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第34章:瓦解する平穏、槍刃の断末魔


 王都の夜空は、燃え盛る篝火と魔法の余波によって赤黒く染まっていた。

 アリアの邸宅を包囲しているのは、カルデナスの残党と、カイルの甘言に乗った軍の反乱分子。その数は数百に及び、包囲網は刻一刻と狭まっていた。

 

 

 邸宅の敷地境界線では、ヴィクトール直属の傭兵団が円陣を組んでいた。

 彼らは主不在の状況にあっても、一歩も退くことはなかった。盾を連ね、槍を突き出し、押し寄せる反乱兵を冷徹に処理していく。しかし、多勢に無勢。敵は死兵となって波のように押し寄せ、傭兵たちの疲弊は隠せなくなっていた。

 

「……持ちこたえろ! 王女殿下の盾になれ!」

 

 傭兵長の声が響く。直後、飛来した魔導火球が盾の陣列を爆砕した。悲鳴と熱風が庭園を蹂躑し、美しい芝生は瞬く間に焦げた土と肉片に覆われていく。数人の兵士がその隙を突き、邸宅の壁をよじ登り始めた。

 

 邸宅の応接室。

 アリアは窓の外から届く地響きのような喧騒に、震える指を組んで耐えていた。

 彼女がこれまで目にしてきた「武」は、規律ある演習や、審判のいる試合だった。しかし今、カーテン越しに伝わってくるのは、骨を断ち切る感触、臓器が溢れ出す音、そして死の間際に発せられる獣のような絶叫。

 剥き出しの「殺意」の熱量に、アリアの肺は押し潰されそうになっていた。

 

「アリア様、窓から離れてください」

 

 グレイスが静かに、だが鋼のような響きを持つ声で告げた。

 彼女の手には、長尺の槍が握られている。軍の名家に生まれ、戦士としての教育を叩き込まれてきた彼女にとって、この状況は「いつか来るべき時」でしかなかった。

 

「……ヴィクトール兄様の部下たちが、外で死んでいます。……私が、もっと早くカイルの企みに気づいていれば」

「……仰らないでください。今は、生き延びることだけを」

 

 その時、一階のテラス窓が凄まじい音を立てて粉砕された。

 防衛線を潜り抜けた三人の兵士が、抜剣したまま室内に転がり込んでくる。

 

「見つけたぞ、アリア王女! その首、カルデナス様へ捧げさせてもらう!」

 

 先頭の男が床を蹴った。

 グレイスの動きは、男の思考よりも速かった。彼女は槍を旋回させ、その石突きで男の顎を砕き上げた。間髪入れず、穂先を閃かせて二人目の喉を貫く。

 三人目が背後から切りかかるが、グレイスは半身でそれをかわし、柄で男の鳩尾を強打した。悶絶する敵の胸元に、冷徹に槍を突き立てる。

 

「……アリア様。目を、逸らさないでください。これが現実です」

 

 グレイスの頬に返り血が飛ぶ。

 彼女は絶え間なく襲い来る侵入者に対し、機械的な正確さで槍を振るった。

 廊下、階段、そして部屋の入り口。グレイスは空間を制圧し、アリアの周囲三メートルを絶対的な禁域とした。しかし、敵の数は減らない。窓からは次々と新たな影が飛び込み、グレイスの呼吸は次第に荒くなっていく。

 

「はぁ……はぁ……っ!」

 

 グレイスの槍が、五人目の兵士の鎧に弾かれた。疲労による僅かな精度の低下。

 その隙を逃さず、別の兵士がアリアの背後へと回り込む。

 

「アリア様、逃げて!!」

 

 グレイスが叫ぶ。だが、彼女の前にはさらに二人の敵が立ち塞がっており、助けに入ることは不可能だった。

 アリアは、自分に向かって振り下ろされる錆びた刃を、スローモーションのように見つめていた。

 恐怖は、限界を超えて「怒り」へと変わった。

 

(奪わせない。……私の平和も、皆の命も)

 

 アリアは即座に掌を広げ、兵士の胸元へ突き出した。

 

「――『ボルト・ノヴァ』!!」

 

 激しい閃光と爆音。

 兵士の体は、魔法の衝撃に耐えきれず後方の壁を突き破って吹き飛んだ。

 アリアの指先からはパチパチと青い火花が散っている。彼女は震える手を見つめることなく、再び敵へ向かって魔力を練り上げた。

 

「……グレイス。私も、戦えます」

 

 驚愕に目を見開くグレイス。その横に並び立ったアリアの瞳には、慈悲深い王女ではなく、自国を脅かす者を排除する「支配者」の意志が宿っていた。

 

「……いい目。……合格」

 

 冷たい風と共に、その声は届いた。

 砕けた窓から、銀色の流星が飛び込んできた。

 着地と同時に、室内に残っていた四人の兵士の首が、物理法則を無視した速度で宙を舞った。

 銀髪をなびかせ、血に濡れた槍を携えて現れたのは、シフォンだった。彼女はアリアとグレイスの無事を確認すると、不器用な、酷く淡い微笑を浮かべた。

 

「……待たせた。……あとは、私がやる」

 

 シフォンが庭へと飛び出した。

 それは戦いというより、一方的な間引きだった。

 カルデナスの残党が放つ矢も、魔法も、シフォンの前では無意味なノイズに過ぎない。彼女が槍を一振りするたびに、敵の陣列は枯草のように薙ぎ払われていく。

 

 数分後、邸宅の周囲を埋め尽くしていた喧騒は、静寂へと変わった。

 生き残った敵兵たちは、死神の圧倒的な武威を前にして武器を捨て、夜の闇へと逃げ散っていった。

 シフォンは静かに二人の元へ戻った。

 アリアは堪えきれず、血の匂いが漂うシフォンを強く抱きしめた。

 

「シフォンさん……! 良かった、本当に……!」

 

 シフォンはされるがままになっていたが、その視線は邸宅の正門へと向けられていた。

 そこには、逃げ出した残党とは比較にならない、統率された軍勢が姿を現していた。カルデナス本人と、重装甲を纏った正規軍。

 シフォンはアリアをそっと引き離すと、グレイスを見た。

 

「……グレイス。アリアを連れて、王宮へ。アリスやリリエル、ヴィクトールが鎮圧に向かってる、そこでクーデターの失敗の号令を……ここは私が、……蓋をする」

 

 シフォンが槍を構え直す。その背中越しに見える彼女の衣服は、既に自分のものか敵のものか判別できないほどの血に染まっていた。

 特に、胸元と膝の傷跡からは、一歩動くたびに新たな鮮血が滴り落ちている。

 グレイスはその様子を見て、声を上げそうになった。

 

(……傷が、開いている。……あんなに、血が出ているのに)

 

 しかし、シフォンの放つ「ここから先は通さない」という死神の威圧感が、グレイスの言葉を封じた。

 グレイスは唇を噛み切り、アリアの手を引いた。

 

「……行きましょう、アリア様。……シフォン様の、時間を無駄にしてはいけません」

 

 アリアはシフォンの背中に「約束ですよ」とだけ告げると、グレイスと共に走り出した。

 背後で、再び鉄の音が響き始める。

 それは、一人の少女が、一つの軍勢を食い止めるという、神話のような、あるいはあまりに残酷な消耗戦の始まりを告げる音だった。

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