乙女ゲームの世界に転生したけれど、ゲームをしたことがありません。それでも私、愛と勇気で破滅フラグに立ち向かいます。part2
第二章 転生後の世界は、魔法あり、精霊さんありのファンタジー溢れる世界でした
転生した世界で、前世の記憶を蘇らせた私が一番にしたことは、水晶玉を探すこと。
一週間ほど、家族の目を盗み、侍女たちを欺きながら屋敷のあちらこちらを探すと、図書室の一角に、それはあった。
私は、前世で使っていたものより一回り大きいその水晶玉を床に置き正座をする。9歳の私では水晶玉を机に運び上げることができなかったからだ。
心を落ち着かせるために、目を閉じ深呼吸をする。一瞬、オーナーとアンジェリカさんの顔が目に浮かぶ。二人に心の中で詫びる。
言いつけを守らず不安定なまま水晶玉を視てごめんなさいと。せっかく別の世界に転生できたようなので、今度こそ教えを胸にこちらで頑張っていきます、と心の中でつぶやく。
それからしばらく瞑想し、ゆっくりと目を開ける。
とりあえず家族の未来を視るつもりで、そっと水晶玉を手で支え、覗きこもうとしたその瞬間だった。
ほんのりとした熱とともに、七色の光が図書室にあふれ出た。虹色ではなくあくまでも七色だ。私の知っている虹の色は赤橙黄緑青藍紫だが、図書室にあふれ、飛び出していった光は、橙と紫の代わりに金と白銀色を含んでいた。
なにこれ?
前世では経験しなかったできごとに唖然としていると、すぐに父であるヴォーヴェライト公爵と兄のマテウスが図書室に駆け込んできた。
「エリーゼ、何があった?」
「エリーゼ、お前はまた何かしでかしたのか?」
父は私をただ心配してくれているようだが、兄はかなり冷めた目で私を見ている。
この一週間ほどでわかったことがある。
どうやら私は超がつくほどのわがまま娘で、家族にはあきれられ、特に兄には嫌われ、侍女たち使用人にも敬遠されているということ。
一週間ではどんなフォローもできず、水晶玉を探さないといけなかったので、汚名返上、をする時間もなかったわけで。
9歳までの記憶がほとんどないので、天眼の才がこちらでも使えるのなら、そのあたりの事情もおいおい探って少しずつでもイメージアップをはかっていくつもりだった。その第一歩でこのありさまなわけだが。
「この水晶玉に触ったら、急に七色の光が」
「ということは、ここから溢れでたさきほどの光は、エリーゼお前が?」
父は信じられないというように、私を見る。
「どうせまた、たちの悪いウソですよ」
兄は私の言葉など端から信じるつもりがないようだ。
「しかし、あの光は、ここから出たものだとたくさんの者が見ている」
そして、ここ、図書室にいたのは私一人。
「なら、もう一度、触れてみればいい。本当なら何度でも光るはずですよ。それは魔力の種別を調べる魔道具なんですから」
なんと、これはただの、というか私が求めていた水晶玉ではなく、魔道具だったのか。がっかりだよ。
「エリーゼ、もう一度、触れてごらん?」
父は優しい声で私にそう言う。
ホッとする。
けれど、同じ屋敷に住む兄にこんなに嫌われたままでは、従姉妹に嫌われた前世の繰り返しかもしれないが。
私はもう一度、そっと水晶玉に触れる。
すると、やはり七色の光が四方八方に飛び出す。
間近にそれを見た、父も兄も、口をあんぐりと開けている。
「これは、つまり、エリーゼには全属性の魔力があるということか?」
父がようやく口を開く。
全属性って何?
ああ、スマホが欲しい、と心から思う。
前世ではさほど使わなかったのに、転生してからは手っ取り早く調べたいことが多いし、写メっておきたいこともたくさんある。
それに私のスマホの中には樹里との思い出がたくさん詰まっている。
「どうして金色の光まで。金色の光は神話の中にだけあるものなのに」
神話って。
あの光、そんなレアなものなの?
