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乙女ゲームの世界に転生したけれど、ゲームをしたことがありません。それでも私、愛と勇気で破滅フラグに立ち向かいます。part6

第6章 王妃様主催のお茶会に招待されました


「エリーゼ、少しお願いがあるの」

母が上品な笑顔を私に向ける。

「お母さま、私にできることなら善処しますわ」

 善処します=ちょっとは頑張りますができるかどうかはわかりませんよ? 検討させてください=いったん保留ですね、というかたぶん無理です。という感じで私は母のお願いをスルーすることが多い。

「報酬は、お茶会三回までパスあり、でどうですか?」

母は私の扱いを日々学習しているようだ。報酬のチョイスが素晴らしい。

「内容によりますね」

しかし即答はできない。


『お茶会パス』はかなり魅力的だ。第二王子との婚約が調ってからというもの、将来の皇太子妃候補にお近づきになりたいわ、あるいはどうすればその立場から私を追いやることができるのか、という嫉妬と欲望にまみれた視線に囲まれたお茶会への招待状が爆増している。そんなくだらない社交に時間を割くぐらいなら、調べておきたいことや練習したい魔法が山ほどある。


私は魔力絶対主義に反対だが、魔法を知らずして魔法についてあれこれ語ることはできない。なので、最近は私の魔力とご加護で実現可能な魔法の研究と実技にかなりの時間を割いている。

おかげで、かなり多種類の魔法を使いこなせるようになった。もちろん、インディゴ以外の精霊たちの大いなるサポートがあってこその成果だ。闇の魔法はちゃんと学べば怖いものではない。それはわかっている。でもやっぱりまだそれを試すことには躊躇がある。


「あなたにいただいたハーブ石鹸ですけどね、あれは本当にとってもいいものだと思うの」

「はあ」

「でもね、なんていうのかしら、バリエーションが欲しいっていうか、別の香りのものもいくつか欲しいかしら? と思うの。どんなにいいものでも飽きてしまうと気分が上がらないものでしょう?」

「まあ、そうですね」

「作ってもらえないかしら? お肌に良くて香りのいいものを他にも、できれば三種類くらいは欲しいわ」

「わかりました。すぐにとりかかりましょう」

 母は、期待していなかったのか、少し驚いている。


「だから、すぐに作りますよ。幸いもういくつか候補がありますから」

「そうなの?」

「それに美肌効果を望まれるのでしたら、お茶として飲んでいただくのもよろしいかと」

 飲む方が、薬理効果としては高いものが得られる。

「そういえば、あなた、ハーブティーなるものをよく飲んでいるわね?」

この世界では、少なくともこの国では、お茶と言えば紅茶だ。そこにはちみつを入れて飲むことが多い。

「ええ。少しお分けしましょうか?」

「ぜひ」


さっそく私は、ラボに向かう。といってもお部屋の一画を結界で調合用に仕切り、魔法で除菌し温度調整がしてあるだけのものだが。そこで、すでに精霊の手を借り作成済みの薔薇の精油とジャスミン、ゼラニウムの精油を手に取る。薔薇はもともとうちの庭に咲いていたもの、ジャスミンとゼラニウムはヴェルデのプレゼントの種をカールさんが中庭で育ててくれたものだ。


 瓶に保存してある何種類かのハーブも取り出す。効能と香りの相性を考えながら調合し、それを香りづけに石鹸を作る。石鹸は固形だけではなく液体も作る。液体石鹸でシャンプーが作れるからだ。ついでにハーブとビネガーでリンスも作る。研究室で何度も作ったことがあるので、手順に問題はない。

 しかも、ヴェルデとプラータの光粉入り。アマリージョも加勢したいというので、ルームフレグランスも作った。アマリージョの光粉で、香りを長持ちさせることができるそうだ。


準備が整ってから母を招く。ハンナに頼み、試飲のために数種類のハーブティーを淹れてもらう。効能だけを重視するより、好きな味を楽しんでもらったほうが効果が高いと思うから。母は、ローズヒップとハイビスカスの組み合わせのものを気に入ったようだ。

なかなかお目が高い、いや舌が肥えていらっしゃる。ローズヒップはお肌の強い味方ビタミンが豊富で、βカロチン、カルシウム、鉄分、ポリフェノールなどの栄養素が含まれるとても優秀なハーブだ。一方で特徴的な赤い色と絶妙な酸味を醸し出すハイビスカスは、クエン酸やリンゴ酸が豊富だ。便秘にも効くが、逆に飲みすぎはおなかを下してしまうことがある。そこは注意だよね。


石鹸は三種類。ハーブの組み合わせを変えながら、メインの香りとしては、ローズとジャスミンとゼラニウムのものを手渡した。シャンプーとリンスはローズとラベンダーの香りを利かせたものを作った。実はこの試みが公爵家の最大最強のツールにつながった。

母が商会を立ち上げ、満を持して売り出した石鹸とシャンプーとリンス、後に作ったコンディショナーが、アマリージョの風魔法のおかげもあり国中どころか国を超えて評判になった。

 ちなみに商品に精霊の光粉は入っていない。なので、価格をかなり抑えることができた。それが、庶民の味レシピ特許料とともに、公爵家の大きな資金源となった。

そんなもの、魔法があれば必要ありませんわ、とお高くとまっていた貴族のご婦人たちも、裕福な商人の妻や娘に美しい髪が増えてくると、試しに使ってみようかしら? ということになり、その効果に目を瞠る。

何度でも言いたいのだが、魔法は欠けたものや傷んだものを元に戻すことができるだけで、元の状態以上にはできない。元を美しくしてこその魔法効果なのだ。


というわけで、元々、潤沢な財産を持っていた我が家は、家令の笑いがとまらないほどの大金持ちになっていった。ただし、そのことは我が家の秘密だ。王家よりもお金持ちだとは絶対に知られるわけにはいかない。なので、それまでと同じ程度の、気持ち控えめな生活を送り、ヴォーヴェライト公爵家は今も亡命に備えている。




お茶会パス券は使い尽くした。しかも、今回の招待状は王妃様からのもの。これは断りづらい、というか断れない。

 私は一枚の豪勢な招待状を前に、どうしたものかとため息をつく。

「エリーゼ、心配するな。私が責任をもってエスコートするから」

 そんな私に、優雅にお茶を飲みながら兄が微笑む。

「お兄様」

 本当かしら? という言葉は飲み込んだ。

 私と同じようにお茶会や夜会の類が苦手な兄は、挨拶がすむと忍者のように気配を隠し、すみやかにフェードアウトするのが常だと父から聞いている。

「まかせておけ。今回は助っ人を用意してある」

 助っ人?


「マテウス様、お客様です」

 その時、扉の向こうで執事のセバスチャンの声がした。ふふっ。そう、うちの執事はセバスチャン。かの有名なアルプスに暮らす少女のお話に出てくる、あの執事と同じ名前なんだよ。しかも、どこから見ても、完璧なセバスチャンなの。彼を見て、執事だとわからない人はきっといない。


「おお、来たようだな。タイミングがいいな。こちらに通してくれ」

 いったい誰を招いたのやら。話の流れで、お茶会の助っ人とではないかと思われるけれど。

「マテウス、王族を自分の屋敷に呼びつけるとは、いい度胸だな」

 応接の間に入ってきたのは、第一王子アデル様だった。

「宮殿のセキュリティは甘すぎるからな。防音結界の魔道具も中途半端な品質だし。あんな場所で秘密の会話ができると本気で思っているのか?」

 兄は座ったままため口で、言いたい放題だ。せめて私だけでも、と思い殿下に淑女の礼をとる。


「アデル殿下、お久しぶりでございます。兄がいつもお世話になっております」

「エリーゼ嬢、元気そうでなによりだ。あれ以来一度も城に来てもらえないので、母上が寂しがっていましたよ」

「もったいないことです」

 母にも、このマナー教育の成果を見せてあげたいわ。私だってやればできるんだから。


「慇懃無礼ごっこはその辺で終わりにしてくれる?」

 兄は私の完璧な淑女の礼をスルーし、殿下にソファーをすすめながら半笑いを浮かべる。

 気をとりなおし、ハンナにお茶を淹れてもらう。そのおいしさに、殿下が感嘆の声をあげる。そうでしょう、そうでしょう。ハンナの淹れるお茶はこの国一番ですからね。でも、ハンナは譲りませんよ、と気合をいれてお茶を飲み干す。そんな私を見ながら、おもむろに兄が言う。


