今日と明日の境界線
「お日さまがのぼったらさ、今日が始まるんだよね?」
赤とんぼのアカトが、ともだちのモンシロチョウ、シロチに聞きました。
「はぁ? いやいや、なにいってんだよ、そんな当たり前のこと……。そんなこと気にしてるひまがあったら、うまいミツがたんまり入った花がどれか、探してくれよ」
シロチがあきれたように羽をはばたかせました。ひらり、ふわりと、風にゆれながら、やがてシロチは白い花にとまりました。
「それじゃあさ、明日って、いつなんだろう?」
「はぁ? そりゃあ、次のお日さまがのぼるときじゃないのか?」
ゆったりと花のミツを吸いながら、シロチは興味なさそうにいいます。アカトはじっと夕日を見ていましたが、やがてすごい勢いで、お日さまのほうへ飛んでいったのです。
「シロチ、さようなら! ぼく、お日さまの向こう、明日を探して飛んでいくよ!」
「あっ、おい! ……行っちまった。明日なんて、だまってても来るってのに、あいつ、なに考えてんだか」
シロチはため息をついて、白い花からふわりとはばたいていきました。
アカトはすごいスピードで、夕日へ向かって飛んでいきます。他の赤とんぼたちと比べて、アカトは一番速く飛べる羽を持っていたのです。その羽をフルに生かして、どんどん夕日に突撃していきます。
「くそっ、どんどん沈んでいくよ。ぼくの羽よりも速いなんて」
「そりゃそうだよ、なんせこのおれも、物心ついたときから飛び続けているこのおれでさえも、今日と明日の境目にすらたどり着けないんだ。新参者のお前なんかが、明日にたどり着けるとは思わねぇぜ」
ふと、声が聞こえたので、アカトは驚きとなりを見ました。いつの間にいたのでしょう、つばさを大きく広げ、優雅に飛ぶツバメが、興味深げにアカトを見ていたのです。
「君は?」
「おれはツバメのメロウだ。ちょっと疲れちまったから、ペースを落としていると、お前さんが夕日めがけて飛んでいたんで、もしかしたらと思ってさ」
メロウは得意げにいいました。そのつばさは、少しも動かず、それでいてアカトのフルスピードと同じ速度を保っているのです。アカトは驚きに満ちた目で、メロウを見あげました。
「そろそろ日が沈む。今日も追いつけなかったぜ。……お前さん、どうする? いったん休むか?」
「まだまだ、ぼくはまだ飛べ……うわっ!」
アカトがぐらりとバランスを崩したので、メロウはつばさでアカトを受け止めました。
「無理するんじゃねぇ。それこそ明日をむかえられなくなるぜ」
「ありがとう。……こんなに飛んだのは、初めてだ。羽がピリピリするよ」
「ほれ、あそこの木なら、休むのにうってつけだろう」
メロウがくちばしで前方の木を示しました。アカトとメロウは、そろってその木にとまりました。
「ふぅっ、ふぅっ……。すごいな、君は。ぼくよりもずっと速いんだね」
「ツバメだからな。だがお前さんは、今まで見たどの赤とんぼよりも速いんじゃないのか?」
メロウにほめられて、アカトはうれしそうに羽をふるわせました。
「……見てみな、また夜がくるぜ」
メロウの言葉につられて、アカトも日が沈むのを、そして沈んだあとに訪れる重く深い闇を見つめました。
「……これを見ていると、ときどき思うのさ。おれみたいなちっぽけな、ただのツバメが目指したところで、明日にはたどり着けないんじゃないかってね」
「でも、メロウはすごい強いつばさを持っているじゃないか。ぼくなんかよりももっと強い、それで速いつばさを」
「だが、おれは一度として今日と明日の境界線にはたどり着けなかった。いや、そんなものはないのかもしれない。おれにはわからない。そう、わからないんだ……」
メロウのからだが、きらきらと光のしずくとなって消えていくのを、アカトはなにもいえずに見ていることしかできませんでした。
「……おれには、明日は来ない。ずっと今日を、日がのぼってから始まる今日だけを、飛び続けるしかないんだ。おれは明日を見つけることができなかった……」
「メロウ、でも君は、ずっと今日を、今を生きているんじゃないのか? 今日だって、ぼくといっしょに飛べたじゃないか!」
アカトの言葉に、メロウはふふっとおかしそうに笑ってうなずきました。
「そうかもしれないな……。おれは、明日の境界線を探して、これからも飛び続けるんだ。永遠に今日を生きるのは、つらくて悲しいよ。だからおれは明日を求める。……いつかお前が、今日の日にてらされて、消えてしまうまで、おれと飛んでくれるか?」
アカトはメロウを見あげました。メロウだった光は、闇にこぼれていくように、くずれて消えていきました。アカトは羽をうちふるわせて、それから小さな声でつぶやきました。
「……飛ぶよ。いっしょに飛ぼう。そしてぼくもいつか、君と同じように、明日の境界線を探し続けて、永遠の旅に出られるように……」
メロウの笑い声が聞こえた気がしました。