「そうか壊れているのか」
そう言いながら兄は、水晶玉型の魔道具に自分も触れる。玉からは赤と黄色の光が飛び出す。どうやら兄は二つの属性の魔力を持っているようだ。父も触れる。父は、兄の二つの他に緑色の光も発生させた。
あとから知ったことだが、一般に知られている属性は6つある。そして光の色はその属性を表す。
赤は火の属性、緑は土の属性、青は水の属性、黄は風の属性、そして白銀色は光の属性、藍色は闇の属性というふうに。
金色は、兄がつぶやいたように神話で語られる光で、どういう属性を表すものなのかを知る人はいない。知ってはいけないものだと、それだけが古い文献に書かれているそうだ。
前世の記憶を持つ私には推測できなくもない。しかし、とりあえず、今はそれどころではない。
「壊れているわけではないな。ということは、理由はわからないが、エリーゼには精霊の加護があり、全属性の魔力を賜ったということになる」
「そんなばかな。エリーゼのようなわがままで怠惰で無知な子どもに、誇り高き精霊が加護を授けるわけがないです」
ひどい言われようだ。9歳までのエリーゼ、あなたはいったいどんな子どもだったの? まさかあのメグミのような子だったとか?
それはまずい。
なんとかしないと、少し先の未来に破滅が待っている。家族も巻き込んで。
「しかし、全属性の魔力を持つには、複数の加護があるか、あるいは最高位の精霊様の加護がなければ不可能だ」
「ばかな、信じられない。もし本当なら、エリーゼはこの国を破滅させてしまうかもしれない」
なんですって。
私や家族だけでなく、国まで破滅させてしまうの? 今までの私、どれだけおばかさんなの?
「その力に見合わないこのような者では、この魔力は災いをよぶだけです。父上、どうか真偽のほどがわかるまでエリーゼに魔力を封じ込める首輪をつけ、地下牢に閉じ込めてください」
兄は真剣だ。父も少し悩んでいるようだ。
これはマズい、マズすぎる。なんとかしないと。
「首輪も地下牢も、火あぶりも嫌です」
「火あぶり? そんなことは言っていないが」
あ、そうだった? でも首輪も地下牢も、9歳の女の子にたいしてどうなのか、という仕打ちでは?
とにかく、ここにいるエリーゼは、いままでとは違うエリーゼだとわかってもらわないとダメだ。どれほどのことをしでかしたのかは知らないが、悔い改め、世のため人のためつくすつもりだとわかってもらわなければ。
「お兄様、今までの私を思えばおっしゃることはわかりますが」
実はわからないのだが。今までのエリーゼがどんな子どもだったのか。しかし、ここはわかっているふりで話すしかない。
心を決め、兄を見つめる。
「今、ここに全属性の魔力があることは事実のようです。なぜ、こんなことになったのか私にもわかりませんが、あるものをないことにはできません。私を閉じ込めるのではなく、どうかこの力を正しく良きことに使えるよう、私を導いてもらえませんか?」
父は私の言葉に耳を傾けてくれている。しかし、兄は、なんのつもりだ? とでもいうように、うさんくさそうに私を見ている。
その時、私の肩のあたりに突然緑の光が輝きだした。そしてそれは、すぐに、いかにも妖精ですけど、という形に変わった。
「こんにちは、私は大地と緑の精霊、ヴェルデ。エリーゼに加護を与えた精霊よ」
ヴェルデ!! ああなんて心強いお名前の精霊さん。
これは、本物の天の助けじゃないのか。私は祈りのポーズでヴェルデを見つめる。
ヴェルデは、まかせなさい、とでもいうように胸を張る。そして、兄を睨んでこう言った。
「ところで、ちょっとそこのあなた、今、私のエリーゼを地下牢に閉じ込めると言いました?」
兄は驚きすぎたのか、精霊に怖気づいたのか、黙ったままだ。
「もしそんなことをしたら、この屋敷ごとなにもかも茨の檻に閉じ込めて眠らせるわよ」
茨で閉じ込めて眠らせるってあれでしょう? あの童話だよね?
それに、私も一緒に眠らされるの? ということは眠っている間に王子様が色々問題を解決してくれるのかしら? と思ったことはさておいて、もう少しお手やわらかになりませんか、とヴェルデに視線を送ってみる。伝わったかどうかは不明だ。
「しかし、ヴェルデ様、七色の光ということは、神話に描かれた金色の力も入っているということですよ。このエリーゼに今の力は過ぎたものです。一歩間違えば、周りの人々を、この国を、世界をも滅ぼすかもしれません」
国から世界に進化したよ。そんな魔王のような存在に、私はぜったいなりませんけど!
「おだまり。そんなことはあり得ないのよ。なぜなら」
なぜなら?