「エリーゼ結界を頼む。一番しっかりしたものを」

 私は、私の精霊の秘密が漏れることになるが本当にいいのか、と兄に視線を送る。兄はそれが狙いでもある、というように笑みながらうなづく。兄は、アデル殿下を本当に信頼しているようだ。それなら、私の信頼も殿下に捧げようと思う。


「プラータ、結界をお願い」

 私の言葉とともに、白銀の光が部屋いっぱいに広がり、やがて強固で美しい結界ができあがる。

「これは、見事な。こんな強い魔力を感じるのは初めてだ」

「だろ? うちのエリーゼは世界一だからな」

「お兄様。これは私の力ではありません。プラータの力です」

「その光の精霊の加護を受けられることこそがお前の魔力の強さ、いや心根の美しさの証なのだよ」

 アデル殿下がさらに驚く。

「光の精霊の加護だと。まさか」


「ちなみにうちのエリーゼは、他にも大地と緑の精霊、火の精霊、風の精霊、なんと闇の精霊の加護もあるぞ。凄いだろう? 凄すぎて、私はもうそのことについては深く考えないことにしているがな」

「全属性魔力だけでも特別なのに、おまけに5つの加護だと。これはもう国宝級の力だな。そうか、だから加護については黙っていたのか」

「ああそうだ。これ以上、王族にエリーゼに対して特別な目を向けられてはかなわんからな」

「それなら、なぜ今、私にこの秘密を明かすのだ? これでも、私は王族の一員だが」

「それは、我が親友であり王の権力にまったく興味のない、しかも有能なお前に協力してもらいたいからだ。エリーゼを権力と欲望から守るために」


「婚約者であるフィリップのほうが適任では?」

「本気か? あの顔がいいだけの子どもに何ができる? 我が家の今の一番の望みを知っているか? あの王子との婚約破棄だぞ」

「それこそ本気か? かの婚約は王命だぞ」

「わかっている。だから、王家から穏便に婚約破棄を言い渡してもらえるよう、鋭意努力中だ」

「それは厳しいのでは? あの弟なら丸め込めるかもしれないが、陛下、いやそれ以上に王妃たる母上の意向が変わるとは思えん」

 

 やはり王妃様の強い意向がこの婚約の背後にあるようだ。

「母上は王家の誰より聡明だ。しかも水の精霊の加護も受けていらっしゃる。全属性魔力を持つエリーゼ嬢の価値を、そしてお前の有能さ、ヴォーヴェライト家の重要さを誰より理解されている」

 

 水の精霊か。自分の身近にいないものには少し興味があるな。今度ヴェルデにどんな子がいるのか聞いてみようっと。

「紹介しようか?」

 突然ヴェルデが姿を現す。アデル殿下が驚きのあまり、椅子から立ち上がる。どうやら、私以外にも姿を見せているらしい。めずらしいことだ。

「すみません、驚かせて。この子はヴェルデ、大地と緑の精霊です」


「はじめましてヴェルデ様。私はエメラルド王国の第一王子アデル・フォン・メイヤーです。以後お見知りおきを」

「こんにちは、私は偉大なる大地の女神ガイアと誇り高き森の王ドリアードの娘、大地と緑の精霊ヴェルデよ」

「ドリアードとガイアの娘!?」

 私と兄が、今度は椅子から立ち上がる。

「偉い精霊って言ってたけど、あのガイアとドリアードの娘だなんて、そんな大事なことをなぜ今まで教えてくれなかったの?」

 だとすると、ヴェルデは精霊というより、女神なのでは?


「だって、誰もこのうちの人は私にちゃんと名乗らないし、私の由来を聞きもしないもの」

 確かに。そのあたりは緩々のままヴェルデも他の精霊たちも家族扱いになっていたかも。

「とにかく座ろうか」

 一番はやく正気に戻っていたアデル殿下が言う。あわてて兄と私も椅子に座る。

「水の精霊の加護も欲しいのなら紹介するよ。実はエリーゼに名前をもらいたい水の精霊がすでにもうたくさんいるのよ」

「あ、それはいいかな。水の精霊さんってどんなふうなのかな、って興味があっただけで、もうこれ以上加護はいらないもの。正直私、使いこなせていないよね、みんなの力」

 

 ヴェルデが私の肩に座る。そして耳元でささやく。

「加護は使いこなすものじゃないから。在ることを感じてくれていればいいの。エリーゼが愛と勇気を忘れなけば、私たちは、いつもあなたを守るから」

 心が、ふんわりと温かくなる。

「ありがとうヴェルデ、大好きよ」

 ヴェルデは照れたのか、緑の光粉をあたりかまわずまき散らした。


「エリーゼ、加護のことはその辺にして、話を戻してもいいかい?」

 緑の光粉にまみれながら、それでもどこか嬉しそうに兄が言う。

「そうでした、お兄様ごめんなさい」

「で、どうだろうか? アデル、私に、いやヴォーヴェライト公爵家に協力してもらえるか?」

「いいぞ、協力しよう」

 あきれるほどの即答だ。

「本当か?」

 兄も若干驚いている。


「凄いものを見せてもらったからな。見たからには、この力に歯向かう気にはならないよ。それにエリーゼ嬢ほど、今の私の好奇心をくすぐるものは他にないだろう。したがって、この陰謀に快く加担しよう」

「それなら、お前を疑うわけではないが、この『誓約の書』に署名をして欲しい。私も、お前を裏切ることはないという証にこちらの『誓約の書』に署名する」

『誓約の書』は、その誓いを違えれば、その者の一番大切なものを奪う。財産なのか、地位なのか、恋人か家族か、時には命を奪われることもある。その者が自分の命より大切なものがない時は。


「私も署名します」

 私のために、二人が何より大切なものをかけて誓うのなら、私が誰より先に署名すべきだ。

「エリーゼは必要ないよ」

「なぜですか?」

「この『誓約の書』は魔道具だぞ? エリーゼには意味のないものだ。なんの効力も持たないのだから」

 あ、そうだった。私の魔力を凌駕する魔道具が存在する可能性は低い。少なくともこの『誓約の書』は私には無効だろう。

 アハハ、とアデル殿下がお腹を抱えて笑う。

「まったくとんでもないな、このお嬢様は。面白い、面白すぎる」

 樹里にもよく言われたな。碧は面白いって。面白いところが一番の魅力だって言ってくれたっけ。そういえばアデル殿下は、どこか樹里に似ている。その口調や髪をかき上げるしぐさとか。


 アデル殿下は誓約書を読むと、ためらうことなく署名し血判を押す。兄もほぼ同時に署名をし手元から視線をそらしながら血判を押した。兄はクールな見かけによらず血が苦手なのだ。私はすぐに二人にリフレを施す。

 互いの『誓約の書』を交換した後、アデル殿下が言った。

「それで、具体的に私に何を望む?」

「実は、エリーゼには先読みの力がある」

 現在も過去も前世も視えるが、家族にもまだそこまでは話していない。家族に秘密がもたらす重荷を少しでも減らしたいからだ。

 さもありなん、とアデル殿下は疑いもしないようだ。

「それによると、実は、フィリップ殿下との婚約は王立魔法学院の卒業記念パーティーで、殿下からの一方的な宣告を受け破棄されるらしい」


「正直それは信じがたいが、もし本当なら好都合じゃないのか。そこに私の出番があるのか?」

「もちろんだ。その後で、エリーゼはフィリップから国外追放を言い渡され私有財産を没収されるらしい。この場合、エリーゼの私有財産はないはずだから、公爵家の財産を没収するという意味にもとれる」

