1話 人狼
大口真噛は探索者である。
とある【スキル】が数年前に芽生えたことがすべての始まりだ。学生との二足の草鞋で探索者として活動を開始し、現在ではランク3の探索者だ。
探索者のランクは見習いの1から最上位の5まである五段階だ。ランク3の真噛は、丁度ど真ん中のランクということになる。実際、ランク4からベテランと見られることを踏まえれば、実力・実績共に妥当な評価だろう。
けれど、彼はランク3で燻るつもりはない。
保有する【スキル】のせいで、これまでチームを組むことが出来なかった。単独の活動のみでランクを上げてきた。
「それはここで終わりだ」
単身のままでもランクを上げることは可能だ。前例はあるし、手応えからして自信なら出来ると確信してもいる。
しかし、ランクが上がれば、より強壮な魔獣と相対することになる。ランク3まで単身で駆け上がることが出来たからと言って、ランク4以降も同じようにできると己惚れてはならない。
とどのつまり、ランクを上げることは可能でも、その後の探索活動が綱渡りとなってしまうようでは意味がない。
であれば、チームを組むべきなのだが、真噛はその身に宿す【スキル】が原因でチームを作ることができない――より正確に言えば、できなかった――という話に戻る。
そして、彼は既に堂々巡りを解決する秘策を持っている。
「ほいっとな」
わざとらしい掛け声を一つ。
認めた手紙を郵便の差出箱へ放り込む。
手紙の内容は、真噛自身の探索活動と、それを流布する依頼だ。あて先は顔と名前を知っているだけの詩人から、探索者協会などの組織や施設までより取り見取り。あて先は様々だが、大きく取り上げられることはあるまい。大半がゴミ箱行きだ。特別甘く見ても、施設の片隅で掲示されるか、詩人が場末の酒場で飯の種とする程度だ。
だから数だけは蓄えた。
用意した手紙の総数は把握していないが、数十枚、数百枚という単位ではないことだけは確かである。依頼内容に変更はないが、記載される探索者活動については一つとして同じものはない。
手始めとして初日は五十。以降は毎日一枚ずつ投函していく。
結果がいつ出るかは分からない。一週間や二週間では目に見えるほどの成果は現れまい。一か月経過しても結果が出ないかもしれないが、だとしても残りの手紙はまだまだ仕舞われている上、真噛は今や専業の探索者であるため、日々探索活動を行い、投函する素材が補給され続けている。問題はない。
今後の展開を思い描きながら、真噛は床に就いた。
翌朝。朝食と着替えを済ませ一休み。
時計の針が九時を過ぎたあたりで、真噛は家を出た。
行先は当然、魔獣の領域たる『禁域』。大和一の霊峰、不二の麓の大樹海だ。
大和をほぼ東西に分断する大樹海は、植物系、動物系、蟲系の魔獣が多く生息する。魔力に誘引された自殺者や、探索の過程で死亡する探索者が多いことから、アンデッド系の魔獣まで出現する。
また、環境そのものも驚異的だ。樹齢数百年の大樹は当たり前。樹海の奥地ともなれば、真昼間であっても真面に陽の光が地表部に届かない。大型魔獣であっても一度嵌まれば抜け出せない底なし沼に、毒ガスを噴出する地帯まであるのだ。
不二の樹海の危険性は、生息する魔獣も然ることながら、環境要因が大きく起因している。国内有数の難度、と伊達に称されているわけではないのだ。
翻って、何故ランク3の単独探索者でしかない真噛が、斯様に危険な領域を主戦場と定めたのか。そこには明確な理由がある。無ければそのような判断は下さない。
「雄ォォォオオオ!」
その理由とは、即ち【スキル】。
彼がチームを組めずにいる理由でもある『獣化(狼)』だ。
『獣化』には、身体機能を程ほどに向上させつつ外見の変化が軽微な『半獣化』と、身体機能を大幅に向上させるが二足歩行の獣と称して良いほどに外見に変化を齎す『完全獣化』の二種類がある。
保有する別スキルとの兼ね合いもあることから、真噛は専ら『完全獣化』を用いる。
樹海に踏み入り、魔獣と邂逅一番、【スキル】を解放。黄色人種の肌は漆黒の毛皮に覆われ、爪は短剣と見紛う鋭さを宿す。
