第11話:国王の回想、あるいは氷解の兆し
王宮晩餐会の喧騒から数日。王都を包む空気はすっかり秋の深まりを見せ、街路樹が色鮮やかに燃え上がる季節となっていた。
王位継承権を持つ王女としての公務に追われるアリアにとって、邸宅で過ごす静かな時間は何よりの休息であった。
その夜、アリアの邸宅に珍客が訪れた。現国王であり、アリアの父であるルミナス王その人である。
政務に忙殺され、数週間ぶりに娘の顔を見に来た王は、愛娘を前にして一人の父親としての顔を見せた。
「アリア、災難だったな。暗殺の魔手、さらにはバイオレット家の娘までが巻き込まれたと聞き、気が気ではなかった」
「お父様、ご心配をおかけしました。ですが、もう大丈夫ですわ。……今の私には、とても心強く、そして何より甘いものが大好きな新しい友人がおりますの」
アリアの言葉に、国王は僅かに眉を上げた。報告書にあった「筆頭護衛官」の存在。ただの傭兵崩れの娘かと思っていたが、アリアの口から語られるその人物像は、どこか微笑ましく、温かみのあるものだった。
「ほう、甘味好きの護衛官か。……秘書官からも聞いている。王宮晩餐会での演武は見事だったとな。アリア、その友人を一度私に紹介してはくれないか? 娘を救ってくれた恩人に、直に礼を言いたい」
アリアは微笑んで頷いた。
「ええ、喜んで。……きっと、お父様の用意されるデザートを楽しみにして来ると思いますわ」
約束の日。秋晴れの午後の光が差し込む王宮の私的な談話室にて、シフォンは国王と対峙していた。
正装ではなく、動きやすい学園の制服に身を包んだシフォンは、王の前であっても卑屈になることなく、静かに、けれど揺るぎない眼差しで立っていた。
「……シフォン・アルトワールです。アリアを護る契約を結んでいます」
「堅苦しい挨拶は抜きにしよう。アリアから、貴殿の活躍は聞いている。……此度は娘を、そしてバイオレット家の娘を救ってくれたこと、一国の王として、そして父として感謝する」
国王の謝辞に対し、シフォンは小さく首を振った。
「……私は、アリアと『契約』しただけ。……けれど、この国の革新派の中には、非常に危険な一派が混じっています。彼らはアリアを駒としか見ていない。……王として、その毒を放置しないでほしい」
シフォンの言葉は、直言であった。王への不敬とも取れる物言いだが、国王はその言葉の裏にある「純粋な危惧」を感じ取り、重々しく頷いた。
「承知している。膿は出し切らねばならん。……さて、堅苦しい話はここまでだ。アリアから聞いたぞ、貴殿は甘いものに目がないと」
国王が合図を送ると、給仕によって最高級のデザートプレートが運ばれてきた。
色とりどりの果実を添えたムース、ナッツをふんだんに使った焼き菓子、そして、雪のように白いクリームが乗った特製タルト。
「…………っ」
シフォンの瞳が、一瞬でルビーのような輝きを帯びた。
それまでの「死線を潜り抜けた戦士」の顔が消え、目の前の宝物を前にした幼子のような、無垢な表情へと変わる。
「……食べて、いいのか?」
「ああ、心ゆくまで堪能してくれ」
シフォンはそれから、至福の沈黙の中でデザートを頬張った。その様子を、国王とアリアは微笑ましく見守っていた。
謁見は和やかに終わり、シフォンが満足げに帰路についた後、国王は傍らのアリアに語りかけた。
「アリア。……良い友人を持ったな」
「ええ……。少し不器用で、言葉も足りないところがありますけれど、誰よりも優しく、信頼できる友人ですわ」
アリアの返答を聞きながら、国王は窓の外、遠ざかる銀髪の背中を見つめていた。
彼の脳裏に、一昔前の……戦争が終結した直後の、ある情景が蘇っていた。
それは、血生臭い戦場が終わりを告げた直後の、勝利を祝う祝宴の席だった。
同盟国や功績のあった者たちが集う広場の一角。ガリル率いる傭兵団の一団が、戦いから解放された安堵の中で酒を酌み交わしていた。
その輪の中に、一人。
周囲の喧騒から隔絶されたように、一人でケーキを頬張っている小さな少女がいた。
銀色の髪、瑠璃色の瞳。……当時、まだ子供と言っても差し支えない年齢だったはずのシフォンだ。
当時の彼女が纏っていた空気は、今とは全く違っていた。
まるで万年雪を抱く頂のように、刺すような冷気と、他者を寄せ付けない拒絶の意思。
デザートを口にしながらも、その瞳は氷のように冷たく、常に周囲の殺気を警戒していた。
「銀槍の死神」――その二つ名が、ただの誇張ではないことを、若き日の国王は一目見て悟ったものだ。
(……あの頃の、凍てつくようなエルフの少女が、これほどまでに柔らかくなるとはな)
今の彼女の瞳には、かつてのような氷はない。
代わりに、友人への信頼と、美味しいものを心から愛でる、年相応の暖かな火が灯っている。
(ガリルめ……。不器用な奴だと思っていたが、娘を育てるのは上手かったらしい)
国王は内心で一人ごちると、穏やかな表情で紅茶を口にした。
「死神」が、おやつを愛する「少女」として生きられる場所。
娘が守りたがっているその平穏を、王として、自分もまた守り抜かねばならないと、彼は静かに決意を新たにするのだった。
しかし。
彼らがその温かな余韻に浸っているその時も、学園の地下、あるいは王宮の暗がりに潜むカルデナスの毒牙は、着実に次の獲物を狙って研ぎ澄まされていた。




