01-1.幽世は不思議な場所だった
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宙を舞う大首はけらけらと笑っていた。
百鬼夜行が境界に向かって走っていく姿は圧巻だった。
ここは幽世。あやかしや妖怪と呼ばれている者たちが好んで住んでいる場所だ。鬼火が何か所からも舞ってくる。境界から降り注ぐように鬼火が幽世へと向かってくる。
その光景を目にした春代は目を輝かせた。
地面に降ろされた春代は空を見上げていた。
「紅蓮様。ここには大勢のあやかしがいらっしゃるのですね」
「ここだけじゃない。地域ごとにあやかしが住んでいる」
「まあ。地域が別れていらっしゃるのですか?」
春代は驚いた。
真っ先に案内された場所は大きな屋敷の前だった。慣れたように屋敷の前に着地した紅蓮のことだ。この屋敷は紅蓮の住みかなのだろう。
「これから住処となる屋敷だ。少々、古臭いのは我慢してくれ」
「問題ありませんわ。祠よりも住みやすそうですわね」
「そうか」
紅蓮は春代の手を掴み、屋敷の中に入っていく。
「紅蓮様」
屋敷の中に入ると玄関で頭を下げている狐耳の少女がいた。
それに気づいた紅蓮は嫌そうな顔をする。
「旭叔父様がお呼びでございます」
「断る」
「断ることはできません。そちらの人間についてのお話もございますので」
狐耳の少女はゆっくりと顔をあげる。
両目の横に赤い化粧を施した少女の瞳孔は獣のようだった。
「黒江という許嫁がおりながらも、人間を嫁にするなど許されません。旭叔父様はお怒りでございます」
少女、黒江は許嫁を自称する。
……許嫁がおられたのですか!?
春代は酷く驚いた。
契約結婚を持ち掛けてきたのは紅蓮だ。まさか故郷に許嫁がいるとは考えもしなかった。
「許嫁など親父殿が勝手なことを決めただけだ」
紅蓮は否定しなかった。
しかし、乗り気ではなかったのだろう。
「俺は春代と契約結婚をした。黒江とは結婚しない」
「それは困ります。黒江は紅蓮様を恋い慕っているのです」
「嘘は止めてくれ」
紅蓮は黒江の愛の告白を嘘だと決めつける。
黒江の視線は春代に向けられた。
「人間、何歳になりましたか?」
「16歳になりました」
「16歳! あやかしにとっては赤子も同然ではないですか! 赤子に恋をするなど、酒呑童子様は許しはしませんよ!」
黒江は酷く驚いたような顔をした。
あやかしや妖怪と呼ばれている者たちからすれば、人間は等しく赤子も同然だ。百年経たなければ付喪神になれないように、百年経たなければ一人前と認められない。
紅蓮は三百数年生きる鬼だ。
自立した生活をしている。
いまさら、父親である酒呑童子の機嫌を取ろうとは思わなかった。
「鬼道丸様も外道丸様もお認めにはなりませんわ」
「睡蓮は喜んで認めるだろうな」
「紅蓮様に懐いている睡蓮様は別ですわ」
黒江は紅蓮の言葉に言い返す。
それをしながら、春代に視線だけは向け続けていた。
「睡蓮様が好みそうな見た目ですこと」
「そ、そうですか」
「怯えた様子は合格ですわ。あやかしたるもの、人間に舐められては困ります」
黒江は尻尾を左右に振るう。
尻尾は二本。二百年近くしか生きていない証拠だ。
「怯えているんじゃない。引いているんだ」
「同じことでしょう?」
「まったく違うことだ」
紅蓮は訂正をした。
それに対し、黒江は首を傾げる。
「とにかく、許嫁はこの黒江ですのよ」
黒江は主張する。
それに対し、紅蓮は呆れたような視線を向けた。
「奴隷のように使ってさしあげますわ」
黒江は堂々と宣言した。
それに対し、春代は静子を連想させていた。
……また蹴られるのでしょうか。
痛い思いをするのには慣れている。
しかし、人ではないあやかしのすることだ。軽いけがですまないだろう。
「赤子にできることなど限られているでしょうから、どうしましょうかね」
黒江は一人で悩みだした。
黒江は人を甚振る趣味はない。奴隷のように使ってやると宣言したものの、なにをさせればいいのか、わからなかった。
……赤子扱いですか。
あやかしからすれば、人間は等しく赤子だ。
「赤子はよく食べてよく寝るのが仕事ですわ。やせ細っていることですし、あなたにする嫌がらせは太らせることにしましたわ」
「それは嫌がらせなのでしょうか」
「嫌がらせですわ。太らせてから美味しくいただきますわ」
黒江は怖いだろうと言わんばかりの顔をした。
「黒江様は人を食べるのですか?」
「食べませんわ。わたくしの好みの味ではありませんもの」
「そうですか。では、食べられる心配はなさそうですね」
春代は安心した。
……好みの味でしたら、食べられていたのでしょうか。
不安になった。
「安心なさるのは早くってよ」
黒江は尻尾を揺らしながら、威嚇をする。
その姿の愛らしさに春代は和んでしまった。
「紅蓮様の嫁になると覚悟を決めた日から、嫌がらせは承知の上で幽世に参りました」
「なんですって」
「人が鬼の妻になることを認めない方もいらっしゃると承知の上です」
春代は負けなかった。
静子からの嫌がらせに比べれば、黒江の脅迫はかわいいものだ。
「あなた、死ぬかもしれないのよ」
「紅蓮様の元で死ねるのならば本望です」
「そこまで覚悟をしてきたの。そう。あなた、かわいそうな子ね」
黒江は同情をした。
……かわいそう。
その言葉が胸に刺さる。
春代の生きてきた道のりは同情を引くものだった。いつだって、人として扱われず、道具として扱われてきた。それを同情されたのは初めてだった。