新しい日常が始まりました。part2-5-5
第54章 マリアンヌが、最後の試練に臨みます。
扉の前に来た。
この先に、吸血鬼の始祖がいることは間違いない。かなりの魔力、気配、オーラを感じる。相当な強者だ。
それでも、臆することなく兄が扉に手をかける。
「マテウス様、私が」
レイナードが、先陣に立つ。
その傍らには黄色の風の貴公子、スイランが寄り添う。
「ではその後ろに、オスカーとマリアンヌ。それからアルベルトとエリーゼ、殿は、私が務めよう」
アルベルトにもビリジアンが寄り添う。私にはグッスリお昼寝タイムに入っているヴェルデとインディゴ以外が付き添ってくれている。
頼もしい限りだ。
兄の言葉通りに、扉から始祖の待つ部屋に入る。
美しい部屋だった。
さほど大きくはないが、私たちが全員入室しても狭い、とは感じない程度の広さがある。
見事な、趣味のいい調度品に囲まれたそこに、とびきりの美女が佇んでいた。
印象的なのは、その深紅の唇と、漆黒の大きく胸元の開いたドレスから溢れている眩しいほど艶やかな白い肌だ。
始祖は、順に私たちを見る。
瞳も深紅なのか。
妖しくも美しい。
敵対したいわけではないので、とりあえず、私は彼女と視線を交わした時には、礼をとり微笑んでおいた。
レイナード、アルベルトも騎士の礼をとっていた。
しかし、オスカーとマリアンヌ、兄は、魂が抜けたようにぼんやりと佇んでいる。
どうしたのかしら?
「ほう。妾の魅了にかからぬものが三人も。これは戦いがある」
どうやら、兄たちは始祖の魅了にかかっているらしい。
『プラータ、魅了って解除できるのかしら?』
念和で尋ねる。
『クラシオンで大丈夫でしょう』
私は、すぐに三人にクラシオンをかける。
兄でなければ、的確な指揮が取れないし、マリアンヌとオスカーは、この試練の主役だから。躊躇う暇も理由もない。
「なんと、魅了を解除したのか、いやしき人の魔法で!!」
そんなに驚くこと?
『ふつうは、かけたものを滅さない限り、魅了は解けませんからね』
始祖って、やっつけられないんだよね?
「そこの小娘、前に」
私だよね?
けれど、アルベルトが、どうしたって私の前に出るから無理なんですけど。
「うん? お前は下がれ。小娘を呼んだのじゃ」
けれど、アルベルトは、一歩も引かない。
護衛ですもの。
始祖がアルベルトに指先を向ける。その瞬間に、ビリジアンが光る。防御魔法でアルベルトを守ってくれたようだ。
「この子は僕が加護を授けた者。手出しは許さないよ」
「たかが精霊の分際で生意気な」
「たかが? 吸血鬼如きにばかにされる謂れはない。お前から全ての魔力を奪うこともできるのだぞ!」
「やってみるがいい。できるものならな」
始祖が、せせら嗤う。
ビリジアンが、大きく光り、緑と銀の粉を、始祖にふりかける。粉は始祖にまとわりつくと、すぐに離れてビリジアンに戻る。
すると、始祖が嗤い顔のまま凍りつく。からだは、さっきまでの妖艶な体型から、ドレスがダボダボになるほど痩せ衰えている。
「これで半分。まだ嗤うのか?」
「あら、すっごく強くなったわね」
「姉上、お目覚めですか? 僕は、ビリジアンという素晴らしい名前をもらいました!」
ビリジアンは、ヴェルデの弟らしい。
「良い名前をもらって、格が上がったのね!」
「はい」
「で、その、シワシワは何?」
「吸血鬼の始祖です」
「エリザベート?」
ヴェルデが、嘘でしょう? というように始祖を見る。
始祖はエリザベートという名らしい。
「お前はヴェルデか?」
「なんで、そんなシワシワなの?」
「そこの緑の精霊が、私から魔力を奪ったのだ」
「こいつは、僕をたかが精霊とバカにしたからね。それに僕のアルベルトに問答無用で闇魔法を撃った」
「へえ。ビリジアンは、私の最も近しい弟。たかが精霊ではないわよ」
ということは、ヴェルデが神に近い存在であるように、ビリジアンもまたとびきり高位の精霊だということらしい。
「つまり、これは、ガイアとドリアードの?」
「そうよ」
なんと、とエリザベートが項垂れる。
「それにアルベルトに闇魔法を撃つなんて許せないわね。アルベルトは私のエリーゼの護衛で、愛の戦士なのよ」
愛の戦士って。
アルベルトが、顔を赤らめ視線を彷徨わせているじゃない。
「すまなかった。誰にも危害を加えないと約束しよう。だから魔力を返してくれないか?」
エリザベートがビリジアンに首を垂れる。
「断る」
あら。
