4話 迫撃において動物系こそが最強種!
大口真噛の保有する【スキル】は二つ。
一つは『獣化(狼)』。悪名高き、獣の力を身に宿す【スキル】。
一口に獣化と言っても、変じる獣の種類によって、それぞれ長所や短所にバラつきがある。狼であれば敏捷性や攻撃力に秀で、象であれば抜群のタフネスを誇るといった具合だ。
もう一つの【スキル】が『獣身装具』。種別としては強化系の【スキル】であるが、強化対象は筋力でも敏捷性でも、耐久力や持久力でもない。
己の身体を武器や防具と見做し、その性能を強化するという能力だ。
例えば、腕力を強くするのではなく、握った拳を固くする。あるいは、牙や爪の鋭さや切れ味を高める。
『獣化(狼)』との相性は滅法良く、真噛が素手で戦闘を行う最大の理由だ。半端な刃物より、自前の爪牙の方が余程頼りになるのである。
二つの【スキル】はどちらも己の身体を強化する系統。
近接戦に秀でるどころか、近接戦しかできない。だが、それで良い、それが良いのだと真噛は満足していた。
強みと弱みがはっきりしていること。これさえ長所となり得る。
強みを伸ばすか、弱点を補うか。強くなるための道筋を思い描き易い。
「――筋肉だ。筋肉はすべてを解決する」
真噛は、強みを伸ばす道を選んだ。
【スキル】や【魔法】はその者の可能性の具現であるという論説。これに則れば、【スキル】や【魔法】の長所と短所は、使い手の素養、素質、才能、適性といったものを如実に表す。
つまるところ、短所を補うことは適性の段階から難しいが、長所は才能に溢れるがゆえに容易に伸ばしていける。後者の方が努力が実りやすい。
加え、彼が主戦場とする『禁域』は不二の樹海だ。遠距離攻撃を可能とする【スキル】や【魔法】を習得したとしても、大木が射線を切ってしまい使いどころが少ない。
魔獣が遠距離攻撃手段を持っていたならば、それこそ遮蔽物の陰に隠れながら急速接近し、己の土俵に持ち込むまでのこと。
ゆえに筋トレだ。
【スキル】による二重の身体強化により、肉体機能の上限は大きく引き上げられた。身体能力はそのままに、相対的に肉体の位階は最初期に回帰したようなものだ。
レベル一とレベル九十。どちらの成長が早いかは論ずるまでもない。己の成長を実感する毎日であり、行き詰る気配が微塵も感じられない。上限がどこにあるかなど、真噛自身にさえも予想がつかない。
より速く。より堅く。より強く。
近接戦に求められる要素、あるいは理想の戦士に求められる力は、そう複雑なものではなく、また多いわけでもない。
ただ肉体を鍛えるだけで近づけるのであれば万々歳。況してや人の倍速で階を駆け上がれるのだから、迷う理由が無い。
「鉄棒を岩にぶっ刺して素振りぃ……!」
脳筋と侮るなかれ。身体能力の差は戦力に歴然とした差を生み出す。大概の格闘技における階級わけも、体重そのものではなく、大きさと重さが生み出す、威力や耐久力を脅威的と見るがゆえの措置だ。
大きければ強い。力があれば強い。耐久に優れていれば強い。
戦闘における最大の資本は肉体だ。戦術や技術を馬鹿にしているのではない。それらも大事ではあるが、肉体という強き土台がなければ用を為さない。
根幹を担う身体能力と、そこから派生した枝葉。より重視されるべきは、当然前者である。
「岩を担いで屈伸っ……!!」
筋トレと言えば、専用の施設。しかし、裏家業の人間以上に疎まれるのが獣人だ。
獣人であることを公開する、真噛が利用できる公共施設はそうそうない。探せばどこかにあるのだろうが、近場にはなかった。
無くて諦める真噛ではない。
無いならば作る。単純な発想の転換である。
探索者活動の傍らに貯めた資金。これを定期的に放出し、修練用の道具や材料を購入し続けた。
探索者の資格を取得してから早数年。数多の器具を揃えた真噛専用の修練場の完成である。
「重りを引き摺って走る……!!!」
幸いなことに、真噛の自宅はかなり大きい。というのも、元工場なのだ。
『禁域』近くということで価値が底値となった負動産。買い手が一向につかないそれを、真噛が買い取った。
既製か自作を問わず、筋トレの道具は大型のものもあるが、使用者が真噛一人ならば、複数種の道具を用意してもその総数は数えられる程度だ。元工場の敷地を埋め尽くすことはない。
「――疲れたぁ!」
大型の道具を用いた全身運動で満遍なく刺激し、その後は小型の道具により各部位を集中的に追い込んだ。総計二時間弱、しかも今や超人的なパワーを得るに至ったとはいえ、それに応じて負荷を強くしている。
楽な鍛錬に意味はない。体が悲鳴を上げるほどに苛め抜くから、鍛錬足り得るのだ。
滝のように流れる汗が、下着と上着をビッショリと濡らす。衣類が肌に張り付く感覚は不快だが、努力の証だと思えば、達成感が優る。
