愛憎とは距離を置いて、研究三昧したいんですが。part5-1
第64章 久しぶりですね。
翌日、兄が昨日のものとは別に、今回の研究のために用意してくれた広めの研究室に、私とアルベルト、カーリーは朝早くにやってきた。
部屋を整え必要な器具や素材を、今手元にあるものだけになるが、揃えるために。
足りない素材は、昨日の夜、リストアップした後で、海や水辺のものはセレステに、それ以外の植物はビリジアンに、鉱物はヴェルデに頼んである。
ビリジアンへの伝言はアマリージョがすぐに請け負ってくれるので、秒で伝わり便利だ。
そのビリジアンがアルベルトにも伝えてくれるおかげで、男女エリアの区別が厳重な寮でのやり取りも簡単になった。
精霊様様だね。
「いますが、できることはこれくらいかしらね」
カーリーがそう言ったちょうどその時、アデル殿下が部屋を訪ねてこられた。
「この度の共同研究の推薦並びに保証人を引き受けたので、今日の打ち合わせに参加させてもらいたいのだが、問題ないだろうか?」
「もちろんです。兄のわがままで、保証人を押し付けてしまったようで申し訳ありません」
研究の保証人になるということは、支援金を出し、その成果がなければ見る目がなかった愚か者と判断されても文句はいえない、そういう立場を引き受けるということだ。
なので、通常は兄や母、母繋がりの商人たちが保証人になってくれることが多い。
文官養成科の仲間たちは優秀だが、失敗ももちろんあるし、挫折も少なからずある。研究がうまくいかなかった時は、支援金が無駄金になるだけだが、その過程で実害が起こればその補償もしなければいけない。ようは保証人になるということは、ハイリスクハイリターンであるということだ。
その上、今回は、目に見える成果と言う意味ではあまり期待できない。
もし、この共同研究で魔法と薬の融合、『魔法薬』が完成すれば私たちにとっては大きな成果になるが、正直、万人に役立つ薬が出来上がるというわけではない。この魔法薬を完成した後、そのノウハウを使って、多くの人々の糧になる薬、例えば傷薬、風邪薬、解熱剤などが完成して、ようやく成果と呼べるものが目に見える。その道程はかなり険しく長い。
アデル殿下が、この共同研究の保証人となってくれたのは、間違いなく、ユリウス様とパーキンソン枢機卿という、親しく交友されている他国の高位貴族への厚意か、あるいは私には慮れないような、なんらかの思惑からだろう。
「いや、アリス様のことは私もとても憂いていた。神聖帝国にいる間に何度かお見舞いにもうかがったが、お会いできたのは一度きり。あのたおやかで美しかったアリス様のやつれ具合には、顔色を変えずにいることが難しかったほどだ。もし、少しでもあの病状が改善するのなら、私にできることは支援金を出すことぐらいだが、ぜひ協力させて欲しい」
そう言って、アデル殿下は、アルベルトが準備してきた研究の申請書の保証人欄に迷わず、サインをしてくれた。
そこへオスカーがやってきた。
なんの連絡も受けていなかったので、少し驚く。
「これは、アデル殿下。お久しぶりでございます」
オスカーは、殿下に綺麗な礼をとった。
「オスカー、元気そうだな。それと、マリアンヌとの婚約、おめでとう。魔法科は今、この話題でもちきりだとか」
「ありがとうございます。想像以上の大騒ぎで、それもあり、あちらのお二方がいらっしゃる前にエリーゼに会いにきました」
なにかしら?