許してあげればいいのに。
「シワシワが嫌なの?」
「あたりまえだ。妾にとって美しさは唯一無二の大切なものだから」
「なら、魔力に見合う大きさになればいいじゃない? 詫びれば済むのなら神も精霊もいらないのよ?」
ヴェルデもビリジアンと同じように、彼女を簡単には許さないようだ。
ヴェルデにそう言われて、エリザベートは、小さな女の子に変身した。魔力に見合う大きさだとこうなるらしい。
あら可愛い。
美少女だわ。でも、服は着た方がいいわね。目のやりどころに困るわね。
「プラータ、彼女の服をなんとか出来ないかしら?」
ヴェルデに頼んでも、葉っぱや蔦で着られるものは作ってくれるだろうけど。エリザベートは美にこだわるらしいので、プラータのひかりの魔法に期待する。
「なんとかいたしましょう」
プラータが先ほどまで、エリザベートが着ていた黒いドレスに魔法をほどこす。
すると、それは銀色のみやびなドレスに変わる。
「とりあえず、これを」
「お前は、いや、あなたさまは光の女神か? 女神がなぜここに?」
「私も、ヴェルデと同じエリーゼの加護精霊だったのですよ。今はそのおかげもあり、女神となりましたが」
「とんでもないことだな。いったいどういうことなのだ。ここは、マレの指輪の最後の試練をする場だ。此奴らにマレの指輪は不要だろうに」
「指輪を求めているのは私です」
ようやく、マリアンヌが前に出てくる。
「ほう。お前には加護がないようだな。お前が妾と戦うのか? 魔力は半減したが、お前なら負ける気はしないな」
「それしか方法がないのなら、私もあなた様と心して戦いましょう。けれど、その前に少しお話はできませんか?」
そう言いながら、マリアンヌは、先ほど作ったお菓子の詰め合わせの入ったバスケットから、取り分けたクッキーを、黒いテーブルに載せる。
「これは、魔力を高め血の巡りを良くする、美味しいお菓子ですの。これを召し上がりながらお話ができたら嬉しいのですが」
「私が菓子で釣れるとでも?」
「まさか。これは、気高い美の化身、始祖様へのただの手土産ですわ」
美にこだわるエリザベートを、マリアンヌが思い切り持ち上げている。
「魔力を高める菓子などと、よくもそんな戯言を」
「それは本当よ。私たちも彼女たちの作るお菓子でいつも魔力を整えていますから」
「お前は、風の精霊か?」
「アマリージョですわ。こちらは風の貴公子、スイレン」
風の精霊同士、レイナードの傍に仲良く並んでいる。
「アマリージョといえば、次の風の大精霊と名高いあの? それに風の貴公子といえば、魔王も吹き飛ばすという戦闘精霊ではないか」
風の貴公子! それに、戦闘精霊という二つ名があるなんて。
カッコいい。レイナードにふさわしい精霊ね。
やってられないな。
ここは、大精霊の舞踏会会場ではないのだぞ、と言いながらエリザベートが、菓子に手をのばす。
「こ、これは!!?」
エリザベートは、次々にクッキーを口に放り込む。
「力が蘇ってくる。血が湧き踊る。それに美味い!」
「もっと、よこすのだこれでは足りない」
もしかして、ビリジアンもヴェルデもこの状況が目的だったのかしら?
エリザベートの魔力を下げ、私たちのお菓子の価値を高める作戦?
そして、マリアンヌは、おそらくその意図を汲んでいる?
そういえば、オスカーがマリアンヌが前に出てくる直前に何か囁いていたわね。
オスカーなら、この流れが読みきれたはず。
「全て差し上げてもいいのですが、これから戦う相手の魔力をこれ以上増やすわけには。私は生きて、指輪を手にして戻りたいのです。日常に、いえ、新しい日常に」
そうね。
私たちは、戻らないと、日常に。
新しい未来に続く日常に。
「それを全部寄越せば、戦わずともマレの指輪をそなたに授けよう」
「それを、か弱い人である私がどうして信じればいいのでしょうか?」
「そなたはか弱き人のだが、決して弱くはないではないか。それほど多彩で強い仲間を引き連れているのだから。しかし、人が吸血鬼を信じられぬのは理解できる。妾もまた人を信用できぬからな。…では、これで決着をつけようではないか?」
エリザベートが、テーブルに運んできたのは、チェスにとてもよく似た、チェスターというゲーム盤だ。
それは全てがブルークリスタルで作られている超豪華なもので、部屋の飾りだとしか私は思っていなかったが。
もしかしたら、兄やオスカーは、この部屋に入ってから、このゲームでの勝負も考えの中にあったのだろうか?