「今までのエリーゼは、この寝坊助でアホの闇の精霊に呪いをかけられていただけで、それが解けた今、あふれんばかりの私の加護に護られた、元の心優しい大地と緑を愛する少女に戻ったからね」
そういった、ヴェルデの右手には首根っこを押さえられた黒というよりは夜明け前の空のような藍色の子犬もどきが揺れている。
子犬と言っても、なんだかその輪郭はぼんやりとしていて、よく目を凝らして見ないとそれと識別できないほどだが。
「このアホは、4歳のエリーゼの可憐さにほれ込み加護を与えようとしたんだけど、エリーゼはもうヴェルデの加護があるから大丈夫よ、とかわいくそれを断ったんだ。とても正しい賢明な判断だ。なのにこいつはそれに拗ねて、エリーゼに闇の呪いをかけた」
闇の呪い!?
どう想像してもロクでもない感じだ。
「でもすっごく軽めのやつだったから」
言い訳をする子犬もどきを、ヴェルデはグルングルンとふりまわす。もうただの黒っぽいかたまりにしか見えない。
大丈夫なのか、闇の精霊。
「すぐにそれに気づいた私は呪いを解こうとしたんだけれど、ムカつくことに、闇の呪いは私と相性が悪くて、私一人では解くことができなかったの。言っとくけど、けっして私がこいつより劣っているってことではないのよ。相性の問題だからね」
とりあえず、皆うなづく。
「そこで」
そこで? 父も兄も、私と同じように身を乗り出す。
「このアホを探し出すことにしたんだが、こいつは、呪いをかけたことも忘れてすぐに眠りについてしまったんだ。そうなると、気配がなくなるので探すことがとっても難しいわけ。3年ほど、あちらこちらを探し回ったんだけれど見つからず、私も疲れて2年ほど眠っちゃったの」
なるほど。精霊らしいというか、あなたもたいがいですね、と言うべきか。
「目覚めてびっくり。アホの呪いのせいなのか、寝ていたせいで私の加護も薄れたせいなのか、あのエリーゼが、とんでもないお嬢に育ちつつあるじゃない」
でしょう? と盛り返したように兄はうなづく。
「エリーゼのわがままと悪行のせいでこの屋敷の使用人はどんどん辞めていくし、家の評判を保つためにひっきりなしにフォローもしなくてはいけなくて、家族は心が休まる暇もないんですよ」と兄がつぶやく。
その兄を、ヴェルデはまたしてもひと睨みで黙らせる。
「いいこと? 私がエリーゼをどう言ってもいいんだけど、他の誰にも、この子の悪口は言わせないわ。なぜなら、この私の加護がこの子にはあるのだから」
うん? これ以上ない正論、みたいな感じで言い切ったけれど、とんだへりくつだよね。
睨まれた兄がむしろ不憫だ。とりあえず私は、心の中で兄に謝る。過去の私のやらかしと、ヴェルデのこの説得力のない言葉も一緒に。
「本当は二度寝としゃれこみたかったんだけど、それどころじゃないでしょう? 加護を与えた者を正しく導くことができなかったら、最悪、私の力は没収され消滅しちゃうし、そうなると支配する大地は荒れ、緑が枯れ果ててしまうのだから」
そんな大ごとの前に2年も寝たら十分なのでは? と思ったが、よけいなことは言わない。触らぬ精霊にたたりなし。
「そこで他の精霊にも頼んでみたわけ。幸いなことに火の精霊と風の精霊が手助けをしてくれることになったの。この屋敷に長くいる彼らは、呪いを受ける前の心優しいエリーゼを知っていたからね」
ヴェルデがそう言うと、赤いドラゴンと、黄色の妖艶な美女が現れた。サイズ的にはドランゴンでさえミニチュアなんだけどね。
「私は風の精霊、あっちは火の精霊よ。わたしたちもあなたに加護を与えるわ。呪いの解けたエリーゼは、とってもいい香りがするもの」
そうなの? 私は自分の腕をクンクンと匂うが、かすかな汗の匂いがするだけだ。
「心の香りのことだよ。甘くてふんわりして、とっても素敵な香り」
ドラゴンはうっとりとした顔で、私にスリスリしにきた。
「だからとってもいい加護をあげる。強力な魔法が使えるようになるよ。三秒でこの屋敷くらいなら吹き飛ばしたり、燃えカスにできる」
そんな力、いらないから。
父や兄も震えながら首を横に振っている。
しかし、私としては、「使い方だからね。もらってもそう易々と使わなければいいわけで」と自分に言い聞かせるのが精一杯だ。
「いいのよ。気にしないで。だから私たちにも名前をつけて」
まったく覚えていないが、ヴェルデの名前も、幼い頃、私がつけたらしい。
「じゃあ、赤いドラゴンさんは、ロッホ。黄色のきれいな妖精さんはアマリージョではどうかしら?」
ロッホはスペイン語で赤色、アマリージョは黄色だ。サラマンダーとシルフィーでもいいかと思ったが、それだと、ヴェルデ=緑色とつり合いがとれないかもと考え直した。
大学では第二外国語をスペイン語でとっていたせいなのか、なんとなくスペイン語の単語が候補に出てくる。
とはいえ、私の前世での記憶の限りでひねり出した安易な名を、精霊さんたちは気に入ってくれたようだ。とても嬉しそうに、私にキラキラ光る粉をかけてくれる。ヴェルデもついでのように。
「彼らの協力でこのアホを見つけてようやく寝こけているこいつをたたき起こし、説教をくらわせ、エリーゼの呪いを解いたのが十日まえ」
「ということはあの高熱は?」
「解呪の後遺症だね、危なかったよ。こんな小さな子どもに闇の呪いをかけて5年も放置してたから、解けた反動も大きくて、光の精霊が来てくれなったら死んじゃってたかも」
なんと!
