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第31章:銀の弾丸と黄金の切符

 

 王都の喧騒が引き際を見せる黄昏時。アリアの邸宅で最低限の治療を終えたシフォンは、周囲が止めるのも聞かず、単身で街へと消えた。その手には槍ではなく、王都で最も予約が困難とされる名店『ベリー・ハピネス』の、ずっしりと重い白い箱が提げられていた。

 

 シフォンが最初に向かったのは、数時間前に襲撃を受けた路地裏だった。

 一般の兵士や憲兵が見れば、そこにはただ荒らされた石畳と焦げ跡があるだけに映るだろう。だが、数多の死線を越えてきたシフォンの瞳には、全く別の景色が見えていた。

 

(……風、弾道の角度。……建物の屋上、あそこの窓)

 

 シフォンは膝をつき、グレイスが弾き落とした微小な金属片を拾い上げた。指先で転がすと、この世界の魔法触媒とは異なる、硝煙と未知の合金の匂いがした。アリスの使う「異世界の武器」の残滓だ。

 

(……弾丸の質。……丁寧にメンテナンスされてる。……撃った後の、余韻が綺麗)

 

 シフォンは立ち上がり、周囲の建物の配置を脳内の地図に重ね合わせた。暗殺者が狙撃後に選ぶ「退路」には定石がある。人混みに紛れやすく、かつ、いざという時に追っ手を視認しやすい高い位置を繋ぐルート。

 さらにシフォンは、壁の隅に残された僅かな「染み」に目を留めた。

 一見するとただの雨水だが、日光に当たっても蒸発せず、微かに粘り気を持っている。

 

(……スライムの、足跡。……リリエル、少し急いでた。……成分が、薄い。……栄養、足りてない)

 

 死神の追跡は、もはや魔法に近い領域に達していた。彼女は「アリスが選びそうな狙撃ポイント」と「リリエルが潜みそうな湿り気のある隠れ家」を絞り込んでいく。

 

 辿り着いたのは、王都北部の旧市街にある、古びた時計塔の裏手に建つ廃屋だった。

 周囲を高い建物に囲まれ、狙撃の死角が少なく、かつ地下水路へのアクセスが良い。シフォンは確信した。彼女は槍を召喚せず、代わりに白い箱を指にかけ、「殺気」を完全に消してその扉の前に立った。

 

「……そこ、狙撃ポイント。……左の建物の三階の、割れた窓から。……バレバレ」

 

 シフォンは建物の影から姿を現すと、ひょいと空いた左手を挙げて合図を送った。

 屋上のアリスは、スコープ越しにその光景を見て、引き金にかけていた指を止めた。

 

「……リリエル、標的が来た。けど、様子が変。……武装してない。……白い箱を持ってる」

「えっ、爆弾!? それとも新しい魔導具?」

 

 二人が混乱し、次の行動を決めかねている間に、シフォンは音もなく玄関の扉を開け、中へと入ってきた。

 階段を上がり、二人が潜む二階の部屋に辿り着くと、シフォンは無造作に部屋の中央にある埃っぽいテーブルへ白い箱を置いた。

 

「……お腹、空いてるんでしょ。……話は、食べてから」

 

 箱が開けられると、中から色鮮やかなフルーツタルトと、溢れんばかりの生クリームが乗った特製ショートケーキが現れた。

 リリエルは警戒し、体を液化させて身構えていたが、部屋中に広がる甘い誘惑に抗えず、喉をゴクリと鳴らした。アリスはライフルをシフォンの眉間に向けたまま、氷のような声を投げた。

 

「……何のつもり。毒でも盛ったの? 私たちの居場所をどうやって……」

「……毒を入れたら、ケーキが不味くなる。そんな無駄なことしない」

 

 シフォンは返答の代わりに、箱の隅にあったエクレアを手に取り、自ら口に放り込んだ。咀嚼し、嚥下してから、淡々と続ける。

 

「……あんたたちの狙撃、迷いがあった。……殺意より、躊躇いの方が大きかった。……だから、話に来ただけ」

 

 その時、シフォンの後ろから、息を切らしたアリアとグレイスが姿を現した。シフォンの「もし三十分たって騒ぎになっていなかったらここに来て」という指示通りに動いたのだ。

 アリアは一歩前に出ると、ライフルの銃口を恐れることなく、深く頭を下げた。

 

「アリスさん、リリエルさん。カイルが皆さんに何を話したかは分かりません。でも、私は国民から奪うためではなく、守るために戦いたいと思っています。……どうか、力を貸していただけませんか」

 リリエルが、カイルから渡された身辺調査報告書をテーブルに叩きつけた。

「これには、あんたが税金を食いつぶす極悪人だって書いてあるんだよ! 国王様を殺して乗っ取る計画があるって!」

 

 アリアはその内容を一読し、悲しげに、だが毅然と微笑んだ。

 

「……私の知らない私が、ここにいますね。ですが、この店のアイスの味を、そしてお菓子の平和を知っているのは、私だけです」

 

 アリスは、ライフルの銃口をゆっくりと下げた。

 長年の傭兵生活で培われた彼女の勘が、目の前の王女が「白」であることを告げていた。カイルが語った醜悪な王女の姿は、どこにもなかった。

 

「……私たちは根無草。金で雇われた以上、依頼を反故にするのは命取りになる。カイルは失敗を許さない。今さら降りたところで、私たちには行く場所も、食べるものも……」

「……なら、私がもっといい条件で雇い直す」

 

 シフォンが懐から、あの『黄金の甘味食べ放題チケット』を取り出した。

 

「……これ、一年間、王都の甘いものが全部無料。……私一人じゃ、食べきれない。……あんたたちも、仲間になれば、……毎日お腹いっぱい食べられる。……家がなくても、飢えることはない」

「えっ、それ……本当!?」

 

 リリエルの赤い瞳が、宝石のように輝いた。スライムである彼女にとって、魔力を維持するための食事は文字通りの生命線だ。アリスもまた、震える手でチケットを見つめた。

 

「……戦争が終わって、私たちは行く場所を失った。……また、誰かの駒になるしかないと思ってたけど……」

「……駒じゃなくて、……『お菓子仲間』。……悪い話じゃないはず。……お菓子を食べる間に、新しい家、探せばいい」

 

 シフォンが差し出した小さな手。アリスは少しだけ躊躇した後、ライフルのセーフティをかけ、その手をしっかりと握り返した。

 

「……分かったわ。カイルへの『返済』は、弾丸でさせてもらう。……まずは、このケーキを頂くわ。腹が立って、引き金が狂いそうだから」

 

 こうして、かつて敵対した「死神」と「暗殺コンビ」は、一つのケーキを分け合うことで奇妙な和解に至った。

 埃っぽい廃屋の中、少女たちの間にようやく穏やかな空気が流れる。

 

「……よし。……作戦会議、再開。……次は、カイルの首を獲りに行く。……お菓子の恨みは、……怖い」

 

 シフォンの言葉に、リリエルはタルトを頬張りながら「賛成!」と叫び、アリスは銃のメンテナンスを再開しながら、微かに笑みを浮かべた。

 アリアの側には今、最強の槍と、最強の狙撃手、そして変幻自在の擬態使いが揃った。王都に迫るクーデターの嵐を、彼女たちは「甘い絆」で迎え撃つ準備を整えたのだった。

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