 

 いや、それはどうだろう? 私はすでにハーブティーや美容関連商品、庶民メニューのレシピなどでかなりの成果をあげている。お金のことは家令と母がしきっているが、おそらく母のことだ。大半を私のために貯蓄してくれているはず。それにしても、マテウス兄、まだかなり先の未来のことなのに、相当なご立腹だ。もうフィリップ王子に敬称すらつけてない。


「待て待て、それは無理だろう。婚約は、まあ破棄をするとあれが宣告するだけならあり得るが、王命を覆すのは難しいぞ。国外追放や私有財産の没収にいたっては、陛下の許可と閣議決定が必要だ。エリーゼの魔力とヴォーヴェライト公爵家の持つ歴史的背景を鑑みれば、そんな未来はありえない」

 ヴォーヴェライト公爵家は曾祖父が王弟という、きわめて王家に近い血筋だ。王家に何かあれば、その義務と権利を負うことのできる家系だ。その家の財産をなんの根拠もなく独断で奪うことなど、常識的に考えれば、たとえその時点でフィリップ王子が皇太子に指名されていたとしてもできることではない。


「だが、フィリップは、独断で、しかもあの舞台でそれを断言するんだ。衆目を集めエリーゼに冤罪をでっちあげて」

「バカなのか?」

「ああ、成長したあれは、今以上にあさはかで傲慢でバカの極みだ」

「なぜそんなことを」

 アデル殿下が頭を抱える。兄の暴言になのか、弟の行く末になのか。


「フィリップの暴走の理由は、魔法学院で出会った聖なる光魔法の使い手、エルスター男爵の養女マリアンヌに恋をし、エリーゼが邪魔になったからだと推測できる」

「エルスター男爵といえば、第二王子派の筆頭、フィッシャー侯爵の子飼いだな」

 聖女とも崇められる聖なる光の魔法の使い手、マリアンヌへの殿下の興味は薄そうだ。それより、その背後にある政争に眉をひそめている。


「ああ。あの派閥の貴族は、誰も彼もろくでなしだ。それもこれもアデルが早々に王位継承権を放棄した影響だと思うがな」

「いや、なんていうか、すまん。私も、私の王位継承権放棄がここまで国の未来に影響を与えるとは想像できなかった。最近では、あれの取り巻きの中に、陛下の早期引退を言い出す輩まで出てきて、母が怒り心頭なんだ」

 それは酷い。自分の派閥が推す王子のためとはいえ、不敬すぎる。


「悪いと思うのなら責任をとってくれ」

「いやしかし、いったん放棄したものを反故にはできないぞ。私以外の跡継ぎが全員いなくならない限り」

「何もそんなことは望んでいない。頼みたいのは、フィリップが婚約を破棄したら、直後にお前にエリーゼの婚約者に立候補してもらいたいということだ。もちろん、一時的なものでかまわない。お前が何より自由を愛していることはわかっている。ただ少しの間でいいから、エリーゼの身をその王族という絶対的な身分で守って欲しいんだ」

「それでどうする?」

「その後の王家の振舞いしだいで、最悪、一家でサファイア王国への亡命を考えている。できればもう少し穏便な決着を望んでいるが」


「そうか。そこまで決心しているのなら、その役目、私が引き受けよう。なんなら、サファイア王国への亡命に同行してもいいぞ」

 この殿下、本当に変人だ。第一王子のくせに亡命に同行希望とかありえない。私を面白いとか言っているけれど、どの口がそれを言う!って感じだ。

「とりあえず、三日後のお茶会でエリーゼを頼む。フィリップはどうせ、派閥の貴族のご令嬢たちに囲まれいい気になってエリーゼは放置されるだろう。私がエリーゼといられない間は、お前がエリーゼを守って欲しい。それとできれば王妃様とエリーゼの仲を穏便にとりもってもらいたい。どうなるにせよ、王妃とは敵対したくない」

「そうだな、母上は敵にまわさないほうがいい。あの人の背後には帝国がついているから」

 

 帝国とは、エメラルド王国をはさんでサファイア王国と反対側に位置するラピスラズリ神聖帝国のことで、王妃様の母国だ。この世界の宗教ラピスラズリ教の総本山があることで、帝国の力はとても大きい。


「お茶会でのことは私にまかせろ。エリーゼになかなか接触できない母がしびれを切らして計画した会だ。エリーゼを囲い込んで母と3人、マテウスも望むのなら4人で過ごすことは難しくないだろう」

「いや、それなら私は情報収集に専念しよう」

「まあそれが適材適所というものだな。私と違いマナーは完璧、頭脳は国一番と評判の美貌の公爵家嫡男の前では、どんなご婦人もご令嬢も口が軽くなるだろうし」

 

 世間の評判どおりに優秀な兄だが、親友と妹の前でまで謙遜するのが面倒なのか、殿下の言葉はスルーだ。ただ、私は嬉しくてにっこり笑う。大好きな兄を王族に褒められて嬉しくないわけがない。

「エリーゼ嬢は、マテウスのことが本当に好きなんだな」

「もちろんです。私は、依怙贔屓せず家族であっても悪いところはちゃんと指摘してくれる兄を、心から尊敬しています」

「そうか。そこは私と同じだな。私もマテウスのそういう分け隔てのないところを尊敬している」

 兄は照れたのか、空っぽのカップのお茶を飲み干すふりをする。



 窓から差し込む日差しが薄くなってきた。

「そろそろお暇しようと思う。最後にもし許してもらえるのなら、エリーゼ嬢の他の精霊にも紹介願えないだろうか? これから長いお付き合いになりそうだし、お互い協力し合うこともあるかと思うのだが」

 ここまでぶっちゃけた後で、私に否はない。ただ。

「呼んでもみんなが姿を見せてくれるかどうかわかりませんよ?」

 特にインディゴとか、インディゴとか、インディゴが。


「それは承知の上です。精霊とは気高く時にきまぐれな存在ですから」

 いや、そういうことではなく、今も私の肩の上でうつらうつらしているヴェルデを見れば想像できるように、呼んでも顔を見せてくれない時は、精霊たちはたいてい寝ている。インディゴは特に寝ぎたない。

 私は、すでに姿を見せているヴェルデ以外の名を呼ぶ。

 すぐにアマリージョが現れる。次にロッホが、そして、プラータが。

 皆、私の願いを聞き入れ、いつもの姿をアデル殿下に見せてくれている。


「アデル殿下、こちらの黄色い美女が風の精霊アマリージョ、赤のドラゴンが火の精霊ロッホ、白銀の光が光の精霊プラータです。闇の精霊インディゴの姿は見えないですね。ごめんなさい」

 すると、「あれは、そこで寝ておる」とプラータがテーブルの下の影を指さす。よく目を凝らせば黒に藍が混じっているような気もする。


「失礼だが、そのようなことで、もしもの時、エリーゼ嬢の守りは大丈夫なのか?」

「問題ありませんわ。インディゴは最初に解呪と解毒の加護をくれていますから。それに他のみんなが優秀なのでよほどのことがない限り出番がないんです。ただ、呼ばないと拗ねるのでとりあえず呼びます。すると安心してまた眠ります」

「なるほど。ということは、エリーゼ嬢には呪いも毒も効かないということですね? 素晴らしい」

 アデル殿下はそう言った後、それぞれの精霊に丁寧に自己紹介をし、挨拶を交わした。精霊たちは、殿下のことを気に入ったようだ。アデル殿下が咳き込むほどに、盛大に自分たちの光粉をふりかけていた。


 

