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王立魔法学院に入学しました。破滅フラグを回避しつつ、勉強に、友情に、課外活動に、全力投球する所存です!! part1

第7章 王立魔法学院に入学しました。


 王立魔法学院に入学するに際し、私は、文官養成科の選別試験に臨んだ。魔力があれば誰でも入学できる王立魔法学院だが、文官養成科に限ってペーパーテストが実施され、20名の定員に満たずとも成績で足きりが行われる。ちなみに、芸術科、騎士科には簡単な実技テストが行われるそうだ。どの科でも不合格の時は、魔法科への進学となる。


 私は、兄も卒業した文官養成科を希望した。といっても兄は超優秀なので、スキップ制度を使い国の最難関といわれているこの科を一年で卒業したのだが、私は、兄の指導のもと、前世で培った受験勉強のノウハウを活用しての猛勉強の末、なんとか合格することができた。

 

文官養成科で学ぶメリットはとても大きい。まず、魔法科に進学が決まっている、長年にわたって穏便な婚約破棄を模索しているお相手、第二王子のフィリップ王子との接触を最低限にできること。私の入学に合わせて、兄が臨時講師として魔法省から文官養成科に派遣されることが決まっていること。他の科と違い、多種多様な学問を学べること。ここにしかないという貴重な書物が閲覧できる、図書館の限定エリアへのパスがもらえること。

ちなみに、この図書館の館長として、兄の親友でもある第一王子アデル殿下が就任されることも決まっている。王族が、館長とはいえ図書館のお仕事をする、これは異例のことだ。


私にはどんな経緯があったのかわからないが、「文官養成科の学生と講師、そして図書館館長という立場があれば、周囲に違和感を覚えられることなく図書館で落ち合うことができるじゃないか。魔法を使ってこっそり会うと気配を察知する優秀な奴がたまにいるからな」と笑うアデル殿下に、「文官養成科の学生と講師、しかも兄妹ならどこででも自然に落ち合える。しかもエリーゼの精霊魔法なら誰も察知できないし、その、気配を察知する優秀なヤツ、って私以外に誰も思いつかないが?」と渋い表情で答えていた様子で、だいたいのことはわかった気がする。

 

殿下は、ただ参加したかっただけだろう。私の学院生活での『破滅フラグ回避作戦』に。面白そうなことに首をつっこまずにいられない方だから。

 

兄の勧めもあり、兄が利用したスキップ制度を私は利用しないことにしている。

つまり、15歳から18歳までの3年間を、私はこの学院で親元を離れ過ごすことになる。そんな私を心配して、兄とアデル殿下の他にも、信頼のおける侍女、ミラとハンナが寮の隣室で控えてくれることになっている。そして、一番心強い味方、私の精霊たちは、自由にどこにでも出入りするだろうしね。

 

いよいよ明日は入学式。私は『オンセン』で心身をほぐし、ハンナの淹れてくれたカモミールティーを飲み、ミラにお肌のお手入れをしてもらった後、早めにベッドに入った。


 入学式の朝、ミラとハンナの手で、公爵令嬢として恥ずかしくないよう身だしなみを整えられる。侍女たちの腕がいいのか、鏡の中の私は、ずいぶん上品で大人っぽい仕上がりになっている。


「お嬢様、ほんとうにお美しいですわ」

「ありがとう、ミラ」

「貴賓席の旦那様や奥様、マテウス様も、さぞかし誇らしく思われることでしょうね」

「あなたたちのおかげよ、ハンナ」

 私は見送ってくれる二人にもう一度お礼を言って、部屋を出る。


 講堂に入ると、自分の所属する科ごとに別れて着席するようアナウンスが入る。特に席が指定されているようではなかったので、後方の目立たぬところを選ぶ。


 今日の入学式では、フィリップ殿下が入学生を代表して挨拶をするようだ。あの美しい顔でおそらく家庭教師が書いたであろう美辞麗句を述べれば、たくさんのご令嬢のため息を誘えることだろう。

 しかし、今日の私にとってそれはどうでもいいことだ。今日の入学式で一番大事なことは、聖なる光魔法の使い手としてこの学院に入学してくる、エルスター男爵令嬢マリアンヌと、いかにして行き会うことなくこの会場を出て寮までたどり着けるかどうかということだ。