「マリアンヌのことなんだが」
だよねぇ。オスカーがこうも慌ただしく行動する理由って言ったらそれしかないものね。
「文官養成科への転科のことかしら?」
真っ先に思いつくのは、それだけど。
「そうなんだ。想像以上にフィリップ殿下の憤りが大きくて、声高に、この婚約は無効だとあちらこちらに訴えている。中にはその声の高さに便乗して、マリアンヌを誹謗中傷する者もいる。彼女をこのまま魔法科にはおいてはおけない。なるべく早く文官養成科に転科させて彼女の心身の安全を確保したいんだ。そうでないと、俺も魔法省で落ち着いて仕事ができない」
つまり、このゴタゴタが片付くまでは、オスカーも学院に席を置きマリアンヌを守るということか。
そうなると、困るのは兄だろう。
兄にとっては、右腕を使えない状態になるのだから。
それにしても。
「フィリップ殿下が怒っているの? なぜ? だってマリアンヌは殿下の婚約者でも恋人でもなかったのに」
勝手に想いを寄せていただけでしょう? それも、一応、私という仮初の婚約者がいる身で。
オスカーとマリアンヌが結ばれたことに悔しさや多少の嫉妬はあるだろうが、憤る、意味がわからない。
彼にどんな権利があるというのか、この二人の婚約を詰る。
「フィリップにも困ったものだ。マリアンヌに懸想していたことは周知のことだが、仮にも王族が、それも正式な婚約者のある身で、他のご令嬢の婚約を無効だと触れ回るなど正気の沙汰ではない」
「マリアンヌは、エリーゼの魔法で洗脳されているというのが、殿下の言い分です」
「ええっ? 私? オスカーの魔法ではなく私の魔法で洗脳って、言いがかりにもほどがあるわね」
「なんでもエリーゼのせいにしておけばいいのだと、あれは思っているのだ」
「なぜですか?」
「おそらく、マルクスの影響だな」
でも、マルクスって、いまは蒼の森で囚われているはず。つまり、マルクスは今はアマリージョなのでは?
「アマリージョ、来て!!!」
ヴェルデが顔を出す。
「アマリージョを呼んだんだけど」
「ちょっと待っててさ。今、フィリップの相手で忙しいからって」
「三秒以内に来ないと、今日のおやつはなしだからね、って伝えて」
私がそう言い終わらにうちに、アマリージョが姿を見せた。
「エリーゼ、急用ですか?」
ほう。しらばっくれるつもりかな?
「ものすごく、急用ですけど」
「伺いましょう」
「釈明してちょうだい。なぜ、どうして、フィリップ殿下によからぬことを吹き込み、オスカーとマリアンヌの婚約を誹謗中傷まみれにしたのかしら? しかもそその原因が私の洗脳魔法だなんて、あんまりじゃない」
だいたい、洗脳魔法ってあるのかしら? 私は知らないしできないんだけど。
「返答次第では、今後のあなたへのお菓子はゼロですよ」
ガ、ガァーンッ!! という劇画調の顔を見せるアマリージョだが、そんの小芝居に惑わされる私ではない。精霊たちのお菓子への意地汚さは知っているが、それでも、アマリージョがそれぐらいのことで自分の方針を変える精霊ではないということを私は知っている。
「それは、すべてエリーゼ、あなたのためですわ」
「はあ?」
「あの、色々足りない坊やとエリーゼが一秒でも早く婚約解消できるよう、お手伝いをしただけですよ?」
「はあ?」
「あれの考えなしの行動の一部始終は、すでに風の精霊の噂として、国王と王妃の耳に入っていますわ。その上で、アダルハイムが今日、正式に婚約解消を申し入れたなら、どうでしょうか? 婚約者を蔑ろにしただけでなく、その婚約者を洗脳疑惑で貶める、これはもう、もはやあの王家本意のあの王妃でも、婚約解消の申し出を受けるしかないのでは?」
アマリージョは、今まで見た中でもトップクラスの悪い笑みをこぼす。
「つまり、王家が父上の申し出を断れない状況をつくるためにやったと、そう言うのね。フィリップ殿下をいいように弄ぶことを楽しんで、結果、そうなったのではなく?」
アマリージョが視線を泳がす。
今にも口笛でも吹きそうな感じね。
つまり、ギルティ!!
「なるほど。では、もし婚約解消が正式に決まったのなら、ご褒美で、お菓子抜きは三日にしましょう」
「ご褒美になっていませんが!?」
「本来なら一ヶ月はお菓子抜きのところを、わずか三日にするのです。多すぎるご褒美では?」
「そ、そんな。エリーゼのために力を尽くしたのに」
「私のためだとしても、他者を大きく傷つけ貶めることは、私の望むことではありません。未来の婚約破棄を今の婚約解消にできたのなら、それは感謝しかありません。でもね、いつも言っているよね? やり方!! やり方をもう少し考えて。お願いよ。フィリップ殿下だけではないわ。マリアンヌやオスカーも少なからず傷ついたのよ。せっかくのおめでたい婚約に横槍が入ったのだから」
アマリージョが、項垂れる。
珍しい。
言いすぎたかしら?