 お茶会の当日になった。

 朝早くから私は、ミラとハンナの手で磨き上げられ着飾られ、できあがった時にはとんでもない美少女に仕上がっていたが、クタクタに疲れ果てていた。

「エリーゼ、大丈夫か?」

「なんとか」

 兄のエスコートで馬車に乗り込んだ後、念のため私はリフレを自分にかける。すぐに心身がスッキリする。こういう時は、自分の魔力の高さに感謝するが、魔力に頼ってばかりではいけないという、私の信念は変わっていない。

 馬車はゆっくりとした速度で宮殿に向かう。


「初めの挨拶だけ我慢してこなせば、後はアデルがうまく王妃様のところに連れていってくれるはずだ。それまでは、私もエリーゼのそばを離れない」

「わかりました。でも、王妃様とご一緒というのも、少し緊張します」

「王妃様とは宮殿のお菓子とお茶を楽しめばいい。といっても、我が家の味に慣れていると悪くない、という程度だが」

「そうですね。とりあえず、お菓子の話でもしておきます」

「レシピは漏らすなよ」

「はい、もちろんです」


 そうこうしている間に馬車は宮殿についた。

 門をくぐり、兄と一緒にお茶会の開かれているフロアーに案内される。夜会に使われることも多いという宮殿で一番豪華で広い場所だと兄が教えてくれる。中に入ってすぐに、兄への視線の多さに驚く。

「注目の的だな、エリーゼ」

「本当に。さすがお兄様です」

「いや、これは半分以上、君に向いている視線だ」

 まさか。10歳の子どもがどれだけ着飾ろうとたかがしれている。聡明な兄でも勘違いをすることはあるのだな、と思う。


「王族が揃ってお待ちだ。ご挨拶を」

 陛下の姿はないが。王妃様、アデル殿下、フィリップ殿下が皆を出迎え挨拶を交わされている。アデル殿下が私たちに気づいて、穏やかな視線と笑みをくださる。

 兄が近くまでエスコートしてくれ、先に無難に挨拶を終える。続いて私も王妃様から順に礼をとる。王妃様は、とてもにこやかに私の礼を受けてくださった。アデル殿下も優しく応対してくださる。フィリップ殿下はなんだか戸惑ったようなお顔だ。


「お前は、本当にあのエリーゼなのか? 『幻惑の魔法』でもかけてもらったのか?」

 どういう意味なのか? 思わず振り向き兄に助けを求める。

「殿下、妹は本日フィリップ殿下にお会いするため、少しばかりおめかしをしておりますが、『幻惑の魔法』などかけてはおりませんよ。第一、そんな魔法をかけたままでは、王家の誇る『禁魔具の門』をとおり抜けられるわけがありません」


『禁魔具の門』とは、文字どおり、魔法や危険な武器を弾く魔道具の門だ。暗殺などを防ぐために、こうした集まりの時には、招待者はその門をくぐることが義務付けられている。けれど、私の魔法なら無効にできるはずだ。壊してしまうと大変なので試したりはしないが。


「そうか。それなら少し化粧を控えめにしろ」

 私、ノーメイクですが。ミラとハンナに、入浴のあと、たっぷり私お手製のクリームを塗りこまれましたが、それ以上のことは何もしておりません。

「妹は化粧などしておりませんが? お目汚しをしたのなら謹んでお詫びいたします」

 兄は、さほど怒りを隠すこともなく慇懃無礼に礼をとると、すみやかにとフィリップ殿下の前から私を連れ去ってくれた。

 その後は、兄目当てにせまりくる何人ものご婦人や令嬢の波を渡り切り、私たちはアデル殿下と無事合流することができた。


「フィリップが、失礼なことを言ってすまない」

 真っ先に、アデル殿下がお詫びの言葉とともに苦笑を浮かべる。

「母上も激怒されていた。謝罪したいので、できるだけ速やかにエリーゼ嬢に中庭の四阿に来てもらえないかと伝言を預かっているのだが」

「四阿? 池のほとりにあるあの?」

「ああ」

「それはつまり、水の精霊を呼び出すつもり、ということでいいのか?」

「おそらく。母は加護を受けているが、エリーゼ嬢のように、いつでもどこでも水の精霊を呼び出せるわけじゃないそうだ。水のある場所、できればきれいな水が近くにあるほうが容易らしい」

「いや、私も色々調べてみたが、エリーゼが非常識なんだ。精霊にはやはりそれぞれに得て不得手の場所がある。いつでもどこでも名を呼ばれたら現れる、なんてことはふつうはないんだ。そこが不得手な場所なら精霊は顔を見せないことも多い」

 

 うん、まあ、インディゴはそうかも。明るい場所にはあまりこないしね。

 でもヴェルデが言うには、明るい場所は姉のプラータの支配領域だから、顔を合わせて叱られるのが嫌なだけで、苦手なわけではないらしい。

 だってこの世界に、少しも影のない場所なんてないのだから。光あるとことには必ず影がある。影があってこその光の尊さなのだ。


「だから、それができでしまうエリーゼがおかしい」

「なるほど」

 結局、我が家でもありがちだが、私がおかしい、非常識という結論で話が終わる。

「まあ、行くしかないだろうな。ここで遠慮するとかいう選択肢はないだろう?」

「ああ」

「エリーゼを頼んだぞ。不測の出来事が起こった時は、アデル、お前の判断に委ねる」

「先に一つだけ確認しておきたい。精霊の加護について話さざるを得ないときは、ヴェルデ様に来ていただくのがいいと思うのだが」

「それがいいと私も思う。すべてを隠すより少しの真実の裏側に他を隠すほうがいいだろう。ただ複数の加護持ちだということは極力悟られないように頼む」

 アデル殿下はうなづき、私のエスコートを兄から代わってくれた。


 四阿には、王妃様がすでにお見えになっていた。

 私は、改めて臣下の礼をとる。

「エリーゼ、堅苦しい挨拶は必要ないわ」

「恐れ入ります」

「おかけになって。お茶は何がよろしいかしら? 最近市中で評判のハーブティーもあるのよ。もちろんお菓子の用意もありますから」

 うーん、ここでうっかりそのハーブティーの出所を悟られても困る。今日のところは紅茶が無難か?

「私は、ミルクティーをお願いします」

「アデルあなたは?」

「私は、いつもの紅茶を」

 王妃様は侍女に三人分の飲み物を持ってこさせると、結界の魔道具を発動させた。


「先ほどはフィリップが失礼しました。ごめんなさいね、本当に考えなしで。もう少し大人になってくれればいいのだけれど」

 無理でしょうね。私のクリスの見立てでは、何度やってもたいして変化のない同じ未来しか見えないですから。

「母上、謝罪はその辺でもういいのでは? 何か大切なお話があったのでしょう?」

「そうだったわね」

 王妃様は、クッキーを1つつまむ。私も遠慮なく。


 まあまあね。もう少し砂糖を控えめにしたほうがいいかしら? 心のなかでつぶやく。 

 こちらの世界では砂糖がかなりの貴重品だからか、お金持ちほど、砂糖をふんだんに使ったお菓子を喜ぶ。けれど、なにごとも過ぎたるは及ばざるがごとし、なのだ。さすがに王家の専属職人の手によるものなので、下品なほど甘くはないが、あと一歩、砂糖をけずる勇気が必要かもしれない。ちなみに、我が家ではサトウキビの栽培も順調だしそこから砂糖を作り出す魔法陣はすでに完成している。