 美花の情報によれば、この入学式で聖なる光魔法の使い手として、またその清楚な美貌もあいまって男子生徒の注目を集めるマリアンヌに、エリーゼとその取り巻きが礼拝堂の裏で嫌がらせをはじめる、それが最初の破滅フラグらしい。受験勉強に励み文官養成科に入ったことで、すでに、魔法科に進学していたゲーム内のエリーゼとは別の道を歩んでいる。そして同じく、私の取り巻きとなるはずだったご令嬢たちも、今の私の周囲には一人もいない。そういったご令嬢たちもまた、フィリップ殿下やマリアンヌと同じ魔法科にいるからだ。

 

予想される破滅フラグへの準備は十分にしてきた。あとは、式典が終わりしだいタイミングを見計らって講堂を出ればそれでいい。しかし、それでもゲームの引力に抗えず行き合ったとしたら、できることは一つ。精霊たちの力をかり、あったことをなかったことにして逃げだすことだ。「逃げることは恥ではない。タイミングを逃すな」と何度も兄に注意された。ようするに、マズいと思った瞬間にとっとと逃げろということらしい。


 フィリップ殿下の挨拶が終わった。

 予想どおり、素敵ねえ、本当に見目麗しいわ、お近づきになりたいものね、などとご令嬢たちのため息や少し興奮した声が広がる。


 次に登場したのは、我が兄のマテウスだ。

 この王立魔法学院の歴史上もっとも優秀な学生であり、スキップ卒業後5年ですでに学院の伝説となっているのが、この私の兄マテウスだ。

在学中のたった1年で、文官養成科にいながら、芸術科以外の科でどの学年の主席生徒も凌駕したというから、文武両道どころではない。そのうえ、妹の私から見てもうっとりするほどの美貌の持ち主だ。フィリップ殿下も美しい容姿をされているが、私は、身びいきもあるだろうが断然兄派だ。兄の美しい蒼色の瞳にははっきりとわかる知性が宿っており、毅然とした姿勢には強い意志が感じられる。兄の簡潔だが人を惹きつける実のある言葉に貴賓席からも感嘆の声が上がる。本当に誇らしい。

 

 私は兄から、今日の入学式の式典を休んではどうか、と提案もされていた。そうすることが、マリアンヌとの出会いを回避できる最上の手だからだ。でも私は出席を決めた。兄の晴れ姿をこの目で見たかったからだ。その甲斐はあった。壇上から、兄が私を見つめ愛おしそうに微笑んでくれた。

 何人かのご令嬢が、「私のことをご覧になって微笑まれたわ」と言った後倒れこみ小さな騒ぎになったが、兄が見たのは私で間違いがない。なぜなら、その時兄はこう言っていたからだ。


「未来というものはただ待っていてもやってきますが、良い未来は、自らの強い意志で道を切り開き、弛まぬ努力を重ねた者のところにやってきます」


 私は、私の信条でもあるその言葉に小さくうなづき、兄の視線に微笑みを返す。

 その後も何人かの祝辞が続き、やはり来賓としてお見えになっていたアデル殿下の、意外なほど流麗なリュートの演奏に多くの人が魅了され、最後は王立魔法学院の名誉学院長である王妃様の祝辞で式典は締めくくられた。


 ここからが、私の正念場だ。

 講堂を出て中庭を通り抜け、礼拝堂を右手に遊歩道を抜けると学院の女子寮だ。礼拝堂が鬼門で、そこを何ごともなくやり過ごすことができれば、もうフラグの立つ心配はない。


 私は席を立つ。

 文官養成科は騎士科と同じく、20名のうち3名が女生徒とその数はとても少ない。できれば他の2名とは早いうちに仲良くなりたいが、今日のところは一人でなるべく目立たぬように寮までの道を行くべきだろう。

 私は、魔法科のご令嬢たちがあらかた講堂を出てから、ゆっくり席を立つ。貴賓席を見れば、両親は両親で、兄とアデル殿下もそれぞれにたくさんの人に囲まれている。色々な意味で人気者でめったにその顔を拝めないとなると、ああなるのは仕方ない。

 

 アマリージョに「兄に寮に戻ります、と伝えて」と伝言を頼む。すると、心地よい柔らかな風が私から兄に向ってそよぐ。兄はすぐに了解したというように微笑んでくれる。私は途中で寝てしまったヴェルデをそっと左手で抱えながら講堂を出る。


