第19章:砂糖の残り香、あるいは戦士たちの挽歌
食堂のデザートを守るために提供した、シフォン秘蔵の「村の砂糖」。その結果、彼女の手元のストックは完全に底をついていた。
「……糖分が、足りない」
甘味はシフォンにとっての精神安定剤であり、魔力の潤滑剤でもある。禁断症状にも似た渇望に突き動かされ、彼女はリリウム学園の制服姿のまま、王都の喧騒溢れる露店街へと足を運んでいた。
名門リリウム学園の白い制服は、庶民が賑わう露店街では嫌でも目を引く。
幼く、人形のように整った銀髪の少女が歩けば、道ゆく人々が振り返る。だが、今のシフォンにとって周囲の視線など、道端の石ころも同然だった。
彼女の標的はただ一つ。良質な砂糖の原料、サトウキビである。
「……見つけた」
一軒の露天商の前に辿り着くと、シフォンは無言でサトウキビの山に手を伸ばした。
次の瞬間、露天商の主人は己の目を疑った。少女の手が残像が見えるほどの速度で動き、山積みのサトウキビの中から次々と「特定のもの」だけを弾き出していったからだ。
「お、おい、お嬢ちゃん!? 何を……」
「……これと、これ。あと、この三本」
シフォンが選び出したのは、皮の艶、節の間隔、そして微かに漏れる甘い香りが完璧な「極上品」ばかりだった。
主人は驚きで言葉を失う。伝統ある学園の令嬢が、なぜプロの目利き以上の確かな目で、泥臭いサトウキビを選別できるのか。
「……驚いたな。あんた、ただの学生じゃないね。そんなに質の良いものばかり見抜く奴は、滅多にいない」
主人は感心したように笑うと、店頭に出していなかった、さらに質の良い数本を奥から取り出した。
「気に入った。その確かな目に敬意を表して、これはサービスだ。また来てくれるなら、安くしておくよ」
「……感謝。……また来る」
シフォンは宝物を受け取るようにサトウキビを抱え、満足げにその場を後にした。
帰り道、シフォンはふと足を止めた。
賑やかな大通りのすぐ脇。陽の光が届かない湿った路地裏に、強い違和感を感じたからだ。
視線を向けると、そこには数人の男たちが建物の壁にもたれるように座り込んでいた。
彼らの目は虚ろで、頬はこけ、何を見るでもなく一点を見つめている。
その姿を見て、シフォンの記憶の底にある「戦場の景色」が蘇った。
(……あの症状。……知ってる)
十数年前、シフォンがまだ「死神」として戦場を駆けていた頃。兵士たちの中には、質の悪い回復薬を過剰摂取し、副作用に苦しむ者が大勢いた。
意識障害、強い不安、不眠、苛立ち、そして深い鬱状態。肉体の傷を無理やり塞ぐ代償として、彼らの精神はボロボロに崩壊していったのだ。
シフォンは何も言わず、ただその横を通り過ぎた。
戦いしか知らなかった自分には、彼らにかける言葉も、救う術も持ち合わせていないことを知っていたからだ。
寮の自室に戻ったシフォンは、さっそくサトウキビを煮詰め、砂糖を生成する作業に取り掛かった。
甘い香りが部屋に満ち始めた頃、グレイスが訪ねてきた。
「シフォン様、お邪魔いたしますわ……あら、素敵な香り!」
シフォンは手を休めず、昼間に見た「虚ろな男たち」のことをグレイスに話した。すると、グレイスの快活な表情が、ふっと悲しげに曇った。
「……その方たちは、十年前の戦争に出兵した兵士たちですわ。当時、前線では粗雑な製法で作られた安価な回復薬が大量に出回っていました。国を、大切な人を守ろうと戦った彼らが、戦後に待っていたのは……心も体も壊れ、まともに働くことすらできない現実だったのです」
グレイスは、サトウキビを丁寧に煮詰めるシフォンの手元をじっと見つめた。
「国も支援をしていますが、効果的な治療法が見つかっておらず……腕の良い治癒魔法師の回復魔法で、稀に一定の効果が出る程度だそうですわ。……今のシフォン様のように、あの時、薬一つ一つを丁寧に作れる人がいれば、これほどの遺恨を残さずに済んだのかもしれませんのに」
グレイスのバイオレット家は代々武人の家系だ。部下たちの無念や、戦後の悲劇を、彼女は幼い頃から聞き及んでいたのだろう。
「……私は、戦場しか知らなかった」
シフォンが静かに口を開く。
「……私の周りにも、たくさんいた。……元の生活に戻れず、心が壊れたまま死んでいった仲間。……戦いしかできない私には、……今も、何もできない」
「そんなことはありませんわ、シフォン様!」
グレイスが強く、シフォンの手を取った。
「今のシフォン様が作る砂糖で、救われる人がいます。シフォン様が村で作った、あの美しい織物で心を救われた者もいるはずですわ。……戦うこと以外にも、貴女は多くのものを生み出しています」
シフォンは驚いたように目を瞬かせた。
自分の作る甘いものが、あるいは村での静かな仕事が、誰かの救いになっている。そんな考えは、彼女の中にはなかった。
「……そう、なのかな」
「ええ。ですから、私たちはこの国の未来を守らなくてはなりません。あのような悲劇を二度と繰り返さないために……アリア様を、必ず守り通しましょう」
「……うん。……アリアなら、もっと良い未来を作れる」
シフォンは、再び鍋の中の砂糖を見つめた。
透明に透き通っていくそれは、まるで彼女たちが目指すべき未来の輝きのようだった。
「……砂糖、できた。……グレイス。アリアを呼んで。……一番いいところ、三人で食べよう」
「はい! 喜んで!」
シフォンの胸に宿った小さな不安は、グレイスの温かな言葉に溶かされていく。
だが、あの路地裏の影は、シフォンに一つの決意を抱かせた。
自分ができることで、この国を、アリアを支え抜く。それが「死神」と呼ばれた少女が見つけた、新しい戦い方だった。




