愛憎とは距離を置いて、研究三昧できそうです。part-7‐1
第76章 初めての投薬。
私とカーリーは、ザックス公爵とともに、ランチの後、初めての治験薬を手にアリス様の部屋を訪ねた。
アルベルトは、ハーブ園に向かった。アリス様のお部屋への訪問は、今日は遠慮することにしたので。
アルベルトも一度、病状の確認のためにアリス様にお会いしてはいるが、しばらくは女性だけのほうが気疲れが小さいだろうという判断だ。同じ理由でパーキンソン枢機卿も先にご自分のお部屋に戻られている。
この先、正確な魔力の流れを精査するために、アルベルトの立ち合いは必要になってくるはずだけど、そこはあせらず、まずは薬をきちんと飲んでもらえるようにする、そのための環境を整えることを優先した。
ザックス公爵に続いて、アリス様のお部屋に入る。
おや、見たことのない精霊が窓辺にいるわね。
「エリーゼ、どうかした?」
「あそこに精霊がいるの。緑の精霊さんかしら?」
なぜかというと、私の肩に腰かけているヴェルデを見た途端、深く、平伏するようにヴェルデに頭を下げたからだ。
「そういえば、窓辺にほんのり精霊様の気配を感じるわね」
カーリーには加護がないので、ふつうは精霊の姿は向こうが積極的に見せない限り、その姿は見えないはずだ。けれど、それでも、修道院にいた頃、カーリーは何度か緑の精霊や光の精霊の姿は見たことがあるという。
つまり、彼女は精霊が姿を見せたくなるほど、よき香りの魂の持ち主なのだろう。
条件がもう少し、あと少し何かが満たされれば、きっとカーリーも精霊の加護をもらえるはず。
そんなカーリーだから、はっきりとその姿は見えずとも、気配は感じられるのだろう。
「アリスは植物が好きなのね。今までも、植物をとても大切にしてきたみたい。だから、緑の精霊たちが入れ代わり立ち代わり、その様子を気にして見に来ているようよ」
「そうなのね。だからかしら? このお部屋は『気』が澄んでいるわね」
「ありがたいわね。とても頼もしい協力者だわ」
「エリーゼ嬢、この部屋に精霊様がいらっしゃるのか? エリーゼ嬢の精霊様とは別に?」
「はい。アリス様を心配してそのご様子を見に来ているようです」
「なんと。ありがたいことだろうか」
ザックス公爵には、精霊の気配はわからないようだが、それを素直に信じる心はあるようだ。
信じる気持ちはいい。
精霊の好きな香りがすると、ヴェルデに教えてもらったことがある。
この際、どんなことでもアリス様の病状に良いとおもわれることはしたほうがいいし、あったほうがいい。
「そうですね。きっと、これからの治療に心強い味方になってくれるかと」
「ではまず、アリス様にご挨拶をして、そのあとで光の癒し魔法をかけます」
「よろしく頼む」
改めてザックス公爵に私とカーリーをアリス様に紹介していただいてからご挨拶をする。
「アリス様、おはようございます。ご気分はいかがですか?」
アリス様が、弱弱しくながらも微笑みながらうなづかれる。
気分は悪くない、ということだろうと、カーリーとうなづきあう。
「お昼のお食事はとれましたか?」
やはりうなづかれる。
侍女の話でも、量はさほどとれないようだが、三食なんとか口にされているということなので、投薬をすすめることにする。
「では、光の癒し魔法を先におかけしてから、アリス様のために私たちがご用意したお薬を飲んでいただきたいと思うのですがよろしいですか?」
アリス様は、やはりうなづかれた。
私は、アリス様が混乱されるのを避けるために、『リフレ』を光の癒し魔法と言っておく。
厳密には違う。
私のものは、光属性の回復魔法だが、緑の癒しもはいっている。
魔法は、イメージだから、同じ魔法でも多少の違いは出る。
威力だったり、質だったり、まあ色々と。
マリアンヌ、というか通常の聖女の光の癒し魔法は、光属性の上級回復魔法で、私のそれはその時々によって光に他の属性の回復魔法がミックスされる。
カーリーも私と同じだが、レイチェルのものは彼女には光の属性がないので、風の属性の回復魔法になる。
初めに彼女たちに『リフレ』を伝授した時には、そういう細かいことには気づかずイメージと効果を共有したわけだが、日常的に使ううちに、そういった違いに気が付いてきたというのが事実だ。
とはいえ、『リフレ』はリフレ。
そう大きく効果は変わらない。
『リフレ』を無詠唱でアリス様にかける。
マリアンヌのありがたい光の癒し魔法の詠唱とあまりに違うと心配をかけるかと思ってのことだ。
それならいっそ無詠唱のほうが、神秘的でもあるしね。
いや、聖女の光の癒し魔法の詠唱を私も覚えればいいじゃないか、とアルベルトにはチクチク言われていたりするのだけれど。
いや、ほぼ覚えてはいるけどね。
長いし恥ずかしいし。
マリアンヌの容姿や声にはぴったりの詠唱だけど。
あまりに長々形式ばった詠唱を唱えていると、本来の効能が削られるわけで。
ということで。
いつもどおり、わずかに緑がかった白銀色の光が、アリス様を包み込む。
「ああ、いい香りだわ」
アリス様が、私たちが入室してから初めて声を出された。
香り?