 マリアンヌの姿は見えない。前を歩く生徒はいるにはいるが疎らだ。しかし、気を抜くことなく慎重に歩く。もうすぐ右に見えてくる礼拝堂の裏が、破滅フラグの立つ場所だったはず。その礼拝堂の手前でアマリージョが私に囁く。


「そこの礼拝堂の裏で、文官養成科の女生徒が一人、魔法科のご令嬢に囲まれてなにやら暴言を吐かれておりますわよ」

「マリアンヌではなく、文官養成科の子?」

「ええ」

 おかしい。ここで令嬢たちにからまれるのはマリアンヌのはずなのに。

 でも、本当なら無視はできない。文官養成科の学生とはこの先の三年を、気持ちよくともに学んでいきたいと思っている。彼らは国を支えてくれる大切な人材となるのだから。


「様子を見にいくわ。念のためこの事もお兄様に伝えて」

「僕が行くよ」とロッホが顔を出す。ロッホは最近、お料理やお菓子作り、オンセンの魔法以外での仕事もしたがる。

「何も燃やしてはダメよ」

「わかってるよ!」そう言って、ロッホが飛んで行く。さすがドラゴン、スピードが半端じゃない。

 

 私は未だ寝こけているヴェルデを落さないよう、しかしできるだけ急いで礼拝堂の裏に向かった。

 そこでは、アマリージョの言葉どおり、文官養成科の梟のバッジを左胸につけた女生徒が、月と太陽をモチーフにした魔法科のバッジをつけたご令嬢たちに罵られていた。


「平民のくせに、偉そうに貴族の前を横切るなんてどういうつもりなの?」

 このセリフは、美花のメモにあった、ゲームで私がマリアンヌに投げつける言葉と同じだ。「碧がそんなこと言うわけないけど、気を付けてね。『平民』はとってもマズい不幸のキーワードだから」そんな注意書きといっしょに。


「それに何、そのみずぼらしい服は? うちの下働きだって、もう少しましなものを着ていてよ」

 たしかにシンプルで飾り気のない服だが、ちゃんと清潔感はある。ご令嬢たちの、舞踏会にでもでるのかしら、とつっこみたくなる華やかすぎるものに比べればそう悪くないと思う。

「ほら、そこに這いつくばって頭をさげなさい」

 土下座を強要するとは、ご令嬢たち、半端ないな。


「できないの? 言うことが聞けないのならお父様に言って、あなたを退学にしてもらうわよ」

 あの者は、メルホルン伯爵家のご令嬢ですねとアマリージョが教えてくれる。メルホルン伯爵家の令嬢は二人いる。今年この学院に入ってきたのは妹のリリアだったはず。父親である伯爵家の当主は、フィリップ殿下の派閥の一員。面倒だな、とチラッと思うがこの状況で見なかったふりはできない。

「ごきげんよう」

 私は、令嬢たちの背中側から声をかける。

 突然声をかけられた令嬢たちは驚いて振り向く。そしてすぐに文官養成科のバッジに目を止め、さげすんだ目で私を見る。文官養成科の生徒はその能力が抜きんでているが、平民か下級貴族の者が多いからだろう。高位貴族としてはお兄様や私が例外的で、アデル殿下でさえも芸術科を選ばれている。もっとも殿下の場合は、楽器や歌なら放浪者になっても役に立つだろうから、とそんな理由らしい。あの見事リュートの演奏を聞けば、芸術の才に恵まれていらっしゃるのは間違いないが、兄とともに魔法省での研究も続けていらっしゃるので、ああみえて、やはり多才の人なのだろう。


「私の学友が何か粗相をいたしましたでしょうか?」

 できることなら、穏便にすませたいのでなるべく丁寧な口調で尋ねる。

「粗相だらけよ。学院にふさわしくない髪型、お洋服、立ち居振る舞い」

 こちらが下手にでたせいか、ご令嬢たちの態度がさらに猛々しくなる。

「私たちの前を、堂々と横切ったのよ」

「もう少しでリリア様のドレスに土汚れがつくところだったわ」

 結果として泥も何もついていないのら、そんなに怒らなくてもいいのでは? とは言えないか。


「それは申し訳ありませんでした。学友に代わり私がお詫び申し上げます」

 フィリップ王子を避けるために、できる限り社交を断っていた私の顔を見知るものはほとんどいない。

 そのせいか、割って入った私へのご令嬢たちの態度は、身分の違いを笠にきているにしてはいただけないものだ。もちろん私はそんなこと少しも気にしないけれど、上げ足を取るにはいい理由となる。