死んで転生したのにまたすぐ死ぬ運命だったかも、とは。
それで、光の精霊というのは? なんだか面倒な匂いがする。
予想どおり、またしても白銀色の光が現れる。しかし、光は形をとることはなく、その場で神々しく輝いている。
「私にも名前をちょうだい」
話はできるらしい。
「命を救ってくださってありがとうございます」
まずお礼を言う。
「いいのよ、そのアホは、私の弟だから。弟のしでかしたことを姉が責任をとるのはあたりまえ」
姉弟なのか、光の精霊と闇の精霊は。
「光は闇とともに生まれるものなの。つまり、私たちは双子の姉弟なのよ。私のほうがずっと出来がいいけどね」
父と兄も、ほうっと感嘆の声を上げている。
「名前を気に入ったら私も加護をあげる」
命を救ってもらったのだ、加護までもらうなんて滅相もないと遠慮する。
いや、正直もうすでに加護がいっぱいでちょっと面倒な気もしている。
だって、どの加護をどんなふうに使ったらいいのかもまったくわからないのだから。
「何言ってるの、私は、こう見えて使える精霊なのよ。そっちのヴェルデと同じように最高位なんだから」
ヴェルデが胸を張る。
ヴェルデ、偉い精霊さんだったんだね。びっくりだよ。そんな威厳を感じさせないところが、またすごいけどね。
こちらの光の精霊は、それに比べるとかなり威厳がある。だって、ひときわ輝いていらっしゃるもの。だけど、だからこそご遠慮したいかな。持ちすぎることの弊害を兄のマテウスがさっきから何度も伝えているではないか。
「それで、私の名前は何かしら?」
だけど偉い光の精霊は私の気持ちを慮ってはくれないらしい。
名前を待ちわび、ソワソワするように、いっそう白銀の光がまたたく。
まぶしい。まぶしすぎるんだけど。父も兄も目を覆っている。
やむを得ない。こうなれば、とりあえず名前をつけるしかない。誰かの目がつぶれる前に。
確か、銀はスペイン語でプラータだったはず。
「では、プラータはどうでしょうか?」
「プラータ! いい名前ね。なんだかとっても威厳があるわ」
そうだろうか? それならいいけど。いやいいのか?
