第17章:銀の残響、あるいは造られた宿命
地下遺構の最深部は、空気そのものが高密度の魔力によって帯電し、肌を刺すような緊張感に包まれていた。
王都の騎士団が率いる救助隊を背後に残し、シフォン1人で迷宮の闇へと消えたシフォンの前に現れたのは、巨大な円形ドーム状の空間。その中央で、数千年の眠りから覚めた「守護者」が、重厚な金属音を立ててその巨躯を震わせていた。
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「――無意味だ。この鉄屑、まだ動くのか」
空間に響いたのは、鈴の音のように澄んでいるが、一切の感情を排した冷徹な声だった。
守護者の足元、砕け散った自動人形の残骸の山の上に、その少女は立っていた。
シフォンと同じ、透き通るような銀髪を背中まで流した小柄な背中。その両手には、無骨なほどに厚い刃を持つ二振りの「鉈剣」が握られている。
「……リリィ」
シフォンがその名を呼んだ瞬間、守護者の四本の巨大な機械腕が、空気を爆砕せんばかりの速度で振り下ろされた。
「……邪魔。下がっていろ、シフォン」
リリィは振り返ることさえせず、地を蹴った。
その動きは、シフォンの「静」の速さとは対照的な、爆発的な「動」の暴力。重い鉈剣を空間が歪んで見えるほどの速さで振るい、機械腕の一本を正面から叩き切る。金属が断たれる凄まじい衝撃波が広間に吹き荒れた。
だが、守護者は自己修復を繰り返しながら、残る三本のアームでリリィを包囲する。
シフォンは迷うことなく銀槍を突き出した。
「……一人でやるなんて、……相変わらず、可愛げがない」
シフォンの槍が、リリィの背後に迫っていたアームの関節部を、一点の曇りもなく貫いた。
言葉を交わさずとも、二人の身体は最適解を導き出す。
リリィが下方から重い一撃を繰り出し、障壁を強引に剥ぎ取る。その僅か数ミリの隙間に、シフォンの槍が「毒」のように滑り込み、内部機構を破壊する。
最強の「死神」と、最強の「鉈剣」
かつて、戦場で情報の錯誤により殺し合った二人。
その時、シフォンは初めて「自分よりも速く、自分よりも冷たい死」を目の当たりにした。
リリィの鉈剣が自分の喉元を無慈悲に掠めたあの瞬間、シフォンが感じたのは、恐怖というよりは「完成された死」への畏怖だった。
もしあの時、互いの目的が同じだと気づくのが一秒遅れていれば、シフォンの首は今頃ここにはなかっただろう。
二人の銀髪が交錯するたび、古代の怪物は削り取られていく。
最後に、リリィが二本の鉈をクロスさせて核を覆う装甲を両断した。
「――仕留めろ、シフォンッ!」
「……了解」
シフォンの銀槍が、青白く光るコアの最深部を貫通した。
閃光と共に、守護者は沈黙した。崩れ落ちる巨体を見届け、リリィは無造作に鉈を鞘へ納めた。
「……合格。少しは腕を上げたみたいだな」
リリィが初めてシフォンに向き直った。その瞳は、琥珀色に赤を混ぜたような、不思議な輝きを放っている。
彼女は、人間たちの身勝手な欲望が生み出した「戦闘用ホムンクルス」と「エルフ」の混血だった。
かつての戦争時、彼女は表の歴史には決して記されない隠密破壊工作部隊に所属し、ただ「効率よく敵を排除する」ためだけに調整された。
感情を捨て、痛みを感じず、ただ主の命ずる「正しいこと」だけを遂行する人形。
その戦果はシフォンに肩を並べるものだったが、彼女に向けられるのは賞賛ではなく、異形への恐怖と蔑みだった。「氷姫」――それが、かつて彼女に付けられた呪いの名だ。
戦後、行き場を失い、自爆という名の処理を待つだけだったリリィを救ったのは、ミリアという名の、成人したばかりの魔法使いだった。
「……ミリアはどうした? あんたを『拾った』、あのお節介」
「……あいつは入り口で負傷者の手当てをしている。この遺跡の構造が変わった時、私に『行ってこい』と言ったからな。……正しいことだから、私はここに来ただけだ」
リリィの言葉は相変わらず機械的で冷淡だ。だが、シフォンには分かっていた。
リリィが「正しいこと」と言う時、そこには必ずミリアから教わった「誰かを助ける」という意志が、彼女なりに不器用に、けれど純粋に宿っていることを。
「……そう。……無事なら、いいけど」
「それより、シフォン。……忠告だ」
リリィの瞳が、僅かに細められた。その視線は、遠くで救助を待つカイル王子たちの方を向いている。
「あの王子……カイル。あいつに、あまり近づくな」
「……どういうこと?」
「私の鼻は、あんたよりも敏感だ。……あいつの体の奥底から、ドブのような、腐った魔力の匂いがする。……『狂乱の魔石』……あるいは、それ以上の呪物。あいつは、それを自分の一部として『飼って』いる」
シフォンの指先が、僅かに冷たくなった。
カルデナスが去り際に吐いた言葉。
(本当の蛇は、もっと近くにいる)
「……王子本人の意志か、それとも何者かに植え付けられたものかは分からない。だが、あれは『人間』が持っていい力じゃない。……気をつけろ。あいつが笑っている時ほど、その裏の『蛇』は牙を研いでいる」
迷宮の核が破壊されたことで、遺跡の自律構造は崩壊し、調査隊は無事に地上へと生還した。
遺跡は跡形もなく埋め立てられ、何事もなかったかのように都市開発の計画が進められる。
その夜、救助の成功を祝う祝宴が騎士団の宿営地で開かれた。
カイル王子は、自らシフォンの元へ歩み寄り、約束通り特製のケーキの皿を差し出した。
「シフォン殿、本当に感謝します。貴女のおかげで、多くの尊い命が救われた。……姉上も、貴女の無事を何より喜ぶでしょう」
カイルの笑顔は、月の光のように清らかで、一点の曇りもないように見えた。
だが、シフォンの鼻腔には、リリィに言われるまで気づかなかった「微かな、焦げ付いたような魔力の匂い」が届くような気がした。
リリィはミリアと共に、祝宴の喧騒を避けるように夜の闇へと消えていった。
去り際、リリィが残した最後の一言が、シフォンの脳裏にこびりついて離れない。
『――シフォン。あいつは、姉すらも『餌』だと思っているぞ。』
翌朝、シフォンと騎士団は王都へと出発した。
馬車の窓から見える景色は、平和そのものの初秋の情景。
だが、シフォンの手元にある槍は、主の不安を察したかのように、鞘の中で微かに震えていた。
アリアの待つ王都。
そこは、もはや安息の地ではないのかもしれない。
「蛇」の正体、そして王子の瞳の奥に潜む「呪い」。
シフォンは深く溜息をつき、懐に残った最後の一つのお菓子を口に放り込んだ。その甘さも、今はどこか砂を噛むような、不確かな味がするのだった。