「ちょうどいいわ、あなたもそこに這いつくばって一緒に頭をさげなさい」

「私もですか?」

「平民は貴族の顔を直接見ないように、そうやって這いつくばるものなのよ」


 そんな規則も法律も、この国にはない。ただ、まっとうな貴族は、地位や財産を持つものは持たない者の安寧のため最善を尽くす、という精神を大切にしているため、それを感謝する平民が敬意を表して頭を下げることはある。それをこんなふうに捻じ曲げて理解している貴族も少なからずいるわけだが。


「私自身は持っておりませんが、私の父は爵位を賜っておりますが?」

 あなたたちも同じでしょう? 爵位は当主の持つもので、家族はその保護下にある期間のみ、貴族として遇されるだけだ。

「では、あなたの家を名乗りなさい。その不遜な態度をお父様に申し上げて、あなたの家をとがめていただかなくてはなりませんから」

「これは失礼いたしました。学院に入る前に、科は違えども学友のお名前はすべて覚えるようにと兄に言われましたので、皆さまもまた、私の名はご存知なのかと思っておりましたわ」

「ま、なんて失礼な言い草でしょうか」

「下級貴族の名前まで覚えてはおりませんわ」

「だいたいそんなこと、できるはずないでしょう」

 兄はできたようです。私はまだ完璧にはできていません。社交を避けまくっていた弊害でしょうね。


「そうよ。貴族とは名ばかりの低位の者なんでしょうけど、そんな嘘は結構ですから、早くどこの家のものかを名乗りなさい」

 言ってもいいんだけど、向こうが調子にのればのるほど、言い辛くなるんだよね、これが。


(そろそろ終わりにしないと、マテウスが駆けつけてきますよ)とアマリージョが念話で忠告してくれる。

 そうだった。私はあわてて幕引きを始める。


「私は、エリーゼ・フォン・ヴォーヴェライトと申します。私のことをリリア様のお父様にご注進いただければ、父はさぞかし喜ぶことでしょう。苦言や忠告を与えてくれる者こそ大切にしないといけない、と日ごろから言っておりますから」

「なっ!?」

 リリアの表情が驚きのまま固まる。

「宰相のヴォーヴェライト公爵家のご令嬢!?」

「公爵令嬢エリーゼ様といえば、フィリップ殿下のご婚約者ですわ」

 それはどうでもいい。いずれ元婚約者になるはずだから。

「そういえば、あのペンダントのサファイア、平民のつけるものではありませんわ」

 え?

 胸元を見ると、母が是非にと今日のために譲ってくれたペンダントは、石が大きすぎるのでドレスの下に隠していたのに、目を覚ましたヴェルデがそれを取り出してぶら下がって揺れている。あわてて胸元に隠し戻す。


 そこに、兄が駆けつけてきた。

「エリーゼ大丈夫か」

「マテウス様!!」

 令嬢たちは、この状況でも兄を見て頬を染める。


「私とお友だちのカーリーが、そちらのご令嬢たちの気に障ることをしてしまったようなんですが」

 確か文官養成科の女子の名前はレイチェルとカーリー。レイチェルはメントライン子爵令嬢だから、この子は修道院で育ったというカーリーで間違いないはず。

 兄によれば、カーリーはまだ乳飲み子の頃に修道院の中庭に置き去りにされていたらしく、魔力の高さを考えると両親のどちらか、あるいは二人ともが貴族である可能性は高いそうだ。

 

 私がその名を呼んだ時、初めてカーリーの目に意思が宿る。それまで何を言われても私が助けに入っても、じっと石のように固まっていたのに。


「そうか。それなら、事情を確認した上で妹に非があるのなら、私が妹に代わって謝罪しよう。ご迷惑をかけたのなら、父の名で、それぞれの家に経緯とお詫びを書き添えた文も出そう」

 じっくり事情聴取の上、お前たちに非があれば、公爵家からそれぞれの当主宛てにこの件を知らせてもいいんだぞ、という脅しを兄は薄すぎるオブラートにくるんで告げる。ご令嬢たちは、リリア以外は根っからのバカではないようで、その意味を理解し、声にならない悲鳴をあげる。


