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あっという間に着替えさせられた私は、鏡の前で遠い目になっていた。
濃茶色のトラウザーズ、同系で薄茶色のベスト。白いシャツは開襟で中にオレンジがかったアスコットタイをボリューミーに飾り、喉仏を誤魔化される。
まだ肌寒い時期という事もあり、軽いベージュのコートも着せられた。
鏡の中にいたのは、まごう事なき優男そのものだ。
あれ?私本当は男だったかな。とちょっと現実逃避気味に窓から見える、青空を切ない瞳で見上げる。
「まぁぁぁ!素敵でございますわオリアナお嬢様っ!オリヴァー坊っちゃまよりも……いえ、差しで口でございました。ささ、皆様お待ちですのでどうぞ」
メイド長と手伝ってくれたメイド達の何処か爛々とした目を気のせいと思いながらも、応接間に向かう。
そうして家族にも「これならイケる!」という謎の太鼓判を押されて、私はいい笑顔の母に馬車へ突っ込まれ、送り出されることとなった。
***
ウィスダイト伯爵邸へと到着した私は、玄関ホールでデライラの訪れを待っていた。
手には馬車に押し込まれるときに一緒に放り込まれた小さな花束を持って。
まさか人生で贈られたことのない花束を、先に贈ることになるとは、皮肉もここまで来ると笑いが込み上げそうになるものだなと、ウィスダイト伯爵夫人の歓待を受けながら自嘲していると、お目当ての人物が階上からゆっくりと降りてきた。
「─ お待たせいたしました」
私はデライラにすぐさま接近し、軽く膝を追って騎士の礼をして見せた。
「本日、お付き合いたします…どうぞよろしくお願い致します」
本来なら、「本日の護衛を致します、オリアナ・シレアガノです─」と礼を取りながら告げるのだが、下手にアレンジを加えたので下手くそな挨拶になってしまった。
あまりの下手さ加減に軽く意識を飛ばしていると、やっとデライラが口を開いた。
「……あ、よろしくお願いします。どうぞ頭を上げてください」
許しをもらい、ゆっくりと頭を上げて真っ直ぐに立った私は、やっとデライラと向かい合った。
「……?」
深緑色の足元まで覆ったストレートラインのワンピースを身につけた彼女は、同系色のボンネット型の帽子を被り、クリームイエローのリボンを顎下で結んで留めている。
何というか、本日も見事な露出ゼロ。未亡人だってここまでは覆わないんじゃないの?ってくらいだ。
そして何処とない違和感。
ぱちりと視線がぶつかり、失礼だったかと取り繕うように、手にしていた小さな花束を差し出した。
「こちらをどうぞ。気にいるといいのですが」
デライラは、一瞬目を丸くしたが、何とか受け取ってくれたので、ホッと息を吐いた。
「ありがとうございます。……部屋に飾っておいてください」
後ろに控えていた使用人に、花束を渡しながらそう伝えたデライラは、「それでは行ってまいります」と伯爵夫人に一言告げると私を促すようにしながら扉へと足を向ける。
「伯爵夫人、失礼いたします」
私は慌てて伯爵夫人へと頭を下げて、デライラの隣へと急ぎ手を差し出した。
おずおずと添えられた手をキュッと軽く握り、デライラへ視線をやると、申し訳なさそうな瞳とぶつかる。
やっぱりなんか違和感。しかし、やっとその違和感の正体に気づいた。
前回より背が高く感じるのだ。
外出ということで、ヒールの高い靴を履いているのかもしれない。
王宮警護で、お茶会に興じる貴族女性が「おしゃれは足元からよ」と、あまり見えもしない靴について、熱く語っていた事を思い出す。
今日のために無理してヒールの高い靴を履いているのかもしれないなと、本日の警護プランに休憩を小まめに入れなければと頷きながら、デライラを馬車へと慎重にエスコートするのであった。