エリザベートがゲーム盤を持ち出した時、兄の口角が僅かに上がったように見えた。
「言っておくが、妾はこれの名手だ。そちらは皆で知恵を出し合ってもよいぞ?」
エリザベートは自信満々だ。相当上手いのだろう。
「では、こちらは私マテウスとオスカーが参謀につきましょう」
「ほう。加護のないものばかりが固まって妾に立ち向かうのか? 健気だが勝ち目は少ないぞ?」
いやいや、兄もオスカーも、この中では抜きん出た知恵者だ。自慢じゃないが、私はただの一度もこのゲームで兄に勝てたことがない。彼らがダメなら他の誰が出ても無駄だろう。
「では、このゲームに妾が勝てば、菓子はすべて妾のもの。指輪も渡さぬ。そなたたらが万が一にも妾に勝てば、指輪は当然そなたたちのもの。それからもう一つ、この部屋にあるものならなんでも、そなた達の望むものをやろう」
かなりの高級品ばかりだけど、みんな、要らないんじゃないかな。指輪が手に入ればそれでいいよね。
チェスターの戦いが、静かに始まった。
マリアンヌもそこそこ、このゲームが上手いようで、二人の助言に頷きながらも、自分でもよく練った手をくり出しているように見える。
序盤はエリザベートがやや優勢だったようだが、兄がマリアンヌに囁いたある一手が形勢を逆転したようだ。そこから一気にたたみ込むのかと思いきや、兄たちは慎重だった。
ゆっくりじわじわと、エリザベートを追い詰めていく。
そしてとうとう、マリアンヌの騎士がエリザベートの王を倒した。
2時間に及ぶ、激しい戦いだった。
「なんと、妾の負けじゃ。妾は、人に負けたのか。精霊の加護もない者に」
「エリザベート、マテウスやオスカーは人とは思えぬ知恵者たちよ。加護がないのは、その知恵を自らの正義のためにしか使わないから。ようは腹黒いからよ」
ヴェルデ、言い方。
「そうか。腹黒なら仕方ないな。腹黒に負けたのなら諦めもつく」
腹黒、腹黒って、人の兄や友人を。
「さあ、持っていくがいい。これがマレの指輪じゃ。マレに言うておけ。こんな奴らをここへ送ってくるなと。初めから指輪を渡せば良いのじゃ。そなたらに試練など必要ないとな」
マレの指輪は、銀に大きなアクアマリンが嵌められた、豪華でありながら上品で美しいものだった。
「かしこまりました」
兄がニヤッと笑い、オスカーご指輪を受け取り、それをマリアンヌの指に嵌めた。
不思議なことに、少し大きかったそれは、マリアンヌの指にピッタリなサイズに変わる。
もうそれは、最初からマリアンヌのものだった、というほど彼女に似合いだった。
マリアンヌは、残りの菓子をバスケットごとテーブルに載せる。
「エリザベート様、あなた様とゲームとはいえ戦えたいへん光栄でした。これは、私たちと手合わせいただいたお礼です。召し上がってください」
「いいのか?」
「はい。ゲームであれ、戦えばわかります。あなた様は、信頼のおける方だと。いつかまたお手合わせ願えれば嬉しく思います」
「そうだな。いつかまた手合わせしよう。特に、そっちの腹黒とは、なんとしてももう一度戦わねば、妾の心に傷が残ったままになる」
エリザベートが見つめたのは兄だ。
しかし、魅了はかけなかったらしく、兄はいつも通りに微笑む。
「お待ちしております。しかし、つぎも私が勝ちますよ」
「ぬかせ」
「妾の背中にある扉を開けば、教会の地下に戻る転移の魔法陣がある。さあ、行くがいい。妾は疲れた」
そう言いながら、エリザベートは、クッキーを三つも口に放り込み、こっそり盗み食いをしようとしたロッホの手をパチンと弾いた。
「ロッホ、戻ったらプリンをあげるから」
「わかった!!」
転移魔法陣に載った私達の耳には、プリンとはなんじゃ? 美味いのか!? というエリザベートの声だけが聞こえた。