「それで、私の妹が、どんな粗相をしたのでしょうか?」

 ご令嬢たちは黙ったままだ。

「事情がわからなければ、どんな謝罪をすればいいのかわかりませんが」

 兄は、ご令嬢の顔を一人一人見つめてから言った。

「それでは、メルホルン伯爵令嬢リリア様、代表してお話しいただけますか?」

 お前たちの身元はすでにわかっている、と他の令嬢にも睨みをきかせながら兄が訊く。


「わ、私は何もしておりません」

「私は何もしていないとは? あなたではなく、私の妹が何をしたのかを尋ねているのですよ?」

「そちらの平民が悪いのです。それをエリーゼ様が誤解されて」

「平民?」

「そうです、その女は平民なのです。この学院にふさわしくない者です」

「リリア様、あなたは今日の王妃様の祝辞を聞いていたのですか?」

「もちろんですわ」

「それなら、この学院では身分の差などなく誰もが平等に学ぶことができる、それが誇りだとおっしゃった王妃様の言葉を覚えていますね」

「そ、それは」

「こちらのカーリー嬢は、今年の文官養成科の試験を一番で合格した才媛です。しかも魔力はあなた方魔法科の平均を大きく上回っていらっしゃいます。つまり、卒業後は国の宝となる方です。その宝をあなたは出自だけを理由に蔑むのですか?」

 

 私の試験結果は、半分より少し上、程度の順番だったと聞いている。数学や自然科学でとびぬけていたものの、歴史が合格点ギリギリ、他は合格者の平均程度だったらしい。


「平民が国の宝ですって。ありえませんわ。平民は死ぬまで平民だと、お父様もおっしゃっていました」

「ほう。ではメルホルン伯爵はご存知ないのでしょうか? 現在魔法省のトップにいるコルビー卿や近衛騎士団の副団長グンターはカーリー嬢と同じ出自ですが、誰もが知っているように、彼らは、まさに国の宝といえる存在です」

 

 コルビー卿はその魔力の大きさもさることながら、緻密で高度な魔法陣を同時に複数展開できるという、唯一無二の存在だ。グンター様は他国からの参加者や力自慢の傭兵をしりぞけ、二年に一度行われる王家主催の武道大会を最年少で制して以来五連覇を成し遂げ殿堂入りをされた騎士団の英雄だ。ちなみに、このお二人は父のチェス仲間であり我が家にも何度もお見えになっている。


「まさか」

 そんな、誰もが知っているようなことさえ知らなかったのか、リリアは真っ青な顔をしている。

 兄はここで伝家の宝刀、魔性の笑みを浮かべる。

「リリア嬢、今現在の身分でだけで人を見ていては物事の本質を見誤りますよ? とはいえ、あなたも他の皆様もまだ入学したての学院生の卵です。本質を見る目はいまから養えばいいのです。そのための広く開かれた学びの場が、この王立魔法学院ですから」

 リリア以外は、こくこくとうなづいている。


「妹にも、身分を笠に不遜な言動は決してしてはならないと、改めて言い聞かせましょう。それで、この件は私に免じ収めていただくわけにはいきませんか?」


(エリーゼは不遜な言動なんかしてないよね?)とヴェルデが耳元で慰めてくれる。でも、兄に言われて気が付いた。私もまた父の地位と名を利用して、彼女たちをやりこめたことを。兄はきっと、見ていなくとも事の成り行きをほぼ正確に把握しているのだろう。


「いいですわ、このことは忘れて差し上げます」

 その言葉を聞くと、一番ホッとしたように見えるのは、リリア以外のご令嬢たちだ。兄は念押しのようにご令嬢たちに笑みを向けた後、私とカーリーを連れ、すみやかに、守るようにその場を立ち去り女子寮の前まで私たちを送ってくれた。


「お兄様、ありがとうございました。うまく立ち回れずご迷惑をおかけしました」

「いいんだよ。エリーゼを守ることが私のお仕事の一つなんだから。それより、カーリー嬢、君は大丈夫だったかい?」

 兄にもその名を呼ばれ、カーリーは魔法が解けたように、やわらかい雰囲気になった。


「はい。エリーゼ様がすぐにやってきてかばってくださったので」

「そうか。それはよかった。しかし、君ほど優秀ならあの程度の貴族令嬢をうまくかわすことぐらいできただろうに」

「学院に平民は少なくほとんどが貴族様なので、立ち居振る舞いには十分注意するようにとシスターに言われていたのですが、ずっと探していたハーブを見かけてつい周囲に目配りができなくなって」

「ハーブ!? どんなハーブ? どこにあったの? あ、それと様はいらないから、エリーゼと呼んで。クラスメイトだし、できればお友だちになって欲しいし。その代わり私もカーリーと呼んでいいかしら?」

