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第十話:剥がれかけた仮面


 晩餐会の華やかな喧騒が頂点に達しようとする頃、会場の喧騒を見下ろすバルコニーの影で、カルデナス卿は部下からの報告に耳を傾けていた。

 

「……以上が、かの娘、シフォン・アルトワールの経歴にございます」

 

 部下が差し出した書状には、非の打ち所がない「戦後復興の成功例」が記されていた。

 ――先の戦争で壊滅したエルフの村の生き残り。戦災孤児として彷徨っていたところを、当時傭兵団を率いていたガリルに保護された。その後、戦火を免れた辺境の村へと疎開し、そこでの砂糖生成と生糸の生産で身を立て、学園への推薦を得た。

 

「砂糖と、生糸か。随分と甘く、瑞々しい経歴ではないか」

 

 カルデナスは冷笑を浮かべ、グラスの中の琥珀色の液体を揺らした。

 彼は知っている。あの戦場を。あのエルフの村が焼かれた夜を。そして、その戦場を縦横無尽に駆け巡り、たった一振りの槍で戦況を覆した「銀色の影」の噂を。

 

「……経歴の偽造だな。ガリルのことだ、戸籍の数枚を捏造するなど造作もないだろう。だが、までは騙せん。あのような澄んだ、それでいて死線を潜り抜けた者特有の冷徹な瞳を、ただの砂糖作りの小娘が持てるはずがない」

 

 カルデナスは指先で窓枠を叩き、獲物を追い詰める罠を構想する。

 

「正体を見せてみろ、死神。……貴様が何者であれ、この王宮の舞台でその化けの皮を剥いでやろう」

 

 

 一時間後、晩餐会が終盤に差し掛かった頃、カルデナスは突如として演壇へと立ち、会場の視線を集めた。

 

「皆様! 宴の締めくくりに、少々の余興を提案したい! 王国の武威を示すべく、この場に控える『王国近衛兵・一番槍』との演舞を執り行おうではないか! もし、この勇士から一本を取れる者がいれば、国王陛下に代わり、私が望む限りの褒美を差し上げよう!」

 

 会場がどよめく。

 現れたのは、全身を白銀の甲冑で固めた、王国最強と謳われる近衛兵の一人だった。その立ち姿だけで、並の兵士なら蛇に睨まれた蛙のようになるだろう。

 名乗り出る者はいない。沈黙が場を支配した時、カルデナスの毒蛇のような視線が、アリアの隣に立つ少女を射抜いた。

 

「……そうだな。アリア殿下が『この世で一番強い』と太鼓判を押された、そちらのシフォン嬢、貴女なら、この余興に相応しいのではないかな?」

 

「卿、それはあまりに……!」

 

 アリアが抗議の声を上げようとしたが、それを制したのはシフォンの小さな手だった。

 シフォンは無表情のままアリアの顔を見上げ、短く告げる。

 

「……アリア。大丈夫。……どうにかする」

 

 シフォンは静かに歩み出た。周囲の貴族たちからは嘲笑や同情の混じった囁きが漏れる。しかし、彼女が備え付けの練習用の槍を手に取り、近衛兵の前に立った瞬間、その場の空気が凍りついた。

 シフォンが槍を構える。その姿を見た瞬間、客席にいたグレイスは椅子から立ち上がり、目を見開いた。

 

「な、……そんな……!?」

 

 それは、バイオレット侯爵家に代々伝わり、当主とその血族のみに継承が許される秘伝の構え――『紫電の型』そのものだった。

 シフォンは、この一週間、グレイスへの助言を通じて彼女の槍術を観察し、二度の決闘を経てその術理のすべてを読み取り「コピー」しており、その奥義にも辿り着き手に届くところまできていた。

 シフォンの槍先が、微かに震える。それは未熟ゆえの震えではない。いつでも、どの角度からでも最短距離で敵を貫くための、極限まで高められた振動だ。

 

「……参ります」

 

 シフォンの声と同時に、銀色の閃光が走った。

 

「――っ!」

 

 近衛兵の反応も速かった。一番槍の称号は伊達ではない。シフォンの、空間が歪んで見えるほどの超高速の突きを、彼は流れるような体捌きで受け流す。

 石畳を打つ硬質な音。火花が散る。

 シフォンの攻撃は、まさにグレイスの槍術を完璧に昇華させたものだった。鋭利な薙ぎ、風を切る石突の返し。近衛兵は驚愕しながらも、王国最強の矜持にかけてそれを凌ぎ、隙を突いて反撃の突きを放つ。