 などと、お菓子の出来についてあれこれ考えていた私に、王妃様はいきなりストレートな質問を投げかけてきた。


「エリーゼ、あなたフィリップのことをどう思っていらっしゃる?」

 アデル殿下をチラッと見る。想定内の質問だったのか落ち着いたものだ。つまり、好きなように答えていい、私に任せる、ということかな。

「国中のご令嬢がうっとりされる、という噂に違わぬ、気品のある方だと思います」

 嘘ではない。口を開かなければそう見えるのだから。

「つまり、容姿以外褒めるところがないということかしら?」

 ところが、王妃様は、私の言葉の飾り部分をあっさり削ぎ落された。

「いいえ、そんなことは。ただ、私はあまり殿下とお話したことがないので」

 今後もできるだけ話したくないし。


「ではアデルのことは?」

 向かいの席で、アデル殿下が咳き込む。

「アデル殿下は、聡明でおおらかで、けれどずいぶん変わった方だと思います」

「フィリップに比べると、ずいぶん高評価ね」

 不公平がないよう、後半少しディスっておいたはずなのに。

「それならちょうどいいわ。ご提案があるの」

 それなら、の意味が正確につかめない。


「フィリップに代わりアデルを婚約者にするのはどうかしら?」

 どうしてそうなる? 私は、動揺のあまりアデル殿下に助けを求める。

「母上、お戯れが過ぎますよ」

 すかさずアデル殿下がフォローをいれてくれる。

「戯れではありませんよ」

「しかし、私は王位継承権を放棄しています。いずれはこの国を出ていくかもしれません。そんな私に嫁げというのは、エリーゼ嬢に失礼ではありませんか? 公爵家としても喜ばしいことではないでしょう」

 

 おそらく、これはアデル殿下の本心だろう。フィリップ王子との婚約破棄の後、私の保護を了解してくれたのは兄との友情のため。時がくれば、自由を求めて旅立たれるのだろう。

「エリーゼが嫁ぐのではなく、エリーゼにこの国の女王になってもらい、あなたがエリーゼの王配となればいいでしょう? 外の世界が見たければその後で自由にすればよろしい。民の幸せを担う覚悟のないあなたがいなくても、全属性魔力を持ち、聡明なエリーゼがいれば十分ですから。幸いにもヴォーヴェライト家には有能な嫡男もいます。次期宰相としてエリーゼを支えるはずです」

 あまりに突飛な提案すぎて、言葉が出てこない。


 まず、私が女王になるということがあり得ない。それなら、継承権を放棄したアデル殿下がもう一度王位を目指す方がまだ現実味がある。そもそも私は王族になどなりたくない。


「母上、エリーゼ嬢が困っています。だいたい、どうやったらエリーゼ嬢が女王になれるというのです

か? 確かにヴォーヴェライト家に王位継承権はあります。しかしそれは我がメイヤー家の跡継ぎがすべて絶えるかあるいは皆に問題があった時のこと」

「問題だらけではないですか。長男は継承権を放棄、放浪者になるのが夢。二男は見掛け倒しの無能。三男は子豚にされたまま」

 こ、子豚にされたまま!? 


「この状況を打開する、考えられる中で一番ましなものが、エリーゼを女王に立てアデルを王配にするというこの方法です。どうしてもというのなら、あなたと仲よしのマテウスが婚姻してもよろしくてよ? 我が国では同性婚も認められていますから。その場合跡継ぎ問題がまた燻ることになりますけどね」

 私がマテウスと婚姻? とアデル殿下の目が虚ろに染まってくる。

 あの、闊達なアデル様の心をここまでえぐるなんて、王妃様、恐るべし。


「ご質問、よろしいでしょうか?」

「もちろんよ」

「それならなぜ、王妃様は私とフィリップ殿下の婚約を勧められたのでしょうか?」

「エリーゼ、それはあなたに少しでも近づくためですよ。ヴォーヴェライト家はとても用心深くて、全属性魔力の報告以後、あなたを屋敷に閉じ込めたままですからね。フィリップを婚約者にしたのは、あの厄介な派閥を油断させるためです。王命は王以外に破棄することはできませんが、王になら破棄できます」

 なるほど、ほぼ父と兄の予想どおりの答えだ。


「ではもう一つ、バラード様はなぜそのようなお姿に?」

 こちらは、ヴォーヴェライト家にとって予想外の展開だ。

「ウィン、来てくれるかしら?」

 私の問いには直接答えず、王妃様は誰かを呼ぶ。誰か? ああもしかしたら。

 その瞬間、青色の光に包まれた、タツノオトシゴが現れた。

「これは私に加護をくれた水の精霊、ウィンよ」

 おお、これが水の精霊!! 私は初めて出会う水の精霊に感激する。

「はじめましてウィン様。私は、エリーゼ・フォン・ヴォーヴェライトと申します。以後お見知りおきを」

「お噂はかねがね。精霊に愛されし、麗しのエリーゼ様にお目にかかれて光栄です。私は水の精霊王ネプチューンが眷属、ウィンと申します」

 やはりね、と王妃様はしたり顔だ。

「エリーゼには精霊が見えるのね。そればかりか、精霊たちの間ではかなりの有名人のようだし」

 ここは見えない振りが正解だった? 

 アデル殿下を見るが、未だ虚ろいの中のようだ。


「まあ、そのことはおいおいお話しいただくとして、ウィン、エリーゼにバラードの呪いについて話してくれるかしら? ウィンは誰よりこの件の情報を持っているのよ」

「承知しました。バラードは、兄上様の婚約式の日、大広間で騒がぬようにとこちらのお庭を侍女と護衛の騎士を連れ散歩していたようです。その折、あちらの木陰で何かを拾い、うっかりそれを口にしてしまいました」


 式典の間、当時二歳だった王子がうるさくしないよう連れ出したら、うっかり拾い食いしちゃったということか。


「口にしたものに特殊な毒が入っていたのでしょうか?」

「いいえ。その口に入れたものが、精霊のとても大切なものだったらしいのです。怒った精霊は、バラードに呪いをかけました。その瞬間、バラードが子豚に変身しました」

 

 この一連の流れは、侍女と護衛騎士が見ていたので間違いがないらしい。ただ、誰も手出しができないほどの一瞬の出来事だったそうだ。


「では、呪いをかけた精霊を探し出して呪いを解いてもらえば、バラード殿下は元の姿に戻ることができるのですね」

「はい、しかし、それは不可能に近いかと」

 場所と時間がほぼわかっているので、クリスでバラード王子を視る、という手がある。結果精霊の正体がわかるかもしれない。わからなかったとしても、呪いの種類によっては、もしかしたら『クラシオン』が効くかもしれない。


「呪いをかけた精霊がどんなものか、その精霊の大切なものが何か、ということについて情報はありますか?」

「城内におります精霊たちに尋ねまわったところ、バラードはどうやら精霊の宝を口にし怒りをかったようです。どんな精霊だったのかは不明です。ただ、ふだんは城内では見たことのない精霊だったとか」

「精霊の宝ですか。それについては?」

「宝についてはっきりしたことはわかりません。女神の作った甘く香ばしい食べ物だという者もおれば、ローズマリーという魔女が作った霊薬だという者もおりまして」

 

 大切なもの、宝というからには、甘く香ばしい食べ物よりは霊薬のほうが現実味が高いような気もする。ただわからないのは、魔女だ。

 女神はともかく、この魔法があふれる世界で魔女という存在に意味があるのだろうか? 魔法を使う女なら、掃いて捨てるほどいる。


「ウィン様は、魔女に心当たりがありますか?」

「人でありながら精霊をも凌駕する途方もない魔力の持ち主がいる。その者を一部の精霊が魔王女と呼んでいると聞いたことはあります」

 その人の名がローズマリーということか。それもまた不思議な話だ。ローズマリーといえばハーブ。この国ではハーブは雑草扱いだ。人の名にふさわしいとはいえない。私は、首をひねって考え込む。 


「エリーゼ嬢、あのお方に尋ねてみるのはどうだ?」

 どうやら、アデル殿下が現に戻ってきたようだ。

「そうですね。彼女なら適切なアドバイスをくれるかもしれません」

 なんといっても、あのガイアとドリアードの娘なのだ。


「王妃様、薄々お気づきかとは思いますが、私にも精霊の加護がございます」

「そうでしょうね。全属性魔力の持ち主に加護がないと言われてもそのほうが信じがたいもの」

「私の精霊にも、知恵を借りるというのはどうでしょうか?」

「それはもちろん、こちらとしてはありがたいわ。バラードはいたずらっ子ですけど、心根はそう悪くないし頭もよいのです。このまま呪いが解けずともずっと私が育てていくつもりですが、解ければこの国にとって役立つ人間になるはずです」