筋トレが終われば、ささやかなご褒美の時間だ。
汗を吸い込んだ衣類を洗濯機に叩き込み、浴室にて湯をを頭から浴びる。汗を流す、この瞬間の爽快感も、筋トレの醍醐味の一つだ。
全身を隈なく洗い、気分爽快、元気百倍といった心持で湯船につかる。肩まで身を沈めると、意識するまでもなくホッと一息ついてしまう。
蒸気が水滴となって付着する、天井を眺めていると、とりとめもなく思考が浮いては消える。
トレーニングのこと、まだ見ぬ魔獣や『禁域』のこと、【スキル】や【魔法】のこと、そして虎徹の那珂の姉妹のことだ。
「いくつか道はあるだろうが、あの二人はどれを選ぶか……」
見たところ、姉と妹で、それぞれ違う視点から物事を見ているようだった。それでいて、姉妹の関係性は対等。であれば、今後の動向についても、一人の意見が一方的に採用されるということはないはずだ。
姉妹で話し合い、落としどころを探る。つまり意見が平均化される。性根が良識を備えた善人とくれば、奇抜、突飛、極端な選択肢を取る可能性は甚だ小さい。
「伸るか反るかってところだろうが、どうかな。七対三くらいで不利か?」
同族であることを理由とした勧誘。今回、真噛は誘う側だが、誘われる側であったのなら、心の天秤は拒否へと傾くだろう。
探索者は、魔獣相手に切った張ったを繰り返す、命知らずの代名詞だ。怪我を理由に引退する者もいれば、天に召される者もいる。死体を貪られ、墓に入る事すらできない者までいる。
探索者は、それ以外に道の無かった者の行きつく果てだ。進んでなりたがる者は、英雄譚に憧れた大馬鹿者か、一獲千金を夢見る身の程知らずのみ。
常識的な姉妹が足を踏み入れる世界ではない。それに、良く知らない男と肩を並べ、背中を預けたいとは思うまい。
だが、問題は一切ない。
今後も姉妹とは連絡を取り、熱心に口説くつもりだが、最終的に彼女たちが首を縦に振らずとも構わない。勧誘を完全に断られてしまっても、全く問題ないと真噛は考えている。
なぜなら、姉妹が自らの意思で真噛との接触を図った。それ自体が一つの大きな成果なのだ。
姉妹という形態に限らず、運命共同体はどうにも腰が重くなりがちだ。意見のすり合わせに時間が掛かることもそう、他者のことを思うがゆえにすれ違うこともある。
集団の歩みは、個人のそれより遅い。古今東西に通じる、普遍の真理だ。
腰が重い姉妹の心に響いた。歩みの遅い姉妹を動かした。ならば、個人の心にも響くし、個人の足を動かすこともあろう。
姉妹との接触により、真噛は己手法に間違いはなかったのだと確信を得られた。
今回の勧誘が実らなかったとしても、次に移ればいい。これまでは予想でしかなった『次』を、確信を持って座して待つことができる。
「一歩前進だな。負けを見越して前進ってのも変だが」
前進したということは、それに応じて動きも変えなければならない。
『獣人と接触する手段』に注力していたが、これからは『有効な勧誘方法の確立』について頭を使う必要がある。
今後出会うことになる獣人はもちろん、返答が保留となっている、虎徹と那珂の姉妹に勧誘の可否にも係わるため、早急に取り組むべき課題だ。
「提示できる利益を増やすか」
何のかんのと言っても、最終的に人を動かすものは損得勘定だろう。
友人、恋人、家族に伴侶。深いつながりがあれば情に訴えることも出来ようが、真噛の現状とは無縁の話だ。
真噛の誘いに頷くことで、何を得られるか。どれだけ得られるか。
肝はそこだ。
「衣食住足りてなんちゃらって言うし、そこにも気を回すか」
衣は自前のもので何とかさせる。
食についても、探索者となり収入を得られるようになれば、心配は不要。
だが、住だけは簡単な話ではない。
賃貸物件の大半は、獣人お断りだ。ともに探索者として活動するならば、『禁域』近辺に引っ越してもらうことがベターだが、世情を鑑みるに厳しいところがある。
企業の社員寮のようなものを準備することは出来ずとも、近隣の不動産情報の集積程度なら大した労力を掛けることなくこなせよう。
相手が希望すれば、という前提ありきの話になってしまうが、真噛宅の有り余る敷地を提供することも有りだ。
「俺自身にも箔をもっとつけなくちゃ、説得力が足りねえよなぁ」
結局のところ、最後の頼みとなるのは、言葉の重みと力だ。
いくら利益を提示しようと、軽い言葉で誘うだけなら詐欺師と変わらず。実際に利益を渡す用意があったとて、信憑性に欠ければ聞き手が乗ることは無い。
信憑性を得る手っ取り早い手段は、肩書や実績、何でもいいが箔をつけること。無職の宿無しより一国の王が強い発言力と影響力を持つように、掲げた看板と立場が力を生む。
探索者の身分を持つ真噛なら、そのランクを上げることが手軽かつ確実だろう。ランク5ともなれば、英雄級だ。看板としての役目は大いに果たせる。