二足の狼、即ち人狼へと変じると、真噛は敵を睨みつけながら咆哮する。
叫び自体に然したる意味はない。獣の力を顕現する【スキル】のせいか、そうせずにはいられないだけのこと。しかし、意味は無くとも価値はある。獣ゆえに叫ぶならば、獣ゆえに闘争心を掻き立てられるのだ。雄叫び一つで、心身が戦闘に深く埋没していく。
「グルルァアア!!」
燃えるように高鳴る胸の鼓動とは裏腹に、真噛の頭は冷静に敵の戦力分析を行う。
鉄鎧熊。名前の通り、鎧を着込んだかのような防御力を持つ魔獣だ。熊らしく同種通しで争うこともあるためか、先に挙げた防御を貫く爪牙も備える。
立ち上がれば、獣化した真噛でさえもが見上げるほどの体躯。総重量は優にトンの大台に乗るだろう。体重を乗せた右の一振りはまさに黄金。直撃すれば人狼とてタダでは済むまい。
ランクは3。近接戦闘においては多分に脅威だが、遠距離攻撃手段を持たず、それゆえに距離を取った戦いを展開すれば、然程撃破に苦労しないことが評価の理由だ。逆説的に、近接戦闘に限ればランク以上の戦闘力を持つ魔獣である。
気性は獰猛。不意の遭遇戦にも腰が引けることはない。人狼の雄叫びに、真っ向から吠え返してみせた。
両者が駆け出したのは全くの同時。そして先手は魔獣が取った。
「グォオ!」
体重と勢い任せの吶喊。単純だが強力。その迫力たるや、暴走した馬車を吹き飛ばす勢いだ。
だが、当たらない。真噛はアイアン・ベアと比して、体格と重量では劣る。つまり、より身軽なのだ。近場の木の幹を足場に、三角跳の要領で容易に頭上を取る。
自身の真下を通り抜ける魔獣の背に、刃の如き爪を備えた五指を突き立て振り抜いた。人狼の腕力に、アイアンベアの勢いまで加算した一閃ならぬ五閃だ。魔獣の毛皮のみならず、その下の肉までをも引き裂き、鮮血を噴き上げさせた。
「足りねえか」
軽やかに着地し、真噛は独りごちる。
手ごたえはあった。爪は魔獣の血によってしとどに赤く染まっている。
しかし、長さと大きさが不足していた。アイアン・ベアの巨躯に対し、爪という武器の何と短いことか、小さいことか。
皮膚を破れる。肉も裂ける。けれど、骨を断ったり、臓腑を貫くことは出来ない。
近接一辺倒の真噛が取ることのできる、選択肢はそう多くない。
一つ、肉の薄い頸部を一息に貫く。
アイアン・ベアはその巨体ゆえに二足で直立した際には頸部及ぶ頭部が高くに位置し、正確に狙うことは難しく、博打の要素が強い。少なくとも現状は、博打に出る段階ではない。かと言って、四足歩行の状態の魔獣に吶喊するも危険。何せ、熊は本来、四足歩行の猛獣だ。大きく開かれた、虎口に飛び込むも同然の愚行は博打ですらない。
一つ、分厚い毛皮と肉の鎧を無視するダメージを与える。
例えば、脳髄を強烈に揺らすことが出来れば、如何に屈強な魔獣とて一溜まりもあるまい。尤も、意図して脳震盪を引き起こさせるような技術を真噛は持たないので、第一案以上に荒唐無稽と言える。
であれば、第三の選択肢だ。一つの傷で足りなければ十の傷を。十の傷でも足りなければ百の傷を。
全身に無数の傷を負えば、タフネス自慢の魔獣も消耗は避けられないはずだ。況してや戦闘の最中。駆け回り、攻撃や防御のために力むこともあるのだから、痛みが激化し、出血は増加する一方だろう。
愚直だが堅実。何より性に合っている。比較検討は形だけのこと。真噛の選択肢は、最初から一つだけだった。
ゆるり、と。弧を描くにようにして歩き出す。静かに、慎重に間合いを測る。
意図を察してか、魔獣もそれに応じる。低く唸りつつ、周り始めた。
互いに近づいては離れ、離れては近づく。最適の間合い、最適のタイミングを手繰っていく。
引き締まる空気。然程大きな音でもあるまいに、相手の息遣いや足音がいやに耳に残る。緊張感が高まり、弾けるその刹那。
真噛は矢のように飛び出した。
対照的に待ち構える魔獣は、迎えるように大きく口を開く。獅子、虎、そして熊。大概の大型肉食獣最大の武器は牙であり、最強の攻撃は噛み付きだ。