 

 おお、それは朗報だ。呪いさえ解ければ、バラードが跡継ぎになる未来も大いにありえるということだ。私が王女になるより、兄がアデル殿下と結婚するより、この国にとってずっと現実的で希望のもてる選択肢ではないか。


「ヴェルデ、お願いがあるの」

 すぐに緑の光がやってくる。

「なあに?」

「こちらはエメラルド王国の王妃様と水の精霊ウィンです。みなに姿を見せてくれる?」

「いいわよ」

 ヴェルデが姿を現すと、ウィンが、姫様!!と声をあげる。

「お前は、兄上の眷属か? 久しくお会いしていないが、兄上はお変わりないか?」

「はい、それはもうお元気でございます」

 この会話で、ヴェルデの存在が尋常ではないものだと察した王妃様が、丁寧な淑女の礼で自己紹介をする。このあたりは、アデルもそうだが、王族はさすがに察しがよく礼儀にぬかりがないと思う。


「はじめまして。私は、偉大なる大地の女神ガイアと誇り高き森の王ドリアードの娘、エリーゼの守護精霊、ヴェルデよ」

 察していたとはいえ、その豪華な取り合わせに王妃様の顔色も一瞬で血の気が引いたようになる。


「それでエリーゼ、どういうお願い?」

「実は、王家の第三王子のバラード殿下が精霊の呪いを受けて子豚のお姿になったしまわれたようなの。ヴェルデならその呪いをかけた精霊や呪いの種類に見当がつくかしら?」

「そうね。私より上位のものがかけた呪いでなければ、その種類を特定するのは難しくないと思うけど」

 それは判明する可能性大だ。ヴェルデより上位の精霊となるとそうはいないだろう。その生い立ちもさることながら、あのプラータでも、ヴェルデを同じ上位のものと言っていたのだから。


「それで、その子豚ちゃんはどこにいるの?」

「王妃様、バラード殿下はどちらに?」

「お部屋で、陛下が様子を見てくださっています」

 そういえば、陛下は、末っ子のバラード王子をとてもかわいがっていると聞いている。その溺愛ぶりに、フィリップ殿下の派閥が危惧を抱き活動を活発にしているのだとか。


「お連れいただいてもよろしいですか?」

「では私が行ってこよう」とアデル殿下が席を外す。殿下の姿が見えなくなると少し不安になるが、ヴェルデが肩に止まると、その不安も吹き飛ぶ。

 ほどなくアデルが小さな黒い子豚を抱きかかえてきた。とてもきれいに手入れされていて、王家の紋章と宝石のついた首輪もつけている。事情を知らない者ならば、王家が大切にしているペットと認識するだろう。


「初めまして、バラード殿下。私は、ヴォーヴェライト公爵家のエリーゼと申します」

 私は子豚(バラード)殿下に臣下の礼をとる。殿下の眼が心なし大きく見開いたように見える。

 私は日々、精霊たちに護られて生きている。

 精霊たちは、様々な形で私の前に姿を現す。見た目でその者の中身を判断することは危険だ。


 陛下と王妃様のご配慮があるとはいえ、バラード殿下はこの姿になって、きっと辛い思いもされたのだろう。しかし、私にとってはどんな姿であれ、この方は王族の一員、第三王子のバラード殿下だ。


「殿下、私の肩におりますのは、私の守護精霊ヴェルデです。ヴェルデは高位の精霊で呪いにとても詳しい者です。殿下の呪いを見せてもよろしいでしょうか?」

 子豚はうなづくように首を動かす。


「ヴェルデ、お願い」

 ヴェルデは、アデル殿下に抱かれた子豚をサクッと見る。もう少し、振りでいいから、じっくり見て欲しいんだけどな。そのほうが信用度が上がるというか。

「これは、なんともクールな呪いね」

 精霊たちは私がうっかり口にする前世での言葉を、最近よく使う。クールね、とかウケルとか、マジ!?とか。私の不徳の致すところだ。

「姿かたちは変えたけれど、その者の内面は1ミリも穢していない。闇の呪いにはありえないほどの美しい呪いだわ」

 そうか、闇の呪いなのか、やはりこれは。なんとなくそんな気配は感じていた。


「なんとかできる? その、ヴェルデの力で」

 これで、ヴェルデ以外の精霊の存在を明かしたくない、私の癒し魔法も内緒にしておきたい、という私の意図を、ヴェルデはちゃんと汲んでくれるはずだ。

「知ってのとおり、闇の呪いと私の力はとても相性が悪い」

 よく知っております。

「だから、本人に解いてもらうしかないわね」

「じゃあ、その精霊を探すしかないのか。ふだんは城にいない精霊らしいから、見つけるのは難しそうね」


「少し時間をもらえればなんとかなるかも。なんといっても、私は偉大なる大地の女神ガイアと誇り高き森の王ドリアードの娘ですから」

 ヴェルデ、えらく今日はそこを強調するわね。権威には権威をということかしらね。

「それでは王妃様、この件に関しては少しお時間をいただけますか? 解呪の方法が分かり次第、兄よりアデル殿下を通じてご連絡いたしますので」

 この件は兄に秘密にはしませんよ、と暗に告げる。

「そしてもしバラード様の解呪が成せば、私を女王になどというお言葉はご撤回いただきたく存じます」

「いいでしょう。それが叶うのならそなたを女王に、という案は一旦保留にしましょう」

 撤回が保留になっている。しかも、アデル殿下と兄の婚姻はスルーされている。

 しかしアデル殿下の顔をうかがうと、小さくうなづいている。

 

 王妃殿下にお暇のご挨拶をし、アデル殿下とともに四阿から辞した。バラード殿下はアデル殿下に抱かれたままだ。

「バラード殿下もご一緒でいいのですか?」

「ええ、私が父のもとに連れて行きます。母はこの後、フィリップの派閥の牽制に向かわねばなりませんからね」

「フィリップ殿下は、このことを?」

「いや、あれはバラードの呪いのことは何も知らない。陛下と母上のご判断だ。あれにはバラードは湖水地方にある王家の別荘地で魔法の訓練をしていると言ってある」

 風光明媚で土地の魔力が高いという湖水地方で魔法の訓練というのは、自分も経験があるので、フィリップ殿下は少しも疑っていないそうだ。

 

 そんな話を、ヴェルデに防音結界を施してもらいながら話していると、そのフィリップ殿下が目の前に現れた。私は、ヴェルデに結界を解除してもらい、すぐに臣下の礼をとる。


「エリーゼ、お前は私の婚約者なのに、兄上にベッタリとはどういうことだ? 周囲がどういう目でお前を見るか、わからないのか。はしたない上に、バカなのか?」

「フィリップ、口を慎みなさい。エリーゼ嬢は母上に特別なテーブルに招待されたので、母上のご意向で私がエスコートを引き受けただけだ」

「王位継承権を放棄している兄上こそ、口を慎んだらどうですか? 兄とはいえ、いずれ、あなたは私の臣下にくだるのですよ」

「万が一お前が王になれば、私はすみやかにこの国を出る。臣下になることは金輪際ないと思うが?」

「なっ」

「それに、皇太子に指名されたわけでもないのに、もう王気取りとはどういうことだ? お前は陛下をないがしろにしているのか?」


 王妃様にはたじたじだったアデル殿下も、フィリップ殿下に負ける口は持たないようだ。

「ふんっ、兄上が王位継承権を放棄した今、私の皇太子指名は間違いないと、フィッシャー侯爵も言っていた。そこのヴォーヴェライト公爵家の娘との婚約了承したのもあやつの進言があったからだ。これでもうバラードも私に勝ちようがない」

