めでたしめでたし。あるいはめでたくはなかった話。
「コーラル・カルブンクルス!貴様との婚約、破棄させて貰う!」
堂々と女性に向かって指を突きつける我が国の第三王子のそんな発言に、飲食中の人間が全員揃って気管支に異物を放り込んで咳き込んでしまった。
まあ控え目に言っても愚物であった第三王子ではあるが、そこまで愚かだったとは。
公爵家で唯一王家の血を引かず、代々長女が当主となる特殊な家にして建国以前より存在する一族。
国内においては『第二の王家』、『王国の盾』と言われ、国外においては『王国の悪夢』、『人の形をした災厄』などと恐れられるカルブンクルス家。
そんな家との婚約を自ら破棄するとは。
横目で見ると宰相が眉間を指で抑えていたし、国王陛下は頭痛を感じたのかこめかみを押さえていた。
第三王子派だった家の者は気を失ったのか倒れている者さえいる。
渦中のカルブンクルス嬢は興味なさげに手の中でグラスを揺らしている。
「一応、伺っておきますが……何か理由がおありで?」
「決まっている!貴様のような化物と結婚できるか!」
『ああ、まあ、そうだろうけど』。
恐らくはそんな感想をほぼ全員が感じたことだろう。
煌々と輝く赤い髪と紅玉のような瞳。見た目だけで言えば王国でも一二を争う美少女だ。
だが彼女は、剣を持てばドラゴンを片手間に屠り魔術を使えば天地を揺るがす。
先日は攻め込んできた隣国の敵軍相手に単身素手で乗り込み、敵の指揮官を捕らえて帰ってきた。
……『ただ腕を掴んで敵軍の陣地の中を引きずってきた』というのを捕らえたというならば、だが。
敵兵もさぞ困ったことだろう。剣で髪の毛一本も斬れず、矢は服をも通さず、魔術は吐息一つでかき消す令嬢を相手にしなければならなかったのだから。
「そうですか。私を化物呼ばわりしたことに関してはとりあえず置いておきましょう。……そもそもこの婚約は王家からの申し込まれたものです。それをお忘れですか?」
「ぐっ……それは、そうだが……」
「私に瑕疵があるならともかく、一方的な言い掛かりで婚約破棄するのですか?」
「……瑕疵ならある!こちらのパルウム・ウォークス嬢に陰湿な嫌がらせをしたではないか!」
そう言われて肩を抱き寄せられた令嬢が顔を真っ青にして首を横に振っている。
彼女に関しては私も知っているが、嫌がらせは受けていてもカルブンクルス嬢からではなかった。
そもそも、カルブンクルス嬢が嫌がらせをする理由も、意味もない。
本気を出せば王国を滅ぼせるような、神話にすら名を残す一族に。
現に今も第三王子の事を道端の小石でも見るかのような目で見ている。
「ラティオ・レガリア・グロウメイズ殿下」
「な、なんだ、そのような顔をしても―――――」
「私が本気を出せば嫌がらせなどせずともこの世から『無かったこと』にできますが?」
カルブンクルス嬢の笑顔にひっ、と小さい悲鳴をあげる第三王子。
直線上にいたウォークス嬢含む気の弱そうな女性数人が気絶する。
……気絶しなかっただけ、彼は優秀なのだろうか?
「それに、私がそのような愚かな事をしたと思われるのも癪ですね」
カルブンクルス嬢が空中に指を引っ掛けそのまま引っ張る動きをすると一人の令嬢が空いた空間に引きずり出された。
魔術の素養が一定以上ある者なら、彼女が空間を歪曲させたのが分かっただろう。
勿論、片手間にできるものではない。
「な、ぜ、私が……」
「この期に及んで何故、と言いますか。私が何も知らないとでも?パルウム様にくだらない嫌がらせをしていたのは貴女ではありませんか」
カルブンクルス嬢が令嬢――確かラクリマ・メディケ伯爵令嬢――の肩を掴む。
「ち、ちが……」
「私が何故『断罪のカルブンクルス』と呼ばれているかお忘れで?」
有名、というか知らない貴族はいないだろう。
国王陛下、法務局以外でただ単独で罪人を裁く権利を持つ一族。
普通であれば一貴族に持たされるものではない裁判権と処刑権を与えられた異質な家。
故に『断罪のカルブンクルス』……というわけではなく。
むしろ、もう一つの理由が大きい。
今カルブンクルス嬢が虚空から取り出した一本の剣。
本人が抱えた罪業の分だけ苦痛を与える裁きの剣、『断罪剣』と呼ばれる『冥府の王』の神剣。
才ある者のみに与えられる神からの祝福。一般には『魔法』と呼ばれる。