 興奮しすぎだ、と兄が私の背中をなでてくれる。

「エリーゼ様、それは少し難しいですよ? また平民の分際で公爵令嬢を呼び捨てにするのかと周囲から非難を浴びるかも、です」

 

 それはそうか。急いては事を仕損じる、というものね。徐々にそれが普通になるようにしなければ。

「なら、誰かが一緒の時は様をつけてもいいわ。でも、そのうち、少なくても文官養成科のみんなには全員エリーゼって呼んでもらうつもりだから、そうなったらあなたもお願いね」

「わかりました」

 カーリーが、それはそれは可愛らしい笑顔で答えてくれる。何、この娘、天使じゃない? 


(天使ではありませんよ。人間です)とアマリージョ。

 知ってるよ、それくらい可愛いってこと。

(エリーゼ、天使はさほど可愛くありませんよ。生真面目で堅物で融通がききません)

 あ、そうなんだ。


「それで、どこでどんなハーブを見つけたの?」

 私の知らない、まだ見たこともないものなら、ぜひ、その効能を調べてみたい。

 私がどうしたって興奮をかくせずにいると、兄がやれやれ、とわざとらしいため息をついた。

「そろそろ私は戻るよ。アデルを学院長室に待たせたままだ」

「殿下には、リュートの演奏、とっても素敵だったとお伝えください」

 兄はうなづいて、きれいな動作で踵を返した。


 直後に、「あれはよかったわ。私も気に入った」とヴェルデが姿を見せる。

「演奏を聞いてたの? 寝ていたんじゃないの?」

「マテウスのお話とアデルの演奏の時は起きてたよ。その後でまた寝ただけ、つまんないから」

 カーリーは突然の精霊の出現に驚いているが、ものすごく、という感じではない。


「その精霊様は、エリーゼの?」

「ええ。私の守護精霊ヴェルデよ。見えるのね?」

 ヴェルデは、よほどのことがなくては私の許可なく姿を他人に見せたりしない。だから、見えるということは、見るにふさわしい能力があるということだ。

「ヴェルデは緑の精霊だからとっても植物に詳しいのよ」

 大地と緑の精霊、あのガイアとドリアードの娘だということは、もう少し仲良くなってから教えたほうがいいだろう。

「それは素敵ですね」


「カーリーは、精霊をみても驚かないのね?」

「修道院では、時々見かけましたから」

「それなら加護を受けているの?」

「いいえ」

 それは意外だ。

「精霊たちによれば、加護を受けるには私はまだ未成熟らしいので、心も魔力も」

 それも意外。

「だから、この学院でもっともっと勉強して、魔力も高めて、加護がもらえるように頑張るつもりです」


「それなら、一番大切なのは、優しく強い気持ちだよ」

 ヴェルデ? めずらしい。ヴェルデが私以外の人間に助言するなんて。

「エリーゼに私が加護をあげたのは、エリーゼの心がとてもいい香りだったから。優しい気持ちがないと香りは濁って悪臭になる。そして優しさを保つには強い想いが必要」

 カーリーは大きくうなづく。

「ありがとうございます、ヴェルデ様。私もエリーゼを見習って頑張りますね」

 ヴェルデが、頑張りなさい、というように光粉をカーリーにふりかける。カーリーはうっとりしてその光の粉を見ている。



「ねえねえ、それでハーブのことなんだけど?」

 夢見心地だったカーリーが、ハッとしたように現に戻ってくる。

「そうでしたね。実はあの礼拝堂の脇に花壇があるのですが」

「スズランが咲いていた?」

「そうです。そのスズランのお隣によく似た白い花をつける、修道院では万病に効くと伝えられているハーブ、イチヤクが生えていたのです」

 

 イチヤク? 

