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新しい日常が始まりました。part2-5-3

第52章 言葉は剣より強し、かどうかはわからないけど、美味しいお菓子は剣より有効なはず。


 霊亀が大きすぎたせいで、すぐに辿りつくほどの距離だと錯覚したけれど、三時間ほど歩いてようやくその近くまで来た。


「これは、大きいな。島だな、まさに」

 兄が改めて感嘆の声を上げる。

 確かに大きい。全長ニ百メートルは有にある。


「この貝を踏み台にして軽くジャンプすれば、浮上できますよ」

 セレステが指さしたのは、少し先の岩場の横にある大きな二枚貝だ。

 触れると意外なほど弾力があり、ちょうどいい踏台になる感じではある。ただ、踏みつけるなんて、なんだか申し訳ない気はするけど。

 少し躊躇っていると、早く、というように貝がパカパカと貝殻を鳴らす。どうやら、遠慮はいらないようだ。

 

 私たちは、セレステに導かれるまま、二枚貝の助けを借り、霊亀の近くに浮上する。

 見上げれば、やはりそれは島にしか見えない。

 それにしても、海底から浮上しても甲羅の上の土や岩はそのままだし、木々は雨上がりのような風情ではあるが変わらなく生い茂っているのはなぜなのか。どうして滑り落ちたりしないのか、不思議だ。

 ただ、こちらの世界は前世の常識からするとありえない不思議で満ちているので、深くは考えない。化学や物理学を平気で裏切る現象がわんさかあるからね。

 

「上ってきて」

 霊亀から、声がする。

 見上げると、ヴェルデが手を振っていた。他の精霊たちの姿も見える。もちろん女神プラータも。


「ほら、これで上ってきて」

 ヴェルデがしっかりとした蔦を垂らしてくれる。

 それを兄が手にすると、一瞬で、蔦が兄を引き上げてくれた。

 続いてオスカー、レイナード、マリアンヌ、私、最後にアルベルトの順で、島、というか霊亀の背中に上陸した。


「この森の中腹に遺跡があるわ」

 ヴェルデが教えてくれる。

「背中にこんな森や遺跡を載せたままで、霊亀様は煩わしくはないのでしょうか?」

 マリアンヌが心配そうに、自分の足元の濡れた土や草を見つめる。

「二千年前の古代人が島と勘違いして作った遺跡を今も載せたままなんですから、平気なんでしょう。やろうと思えば、一瞬でスッキリできるはずですよ。霊亀なんですから」

 アマリージョが言うと、なんだって説得力があるから、皆が頷く。


「では、遺跡に向かおう」

 レイナードと兄が先頭を行く。

 学院の森でもよく見かけるコボルトやオークが時おり集団で出てくるが、レイナードの一太刀であっさりやられていく。たまに兄も剣を振るっているが、ほぼレイナードの独壇場だ。レイナードは、この試練に入ってから二段階ほど強さの階層が上がったように思える。誰よりも先陣で戦っているのだから当たり前といえば当たり前だが。ほぼ私の護衛に徹しているアルベルトもレイナードほどではないが、剣さばきに凄みが加わったように感じる。

 マリアンヌとオスカーのための試練だが、全員にとって、この経験がいい糧になっているのかもしれない。


「遺跡が見えてきました!」

 オスカーが、茂みから飛び出してきたマンティスを捌いている兄の背中に声をかけた。

 そのオスカーも氷魔法で他のマンティスを氷漬けにしているわけだが。


「ほう。これはなかなかに趣があるな」

 森の中に、それも霊亀の背にある森の中に、これほどの遺跡があるなんて、と私とアルベルトも顔を見合わせ驚きを分かち合う。

 これはもう、天然の博物館であり美術館だ。

 まるで前世の、ミラノの大聖堂のごとく素晴らしい彫刻が施された柱や壁が、かなりの年月を重ね朽ちかけているとはいえ、かなりの数、その形を留めている。

 ところどころに、女神たちの姿や神獣の姿が描かれた壁画も遺っている。

 

