が刻まれた紋章が掲げられている。

 アリスは端末に外部記憶媒体を接続し、内部データの走査を開始した。画面に流れる無機質な文字列の中に、彼女の眉を微かに動かす資料があった。

 

 それは、かつての研究所で「実験体」を観察していた研究員による、私的な日記形式のログだった。アリスはその一部をコピーし、内容を素早く読み飛ばした。

 

 10月12日

 Lー081(リリィ)の覚醒を確認。エルフの長寿性とホムンクルスの魔力伝導率の融合は、想定以上の数値を叩き出した。彼女は鏡に映る自分を見ても何も言わない。理想的な「器」だ。

 

 11月25日

 致命的なエラーが発生。Lー081が、研究所の庭に咲いた花を見て「綺麗だ」と発言した。情動回路の汚染が始まっている。主任は初期化を命じたが、担当の研究員数名が情を移し、処理を遅延させている。愚かなことだ。

 

 12月02日

 戦局が悪化。敵軍がこの区画へ迫っている。上層部は全実験体の廃棄を決定。しかし、Vシリーズ(Vー012)の同期テストが完了していない。Lー081は、記憶封印を施した上で外部へ遺棄することが決定した。いつか『アンバー・ノア』が再興する日のための、予備の「核」として。

 

 1月15日

 施設を爆破する。リリィ――あの個体をそう呼ぶ研究員たちの声が耳障りだ。彼女は村へ送られた。記憶を消した人形が、いつまで人間を演じられるか見ものだ。Vー012は冷却睡眠コールドスリープへ。我らの琥珀は、まだ輝きを失っていない。

 

 アリスはデータを引き抜くと、物理的な資料の束からも「実験体」に関するページを数枚抜き取った。そこにはリリィだけでなく、かつてシフォンが所属していた養成所の記録や、それらを繋ぐ巨大な組織図が描かれていた。

 背後で警報が鳴り響く。

 アリスは閃光弾を床に転がすと、爆発の余光の中に身を投じ、元来た道を音もなく逆行した。追っ手たちが視力を回復した頃には、地下街の影にアリスの姿はなかった。

 

 数刻後。王宮のアリアの執務室。

 アリスは無表情のまま、コピーした資料と端末を机に置いた。

 

「報告。琥珀事件の背後にいた組織の拠点を特定、および資料の回収を完了」

 

 アリスの声は、夜の風のように冷ややかだった。

 アリアは資料に目を通し、その内容に顔を強張らせた。リリィが「Lー081」という符号で管理され、今もなお『アンバー・ノア』という組織の再興のための部品として狙われているという事実。

 

「リリィさんと同じ『実験体』が、他にも生き残っている……。そして、彼らがリリィさんの回収を諦めていないということですね」

「肯定。Vー012と呼ばれる個体が既に覚醒し、王都へ潜入している可能性が高い。……シフォンにも伝えたわ。彼女は既に、獲物を狩る目になっている」

 

 アリスは窓の外、静まり返った王都の街並みに視線を向けた。

 

「平和は、ただの表層に過ぎない。深淵に潜む連中は、リリィの中から『人間』を削ぎ落とし、再び魔力炉の部品に変えるつもりよ」

 

 アリアは資料を握りしめ、静かに、しかし断固とした声で告げた。

 

「……させません。彼女が手に入れた『リリィ』という人生を、誰にも奪わせはしない」

 

 アリスは短く頷くと、次の隠密任務へと備えるべく、再び影の中にその身を沈めた。

 闇の組織『アンバー・ノア』。その遺志を継ぐ者たちとの、目に見えない戦争が始まろうとしていた。

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