 それってもしかしたら一薬草のことかもしれない。前世では、常緑が冬に目立つのでウィンターグリーンとも呼ばれていた薬草だ。確かに、たった一つで諸病に効くので一薬草と名付けられたという説もあるけれど、前世の私の知識では、外用として打撲や切り傷に、内服では脚気やむくみなんかに有効だったとは思うが、アロエほどで有益ではなかったような。

 ただし、こちらの世界では、土地の魔力の影響なのか本来の効果が強くなったり大きく変わったりする、ということを私は経験上知っているので、修道院の中庭に生えていたそれが万病に効くということはあり得ると思う。どちらにしても、要チェックだ。


「修道院にはハーブの知識が伝わっているのね」

 そして、このことがもっと大切なことだ。貴族社会では雑草として長らくないがしろにされていたハーブが民間では重宝されているのだとすれば、認識を改めなければならない。

「はい。教会と同じように回復魔法が治療の中心ですが、いっしょにハーブを使ったお薬も使います。そうすることで、個人差のある回復魔法の穴を埋めることができるんです」

「それって、修道院以外でもふつうにあることなの?」

「いいえ。おそらく、私の育った修道院だけではないかと思います。他では、ハーブは雑草扱いだとシスターたちが言ってましたから」


 残念、やっぱりそうなのか。

「でも、年々ハーブが育たなくなってしまって。今はもう私が育った修道院のお庭には、イチヤクはまったく生えてくれなくなって」

「他のハーブは生えているの?」

「はい。数は減りましたが」

「では、お薬自体はまだ作っているのね?」

「そうなんですが、イチヤクはすりつぶすだけですぐに服用できて色々な症状に効く万能ハーブですが、他のものは病状やケガの具合を見て使い分けたり調合する必要があったりでとても難しいんです」

 なるほど。


「だからイチヤクを見つけて舞い上がってしまって、あんなことに」

「それはいいのよ。気にしないで」

 もしわたしだったら、リリアに泥はねくらいはくらわしていたかもしれないもの。

「本当は今すぐにでもそのイチヤクを確かめに行きたいんだけど、あの礼拝堂のそばに、今日はもう近寄らないほうがいいと思うの」

「はい、それは私も」

「明日にでも、授業のあと一緒に行ってイチヤクのこと、教えてくれるかしら?」

「もちろんです」


「それなら、今日は私のお部屋にこない? 屋敷のハーブ園で私が育てたハーブやそれを使って作ったお茶やお菓子もあるのよ」

「本当ですか? 私、市中で流行っているハーブティーにとても興味があって。だけど高価すぎて手がでないこともあって修道院のお庭のハーブで試してみたんですが、どうも味に納得できなくて」

「ハーブティーはその組み合わせや、淹れる時の温度や蒸す時間で、味が変わるからね。うちの侍女のハンナはお茶を淹れる達人だから参考になるかもしれないわ」

「嬉しいです。ぜひお邪魔したいです」

 

 さっそく二人で私の部屋に戻り、ハンナに頼んで、目の前でハーブティーを淹れてもらう。我が家で人気のドライハーブとドライフルーツをブレンドしたものと、こちらもドライで、定番のカモミールティーの二種類をチョイスした。

 まずは、ブレンドハーブティーからだ。


「先にカップを温めるのですね?」

「そうよ。こうしておくと、冷めにくくなるからね。紅茶でも同じよ」

「このハーブは摘みたてではないんですね!!」

「フレッシュのほうが香りはいいんだけど、寮では摘みたてを用意するのは難しいから。でもそのうちハーブ園を学院の中につくるつもり。そうしたら、フレッシュハーブも楽しめるわね」

「それは素敵ですね。ぜひ、お手伝いさせてください」

 もちろん、と私はうなづく。


「薬理効果を大きくしたり飲みやすい味にするにはブレンドした方がいいし、フレッシュよりドライだとそれが簡単なの」

 カーリーが大きくうなづいている。

「それからこうやってフタをして蒸らすのですね}

「これは大事。3分ほどでうま味が抽出できるし、香りがとてもよくなるの」

 カーリーは、疑問があればすぐに尋ねるし、ちゃんとそれをメモしている。こういう小さな積み重ねが大事だよね。見習わないと。

 

 ハンナの淹れてくれたブレンドハーブティーを二人で飲む。

「おいしいです。蜂蜜も入れていないのに、甘みもありますね」

「ドライフルーツも入っているからそこから甘みがでるのよ」

「なるほど」

「ブレンドは、自分の好みでどんなふうにもアレンジできるからカーリーの好きな味を求めて色々試すといいわよ。このお茶に入っているハーブは茶葉にしてたくさん持ってきているから、ぜひ持って帰ってちょうだい」