「どうだか。バラードは3歳にして、すでにお前より魔法を使いこなしているぞ? 家庭教師の話では、法律や経済はお前より進んだ内容を理解しているとか」


 アデル殿下の腕の中で子豚が視線を泳がせる。この言い争いに自分を巻き込んでほしくないという、バラード殿下の素直なお気持ちの表れだろう。


「少しばかり優秀でも、王は務まらぬ。王に必要なのは、優秀な臣下を使いこなせる器量だ」

 フィリップ王子の言葉に、アデル殿下と私は思わず顔を見合わせる。そのとおりだ。問題は、フィリップ殿下の周囲に優秀な臣下がいないことと、殿下にその器量がないということだ。

「兄上は、王の椅子にもう関係ないのですから、その小汚い母上のペットの世話でもして時間をつぶしていればいい。私は王としての研鑽をつまねばならないので失礼する」

 小汚いっていいました? こんなにかわいらしい殿下を。

「エリーゼ嬢、マテウスのところへ一刻も早く参りましょう。私の頭と腹筋が限界です」

 怒りと笑いを同時にこらえると、そうなるのは仕方ない。


 私はアデル殿下とともに兄の元に急いだ。アデル殿下は兄と短い言葉を交わしたあと、そのままバラード殿下を抱いて広間を出て行かれた。

「お兄様、そろそろ屋敷に戻ってもよろしいでしょうか?」

「そうだな。私も少々疲れた。屋敷に戻ってハンナの淹れてくれたハーブティーを飲みたいよ」

 ということで、私たちは宴半ばで屋敷に戻ることにした。馬車の中で、兄と私は黙ったまま、互いの手を握り合った。兄の大きな手は冷たかったが、私の心を十分に慰めてくれた。


 その夜、ヴォーヴェライト家では家族全員と精霊たちが集まり家族会議が行われた。

「まず、バラード殿下の呪いの件ですけど」

 私の報告で呪いについて知らされていなかった父や兄もかなりの動揺を見せたが、母は落ち着いていた。


「エリーゼ、あなたならなんとかできるんでしょう?」

 たぶん、と私はヴェルデを見る。

「エリーゼの『クラシオン』でもできるけど、王族の前で使いたくないんだよね?」

 さすがヴェルデ。わかってるね。

「それならインディゴに解呪してもらえばいい。あの場所にこいつを呼ぶわけにはいかなかったから少し時間をもらったけどインディゴなら瞬時に解呪できるよ」

「だけどインディゴ様の存在を知られるのもできれば避けたいよな」

 兄が言う。

「私が連れてきた高位の闇の精霊、ってことにすればいい。エリーゼとの関係やインディゴの名が知られなければ、そうデメリットもないんじゃない?」

 それなら隠していることはあっても嘘はない。たとえ王族が嘘発見の魔道具をしかけていてもひっかかりはしない。


「でも、インディゴで本当に大丈夫? もう少し時間をかけて呪いをかけた精霊を探してみてからでもいいんじゃない?」

 寝てばかりいるインディゴへの私の信頼度はあまり高くない。プリンやクッキー目当ての時には頑張るようだが。

「大丈夫よ、だってあれ、インディゴの呪いだから」

「「なんだって!!!」」

 父と兄が声を上げる。王族に呪いをかけたなどということがわかれば、ヴォーヴェライト家といえでも無事ではすまない。


「ちょっと待って。だって、あの怠惰なインディゴがわざわざお城まで出向いて呪いをかけたりする? それにお城の精霊たちの噂では、精霊の宝、魔女の霊薬を殿下が口にしたせいで怒りをかったとか言われてるのよ。インディゴがそんなものを持っている?」

「エリーゼ、その日、お城の宮殿ではあなたとフィリップの婚約式が行われていたのよ。インディゴがエリーゼについてお城に来ていても、まったく不思議がないでしょう?」

 ごもっともです、ヴェルデ様。

「しかも、よく思い出して。その魔女は、人でありながら精霊をも凌駕する途方もない魔力の持ち主で、名をローズマリーというんだよね? そして、バラードは甘く香ばしい食べ物を口にしたという噂もある」

「ええ」

 だから?

「つまり、エリーゼ、噂というものはそういうものだということです」とアマリージョが微笑む。

 というと?

「噂はあくまでも噂。でも噂は、真実が幾重にも枝分かれして広がっていった結果で、どれにも少しずつ本当が含まれているものだということです」


「なるほど、そういうことか」

 兄がうなづく。父も遅れて納得したようだ。

「マテウス、説明しなさい」

 母が少し険を含んだ声を出す。母も私と同じで、よくわかっていないからだろう。

「それらの噂話には、いくつかのキーワードがあります。精霊をも凌駕する途方もない魔力、霊薬、甘く香ばしい食べ物、ローズマリー。これは。全属性魔力のあるエリーゼが作ったローズマリークッキーを、殿下が口にされ、精霊の怒りをかった、と言い換えることもできる。うちの家族ならみんな知っているはずだ。このクッキーを食べると、霊薬ともいえるパワーが心身を癒すことを」

 両親がうなづく。


「そして、エリーゼの精霊たちはみな、エリーゼの作るお菓子が大好きだ」

「でも、クッキーを食べられたぐらいで、そんな呪いをかけるかしら? いくらインディゴでも」

「では聞いてみよう。もしエリーゼがあなた様のために作ったお菓子を寝ている間に奪われたら、ロッホ様ならどうしますか?」

「燃やす。でも炭にはしない。エリーゼがダメって言うから」

「アマリージョ様は?」

「吹き飛ばしますわね。隣国との境にある魔の森あたりまで。控えめにするようエリーゼに注意されましたから」

「ですよね」と兄。

「私だって、城を茨で覆っちゃうかも」

 ヴェルデはきっと、茨で覆いたいんだね、どこかを思いっきり。

「私も光で目つぶしくらいは」

 お菓子をうっかり食べただけで目つぶしとは。


「インディゴ様は、前科があるからエリーゼから特に厳しく注意されていました。だからバラード殿下がクッキーを食べてしまった時、呪いをかけはしたけれど、おそらくもっとも軽いものにしたのでしょう。あくまでもインディゴ様の基準ですが。どうでしょうか、プラータ様?」

「そうであろう。まったくあの弟は面倒ばかりおこす」

 プラータはかなりおかんむりだ。でもよく考えて。目つぶしをくらっていたよりはよかったのでは?

 ここは、インディゴを起こして、事実確認と弁明の機会を与えるべきだろう。


「インディゴ、起きてちょうだい。いますぐ、姿を見せて」

 インディゴがしっぽをまたに挟んだ藍色の子豚の姿で現れる。どうやらことの成り行きはわかっているらしいが、なぜその姿なのか? 私はこめかみをおさえる。

「僕はあの子を豚にしただけだよ?」

 上目遣いにインディゴは言う。はい、自白、いただきました。有罪は決定だ。


「燃やしてもいないし、吹き飛ばしてもいない。茨の檻で眠らせてもいないし、光で目をつぶしてもいない。エリーゼ、僕、ちゃんとエリーゼの言うこと聞いたよね?」

「私の許可なく、人に呪いをかけてはいけません」

「だって、僕の大事なローズマリークッキーを食べちゃったんだよ」

「バラード殿下はまだ3歳、いえ、まだその時は2歳の子どもだったんです。ちゃんと教えればいいのです。人の大事なものをとってはいけないと。子どもに呪いは絶対にかけてはいけません」


「そうなの?」

「そうなんです。よって、インディゴは、一か月お菓子禁止です」

 それはひどい、血も涙もない、エリーゼは魔王だ、と精霊たちが口々に言う。

「では二週間にします。そのかわり、すみやかにバラード殿下の呪いを解くように。いいですか?」

「三日にして、それなら解いてもいい」

「あなたに交渉の権利があるとでも? 解かないのなら、名を返してもらいます。そうしたら金輪際、私のお菓子は食べられませんよ」

「インディゴ、一週間ならがまんできるよ」

 ヴェルデ、私は二週間といいましたけど? 勝手に妥協しないように。

「そうだよ、それに、ヴォーヴェライト公爵がよく食べこぼしてるからそれを拾うって手もある」

 ロッホ、あなたは、食べこぼしまで食べているんですね。お父様も宰相という地位にあるのですから、お菓子をポロポロこぼさないように。

「インディゴ、一週間、耐えるのです。我慢の後の、最初のひと口のうまさを想像しながら」

 プラータ、もう一週間に決定なの? 

