第26章:牙を隠した鏡の中の真実
武闘大会、ついに決勝戦。
熱狂が最高潮に達したコロシアムの舞台に、二人の対照的な人影が立っていた。一人は銀髪を揺らす小柄な少女、シフォン。対するは、不気味な白磁の面で顔を隠し、全身から殺気を放つ「仮面の戦士」
二人が静かに間合いを計る中、舞台裏では王国の根幹を揺るがす真実が明かされようとしていた。
王立医務室。清潔な薬品の匂いが漂う静寂の中で、ヴィクトールは重い瞼を開いた。
「……気がつかれましたか、お兄様」
傍らにいたアリアが、安堵のため息をつく。彼女の視線の先には、空中に浮かぶ魔法の水面鏡があり、そこには今まさに決勝戦を迎えようとしているシフォンの姿が映し出されていた。
「アリア、か……。不甲斐ないところを見せたな」
「いいえ、シフォンさんが強すぎただけです。それより、お身体は……」
「ああ、気道を突かれただけだ。死神の温情というやつだろう。それよりも……」
ヴィクトールは周囲に誰もいないことを確認すると、表情から一切の余裕を消し、妹を真っ直ぐに見つめた。
「俺が王宮を出奔した本当の理由、……聞きたいか?」
アリアは目を見開いた。彼女は、自由奔放な兄が堅苦しい生活を嫌って飛び出したのだとばかり思っていたのだ。
「半分は、その通りだ。俺のような猪突猛進な男には玉座は狭すぎる。だが、もう半分は……『毒』を見つけたからだ」
「毒……?」
「安定し、平和になったこの時代を厭う者たちがいる。かつての戦争のような、奪い合い、殺し合う混沌こそが至高だと信じる過激な思想集団だ。そいつらが、この国の影で急速に力をつけている」
ヴィクトールは震える手で、枕元に隠し持っていた資料をアリアに手渡した。
「そのグループの幹部に、この国の身内がいることが分かった。……アリア、落ち着いて聞け。末の弟……カイルだ。あいつは近いうちに、この王都でクーデターを起こす計画を立てている」
「……っ、そんな、カイルが!? あの優しい子が、どうして……!」
アリアが驚愕に打ち震えた、その瞬間。水面鏡の中で、試合開始の鐘が鳴り響いた。
視点は再び、喧騒のコロシアムへ。
「仮面の戦士」は、無造作に立つシフォンに向けて、低く濁った声で吐き捨てた。
「死神と呼ばれた化け物め。貴様が守ろうとしている平和など、偽りの砂上の楼閣だ。私がここで貴様を葬り、王女の絶望の始まりを告げてやる!」
並の戦士なら気圧されるような殺気。だが、シフォンは仮面の男と目を合わせることすらしない。彼女の瞳は空ろで、口元からは小さな呟きが漏れていた。
「……早く、終わらせないと。……限定パフェの提供時間、……あと三十分しかない」
「……貴様ぁッ!!」
怒りが沸騰した仮面の戦士は、審判の合図を待たず、法外な速度で踏み込んだ。隠し持っていた大振りのナイフが、シフォンの眉間を目掛けて振り下ろされる。
だが、シフォンは微動だにしない。
ナイフが届く寸前、彼女は振り下ろされた男の手首を、吸い付くような動きで掴み取った。
「……甘い」
シフォンが手首を捻り上げると、男の体勢が強制的に跳ね上がる。そこへ流れるような足払いを一閃。仮面の戦士は、回避の暇もなく背中から石畳に叩きつけられた。
「ガハッ……! ぐ、あああぁぁ!!」
咳き込みながらも、執念で立ち上がった戦士が、逆手に持ったナイフでシフォンの喉元を突く。
シフォンは左手の甲でナイフを外側へ弾き飛ばすと、カウンターで右手の直突きを放った。
――ズドンッ!
肺の空気をすべて吐き出させるような、重い衝撃音が響く。直撃を食らった仮面の男は、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「……トドメ。……寝てて」
シフォンが槍の石突きで最後の一撃を加えようとした、その瞬間。
男の姿が、水面に落ちた雫のように「ブレ」た。
「ハハハ……、面白い! だが、これならどうだ!?」
立ち上がった仮面の男の姿が、二つ、四つ、八つと増えていく。それは魔力による分身だったが、どの一体からも実体と同質の魔力と殺気が感じられる。本物と区別がつかないほどの高精度な多重分身だ。
「さあ、本物はどれだ!? 死神と言えど、視覚に頼らねば――」
挑発を繰り返す分身たち。
シフォンは非常に面倒くさそうな表情を浮かべると、槍を脇に抱え、懐から「あるもの」を取り出した。
それは、透明なガラスでできた、ドアノブのような奇妙な形状の物体だった。
「……目、閉じなくていいの?」
「何……?」
シフォンがそれを床に無造作に転がし、自分だけ視線を背けた。
直後、コロシアムを真昼の太陽を凝縮したかのような強烈な光と、五臓六腑を震わせる轟音が包み込んだ。
「ぎ、あああああぁぁ!! 目が、耳がぁぁぁ!!」
分身たちは一瞬でかき消え、本物の仮面の男が目を押さえて悶絶する。
シフォンの使ったのは、かつての戦場で「室内制圧用」に重宝された、魔力触媒式の特殊閃光弾だった。武道大会という名誉ある場で、そんな実戦的すぎる道具を使うなど、誰も予想していなかった。
シフォンは視力を失い硬直している男に向け、容赦のない槍の薙ぎ払いを叩き込んだ。
――ドォォン!
仮面の男は本物の「ゴミ」のように吹き飛ばされ、壁に激突してそのまま意識を失った。
「勝者、シフォン殿ォォ!!」
審判の声が響き渡るが、観客はあまりの超展開に、歓声よりも戸惑いの混じったどよめきを漏らす。
しかし、シフォンにとって観客の反応などどうでもよかった。
彼女は銀槍を消すと、これまでの無愛想な仮面をかなぐり捨て、この日一番の、そして少女らしい輝かしい笑みを浮かべた。
「……勝った。……パフェ食べ放題、……今すぐ、行く」
シフォンは、王国の危機やカイルの陰謀がすぐそばまで迫っていることなど、今はまだ露ほども知らない。ただ、手に入れた「甘味のパスポート」を胸に、意気揚々と控室へと引き上げていくのであった。