 数十、数百にも及ぶ打ち合い。

 見る者の瞳には、銀色と白銀の残像が複雑に絡み合う幾何学模様のように映った。アリアは拳を握り締め、グレイスは自分の家の業をこれほどまでに美しく、完璧に使いこなすシフォンに、ただ圧倒されていた。

 そして――。

 

「――止め!」

 

 審判役の叫び。

 会場が静まり返る。

 シフォンの槍の穂先は、近衛兵の喉元を。

 近衛兵の槍の穂先は、シフォンの喉元を。

 互いに一歩も引かず、同時に寸止めで止まっていた。

 

「……引き分け、だな」

 

 近衛兵が感嘆の声を漏らし、槍を引いた。シフォンも静かに槍を下ろし、乱れぬ呼吸のまま一礼する。

 会場全体から、割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 

 アリアの元へ戻ったシフォンを、グレイスが半ば放心状態で迎えた。

 

「シフォン様……今の、わたくしの家の槍術……ですよね? 何故、あれほどまでの完成度で……」

「……ただの真似事。……本質は、あんたの方がよく分かっているはず。今のあんたなら、さっきの私にだって簡単に勝てる」

 

 シフォンは淡々と嘘をつく。自分の「本性」を隠すため、あえて他人の流派を借りたに過ぎない。

 アリアはそんなシフォンの意図を察し、その健気な気遣い(あるいは隠蔽工作)に感謝しながら、カルデナスの方を見た。

 カルデナスは、拍手の中、微動だにせずシフォンを見つめていた。その唇は、蠱惑的で妖しい微笑みを湛えている。

 

(……やはりな。あれは真似事だ。だが、真似事であそこまでやれるのは、真の『極致』を知る者だけだ……)

 

 一本を取ることはできなかった。だが、カルデナスは「会場を大いに盛り上げた」として、シフォンに何らかの褒美を与えることを宣言した。

 

「近衛兵の隊長からも、健闘した貴女へ土産を渡したいとの申し出がある。シフォン嬢、何か望みはあるかな?」

 

 シフォンは一瞬だけ考え、アリアの袖を引いた。アリアはシフォンの願いを即座に汲み取り、微笑んで答える。

 

「……カルデナス卿。彼女は、王宮の料理長が作る至高のデザートを、何よりも楽しみにしていたようですわ。どうか、持ち帰り用として頂戴できませんかしら?」

 

 会場に温かな笑いが漏れる。

 最強の演武を見せた少女が、その実、お菓子を欲しがる子供のような願いを口にしたからだ。カルデナスもまた、愉快そうに肩を揺らした。

 

「よかろう。王宮の宝物庫にある金よりも、甘美な砂糖の結晶を贈ろうではないか」

 

 晩餐会が終了し、夜道を駆ける馬車の中。

 車内には、王宮から贈られた豪奢な菓子箱がいくつも並んでいた。

 シフォンは、宝石を眺めるような眼差しで、金箔を散らしたクレーム・ブリュレや、真珠のように輝くババロアを見つめている。

 そして、一口。

 

「…………っ」

 

 シフォンの瑠璃色の瞳が、かつてないほどにキラキラと輝きだした。

 

「……美味しい。……今まで生きてきた中で、一番、美味しい」

「ふふ、良かったですわね。そんなに喜んでもらえるなんて、連れてきた甲斐がありました」

 

 アリアは、満足げに、そして黙々とデザートを頬張るシフォンを眺めながら、穏やかな微笑みを浮かべていた。

 グレイスは隣の馬車で、シフォンの槍術を思い出しながら一人で素振りの練習をしていることだろう。

 窓の外を流れる王都の夜景。

 シフォンにとっては、この甘い一口こそが、今日の命懸けの「演技」に対する最大の報酬だった。

 しかし、馬車の揺れに身を任せながらデザートを堪能する二人は、まだ知らない。

 カルデナス卿が、既にシフォンの経歴の「綻び」を確信し、より巨大で、より冷酷な陰謀の網を学園全体に広げようとしていることを。

 シフォンの至福の時間は、来るべき嵐の前の、最後の静寂に過ぎなかった。

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