 カーリーなら私以上のベスト配合を見つけてくれそうだ。


「お嬢様、カモミールティーも、そろそろご用意いたしますか?」

「そうね」

 ハンナの後ろに控えていたミラが、新しいポットとカップを持ってきてくれる。

「こちらのポットはガラスでできているんですか? 熱いものをいれても大丈夫なんですか?」

「これは耐熱ガラスなの。ホウ砂を混ぜてつくってあるから熱に強いの」


 リケジョとしては常識の範疇だが、ヴェルデとロッホの力を借りてこの耐熱ガラスポットを作り上げた時は、さすがの兄も目を見開いて驚いていた。そしてすぐに公爵家お抱えのガラス工房から職人を呼んで、その製法のあれこれを検討していた。これは、その工房の職人が作り上げたものだ。私が作ったものとは造形美やガラスの薄さがまるで違う。

「ホウシャですか?」

「鉱物の一種ね。ヴェルデに頼んでラピスラズリ神聖帝国との境界にあるソルティー湖の湖畔からとってきてもらったのよ」

 

 まだ前世の両親が生きていた頃、ホウ砂とせんたく糊でスライムを作ったことがあったことを、ふいに思い出す。好きな色をつけたり、ラメを入れてキラキラにしたり楽しかったな。そういえばホウ砂は目薬にも入っていたっけ。これは、また新しい扉がひらけるかも。


「わぁ、すごくきれい」

 カーリーが感嘆の声をあげる。

 そうなのだ。カモミールティーには、カモミールの花も入っている。だから透明なガラスのポットを使うと、蒸らす間に色の変化やその花が開いていく様を楽しめるのだ。

 ハンナが頃合いを見て、それぞれのカップにカモミールティーを注いでくれる。

「フルーツのようにいい香りですね」

 カモミールは青リンゴに似た清々しい香りがする。その香りも合わせて、リラックス効果がある。

 カフェインレスなので夜眠る前などに飲むのに適しているが、シャキッとしたいが緊張もほぐしたい、そんな朝には、紅茶と混ぜて飲むこともある。


「こちらも持って帰る? 疲れた時やリラックスしたい時に飲むと効果的よ」

 カーリーが肩を落とす。

「どうしたの? 遠慮しないで。私が自分で育てたものだから何も気にすることはないのよ」

「反省したんです」

「何を?」

「私は、イチヤクみたいにそれがあればなんにでも効く、というハーブが一番いいと思っていました。でも、違うんですね。難しいからとあきらめずにちゃんとそれぞれの特性を理解すれば、ハーブの可能性は無限なんですね」

「まあ、そうなんだけど。もし、イチヤクがアロエベラのようにそこそこ万能なら、それはそれで尊重すべきよ。だって、回復魔法の補助に使うのなら、そんなに手間をかけていられないもの。ケガや病気で弱っている人には、少しでも早く元気になって欲しいでしょう?」


 私は、アロエベラの有効性と可能性もカーリーに熱をこめて話す。カーリーもアロエヨーグルトのことは知っていた。でもやはり高価すぎて修道院では食べることのできないものだったらしい。

 母と私は、ハーブ関連の商品は庶民向けのものもかなりの種類用意した。価格もかなり抑えたつもりだった。しかしそれでも、カーリーたちにすれば高価で手が出ないものだったという。貴族の暮らししか知らない母娘の非常識が露呈したということか。


 落ち込んでいる私を察したのか、ミラが、今度はハーブクッキーを持ってきてくれた。ローズマリーのものと、レモンとタイムのものだ。


「これにもハーブが入っているんですね」

「そうよ。スイーツのアクセントになるし、お茶と同じほどではないけれど薬理効果もあるのよ」

 隙を狙って、精霊たちがクッキーを抜き取っていく。

 カーリーもあきらかに減り具合が早いことには気づいているだろうが、何も言わない。おそらく動作が早すぎて見えないので、全部、ヴェルデの仕業だと思っているのだろう。


「お味はそちらのレモンの香りがする方が好みですが、こちらの方は、食べるとすぐに体の内側から力が沸いてくるようです」

 そう言って、もう一枚、ローズマリークッキーを手に取る。

「秘密があるの。そのローズマリーのものにはね、ヴェルデが魔法の光粉を入れてくれているの」

 カーリーは目をまるくする。

「それは、凄い秘密ですね」

「だから、内緒にしてね」

 それから、私たちは夕食の時間まで、魔法と、たとえばハーブのように魔法を補強できるものの可能性について熱く語り合った。それは、前世で大学院のゼミ仲間と競い合い、語り合い、助け合ったあの時間を思い出させてくれる懐かしくも新しい時間だった。


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