幕間:砂糖の危機、あるいは死神の秘密基地
遺跡での激闘を終え、王都に戻ったシフォンたちを待っていたのは、束の間の、しかし何よりも代えがたい「平穏」という名の休日だった。
カイル王子の不穏な気配や、リリィの警告。それらは依然としてシフォンの心の片隅に澱のように溜まっていたが、今日この瞬間だけは、甘い香りに包まれた日常が優先されるべきだった。
「……お腹、空いた」
夕暮れ時。シフォンは、アリアとグレイスを伴って学園の学生食堂へと向かっていた。彼女の頭の中は、今朝の掲示板に出ていた「本日のデザート:特製キャラメルプディング」のことでいっぱいだった。
しかし、食堂の入り口に辿り着いた瞬間、三人は異様な空気を感じ取った。
厨房から、金属がぶつかり合う音や、料理人たちの悲痛な叫び声が漏れ聞こえてきたのだ。
「何事かしら……?」
アリアが不思議そうに首を傾げると、奥から額に汗を浮かべた料理長がふらふらと現れた。
「料理長、どうされたのですか? 厨房が随分と騒がしいようですが……」
「……ああ、アリア殿下。……絶望的です。今日、届くはずだった砂糖の定期便が、原料の不作と輸送路の土砂崩れで、一袋も届かなかったのです! 倉庫の備蓄も底を突き、このままでは……今日の夕食に、デザートを出すことができません……ッ!」
「なっ……!?」
その言葉が放たれた瞬間。
ガクッ、と膝から崩れ落ちる影が一つ。
「……デザート、なし?」
シフォンだった。彼女は床に両手をつき、まるで世界が滅亡したかのような絶望的な表情で項垂れている。その背後には、どろどろとした紫色のオーラ(絶望)が立ち昇っているように見えた。
「シフォン様!? しっかりなさってください! デザートくらい、わたくしが今すぐ王都中の菓子屋を回って買って参りますから!」
「シフォンさん、起きてください! 床が冷たいですわよ!」
慌てて駆け寄るグレイスと、必死に彼女の肩を揺らすアリア。普段は一騎当千の「死神」が、たかがプリン一個のためにここまで打ちひしがれる姿は、端から見ればこの上なくコミカルだった。
だが、シフォンは虚空を見つめたまま呟く。
「……王都の菓子屋も、きっと品切れ。……砂糖がない世界なんて、……私は、何のために戦って……」
「話が大きくなりすぎですわ!」
アリアの鋭いツッコミが飛ぶ中、シフォンの脳裏に、ふと電撃のような閃きが走った。
「……あ。……あった」
「え?」
シフォンはバネのように飛び起きると、アリアとグレイスの制止を振り切り、脱兎のごとく自分の寮室へと駆け出した。
数分後。息を切らして戻ってきた彼女の手には、古めかしい、けれど大切に磨かれた陶器の瓶が握られていた。
「料理長。……これ、使って」
「これは……?」
「……私が、学園に来る前にいた村で作ってた、サトウキビの砂糖。……村を離れる時に、あまりに美味しくて、自室でこっそり精製して隠し持ってた。……これで、プディングを作って」
料理長は半信半疑で瓶の蓋を開けた。
瞬間、厨房に立ち込めていた油の匂いを打ち消すような、芳醇でいてどこか懐かしい、花の蜜のような甘い香りが広がった。
料理長が指先でその雪のような粉末を一舐めする。
「……ッ!? なんという純度、そしてこの深いコク……! 雑味が一切なく、熱を通せば宝石のように輝くはずだ。これほどの砂糖、王宮の晩餐会でもお目にかかったことがない!」
料理長の瞳に職人の火が灯った。
「これならいける! いや、これなら普段以上の傑作ができるぞ! 野郎ども、準備だ! デザートを心待ちにしている少女(死神)を、ガッカリさせるなよ!!」
『アイ・アイ・サー!』
一時間後。
シフォンの前には、ぷるぷると震え、琥珀色のカラメルソースをたっぷりと纏った「特製キャラメルプディング」が鎮座していた。
「……これ。……これだよ」
シフォンは震える手でスプーンを握り、聖なる儀式を行うかのような慎重さで一口運んだ。
舌の上でとろける濃厚なカスタード。そして、自分が作った砂糖だからこそ分かる、あの村の風を思い出させる優しい甘み。
「……生きてて、良かった」
シフォンは頬を緩ませ、心底幸せそうな、年相応の少女の笑顔を見せた。
「ふふ、良かったですね、シフォンさん。まさか貴女に『隠し砂糖』の趣味があったなんて驚きですけれど」
アリアが可笑しそうに笑い、グレイスも自分の分のプディングを頬張りながら目を輝かせる。
「本当に……! 砂糖一つでここまで味が変わるなんて。シフォン様、あの村にはこんなに素晴らしいものがあったのですか?」
「……うん。……いつか、二人を連れていきたい。……サトウキビの収穫、手伝わせるから」
「それは楽しみですわね(重労働確定ですわね)」
三人は顔を見合わせ、笑い合った。
カイルの件で張り詰めていた空気は、シフォンの持ち込んだ「甘い秘密」によって、完全に霧散していた。
シフォンは、最後の一口を名残惜しそうに飲み込み、満足げに溜息をつく。
たとえ明日、どんな陰謀が彼女たちを襲おうとも。
今日この甘さを分かち合えた三人なら、きっとどんな困難も、このキャラメルのようにほろ苦く、そして甘い結末に変えていける。
シフォンは空になった皿をじっと見つめ、料理長の方をちらりと見た。
「……料理長。……おかわり、ある?」
「シフォン様、流石に食べ過ぎですわ!」
学園の食堂に、平和な喧騒がいつまでも続いていた。