鉄板すら貫く牙と咬合力を併せ持つ、アイアン・ベアに噛まれてしまえば、人狼と言えど軽傷では済まない。腕に噛み付かれれば腕を、足に噛み付かれれば足を食い千切られよう。即ち重傷は必至。部位によっては致命傷すら負いかねない。
が、それもすべては、当たればの話だ。殺傷力がいくら高かろうと、当たらなければノーダメージである。
噛み付きの射程は短く、攻撃範囲も狭い。人狼の動体視力を以てすれば見切ることは容易く、その俊敏性を活かせば、全く速度を落とすことなく半歩横にズレるだけで回避してみせる。お返しとばかりに爪を突き立てながら駆け抜け、跳躍。
幹から樹上へ。樹上から地表へ。地表から再度樹上へ。超高速で魔獣の周囲を巡る。
加速に次ぐ加速。その速度は留まるということを知らず、高まり続ける。それはいざ攻撃に転じた際の破壊力に直結する。
加えて、四足獣の宿命として、アイアン・ベアは後方と上方が死角となりがちだ。速度も相まって、到底人狼の動きを捕捉することができない。
だからこそ、否応なしに警戒心を植え付ける。
何度も何度も頭を振り、必死になって人狼の影を追う。それでも追い切れず、体ごと向きを変え、だが捉えられない。
何せ、真噛は地表のみを駆けているのではない。三次元的に動き回っているのだから、視点に高さが足りていない。
だから、アイアン・ベアは二本の後ろ足で直立した。少しでも人狼に近い視座を獲得し、かつ死角を減らすための行動だ。
理屈の通った判断ではあるが、ここにおいては完全なる悪手。そも鈍重なアイアン・ベアではどの道、人狼の軌道を見切ることは不可能だ。むしろ、四足歩行の際には隠されていた胸部や腹部が前面に晒され、隙と化している。
それ即ち、真噛の待ち望んだ好機。決して出遅れることはない。
魔獣が直立した瞬間。人狼はその懐へと飛び込んでいた。
「そぉらっ!!」
爆発するかのような踏み込みは、強く大地へと力を伝え、また返ってくる。
足から腰へ。腰から胸へ。胸から肩へ。肩から腕へ。
極まった力と速度を集約。そして解き放つ。
単なる貫手は、必殺の貫手となり、アイアン・ベアの脇腹を抉り取った。
内臓に達しないまでも、ほぼ拳大の穴だ。流れ出す血の量は、背中の傷のそれとは比較にならない。魔獣の毛皮を深く、広い範囲で濡らす。
「しゃオラぁああああ!」
待ちに待った攻め入る好機。一撃入れただけで離脱するなど以ての外だ。余すところなく活用し尽くさなければならない。
魔獣の悲鳴を、雄叫びで以て上書きする。
両の手を力の限り振り回す。縦、横、斜め。あらゆる軌道で奔る爪撃が、瞬く間にアイアン・ベアの腹部へ数十の傷を負わせた。
「ゴォアアアアア!!!」
魔獣もやられてばかりではない。反撃の狼煙を上げるかの如く、強く、高く、叫びを上げた。
魔獣が右の前足を振り下ろす。真噛がさんざん見舞った爪撃の返礼だ。同種であっても、そこに宿る威力は桁違いである。
腕力が違う。体重が違う。爪の長さも違う。真噛が十度食らわせてもアイアン・ベアが斃れることはないが、アイアン・ベアは一撃で彼を屠り得る。
だが、当たらない。力任せの大振りなど、掠らせることすらない。バックステップで回避、全力の攻撃を外し、若干体勢を崩した魔獣の懐へ再度飛び込む。前進の勢いを両腕に乗せ、交差させるようにして振り抜いた。
「……手応えあったな」
散々同じ部位を切り裂き続けた甲斐があって、明らかに手応えが変わった。
頬を濡らす返り血の量が増した。魔獣の体幹がグラついた。それらの事実が、真噛の感覚が誤りでないことを証明している。
確信だ。真噛は此処に勝利の確信を得た。
一撃を見舞いながら、魔獣の脇を擦り抜ける。そのまま背後に回り、けれど攻め入ることはしない。地面と木々を足場に三次元的軌道に移行する。
これで最早、アイアン・ベアは真噛に追いつけない。対して真噛は常に魔獣を射程に捉え続け、隙を見つけたならば攻め込む。
そうでないならば、現状を維持し時間を稼ぐ。それだけで出血によって魔獣は弱っていく。
加え、射程に捉え続けることで逃走も許さない。
「これで詰みだ」