「わかりました。確かにやり過ぎたかもしれません。エリーゼのためなら、エリーゼの望むやり方を考えないとだめだったわ」
分かってくれたようだ。
「罰は甘んじて受けます。お菓子抜きは三回でいいです」
分かっていないらしい。
三回ではなく、三日だからね、私が言い渡したのは。三回なんて、一日も持たないじゃない。精霊たちは、日に七回はお茶会をしているのだから。
「アマリージョ様、私は感謝していますよ。フィリップには、王族だからと言って、何でもかんでも思い通りにいくわけではないと知ってもらう必要があったのでね」
アデル殿下が、たった三回のお菓子抜きで切り抜けたと、シメシメ顔のアマリージョに微笑む。
「今回のことで、間違いなくエリーゼとの婚約は解消される。結果として、彼は皇太子の座から大きく後退するだろう。ヴォーヴェライト公爵家の威光があってこその今の立場だったのだから。しかも、言葉は悪いが、その後釜としては唯一の有力候補とも言える聖女マリアンヌは、国王陛下の認可を受けて、オスカーとの婚約が成立している。もはや、あれは、詰んでいる」
「それを理解できる頭なら、そもそも、いくらアマリージョに唆されてもそんな言動はしないのでは?」
相変わらず、アルベルトは、フィリップ殿下に辛口だね。
「頭で理解できなくとも、体で理解するさ。皇太子候補一位の座から落ちた時の体感でな」
実感がありますね。自分から王位継承権を放棄したくせに、寂しげな顔をするのはどうかと思いますが。
「しかし、あれは諦めないのでは? アデル殿下と違って、王位への執着心だけは感心するほどあるからな」
アルベルト、もはや、王族への敬意がこれっぽっちもないんですけど。
「だとしても、しばらくは大人しくするしかない。学院でも今までと同じようにはいかなくなる。皇太子候補最有力だからこそついて回っていた取り巻きも、これからは少なくなるはずだからな。おそらく、マリアンヌも転科さえすれば、ちょっかいをかけられることもないと思うぞ? 文官養成科は、今や学院の顔であり誇りだからな。魔力も知能も、何もかもが劣る魔法科の連中では手が出せないさ」
そうなの?
「でも身分を嵩にされたら、元平民の私やマリアンヌには、逆らえないこともあるわ」
カーリーが、自分をというより、マリアンヌを心配してそう言う。
「だからこその、エリーゼだ」
「でも私も、王族には」
もう振り切っているので、これ以上フィリップ殿下にどう悪く思われてもいいのだけれど。
守れないことが怖い。
大事な仲間を。
「エリーゼは、女神様の加護持ちだ。それに逆らえる者などいない。唯一無二の存在だ」
おおっ。
そうだった。
私は光の女神様の加護持ち。
加護をもらった後で、プラータが女神になったわけで、棚ぼただけどね。
「それならフィリップ殿下のことは臨機応変に対処して、なにはともあれ、マリアンヌは、転科試験を受けないとね。試験準備はどうなのかしら?」
「あと少し、準備が必要だ」
文官養成科への編入試験は、誰でも受けられるが、かなりの難度だ。しかも、一回きりでリベンジはない。
「それもエリーゼとカーリーに助けてもらいたい。研究が始まり忙しくなる時にすまないが」
「分かったわ。なら、夕食の後、私の部屋で試験勉強をしましょう。カーリーと私でそれぞれの得意分野を手伝うわ」
「そうか、ありがとう。感謝する」
「マリアンヌならきっと大丈夫よ。試験にパスして、私たちのよき研究仲間になってくれるはず」
「そうね」
カーリーも大きく頷く。
試験についてはそう心配していない。マリアンヌは優秀だし、なにより文官養成科一の才女、カーリーがついているのだ。
しっかり準備して臨めば問題ないはずだ。
オスカーがホッとした顔で立ち去ると、私たちは、魔法薬のための治験の大まかな道筋をアデル殿下に説明する。
ちょうど話し終えたその時、乱暴な足音の後、ノックもせずに、彼が部屋に飛び込んできた。
なんと、お久しぶりのフィリップ殿下だった。
オスカーと入れ違いでよかったわね、久しぶりに、解消間近の婚約者の顔をみた私の感想は、それだけだった。




