英雄皇帝は死の間際にトレーニング不足を嘆く
フリードリヒ一世。又の名を、バルバロッサとも。
ドイツ諸邦を纏め上げ、傾きかかった神聖帝国を立て直した皇帝。
戦に交渉。剛と柔を巧みに使い分け、目的を成す英雄でもある。
そんな彼は、激動とも言える人生を送った。
二十五の歳、父の死と共に大領地を継承する。
その数年後には、ローマ王というドイツ諸邦の頂点に君臨する事となる。
そこからの彼は、権力に溺れる事無く、国の安定を目指した。
自身の持つ権利を切り崩し、味方を増やしていった。
最大のライバルに対しても同様に、協調の道を模索した。
そして、やり遂げた。足元が固まったのだ。
そこで彼は、柔から剛へと舵を切る。
神聖帝国が神聖たる所以。ドイツなのにローマである由縁。
いわゆる、イタリア遠征の開始だ。
その頃には、彼の称号は王から皇帝へと変わっていた。
戴冠を受けた相手と、幾度となく争った。
その相手が病死すると、後継問題にも介入した。
だが、これが良くなかった。
本国を後回しにしたツケが、じわりじわりと彼を蝕む。
剛毅な政策が、イタリア諸邦の反感を買う。
味方から顔を背けられながらの戦いに、彼は敗北を喫する。
後継問題でも、苦渋の譲歩という結果に終わる。
しかし、彼は天に見捨てられてはいなかった。
相手方の足並みが乱れに乱れたのだった。
敗北と譲歩を取り戻すべく、彼は柔軟に交渉した。
そして、ある程度の挽回を果たしたのだ。
そこからの彼は、緩急剛柔の姿勢で多くの成功を収めていく。
外交政策によって、周辺国への影響力を強めた。
国内政策でも、再びの安定を取り戻す事となる。
そんな彼のもとに、衝撃的なニュースが舞い込んだ。
聖地エルサレムの失陥である。
神聖帝国の長としての彼とキリスト教徒としての彼の間で、難しい決断を迫られた。
帝国の近隣には、火種があった。
しかし、敬虔な彼は、十字の軍に身を捧げたい。
そして、彼は十字架を掲げる決意をしたのだ。
厳しい道のりだった。
戦の数々に、補給の不安。慣れぬ土地というのも、拍車をかけた。
それでも彼は突き進む。掲げた十字の為に……。
――それは、突然起こった。
渡河の最中の出来事だ。
彼の馬が足を滑らせ、彼は水面に叩きつけられる。
そして、彼の遺体は発見されぬまま、その生涯を閉じたのである。
彼は、死の間際にこう思ったのではないだろうか。
出生地の河で、もっと泳ぎのトレーニングをしておけばよかった、と。
彼亡き十字の軍は、聖地を奪還する事が叶わなかったのだった。