表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/42

第32章:狂気の発露、あるいは完璧な駒の欠損

 

 王宮の最深部、かつては静謐な祈りの場であった小聖堂は、今やカイルの私設司令部へと変貌していた。

 整然と並べられた魔法の水面鏡には、王都各地で火の手が上がる様子や、私兵団が重要拠点を制圧していく光景が映し出されている。カイルは玉座を模した豪奢な椅子に深く腰掛け、勝利の美酒を味わうかのように、その混沌を眺めていた。

 

 

「……美しい。闘争こそが、人間に許された唯一の進化の手段だ」

 

 カイルは独りごちた。彼の瞳には、平和な王国を維持しようとするアリアやヴィクトールの努力が、停滞を招く泥泥とした不純物にしか見えていなかった。

 彼の立てた計画は完璧だった。

 国軍の動きは事前に買収した将校たちによって封じられ、ヴィクトールは負傷し、アリアの最大の牙であるシフォンは、最強の刺客コンビによって沈められたはずだった。

 

「リリエル、アリス。そろそろ報告があってもいい頃だが……」

 

 カイルは通信用の魔導具を手に取った。

 二人の暗殺者は、彼が多額の報酬と「理想の王国」という甘い言葉で釣り上げた、最高精度の「駒」だ。家を失い、行き場のない彼女たちにとって、自分こそが唯一の救世主であると、カイルは微塵も疑っていなかった。

 その時、一つの水面鏡が激しく波打った。

 王宮の正門。そこを守っていたはずの私兵たちが、次々と「見えない弾丸」によって撃ち抜かれ、あるいは「影から現れた槍」によって一瞬で命を刈り取られていく。

 

「何だ……? 誰がやっている」

 

 カイルが鏡を拡大させる。そこには、あってはならない光景が映し出されていた。

 

 爆煙の中から現れたのは、銀髪をなびかせた死神・シフォン。

 そして、その左右に立つ二人。

 一人は、異世界の火器を構え、正確無比な狙撃で私兵の指揮官を射抜くアリス。

 もう一人は、スライムの体を擬態させ、敵の影から現れては鎌のような手で首を狩るリリエル。

 三人は完璧な連携で、カイルの私兵団を紙屑のように散らしていた。

 

「……アリス? リリエル……? なぜだ」

 

 カイルの指が、椅子の肘掛けを強く握りしめた。

 裏切り。その言葉が脳裏をかすめるが、彼はそれを否定した。

 

「金か? それとも死の恐怖に屈したのか? いや、彼女たちはそんな安っぽい倫理観で動く駒ではない。私が与えた報酬は、彼女たちが一生を安泰に過ごせる額だったはずだ」

 カイルは遠隔通話の魔法を強引に起動し、アリスの耳元へ声を飛ばした。

 

「アリス! リリエル! 何をしている! 標的はアリアだと言ったはずだ。今すぐその銀髪の女を殺せ! 報酬を倍に、いや、十倍にしてやろう! 望むなら貴族の位も、豪邸も、すべて与えてやる!」

 

 通信の向こう側で、アリスが一度だけ手を止めた。

 彼女は冷たい瞳を、どこか遠くにあるカイルの視線へと向けた。

 

『……カイル。あなたの提示した「十倍の金」じゃ、このカードは買えないわ』

「カード……? 何の話だ」

『……これ。……黄金の、食べ放題チケット』

 

 今度はシフォンの声が混じる。彼女は懐から、カイルもよく知る「王家の甘味チケット」を取り出し、鏡越しに見せびらかした。

 

『カイル。……あんたのくれた金は、……食べたらなくなる。……でも、アリアのくれたチケットは、……一年間、毎日幸せをくれる。……それに、あんたの報告書、……嘘ばっかり。……不味い嘘をつく奴は、……私の敵』

『そうだよ、カイル君!』

 

 リリエルが私兵の一人を叩きつけながら、無邪気に笑った。

 

『カイル君の言う「理想の国」って、なんだか殺風景でお腹が空きそうだもん。アリア様と一緒にいる方が、美味しいものがたくさん食べられそうなんだよねぇ!』

 

 カイルは絶句した。

 彼の頭脳が、その「理由」を理解することを拒絶していた。

 王国の興亡。歴史の転換点。闘争による進化。

 彼が積み上げてきた壮大な理想と、緻密な戦略。それが、たかが「お菓子」という、あまりにも矮小で、俗世的な快楽のために瓦解したというのか。

 

「……お菓子? 食べ放題……? 冗談だろう? ふざけるな! 貴様ら、自分たちが何をしているか分かっているのか! 歴史を、この国の未来を、そんな紙切れ一枚で売り渡すというのか!!」

『……お菓子は、……平和の証。……あんたには、……一生分からない』

 

 シフォンの冷徹な言葉と共に、通信は一方的に遮断された。

 

「あああぁぁぁぁッ!!」

 

 カイルは手近な水面鏡を拳で叩き割った。

 破片が飛び散り、彼の端正な顔を切り裂く。だが、痛みすら感じない。

 彼のプライドは、粉々に砕け散っていた。

 自らが「凡庸な人間を操る神」であると自負していた。その神の計画を、スイーツという名の欲望が打ち砕いた。その事実が、彼の正気を奪っていく。

 

「ふざけるな……ふざけるなふざけるなふざけるな! 人間は、欲望の奴隷だ。だが、それはもっと高尚な、権力や破壊に対する欲望であるべきだ! お菓子だと? ケーキだと?! そんな……そんな下らないもので、僕の計画が!!」

 

 カイルはよろめきながら、聖堂の奥にある秘密の保管庫を開いた。

 そこには、彼が研究させていた「栄養剤」の完成形があった。人為的に魔力を増幅させ、細胞を強制的に進化させる禁忌の劇薬。

 

「いいだろう……。理屈が通じないというのなら、暴力でねじ伏せるまでだ。シフォン、アリス、リリエル……。そして、アリア。お前たちすべてを、この手で塵にしてやる!!」

 

 カイルは薬品の瓶を掴むと、狂ったような笑い声を上げながら、それを一気に飲み干した。

 直後、彼の体が異形へと変貌を始める。

 血管が黒く浮き上がり、魔力が制御を失って周囲の石壁を粉砕していく。

 

「お菓子と一緒に、……地獄へ墜ちろォォォッ!!」

 

 邸宅の深奥から、少年のものとは思えない、獣の咆哮が響き渡った。

 それは、自らの「完璧」を否定された天才が、最後に行き着いた破滅の産声だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