第16章:迷宮の心臓、あるいは銀髪の再会
地下遺構の空気は、地上とは異なり、冷たく湿った機械油の匂いと、数千年の時を止めた古い塵の匂いが混ざり合っていた。
騎士団率いる救助隊の一員として、シフォンは王立騎士団と共に遺跡の深部へと足を踏み入れる。だが、そこはもはや単なる「古い建物」ではなかった。
「……壁が、動いてる」
シフォンが小さく呟くと同時に、背後で巨大な岩盤が音を立ててスライドし、来た道を完全に塞いだ。逃げ場を断つその動きは、まるで巨大な怪生物の喉奥に飲み込まれたかのようだった。
「ひるむな! 陣形を維持せよ!」
騎士隊長の声が響くが、騎士たちの動揺は隠せない。壁面の至る所から歯車の噛み合う不気味な音が漏れ出し、通路の形状が刻一刻と変化していく。シフォンは膝をつき、床に残された微かな傷跡や魔力の残滓を指先でなぞった。
「……ここの遺跡全体が、一つの生き物みたいになっているようだ。……そいつが遺跡の構造を書き換えて、私たちを閉じ込めようとしてる」
シフォンを先頭に、救助隊は変化する迷宮を強行軍で突き進んだ。迷宮の悪意をねじ伏せるように進んだ先、ようやく生存者の一団を発見した。広間のような場所に身を寄せ合っていたのは、ボロボロになった数名の研究者と、彼らを守って戦い抜いた腕利きの冒険者たちだった。
「……助けが来てくれたのか……!」
リーダー格の冒険者が、折れた剣を杖代わりに立ち上がる。その体はあちこちが深く切り裂かれ、重度の疲労で顔色は土色だった。
「ありがたい。だが、ここから出るには最深部に鎮座する『守護者』を倒すしかない。奴が迷宮の核だ。奴を破壊しない限り、この壁は永久に動き続け、出口は二度と開かない……。我々の仲間も、あのアームに捕まり……」
男は悔しげに奥の闇を見据えた。しかし、彼の絶望の色に混じって、僅かな畏怖が言葉に漏れ出す。
「……だが、絶望するな。さっき、一人の少女が奥へ向かった。我々を置いて、『正しいことだから、核を破壊する』と言い残してな」
「少女……?」
シフォンの眉がぴくりと動く。
「ああ。小柄で、貴女によく似た長い銀髪の女の子だ。手には見たこともない鉈のような二刀流の剣を提げていた。あんなに小さいのに、襲いかかってくる自動人形を無感情に切り裂き……まるで、機械を分解するかのような手際だった。だが、相手は古代の遺産だ。一人では限界があるだろう。頼む、彼女に加勢してやってくれないか!」
「……鉈剣の二刀流。……銀髪」
シフォンの脳裏に、いつかの戦場で刃を交えた、とある少女の姿が鮮明に浮かび上がった。
「……あいつ、こんなところで何やってるの」
シフォンは深い溜息をついたが、その瞳にはこれまでにない鋭い光が灯っていた。かつて単騎では勝利不可能だと認めた、数少ない「同類」。
「シフォン殿、知り合いですか?」
騎士団のメンバーの1人が問うが、シフォンは答えず、魔力が渦巻く最深部へと視線を向けた。
「……ちょっとした縁があった奴でさ……加勢なんて、必要ないと思う。……あいつは、一人でもあの鉄屑をスクラップにするはず。……でも」
シフォンは手元の銀槍を軽く回し、鋭い石突きで床を叩く。その動作一つで、周囲の空気が戦場のそれへと一変した。
「……あいつに全部の手柄を持っていかれるのは、癪に触る。……私の夕食のデザートが、あいつのせいで減らされたら困るから」
「え……?」
困惑する騎士たちを置き去りにして、シフォンの身体が影のように沈んだ。
「……怪我人を頼んだ。……私は、あのお節介な二刀流の顔を拝んでくる」
シフォンの姿が、瞬きする間に闇の中へと消えていく。壁が閉まる寸前、彼女は猫のようなしなやかさでその隙間をすり抜け、迷宮の鼓動が最も激しい場所へと加速した。
奥から響いてくるのは、重厚な金属のぶつかり合う轟音と、空気を切り裂くような鋭い風の音。
そして――。
「――邪魔……この鉄屑、斬る」
聞き覚えのある、冷たく淡々とした少女の声が、迷宮の奥底から響き渡った。
感情の欠片もなく、ただ事実を述べるような、機械じみた響き。かつてシフォンを死の淵まで追い詰めた、あの冷徹な「刃」の声だ。
シフォンは、その声に向かってさらに速度を上げる。
再会を喜ぶつもりはない。けれど、もしあの時のように背中を預け合えるのなら、この退屈な地下遺構も、少しはマシな戦場になるかもしれない。
最強の「死神」と、最強の「鉈剣」。
二人の銀髪が再び交錯する時、古代の迷宮は真の終わりを迎えることとなる。