「そういえば、ほのかにラベンダーの香りがするわ」
カーリーが言う。
だってそれは、カーリーの手にしているラベンダーの石鹸と入浴剤の香りでは?
「ほら、アリス様から」
確かに。
どういうこと?
『リフレ』は香りつきなの?
いや、今までそんなことはなかったような。
確信はないけれど。
だって、私の周囲にはいつもハーブがあるから、その香りには慣れっことというか、特に気にしたことはなかった。
その香りをわざわざ確かめることが必要な時以外は。
「エリーゼ様、あなた様の魔法はとてもいい香りがするのね」
アリス様はさっきよりもっと鮮明に言葉を発せられた。
ザックス公爵が瞠目されている。
「母上、お話されても大丈夫なのですか?」
「ええ。エリーゼ様の魔法のおかげかしら」
どうやら私の『リフレ』は香り付きらしい。
おそらく、アリス様がラベンダーの香りを気に入られているというレイチェルの情報から、私の魔法のイメージにラベンダーが、無意識に入り込んだのだろう。
失礼いたします、と断りを入れながら、私とカーリーは左右からアリス様の頭部のあの部分に手をかざす。
うん、先日よりずっと魔力の流れはいい。
でも、澱みはある。それがやや小さくなっていることで、魔力の流れが以前よりはスムーズなのだろう。
「これが、しばらく一週間ほど試していただきたいお薬になります。私たち、ユリウス様も含めて試飲済みですので問題はないはずです」
カーリーが小さなコップにお薬を入れ、そこに、文官養成科特製ストローを短くしたものをつける。
ザックス爵がコップを支え、アリス様の口元に近づける。
「母上、これはストローといって、吸い込むことで液体を摂取できる代物です。お飲みになれそうですか?」
やってみるわ、とアリス様がストローに口をつける。
薬の量も少なく、飲みやすい太さと長さにストローも調節してあるようだ。
昼食時、カーリーが何度も色々なストローで水を飲んでいたのはこのためだったのね。さすがだよ。
こういう気づかいがカーリーらしいというか。尊敬できるところだ。
アリス様がストローに口をつけられる。
それをザックス公爵様がしっかりサポートされる。
どうやら全部お飲みになれたようだ。
ホッとする。
とりあえず一歩前に進んだことになる。
「バナナね、これ。おいしいわ」
そうなんです。
でも味に関していえば、次の治験薬も、その次も、おそらくバナナ味です。
すみません。
ヴェルデ、なぜ、胸を張っている?
バナナ味ばかりだとあきるのではと、私は心配しているんですけど?