「わかった、頑張るよ」

 インディゴが涙目で決意表明すると、精霊たちがインディゴを囲むように抱き合う。おかんむりだったプラータも皆を包んでいる。



「バラード殿下にはどこで解呪を受けていただきましょうか?」

「うむ。それなんだが、殿下は今、湖水地方の王家の別荘にいらっしゃる、ということになっている。解呪の後はそこからお戻りいただいた方が、つじつまが合うかと思う。エリーゼにはそこへ隠密で訪ねてもらいたいのだが、何かよい方法があるだろうか?」

 父が、ヴェルデに尋ねる

「エリーゼが一度でも行ったことがあるのなら、そこに転移できると思うけど」

「転移!! エリーゼにはそんなことまで」

 やったことないんですけど。

「でも行ったことがない場所には無理よ」


「それなら我が家の別荘が同じ湖水地方にある。エリーゼも何度か滞在したことがある。そこへ転移して、王家の別荘に移動するのはどうだろうか? それならほとんど人目につかずにすむ」

「転移魔法はアマリージョが得意よ」

 もう、やるしかないってことね。

「アマリージョ、練習に付き合ってくれる?」

「もちろんですわ。エリーゼなら一日もあれば十分でしょう」

「では、エリーゼの転移魔法に目途がついたら、アデル殿下に、陛下と王妃様にこの計画の許可をとっていただこう」

「二週間ほど待った方がいいのでは?」

「お母さま、なぜですか?」

「そう早く結果をだしたら、いらぬ憶測を呼ぶでしょう? うちに闇の精霊がいるのでは? あるいはそれを凌駕するような精霊がいるのでは? または、ヴォーヴェライト家が闇の呪いをかけたのではと」

 どれも事実なので否定できない。そしてどれもばれたら、我が家としてはまずいことになる。

「ゲルダの言うとおりだな。一日も早く解呪してさしあげたいが、ここはひと呼吸おく方が賢明か」


「一つアマリージョ様に確認させていただきたいのですが、バラード殿下も一緒に転移することはできないのでしょうか? 魔法騎士団の団長や魔法省のトップは、三人程度なら一緒に転移させることができると聞いています」

「エリーゼの魔力なら百人くらいまでなら転移可能だと思いますが、あの王子はインディゴの呪いにかかっていますから、転移はできません。闇の呪いにかかったまま転移すれば、どこに飛ばされるかわからないですから」

「百人ですか」

 お父様、そこではなく、どこに飛ばされるかわからない、という個所に反応していただきたいです。

「訓練すれば、軍隊全部であってもいずれできるでしょうが、今はまだ無理ですね」 

 この先ずっと無理で結構。

 我が家の家族会議は、アマリージョの衝撃的な言葉で幕を閉じた。その後、私は、家族全員に『オンセン』の魔法を頼まれた。

 

 翌日ハラハラドキドキで臨んだ私の転移魔法訓練は、アマリージョのスパルタ教育で半日程度でものになった。屋敷内でプラータに見守ってもらったうえで、なんどか兄と二人、転移を試した。

 

 二週間後、お菓子禁止も終了し絶好調のインディゴは、バラード殿下の呪いを一瞬で解いた。

 同行されていたアデル殿下は涙ぐみながらバラード殿下を抱きしめられ、陛下と王妃様に飛脚魔法で結果をご報告された。

「エリーゼ様、呪いを解いていただき、まことにありがとうございます。あの日から私は、このままずっと両親を悲しませるだけの存在であり続けるしかないのかと絶望していました。呪いが解け、元の自分に戻ることができるなんて今でも夢のようです」

 3歳とは思えぬほど、どこかの王子とは比べ物にならないほどしっかりと、バラード殿下はお礼の言葉を述べられた。


「殿下、呪いを解いたのは闇の精霊です。お礼は、精霊たちにだけで結構ですよ。私はただの付添人ですから」

「もちろん、お手伝いいただいたウィン様、ヴェルデ様、愚かな私の罪を許し呪いを解いてくださった闇の精霊さまには、この先ずっと感謝の気持ちを絶やさぬつもりです」

 なんていい子なんだ。それによく見ると、フィリップ王子以上の美形。私は、この前途洋々なリトル・プリンスの心にこれ以上の傷をつけないよう、この呪いの原因が私の手作りクッキーだったということは心にしまい、墓場まで持っていこうと心に決めた。

 その後、兄と私は、インディゴを護衛に目立たぬよう夜陰に紛れて公爵家の別荘に戻り、そこで一泊してから、朝早く転移で王都の屋敷に戻った。


 アデル殿下とバラード殿下はそれからしばらく別荘に滞在し、ヴェルデの出張魔法教室で腕を磨いた。このおかげで、バラード殿下の別荘での魔法修行は真実となり、二人は大手を振って、王都に戻ってきたと、後にアデル殿下に伺った。

 

 そしてこれが、ヴォーヴェライト家に新たな希望の灯をともすことになる。

 私たちは、フィリップ王子以外の王族を味方につけることに成功し、あの断罪イベントに対応するための、十分すぎる余裕を手に入れたのだ。

 

 それから、五年、私はできる限りフィリップ王子との接触をさけ、逆にアデル殿下やバラード殿下とは、こっそり公爵家でお茶会を重ね、二人を媒介に両陛下とも信頼を深め合うことに成功する。


 資金作りのため、ハーブを利用した商品のレパートリーも増やした。

 なかでも、アロエベラを利用した家庭用塗り薬や保湿クリーム、そしてアロエヨーグルトは、ラベンダー関連商品と肩を並べるほどのヒット製品になった。きっかけは、炎の魔法訓練の折、指先にちょっとしたやけどをしたことだ。『リフレ』をかけるまでもないほどの小さなやけど。ごくわずかな違和感に「アロエがあったらな」と思った。


 前世で通っていた大学の研究室の片隅におかれていたアロエベラの植木鉢。学生は、ちょっとしたやけどや傷ならこのアロエベラを少し切り取り患部に塗り込んでいた。アロエベラには、様々な有効成分が含まれているが、葉肉に含まれるムコ多糖類の免疫効果やサボニンの抗酸化作用、アロインの整腸作用、植物フェノール系成分の鎮痛作用や殺菌抗菌作用などは、前世で多くの薬や食品に利用されていた。

 それをどんなふうにこちらの世界に普及させるのか、どんなものなら受け入れられるのか、商品開発にはとても苦労したので、供給が間に合わないほど売れた時は本当にうれしかった。


 兄などは、ヴェルデが苦労して探し出してくれたアロエベラを初めて見た時、魔物と間違えて剣で切り刻もうとした。それもあって、アロエヨーグルトの試食にはそうとう抵抗があったようだが、それを押し殺し協力してくれた。

 母は、保湿クリームの実験台になってくれた。父も、整腸薬や胃薬の効果を自ら確かめてくれた。父の感触だと、魔法で治した時より効果が高いそうだ。そのあたりの検証も含め、薬の売り出しにはもう少し時間をかけるつもりだ。


 そして約束どおり、前世の懐かしい部屋を視ることも忘れない。

 美花は、いつも新しい情報を伝えてくれた。そして、アンジェリカさんも交えて三人で楽しそうに私の思い出を語ってくれることも多かった。その姿は、いつも私を勇気づけてくれる。ぜったいに、『ジュエリー・プリンセス』になんか負けない。私は、何度も何度も心に誓った。

 そしてとうとう、明日、私は王立魔法学院の入学式を迎えることになった。



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