01.生贄の生還
神宮寺春代が生きて戻ってきた。
そして、祠の主である紅蓮に抱えられる形で帰還した。
それは瞬く間に神宮寺家内に広まった。
「あの生贄が帰ってきたですって?」
その噂は静子の元にも届いていた。
お気に入りの袴姿に着替えていた静子は、お気に入りの摘まみ細工の髪飾りを思わず握りつぶした。
「はい。祠の主の花嫁として帰還なされました」
「化け物の嫁に? よほど醜い化け物なのでしょうね」
「いいえ。それが、見たことのないほどに美しい御仁でございました」
侍女の言葉に静子は目の色を変えた。
「見に行きましょう」
静子は壊れた髪飾りを捨て、新しいものを取り出して身に付ける。
「もっとも美しいのはわたくしよ」
静子は自信があった。
次期当主である神宮寺彰浩の婚約者であり、誰よりも優れた水の異能力者だ。陰陽師としての実績も積んできた。
それなのに、誰よりも無能であった春代に負けるわけにはいかない。
「もちろんです。誰よりも美しいのは静子様でございます」
侍女は肯定した。
静子の侍女はすべて静子の言いなりだ。
「祠の主を奪ってみせましょう」
静子は笑った。
選ばれる自信があったのだ。
* * *
「――つまり、嫁にほしいと。その代わり、鬼の力を貸してくれるということかね」
大地は怯えることなく、紅蓮に問いかけた。
紅蓮は堂々と座り、膝に春代を座らせていた。
「いいや。俺の力で春代を守ってやるという話だ」
紅蓮は訂正した。
春代をぞんざいに扱ってきた神宮寺家を守るつもりはなかった。
「春代は俺の嫁だ。契約を結んだ」
紅蓮の言葉に大地はため息を零した。
あやかしとの契約は破棄をすることができない。強引に破棄させようとすれば、命を奪われることになりかねない。
大地は知らなかった。春代があやかしと契約を結ぶ意味を知らないということも、異能を操る陰陽師としての基本の知識さえも与えられていないということも、なにもかも知らなかった。無関心だった。
「祠に封印されていたほどだ。よほどの力のあるあやかしだろう」
大地は謝を下げた。
「神宮寺春代をぞんざいに扱っていたことを詫びる。これより、春代も神宮寺家の陰陽師として仕事をしなければならない。その際、春代の代わりに戦ってほしい」
大地の言葉を聞き、紅蓮は首を傾げた。
神宮寺家に戻る際中、見かけたのは悪戯や他人の悪意を増長させるだけの悪鬼ばかりだった。陰陽師が手を焼くようなあやかしに遭遇していない。
「報酬を先に受け取りたい」
紅蓮は春代を抱きしめながら、要求を告げた。
「敷地内でもかまわない。二人で過ごせる家を用意してくれ」
「祠の代わりになるのか?」
「そうだ。神宮寺家には祠が必要なのだろう?」
紅蓮は嘘をついた。
祠など必要ない。紅蓮は現世に興味がなかったからこそ、祠を破壊せずにいただけだ。偶然、花嫁衣装をまとい、祠の中に入ってきた春代に一目惚れをしたらからこそ、現世に留まっているだけの話である。
春代が現世を捨てたいといえば、あやかしが住まう幽世に連れて行くつもりだった。
しかし、春代が望んだのは神宮寺家の安泰だった。
どこまでもお人よしだ。
それが春代の性格なのだ。虐げられてきても、無能だからしかたがないと諦めてきたのだろう。
「使っていない離れがある。そこをすぐに掃除をさせるので、そこでかまわないか?」
「かまわない」
「そうか。それはよかった」
大地は安心したようだ。
それから、ゆっくりと立ち上がった。
「庭に我が家の次期当主である陰陽師を用意してある。実力を確かめさせてほしい」
大地の言葉に紅蓮は眉間にしわを寄せた。
……彰浩様が?
神宮寺彰浩は神宮寺家の中でも、当主の次に強い実力者だ。神宮寺家の火の異能を使うことができる陰陽師であり、その性格は温厚なものだった。無関心ではあったものの、唯一、春代を虐げなかった。
人間性は神宮寺家の中ではまともな部類だろう。
……勝てるのかしら。
紅蓮は鬼だ。
人ではない。
……陰陽師はあやかしを退治する専門ですのに。
人とは違う存在を退治するのが陰陽師の役目だ。
そんな相性の悪い相手に対し、紅蓮が勝てるとは思えなかった。
「俺を試すというのか」
紅蓮は牙を剝き出しにして笑った。
今にも人を食いそうな笑い方だった。
「良いだろう」
「紅蓮様」
「なんだ?」
紅蓮は優しく声をかける。
紅蓮は春代にだけは優しかった。
「神宮寺彰浩様はご当主様の次にお強い方です。お気をつけてくださいませ」
春代には止める権利はない。
しかし、心配はしてもいいだろう。
「春代」
紅蓮は安心させるように春代の名を呼んだ。
「俺は人に負けるほどに弱い鬼ではない」
紅蓮は言い切った。
その力強い言葉に春代も安心した。
「では参ろうか」
紅蓮は春代を膝から降ろし、そのまま、抱き上げる。
「紅蓮様! 自分で歩けます!」
「これほどに軽い体に負担をかけるのは良くない」
紅蓮は春代を抱き上げたまま、大地の後ろを付いていく。
大地は障子を開けるとそこには準備をしていた彰浩の姿と、噂を聞きつけた多くの陰陽師たちと使用人たちがいた。
……見世物のようですわ。
ぞっとした。
紅蓮の力を見る為に集まってきている人々の目は、紅蓮に向けられている。その視線が恐ろしく、春代は目を閉じた。