五分ほど待ってから、再度、魔力の流れと澱みを確認する。
魔法薬の効果は、ほとんど直後に現れる。
つまりこの時点で結果が出なければ、効果がないということだ。
効果があるなしにかかわらず、ここで検討するわけにはいかない。
私とカーリーは視線でうなづき合ってから、ザックス公爵とアリス様にお暇を告げる。
ただ、私たちの微笑みを見ればザックス公爵も結果が悪くないことはご理解されているかもしれない。
問題は、この後だ。
改善、維持、改善、維持この繰り返しが続けられるのか。
続けられない場合、次にどの薬を用意するのか。
検討することは多い。
それに、レイチェルやマリアンヌにお願いしている、心のケアも、というかそれこそが維持の観点からは重要だ。
おそらく、アリス様はこの後少しお眠りになるだろう。その後、一時間ていど今日はレイチェルが一人でアリス様を訪問する予定だ。
頼まれている、刺繍の下絵も急がないと。
明日までにはなんとか。
色々とやることが多い。
多すぎる。
アルベルトを探しに先にハーブ園に行く。検討は一緒にやってもらわないと、うまく頭がまわらないように思う。
ハーブ園の、泉のほとりにアルベルトはいた。クラスメイトたちと、何やら図面を見ながら話し合っている。おやおや、フィリップ殿下まで。もうすっかり馴染んでいるようにも見える。
まだ仲間(仮)だけどね。
そういえば、この泉には学院の中でも特に数多くの精霊たちがいるので、もう少し彼らに居心地のいい植物を増やそうかと話し合っていると聞いている。
その頭にビリジアンがとまっているから、ビリジアンの意見も聞いているのだろう。
精霊のことは精霊に聞くのが一番だものね。
それを見ただけで、私の心は凪ぐ。
みんな、あの殿下でさえ、よりよい時間、環境を作り上げるために日々努力している。
自分だけが頑張っているなんて、一瞬でも考えてはだめだ。
私よりずっと頑張っている仲間もたくさんいる。
だからこその、この精霊たちの姿だ。
「アル、時間はとれる? 投薬が終わったの、経過と結果を一緒に検討して欲しい」
「ああ、すぐに行くよ。ここはフィリップ殿下に任せて」
へえ。
「大丈夫だよ、殿下はすごく植物に関して勉強されていて、とても頼りになるんだ」
そう言いながら私に手を振ってくれたのは、この泉の今の責任者、ロレアルだ。
彼は平民だ。
その彼が王族であるフィリップ殿下とふつうに会話していることに驚くし感激する。
「レイチェルにも来てほしいのだけれど、どこにいるか知ってる?」
「レイチェルなら、君たちの魔法省の研究室に行くって言ってたよ」
なるほど。
投薬の後には必ず検討会を開くこと、そして、その検討会には自分も顔を出したほうがいいと、レイチェルはわかっているということね。
私の仲間たちは、皆が優秀すぎてほんと助かる。
「ヴェルデ、ミラとハンナに、検討会で食べやすいお菓子を研究室に持ってきてもらえるよう、連絡してくれない?」
「もう、用意して向かっているようよ。インディゴがそう言ってる」
優秀なのは私の侍女も、らしい。
「アマリージョとロッホが運ぶのを手伝ってる。セレステはスイランを呼びに行ってるし、プラータはもう研究室にいるよ」
へえ。
検討会なんだけど。
お菓子を食べる会ではないんだけど。
いつでもどこでも、機会を逃さずお菓子の会。
精霊たちはぶれない。女神もぶれない。
私はもうダイエットしないといけないしね。
そうは食べないわよ。
あくまでも、脳を活性化するための糖分摂取として、少しいただくだけだから。
アルベルトと一緒に研究室に入る。
レイチェルが、ミラたちといっしょに私たちと精霊たちのテーブルを分けてセッティングしてくれていた。
精霊たちのテーブルには山盛りのハーブクッキーとマシュマロが。
私たちのテーブルには、クッキーが二枚ずつ。
あれ?
一枚しかないお皿もあるわ。
アルベルトの分かしらね。
「エリーゼはダイエット中だというから、一枚だけにしておいたわ」
私の分だった。
いや、二枚くらいは大丈夫なのでは?
ダイエット中とはいえ。
アルベルトが笑いながら、席に着いた私のお皿に自分のクッキーを一つ載せてくれた。
「ちょっとくらいふくよかな方がいいよ」
ふくよかな方が。
ふくよかな方が?
私は、そのクッキーをアルベルトのお皿にそっと返した。
私は、ダイエット中ですからね。
「それでは、検討会を始めます」
カーリーが私をなぜだか残念な目で見ながら、そう告げた。