「とっても気に入ったわ。喜んで、私の加護をあなたに上げる」
それはやはりご遠慮させてくださいという前に、あっさり私は白銀の光に包まれた。それは一瞬だったが、身のうちに温かいものが流れ込み、私は自分に癒しの力が備わったことを悟る。
いやあ、これはもらってよかったかも、と思いなおす。これがあれば、この先、たくさんの人を助けることができるかもしれない。
私は嬉しくなって、何度も何度もプラータにお礼を言った。
白銀の光は、嬉しそうにふんわりと揺れる。
とにかく、これでこのご加護騒ぎは、一件落着ってことね。どうやら兄も私を地下牢に閉じ込める気は失せたようだし。
ついさっきから、私を見る目に冷たさがなくなったもの。
私は安堵のため息をそっとこぼす。
「僕にも名前をくれよ? ちゃんと呪いではなく加護をあげるからさ」
ふいに、すっかり忘れていた、闇の精霊だという子犬が泣き出しそうな声でそう言う。
いや、さすがに僻みで呪いをかけられ5年も忘れ去られていた身としては、それだけは勘弁願いたい。
それに闇の加護って、なんだか怖いし。
「お願いだよ。全力で頑張るからさ」
子犬は必死だ。といってもしっぽの振り具合でそう判断しているわけだが。
だけど父や兄も、そのしっぽより、もげるんじゃないかと思うほど首を横に振っている。絶対にもらうな、ということだろう。
困った私はヴェルデを見る。
「もらっとけばいいんじゃない? こいつの加護を受ければもう誰のどんな呪いにもかからないし、毒も効かない体になるはず。それにこのアホは寝坊助だから、どうせまたすぐに寝ちゃうよ」
そのヴェルデの言葉を聞いた父と兄は、今度はしきりに首を縦にふっている。もらっておけということか? あまり気はすすまないが、それならしかたないか。
「では、お願いします。あなたの加護をお受けします」
子犬は、いっそうちぎれんばかりにしっぽを振って歓びを表す。
子犬が大きくなったと思ったら、すぐに靄が広がる。黒にも藍色にも見える靄に包まれたときはちょっぴり怖くなったが、靄がすっきりはれた後は、驚くほど、心も体もすっきりだった。体の奥から活力が湧いてくる気もする。
「名前を、僕にも名前をちょうだい」
もとに戻ったのか、子犬が金色の目を私に向ける。
「では、あなたの名前はインディゴで」
加護の代わりに名前を与えると、インディゴはワオーンと体に見合わぬ大声でひと声吠えると、すぐに私の影に入り込んだ。
「えっ」
どういうこと?
「そいつは、影に潜むから。用事がある時に呼べば影から出てくるよ。寝てなければね」
ヴェルデがなんでもないように言う。
「じゃあ、そういうことで。私たちも戻るね」
「どこへ?」
「どこでもないどこかよ」
そう言ってヴェルデと他の精霊たちは揃って消えていった。そして声だけが残る。
「私たちも、名前を呼べばすぐに来るからね」
眠ってなければいいけどね、と私は心でつぶやいた。
ふうっと、父がため息をつく。
「精霊をこの目で見たには25年ぶりだ。あの時は、火の精霊だけだったが嬉しかったものだ。加護はもらえなかったがな」
父がしょんぼりと言う。
「私は初めて見ました。けれど見ることができただけでも幸運です」
マテウス兄、謙虚だ。
「エリーゼ、今まですまなかった。呪いにかかっていることにも気づかず幼いお前に冷たくしてしまって、本当に悪かった」
それになんていい人なんだ。公平で正義感が強く、素直に自らの過ちを認めることもできるなんて。この人が兄でよかったと思う。この分なら、人に優しく自分に厳しくをモットーに頑張れば、ほどなく兄との確執は消えるかもしれない。
前世では成し得なかった、仲の良い家族、温かい家庭。まずはそこからだ。
「いいんです、お兄様は正しいことをされただけです。家族だからと甘やかさず厳しくしてもらったおかげで、闇の呪いにかかっていたのに、なんとか今日までやってこられたのでしょうから」
「そ、そうか。そんなふうに言ってもらえると、ありがたいよ。今日から、今までのぶんもエリーゼを大切にするよ」
兄は、なんだか照れくさそうにそういうと、私の頭をなでてくれた。
「私もこれからは、ヴォーヴェライト家の名を穢さぬよう、世のため人のために生きていきます。お父様、お兄様、どうかよろしくご指導ください」
私が頭を下げると、父が、そっと私を抱きしめてくれた。
「エリーゼ、そう頑張らずともよい。まずは、解呪の後の体を十分に癒し健康を取り戻すのだ。それから、いっしょにゆっくり考えていこう。お前の、その力をどんなふうに御していくのかを」
正直、光と闇の加護の後、私の体も頭もすっきり元気いっぱいだ。でも私は、だまったまま父の抱擁に身をまかせる。私は、前世も含めて長い間忘れていた父の温もりを、この日改めて思い出したのだった。
余談ながら、母のゲルダは、その頃、全使用人を動員して父と兄、そして私を必死で探していたらしい。
どうやら、精霊さんたちのお力で図書室には結界が張られ、他の人たちには私たちの姿が見えなくなっていたと思われる。
結界が解け、突然現れた私たちを見つけた母はそのまま気を失い、二時間後に意識を取り戻した後、ベッドの前に三人を正座させ、こめかみを抑えながら今回の顛末を聞き、また失神した。