「ウィスダイト様。行きたいところ見てみたいものとか有りますか?」
馬車の中でそう切り出したのだけど、デライラはぼんやりした面持ちで、窓から流れる景色を見つめている。
「…………特には」
「では、私が普段回る街歩きのコースで構いませんか?」
頷き返されたことで、私は王都の城下町の目抜き通りへと向かい、少し離れた場所で馬車から降りることにした。
興味がなさそうに見えた彼女だったけど、視線だけ正直にあっちこっちへと飛んでいる。
どうやら幾分楽しんでくれているみたいで、ホッとした。
「最近は隣国との流通が盛んになったおかげで、珍しい果物や、ああいった珍しいデザインの織物、あそこみたいな雑貨を取り扱う所が増えているんですよ」
ちょこっと、齧った情報を挟むと、感心したような生返事が聞こえた。夢中なのかな?何よりである。
ウィンドウショッピングを楽しみつつ、屋台で飲み物を買ってベンチで休憩をとる。
そうして最近の城下町の様子を交えながら、噴水、モニュメントと観光スポットも回った。
「そろそろカフェに向かいますか?軽く食事にしましょう」
声をかけて、気遣いながらエスコートしてカフェへと赴くと、デライラは遠慮してか、サンドイッチとブラックコーヒーを注文した。
……ここは合わせるべき?
いつもなら、パンケーキにミルクティーか、タルト系の季節のフルーツタルトを、という所なんだけど。
男演技の疲れも甘味で癒したい。と言っても遠慮している(かもしれない)女性の前で、甘味をがっつく男、オリヴァー。
…………うん、ないな。
弟の名誉のためにも、ここは我慢一択よね。
「……同じものを」
くそぅっ。
***
また2、3お店を見て回り、日が傾きかけた頃、デライラを早々に伯爵邸へと送り届け、腰を低くして当たり障りない挨拶を伯爵夫人へして、やっとこさ帰路へ着くことが出来た。
帰りの馬車で、私は「ふひぃ〜〜」と盛大に息を吐き、だらしなく座席へと寝そべりながら今日の出来事を反芻した。
デライラは、良い子なんだろうなぁ……と思う。
物静かで、返事も曖昧な所が多いんだけど、無視はしない。きちんと返す几帳面さ。女性にしては背が高いのを気にしているのか、あまり接近してのエスコートは嫌う。
アクセサリーや布、服飾よりも、珍しい雑貨や文具が好み。
口よりも目が正直で、気になったものはずっと目が離れない、普通の貴族令嬢とは違った可愛い人だ。
「普通にあっていれば、楽しい友人になれそ」
ふふっと我知らず笑みを零し、窓の外の赤く染まりつつある空を見つめた。
子爵邸へ到着して、また家族へと今日の報告をすると、真面目な顔で母が問う。
「それで、お断りしてもらえそうなのかしら?」
デートに行って断りを希望する家族もそうそういないだろう。仕方ないとしても。
「……何とも言えない感じだけど、可もなく不可もない感じかなぁ」
デライラの反応を思い出しながら、返事を口にすると、皆が微妙な顔をする。
「まぁ、後1、2回は会って断るようにすれば……」
「まだ会うんですか?!」
「副団長はそう仰せだと言ったじゃないか」
言ってたかな。説明の時に言ってた気がしなくもないなと、化かされた気分で首を捻っていると、母が方針を決めてくれた。
「もう2度も会ってしまっては、人の変更もできないでしょうし、とりあえずオリーがこのまま代役続行してちょうだい。それで、お返事ははっきり断りを入れますわ。良いわね?」
まぁ、確かに急に本人に変わればいくら似ていると言っても分かってしまうものだろう。
しかし、この為に態々自分の休暇を潰すのかと思うと、気が滅入るのも確かで。
「………………分かったわ」
渋々、そう返事を返したのだった。
それにしてもである。
「あのオリヴァーは、どこに行ったんだろうな」
ぽつりと零した独り言に、家族皆が深いため息を吐いたのだった。