第28章:氷の少女と、死神の回顧録
王国の影で蠢く謀略と、束の間の平穏の中で語られる過去。死神と呼ばれた少女の歩んできた道は、常に鉄と血の匂いに満ちていた。
王国内の某所、分厚い石壁に囲まれた薄暗い私室。
部屋の中央に置かれた水面鏡には、「遠見の魔法」によって王都コロシアムの光景が鮮明に映し出されていた。鏡の中では、銀髪の少女・シフォンが兄ヴィクトールとの激闘を制し、無慈悲なまでの「最短の勝利」を掴み取った瞬間が繰り返されている。
その映像を、端正な顔立ちをした少年が、陶酔したような、あるいは品定めをするような冷たい目で見つめていた。王国の末弟、カイルである。
「……なるほど。正面からぶつかるのは、あまりに非効率だね」
カイルは細い指先で水面をなぞった。映像が乱れ、シフォンの無機質な瞳がアップになる。
ヴィクトールの傭兵仕込みの猛攻をいなし、指先一つで気絶させたその神技。カイルは、シフォンがただの「強い護衛」ではなく、戦場の論理をそのまま持ち込んだ「完成された殺戮機械」であることを再認識していた。
アリアから王位継承権を奪い、自らの理想とする「闘争の時代」を呼び戻すためには、この小さな死神が最大の障害になる。カイルは椅子の背にもたれかかり、天井の闇を見つめながら思考を巡らせた。
物理的な打倒が困難であれば、手段はいくらでもある。精神的な揺さぶり、あるいは、彼女が守ろうとしている「平穏」そのものを毒で侵食すればいい。
ドス黒い笑みが、少年の幼い唇に浮かぶ。
カイルは机の上の魔導通信具に手を伸ばし、とある秘匿された連絡先へと信号を送った。
「準備を始めてくれ。……まずは、彼女の大切なお菓子の時間を、少しずつ不味くしてあげよう」
場面は一転し、王都で最も人気のある老舗甘味店『シュガー・パレス』
そこには、先ほどまでの「死神」の面影を一切感じさせない、一人の少女がいた。
「……おかわり。次は、トリプルベリーのアイス。バニラ多めで」
シフォンは年相応の……というよりは、空腹を抱えた小動物のような熱心さで、巨大なパフェグラスを空にしていた。テーブルの上には、既に積み上げられた二十以上の容器が、城壁のように彼女を囲っている。
店員たちは遠巻きに、驚愕と「まだ食べるのか」という不安の混じった視線を送っていた。
同行しているアリアとグレイスは、もはや呆れを通り越して感心していた。ヴィクトールから贈られた「食べ放題チケット」を行使し、シフォンは王都の甘味店を絨毯爆撃のように巡っていた。
「……シフォンさん。そんなに食べて、お腹は大丈夫なのですか?」
「……ん。甘いものは、別腹。……戦いよりも、こっちの方が……エネルギー使う」
シフォンは幸せそうに頬を緩め、運ばれてきた新しいアイスにスプーンを突き立てた。その様子を見守っていたグレイスが、ふと、戦場での彼女に思いを馳せて尋ねた。
「シフォン様。……これほどお菓子を愛する貴女が、かつての戦争時代、どのように過ごされていたのか……少しだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
シフォンは手を止めた。一瞬、苦いものを噛み潰したような顔をしたが、やがて銀色の睫毛を伏せ、遠い記憶を手繰り寄せるように語り出した。
それは、大戦末期。シフォンたちが所属していた傭兵団が受けた、ある軍事施設の破壊任務でのことだった。
密林の奥深くに隠されたその施設へ辿り着いた時、シフォンは異様な光景を目にする。
「……警備兵が、みんな倒れてた。斬られた跡が、……異常に鋭くて、綺麗だった」
ガリルを先頭に施設へ突入した傭兵団は、施設の心臓部を破壊するため、当時最新の爆薬を設置し始めた。その時、天井の闇から一つの影が、音もなくガリルへと舞い降りた。
「……っ!」
敏感に反応したシフォンが槍を突き出し、その影を迎撃した。
金属音が狭い回廊に響き渡る。襲撃者は、シフォンと同じくらい小柄な体躯を持ち、銀色の髪をなびかせた少女だった。手には、二刀の無骨な「鉈剣」を握っている。
それが、後に「氷姫」と呼ばれることになる少女、リリィだった。
シフォンとリリィの戦いは、正に鏡合わせのようだったという。
超速の槍と、予測不能な二刀の軌跡。火花が散り、壁が削れる。徐々にシフォンの槍がリリィの動きを捉え始め、その肩口に深い一撃を叩き込んだ。
「……勝った、と思った。でも、……リリィは止まらなかった」
斬られたはずの傷口から、淡い光が立ち上る。次の瞬間、肉を割いたはずの傷跡が、見る間に塞がっていったのだ。
驚愕するシフォンの隙を突き、リリィは槍の突きが伸び切ったタイミングで、その懐へと飛び込んだ。
「……押し倒されて、首に鉈を、突きつけられた。……死ぬ、と思った。……一分くらい」
リリィの冷たい瞳がシフォンを捉え、刃が喉を掻き切ろうとしたその時。
「そこまでになさい、リリィ」という、凛とした女性の声が響いた。
それが、リリィのパートナーであり、聖職者の魔法使いであるミリアだった。
ミリアの仲裁により、双方は敵対関係にないことが判明した。ミリアたちは、施設で行われている非道な実験を止めるために潜入していたのだ。
「そこで、聞いた。リリィの……正体を」
ミリアの説明によれば、リリィはエルフと「戦闘用ホムンクルス」のハーフ。エルフの魔法適性と、ホムンクルスの強靭な再生能力を掛け合わせる実験の、唯一の成功体だという。
その代償として、彼女の心からは道徳や倫理観、そして喜怒哀楽の多くが欠落していた。暴走すれば敵味方なく屠る殺戮機械。それを御し、導くのがミリアの役割だった。
「……リリィも、私と同じ。……戦うことしか教えられなかった、……壊れた人形だった」
シフォンはそこで言葉を切り、最後のアイスを口に運んだ。
戦争が終わるまで続く、リリィとの奇妙で血臭い腐れ縁。それは、互いに「人ならざる力」を持つ者同士の、共鳴だったのかもしれない。
語り終えたシフォンは、どこか遠くを見ていたが、すぐに腹の鳴る音と共に現実へと引き戻された。
「……話し過ぎた。……腹が減った。……次は、ザッハトルテと、オレンジジュース。……あ、生クリーム追加で」
「……ま、まだ食べるのですか!?」
アリアが驚きの声を上げ、グレイスは手帳に「シフォン様の食欲は戦場でも健在だった(推測)」と書き込みながら苦笑いを浮かべた。
窓の外では、カイルの放った「毒」がゆっくりと王都を侵食し始めている。しかし今、この瞬間だけは、甘い香りと少女たちの笑い声が、戦場の記憶を上書きしていた。
「……美味しい。……平和、万歳」
シフォンは幸せそうにケーキを頬張る。
その横顔を、アリアは愛おしそうに、そして一抹の不安を抱えながら見つめ続けるのだった。