 屋根はない。もしかしたら、もともとなかったのかもしれない。

 祭壇らしきものは見える。

 祭壇の中央には、女神の像が飾られている。その脇には、マレ様の像が。


「マレ様が寄り添っておられるのは、海の女神セリーヌ様の像。マレ様のお母上で私の伯母にあたります」

 ということは、マレ様とセレステはいとこなのか。

 でも、精霊って、とんでもない数の兄弟姉妹がいるから、いとこもそれなりにいるんだろうな。

 全員、なにかしらの関係がありそうだもの。


「とりあえずあの祭壇で、ここまで無事に来られたことへの感謝の祈りを捧げよう」

 皆で、祭壇へと進む。


 マリアンヌが、祭壇にハーブクッキーとチョコレートをお供えし、前に進み出て祈りを捧げる。

 他のメンバーも、その後ろでそれぞれに、導きの感謝の祈りを捧げる。


「よく来た。来てくれた! 心強き者たちよ。ここが最後の試練だ。この奥、一キロほど先にある大きな木の洞にある祠にマレの指輪がある。かならず手に入れ、我の元に無事にもどってくるように!!」

 マレ様の声だ。

「よほど、あなたたちのお供えが気に入ったのでしょう。ここのものはセリーヌ様に無断で手をつけるわけにはいきませんものね」 

 セレステが、ニヤニヤと笑う。

 僕たちは良かったね、加護をあげているから、いつだって食べられる、とロッホがインディゴに囁いているが、その傍で他の精霊たちも、プラータまでもが、大きく頷いている。


「では、最後の試練だ。心して挑むぞ」

「この試練では、アンデッドとの戦いになります。しかも、最後には、吸血鬼の始祖がいるかと」

 オスカーが皆に言う。


 吸血鬼か。うん? 始祖って?

「始祖は、始まりの吸血鬼だよ。ちなみに真祖は、その血を正当に受け継いでいる者よ」

 ヴェルデ、心を読まないで!

 もう、いちいち言わないけど。諦めたけど。

「吸血鬼って、噛まれたら吸血鬼になるのではないのですか?」

 おお、マリアンヌの言葉は私の前世の知識と同じレベルだ。


「始まりの吸血鬼は、魔素によって生まれたのよ。私たち精霊と同じ。真祖は、その始祖が直接生み出した者たち」

「他の吸血鬼とどう違うのですか?」

「まず抜きん出た知性がある。それから死なない。灰になっても蘇る。血を飲まなくても平気。魔素がある限り」

「倒せるのでしょうか?」

「倒せないと思うよ、人には。真祖ならまだしも始祖は絶対無理」

 絶対無理なのか。


 そもそもオスカーの調べた文献にはあったらしいが、ゲームには、吸血鬼など出てはこなかった。少なくとも美花のメモにはなかった。

 いや、その前に、海や霊亀も出てこなかったわけなんだけど。

 ゲームにあったのは、海の手前までで、そこで指輪は手に入るはずだった。


 だいたい、乙女ゲームにそんな高レベルな試練は必要ないもの。

 必要なのは乙女の正義とイケメンたちの友情、そして、ひたむきな愛、真っ直ぐな愛、真実の愛。甘ったるいあれこれのはず。

 

 ゲームなら、もうとっくに指輪は手に入っているはずなのにな。


 だからこそ、ここは私が今を生きる現実。マリアンヌは、ゲームのヒロインではなく私の大事な友人。私は、公爵令嬢だけど、悪役令嬢ではない、はず。

 だから、意地悪ではなく、信頼でこれを彼女に問う。


「マリアンヌ、どうするべきだと思う?」

 これはマリアンヌの試練だ。

 答えは、マリアンヌの中にあるはずだ。

 マリアンヌは黙って、答えを探しているようだ。オスカーはそれを見守っている。

 おそらくオスカーには、いくつかの答えがあるのだろう。けれど、それを先に提示はせず、マリアンヌの言葉を待っている。

 いい人を選んだね、マリアンヌ。

 オスカーは、誰よりもあなたをわかっている。

 守られるばかりではなく、戦い守る者でもある、あなたの聖女としての真実を、彼はちゃんと理解している。どこかの過保護すぎて実は全然守れていない誰かとは大違いだ。

 

 マリアンヌが、口を開く。

「優れた知性の持ち主なら、交渉の余地はありますね」

「そうだな」

 答えたのは兄。

「けれど交渉には、何かしらの手土産が必要ね」

 これは、アマリージョ。

 

「やはり、お菓子がいいと思います。ただし、吸血鬼の興味をひくもの、たとえば血液を強く巡り良くするようなもの、そのドライフルーツを練り込んだものとか。エリーゼ、ここでそれを作ることは可能でしょうか?」

 それなら。

「ナツメやクコの実って、この森にあるかしら?」

 ヴェルデに聞く。

「ここには、望めばどんな植物もあるわ」

 どういうこと?