無から火を起こし、火を操るのが魔術ならば、水を燃やし、凍てつく炎を生み出せるのが魔法だと言われる。
理を操るのが魔術なら、理そのものを操るのが魔法だ。
彼女は魔法を持つ。一つは『断罪』。抱える罪を暴き、裁く魔法。
カルブンクルス嬢が剣を振るう。『断罪剣』が斬るのは罪のみ。人も物も斬ることはない。
「私には貴女が犯した罪が全て見える。貴女が罪と思っている罪も、誰かが罪と思っている罪も」
「ゆ、ゆるじ……」
与えるのは断罪と苦痛。贖ったと認められるまで続く苦痛は人を狂わせる。
メディケ嬢が床へと崩れ落ちる。瞳には涙が浮かび、口からは涎が垂れ落ち、足元には淑女にあるまじき染みができていた。
「貴女を裁くのはこの『断罪剣』。許しを乞うなら偉大なる『冥府の王』へ」
再び剣が振るわれる。カルブンクルス嬢の剣の腕があれば一振りに見える速度で三十は斬れるだろう。
「ぎあああああっ!?……ご、ごめ……あ、あ、が、う、う、ゆるじ、で……」
「謝るのならパルウム様へ」
三度剣が振るわれ、メディケ嬢が気絶する。
もう一つは『無限』。全てにおいて限界が無くなる魔法。
どれだけ動いても体力が尽きる事はなく、どれだけ傷付いても死ぬことはない。
カルブンクルス家の当主が代々受け継ぐ魔法。
カルブンクルス家の当主が死ぬことができるのは次の当主が生まれた後だけ。
その魔法のせいかカルブンクルス家の当主は代々人格に欠陥を持つ。
共感性に乏しく、冷酷で、他人に愛情を感じない。
彼女は苦痛も、快楽も、怒りも、悲しみも、無限に薄められる。
「さて、ラティオ様。……あら?」
「殿下なら気絶してますよ」
私が第三王子殿下を崩れ落ちないように支えている姿を見て、カルブンクルス嬢は仕方ないと言わんばかりに溜息をつき、首を横に振った。
国王陛下が大きい溜息の後、苦々しく口を開いた。
「……第三王子、ラティオ・レガリア・グロウメイズとコーラル・カルブンクルスとの婚約を破棄すると共に、ラティオの王位継承権を剥奪、半年間の蟄居の後、臣籍降下させる。……愚息が済まなかった、カルブンクルス公よ」
「いえ、構いません。陛下にはご迷惑おかけしました。私が彼の信頼を得られなかったのがそもそもの原因ですので」
「だとしても、ラティオがやった事は許されることではない。カルブンクルス公が建国からの忠臣である事は常々伝えてはいたのだが……蔑ろにしてしまった」
「陛下。我がカルブンクルス家は常に王家と王国をお守りすることを誓った家です。初代国王陛下との契約を、我々は決して違えることはありません。――偉大なる『冥府の王』と、この『断罪剣』に誓って」
カルブンクルス嬢が指を鳴らすと、色々と汚れたカーペットが元通り綺麗になり、第三王子殿下とメディケ嬢以外が意識を取り戻す。
高度な『浄化』と『気付け』の魔術だ。
「では、これで失礼いたします」
もう一度指を鳴らすと同時にその姿がかき消える。『転移』の魔術だ。
必要な魔力量から言っても、国内で単独で使えるのは彼女一人だろう。
何事も無かったかのように去ってしまった彼女のことを考え、国王陛下が再び溜息をつく。
「……どうすれば良かったのだろうな」
「どうにもならなかったかと。第三王子殿下でなければあるいは、とは思いましたが」
「随分とハッキリ言うな」
「第一王子殿下をカルブンクルス家へ婿に出すわけにも行きませんし、第二王子殿下は既に心に決めた人がおりましたから」
「……あれ程失礼な真似をしても尚、我々に従って貰えるだけ良かったのだろうな」
「素行の悪かった第三王子殿下を廃嫡する理由ができ、傀儡にしようとしていた者達の勢力を削ぎ、カルブンクルス家からは……まあ、信頼を繋ぎ止めたままでいられた。結果だけ見れば上出来でしょう」
第三王子殿下を近くにいた護衛へと引き渡す。
「……やれやれ。息子も君くらい強ければ良かったが……誰に似たのやら」
「私ではないのですから、陛下でしょう」
「辛辣だな……」
カルブンクルス嬢は代々の当主がそうしたように、害の無い婿を迎えるだろう。
無理矢理王家に縁付かせる必要もない。
強さ故に孤独で、強さ故に自由な彼女が、私は好きだ。
「さあ陛下。折角の建国記念パーティーです。めでたしめでたしで終わるにはまだ早いですよ」
夫である国王陛下の手を引き、私は彼女を見習い自由に踊ることにした。