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幕間:根無草の迷い、あるいは硝煙の追憶

 

 王都の片隅、打ち捨てられた空き家の地下室。

 冷え冷えとした空気の中に、硝煙の匂いと、粘液が擦れる微かな音が漂っていた。

 そこには、王国の第一王女アリアと、その護衛シフォンの暗殺を請け負った二人の影があった。

 

「……ねぇ、アリス。やっぱり変だよ、これ」

 

 リリエルが、依頼主から渡された身辺調査の報告書を、不満げにひらつかせた。

 彼女は先ほど、快活な町娘に擬態してシフォンたちに接触した張本人だ。報告書には、『国民の税を私利私欲に使い込み、美食と贅沢に溺れる傲慢な王女』と、血も涙もない悪徳王族の姿が記されている。

 

「今日のあのアリア王女、見たでしょ? 身につけていたアクセサリーは質が良くて高級品だけど庶民でもギリギリ買えるグレードだし数は少なかった。それに、あの子たちが食べていたのは、路地裏にある庶民向けの甘味処のパフェだよ」

 

 リリエルはスライム特有の柔軟な体で椅子に沈み込み、赤い瞳を曇らせた。

「贅沢に溺れる人間は、あんなに幸せそうに子どものお小遣いでも買えるアイスを食べたりしない。……私たち、騙されてるんじゃないかな」

「……黙って、リリエル。今は次の策を練るのが先決」

 暗殺エルフと呼ばれたアリスは、感情を排した無機質な声で答えた。

 彼女は手元にある「異世界の武器」――ライフルと呼ばれた鉄の筒を、布で丁寧に磨き上げている。その所作には、長年死地を潜り抜けてきた武人特有の静謐さが宿っていた。

「でも、アリスだって……」

「……分かってる。あの王女の目は、淀んでいなかった。だが、この依頼をこなさないと、私たちの生活がもう限界なのも事実」

 アリスの言葉は、氷のように冷たく、そして切実だった。

 

 彼女たちの現在の生活は、困窮の極みにあった。

 かつて戦争が激化していた頃、二人はある秘密裏の任務に就いていた。それは、表舞台で輝く「勇者」の魔物討伐を、影から援護するという非公式な仕事だった。

 勇者が派手な魔法で注目を集める裏で、アリスは遠距離から魔物の急所を射抜き、リリエルは闇に紛れて勇者の背後に迫る伏兵を処理した。

 その対価として得た報酬は莫大だった。二人は王都から少し離れた静かな場所に一軒家を買い、しばらくは戦いから離れて穏やかに暮らすはずだった。

 だが、戦争の猛火は、名もなき二人の平穏を容易く踏みにじった。

 敗残兵による略奪。そして、彼女たちの村を襲った大規模な魔法爆撃。二人は必死に稼いだ金と、大切に作り上げた家を失った。

 それだけではない。二人は、周囲にいた家を失った孤児たちや、行き場のない老人たちのために、手元に残っていた最後の蓄えまで使い果たしてしまったのだ。

 戦争が終わった頃、彼女たちの手元に残ったのは、一丁のライフルと、空っぽの財布。そして「根無草」という名前だけだった。

 

「……家が、あった時は良かったよね。アリスの焼いたパン、硬かったけど、あったかかった」

 リリエルがぽつりと呟いた。

 アリスの手が、一瞬だけ止まる。

「……昔の話。今は、今日と明日のパンを稼ぐことだけを考えなさい。あのライフルたまだって、一発作るのに銀貨三枚もかかるんだから」

 アリスは厳しく言い放ったが、その瞳にはリリエルと同じ迷いが滲んでいた。

 彼女たちは殺し屋ではあるが、快楽殺人者ではない。かつて誰かの命を救うために振るった力が、今、自分たちと同じように「誰かのために」必死に生きているように見える王女へと向けられている。

「……もし、あの報告書が全部嘘で、カイルとかいう依頼主の方が悪い奴だったら?」

「……。その時は、その時よ」

 アリスはライフルを肩に担ぎ、冷たい階段を見上げた。

 カイルから提示された報酬があれば、再び小さな家を買えるかもしれない。だが、その土台に敷かれるのが罪のない者の血であるならば、そこに安らぎはあるのだろうか。

 暗殺エルフとスライム少女。

 最強のコンビとして恐れられる二人の心は、空腹と、微かな良心の呵責の間で、激しく揺れ動いていた。

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