「霊亀の背に私がいるのだから」

 よくわからないが、なんでも揃うということなのかな? チートな力で、と解釈する。


「なら、ローズマリーとレモン、ジンジャーも欲しいわ。あとアルギン酸も欲しいから、ワカメや昆布も。ポリフェノールも必要ね。お兄様の荷物に赤ワインがあったわね」

 私は、血液を増やしたり血のめぐりをよくするもので、クッキーの材料として練りこめるもの、味をおとさないものを考えて提案する。


 ヴェルデが瞬く間に海藻と赤ワイン以外の素材を集めてくれた。

 セレステが海藻を取ってきてくれ、兄がワインを差し出す。


 ここからは、マリアンヌが主力になり、お菓子作りだ。

「全部を練りこむのではなく、相性を考えて三種類ぐらいのクッキーを作りましょう」

 私は、マリアンヌと相談をしながら、他のメンバーの力も借り、生地を作り上げる。

 お菓子作りなど始めての兄とレイナードも、なんだか楽しそうに参加している。

 戦力とは言い難いが。

 アルベルトは、文官養成科で作り慣れているので、手早く、上手だ。オスカーもおそらくマリアンヌの手伝いをしているのだろう。手慣れているように見える。


「さぁロッホ、あなたの力が必要よ」

 キッチンでもない場所でクッキーを焼くのには、どうしたってロッホの火魔法が必要だ。兄やオスカーでは、火加減が難しいだろうし。その点、ロッホは日々私たちとクッキー作りに精を出している火加減の名手だ。

「まかせて」

「じゃあ、私は竈を作るね」

 ヴェルデが、土魔法で、立派な竈を作り上げてくれる。

 さすがだよ、ヴェルデ。

 何も言わずとも、私の欲しいものを差し出してくれるなんて。

 あ、もしかして、また心を読んだ?

 ヴェルデがブルブルと頭を振っている。読んでるじゃない!

 

 焼きあがったものを試食してもらう。

 精霊たちに。

「これはいい。力がみなぎる」

 インディゴが気に入ったのは、レモンと海藻からとったぬめり、アルギン酸の入ったクッキーにクコの実を飾ったものだ。

 

「私はこれが」

 アマリージョはワインを垂らしたチョコレートチップの入ったクッキーが好みらしい。

 

 いつものローズマリーのクッキーも作った。

 これは試食ではなく、みんなの栄養補給のためだ。持ち込んでいたお菓子は、さっきのお供えでほとんどなくなったから。

 オスカーの作り出したお湯で、残ったローズマリーを使いハーブティーも淹れる。

 お茶を飲み終え、ヴェルデが編んでくれた可愛らしい籠にクッキーを詰め、装備を再点検し、出陣の準備はできた。


「おそらく吸血鬼の始祖にたどりつくまでに、彼の配下と戦うことになると思う。できれば、滅さずに躱していきたい」

「なぜですか?」

「配下を多く滅した後で交渉事はやりづらいからな」

 兄が眉根を寄せてそう言う。

「それは、なかなかにハードルが高いですね」

 レイナードも難しい顔だ。


「そんなこと、気にしないでいいわよ」

 アマリージョが兄の配慮をバッサリ切る。

「どういう意味でしょうか、アマリージョ様」

「彼らは、始祖の力で、時が経てば蘇るから。気にせずやっておしまいなさい。そんなことで始祖が気を悪くすることはないわ」

 そうなの?

 それなら、たどり着くまではなんとかなるはず。

 ここにきて、皆の魔力と戦力が上がっているのを感じるから。

 そう、強くなっているのだ、私たちは。

 色々な意味で。

 個々にも、チームでも。


 やり遂げられるはず。

 

「そういうわけだ。では、最後の試練を、皆の力で乗り切ろう」

 兄の言葉に全員が頷く。

 私たちは、気負いも恐れもなく、互いを信じ合い、最後の試練に向かい歩みを進めた。


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